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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
七月
77/202

076.七月六日 水曜日






 五人の男が集っていた。


 高まる緊張のあまり、誰かがごくりと唾を飲んだ。

 動きもしていないのに、額から汗が伝う。

 その目は油断なく相手を探るように動き、その意識は自分の思考を漏らさないよう警戒心で包み、その態度はどう見ても挙動不審だが、今は誰もそれを気にしない。

 本気さが違う。

 今日だけは、本気さが違う。


 思いっきりガチである。


 彼は意を決したように頷き――ついに僕らは動いた。


「「ジャーンケーン――!!」」





「ぃぃよぉぉぉっしゃーーーーーー!!」


 黒光りする肌が眩しい連敗常連の大喜多君が、絶叫をあげて高らかに拳を握り締めた――渾身のガッツポーズだった。

 意外。それ以外の何者でもない。


 チィッ……! ついに奴は学習したか!


 大喜多君といえば、いつもジャンケンの一手目はグーを出すという致命的な欠点があり、それを僕らは知っていた。だから最初は全員パーで統一されていたのだ。

 しかしそれが仇となった。

 ……いや、まあ、もう七月だしね。毎日のことだし、そろそろ学習してもおかしくはないよね。あえて「遅すぎる」とは言わないし。


 放課後の教室には、僕ら五人しか残っていない。――テスト勉強は、すでにヤマを張って配ってあるので、各自家でやれるのだ。


 今日の掃除を懸けたジャンケンは、今日だけは誰もが負けたくないと思っていた。その答えは、言わずと知れた、明日から始まるテストのせいである。

 早く帰って勉強したい。いくら八十一の生徒でも……いや、うちの生徒だからこそそう思うのだ。今回のテストだけは赤点をクリアしないと、夏休みが見るも無残なステキ色に染まってしまう。


「うお、マジで? ちょっと待ってろよー」

「うっせ! 小田っち一度だって俺のこと待ってくれなかったろー!」


 同じイケメン仲間であるピアス付けすぎ小田君が言うが、大喜多君はさっさと鞄を持って、舌を出すというベタな仕草で拒否して教室を出て行った。

 と思ったら、顔だけ出した。


「五分だけだかんなー。負けたら帰っからなー」


 それだけ言い、顔を引っ込めた。……見た目も仕草も口調もチャラいけど、大喜多君はいい奴だなぁ。





 これで一抜けである。残り四人の中で、今日の掃除当番二名が決まる。


「一人抜けただけでこんなにプレッシャーが増すとはな……」


 サッカー部期待のホープ青島君が、暑いせいかそれとも緊張のせいか、額から一滴の汗を流した。


「……俺さ、レギュラーに選ばれたんだ。補習になったら夏の大会出られないんだよな……」

「おいやめろよ。それを言うなら俺だってそれだぜ?」


 青島君の呟きを、野球部の性癖がヤバイ上野君がたしなめる。


「今年はマジで甲子園狙ってんだからよ。先輩たちががんばってるのに俺だけ補習なんてやってられっかよ」


 そんなこと言われると、帰宅部である僕と小田君は立場がない。

 ……というか、これはそういうことだな?


 青島君と上野君が、チラッチラッと僕と小田君を見ている。その目は「変わってくれよー」とか「おまえら帰宅部だろー変われよー」みたいなことを語っている。


「そうだな」


 小田君は腕を組む。今日もピアスが重そうだ。


「俺と一之瀬は帰宅部だし、特に一之瀬なんかは赤点とは縁がなさそうだし、ここは変わってもいいかもしれないな」


 お、おいおい小田君何を言い出す! まあ僕は確かに縁なく過ごせそうだけど、君は補習候補生じゃないか!

 水を向けられたサッカー部と野球部は、それこそ水を得た魚のようにイキイキとした顔で食いついた。


「マジで!? 変わってくれる!?」

「悪いよそんな! でもいいのか!? いいんだな!?」


 蜘蛛の糸にすがる二人の男を、しかし彼はその手を振り払った。


「――なわけあるかバーカ! 俺はおまえらの『帰宅部は部活組よりヒマだろ』ってテンプレ思考がムカつくんだよ!」


 おお、小田君の一喝が出た! 僕の心のどこかにあった不満を代弁したかのような一喝が出た! ……でも別にそれはいいけど、なんで一度泳がせたんだよ。ストレートにそう言えよ。


「い、いいだろ変わってくれても! 実際ヒマだろ!?」

「そうだそうだ! だいたい小田はいったいいくつピアス付けてんだよ! 耳がかわいそうだろ!」

「ピアス関係ねえだろ! おら次行くぞ! ジャーンケーン――!」


 え、ちょ、そんないきなり……!


 突然の小田君の音頭に、僕らはあたふたしながら手を出した。


 青島君、チョキ。

 上野君、チョキ。

 僕はパー。


 そして小田君は……グー!


「あ、あっぶね!」

「急にやるなよ小田!」


 あぶねぇ……ほんとあぶねえ。危なかった。


「さっさとやるぞ! あーいこーで!」

「「待て待て待て!」」


 青島君と上野君と僕で、アゲアゲな小田君を止める。勢いのある男だ。それがモテるコツだとでもいうのか。


「んだよ! 待ってどうすんだよ! どうせやんだろ!?」


 いやそれは確かにそうなんだけど。心の準備とかあるんだよ。どうしても今日は負けたくな……あ。


 ――その時、僕の頭に悪魔的閃きが瞬いた。


 そうだ……いっそこういうのはどうだろう。


「……帰ったら?」


 ボソリと漏らした僕に、三人の視線が集まる。


「今日は掃除サボ…………いや、超スピードで終わらせたってことにして、全員で帰ったら?」

「お、おまえ……」

「邪悪だ……邪悪だぜ……」

「一之瀬ぇ……これだから頭いい奴は恐ろしいぜ……!」


 クックックッ……邪悪? 結構だね! あと僕は特に頭良いわけじゃない。普通だ。

 というかだ。


「元々やったようでやってないようなものじゃない」


 このように毎日人数を減らして手抜きして、本当に速攻で切り上げて帰っているのだから。青島君と上野君なんてクラブがあるから特に顕著だ。

 だったらもう、今日くらいやらなくてもいいだろう。いつも手抜きしてるのにこんなテスト直前だけ真面目にやる必要があるだろうか。隣のC組なんて毎日こんな感じらしいし。


「……帰ろうか」


 ポツリと同意したのは、青島君だった。


「一之瀬の言う通り、いつも真面目にやってないんだし、だったら今日もいつも通りでいいだろ」

「そう……か、そうだな」

「それもそうだな。んじゃ帰るか」


 決まった。

 僕らは満場一致で、今日の掃除をサボることにした。





 ほっと息が漏れる。

 無駄に張り詰めていた緊張がほぐれる。

 やれやれと輪をはずれ、自分の席にある鞄を取り――





 全員恐怖でフリーズした。





「ほー。いつもそんな掃除してるんだ」


 な、な、な、なん、だと……!?


 彼女を見た瞬間、ジャンケンの時なんかとは比べ物にならないほどの緊張が張り詰めた。

 黒板側の出入り口に、気まずそうな顔をしている大喜多君と肩を組み立っていたのは、担任の三宅弥生たんだった。なぜだ。なぜここにいる。いつもは見に来ないのに、今日に限ってなんで……!?


 彼女は笑っていた。

 でも僕にはわかった。あれは目が笑っていない。全然。微塵も。


「おまえらな……他の先生から苦情来たんだぞ。やれ隅に埃が溜まっているだの黒板消しで黒板が消せないだのジュースこぼした染みがそのまま残ってるだの……ああ、そうか。案の定サボッてたわけだ。そうかそうか」


 ヤ、ヤバイ……今、この時、テスト直前の重要極まるこの時に、今までの手抜きのツケが回ってきたというのか……!?


「――おまえら覚悟しろ!!」


 無理です!


 弥生たんが大爆発した瞬間、恐怖のあまり凍っていた僕ら教室掃除班は、本当に反射的に逃げ出した。深い考えはなかった。逃げたら後日が怖いという根本的な現実さえ忘れて、僕らは逃げ出した。


 前方の入り口は、見ての通り弥生たんが塞いでいる。僕ら四人は後方出入り口に殺到し――おう!?


 視界の隅に飛び込んできた茶色い何かを、僕は上半身を逸らして回避した。


「いでっ!?」


 僕の目の前を飛んできたそれは、僕の向こうにいた青島君の顔にパカーンと直撃した。

 スリッパだった。

 弥生たんが履いていたスリッパだった。


「ぎゃああああっ!?」


 ああ、青島君っ! 青島君はよろめきつまずき、周囲の机を巻き込んで盛大にこけた。……くっ、将来有望な惜しい人を亡くしたっ……!


 僕と上野君より先んじていた小田君が、一足早く廊下へ飛び出し――僕と上野君の間を割るように、背中から飛んできた。

 「超ひでぶっ!?」と世紀末のモブっぽい悲鳴を上げながら、これまた机を盛大に巻き込んで倒れた。


 僕と上野君の動きは、完全に止まった。このまま行けば同じ目に遭う……という得体の知れない現象への恐怖というより、理解不能な現実に対する戸惑いの方が大きい。


「……ふっふっふっ。逃がさんよ」


 ――つ、津山、先生……!?


 後方出入り口の脇に隠れていた、僕ら担当の英語教師、猫背がセクシーな津山先生がゆらりと現れ、その道を塞いだ。


「時間が惜しいのだろう。気持ちはわかる。だから今日のところは無駄な問答などせずさっさとやりたまえ」


 津山先生の先生らしい言葉に、僕らは首を縦に振るしかなかった。





 こうして僕らは、期末テスト前日だというのに、徹底的に教室の掃除をするはめになった。


 そんな期末テスト前日の珍事。





 まあ、バカな僕らにはお似合いの罰だね。ほんとに。……ほんとにそう思った。












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