075.七月五日 火曜日
「席に着けー。エロ本しまえー。狩りも中断しろー」
我ら一年B組が誇る絶対君主・三宅弥生たんがやってきた。僕らはよく鍛えられた犬のように、飛ぶがごとく自分の席へと戻っていく。今日もお勤めご苦労様です。
各教室にクーラー完備! ……などという贅沢な環境にない八十一高校は、職員室以外はたいがいどこもかしこも暑い。高井君のように薄いYシャツ一枚で過ごしている連中も多くなってきている――僕はひっそりとシースルー派と呼んでいる、あまり見たくない連中だ。歓迎しているのはマコちゃんくらいなものだろう。
僕らは誰一人暑さにだらけた姿など見せることもなく、弥生さん降臨を堅い緊張感をもって臨む。
……僕らは知ってしまったのだ。この人はあの生きた伝説・五条坂光と一対一でタメ張れる猛者だと。どこかから流れてきた噂を聞いてしまったのだ。
ただの噂なら信じなかっただろうが、このクラスの半数があの人の強さを知っている。なので異様な信憑性を持って、そしてやけにすんなりと僕らの中の三宅弥生像に「五条坂光くらい強い」というアルファ要素が付加した。
つかなんでそんなに強いんだよ八十一の教師は。……強くなければ生き残れないって前の仮面●イダーみたいな状態だから、などと言われれば納得はできるけどさ。……まあ僕は空手部どころか空手部顧問の教頭と、バーコード頭が完全トラウマになったけれど、それは今は関係ない。
僕らの警戒と緊張の念など意に介さず、弥生たんは「今日も暑いな」と額の汗をハンカチで拭う。たぶんさっきまで職員室で涼んでいたのだろう。
そう、外の世界は今日も夏だ。梅雨の時はまだ涼しかったが、梅雨が明ければシースルー派が増える程度には灼熱だ。
「あー、連絡事項がある。青島、上野、久慈、――」
手にあるリストから、無造作に僕らの名を呼んでいく弥生たん。その数は半数以上に昇った。……僕と柳君は呼ばれなかったが、高井君は呼ばれた。
いったいなんだ。誰も名を呼ばれる理由がわからず、不安げな空気だけが広がっていく。
答えは明瞭だった。
「――以上の者は、今週行われる期末テストで二つ赤点を取ったら夏休み補習と追試がある」
「「…………」」
そんな死刑宣告を突きつけられても、不満の声は、今更上がらなかった。だってそれは誰もが予想できていたことだから。……あと弥生たんを怒らせたくないという心理も影響したはずだ。
そうか、八十一ではそういうルールなのか。中間テストでは赤点による追試や補習はなかったが、その分期末に影響するのか。
「あと……そうだな。おまえらはガチでバカだから、諸々の注意事項をあえて話しておく。
――まず聖戦でのテストおよび補習・追試の免除は不可能だ。
これはおまえたちが進級するために必要な単位を取得しなければいけないからだ。むしろ聖戦を仕掛けて成功したら、半数以上が進級できないってことになる。忘れるなよ。補習も追試もおまえらを苦しめるためのものではなく、おまえらが必要なものを得るための、おまえたち自身のために行うものだ。
次にカンニングについて。
語るまでもなく禁止だ。念のために言うが『バレないようにやれ』なんて私は言わないからな。絶対にやるな。発覚した時点で取り返しの付かないことになる。……私はおまえらがそこまでバカじゃないと信じるからな。
そして最後に――」
弥生たんは僕らを見回す。
「テストは今週木曜日からだ」
……え? いや、テスト期間なんて言われなくても全員知って――
「「ええーーーーー!!??」
クラスメイトたちから驚愕の声が上がった。「ええーっ!?」って……なんでだよ。なんで驚いてるんだよ。知らなかったのかよ! 授業中とか先生ちょいちょい言ってたぞ! 「ここテストに出るぞー」とかさ! どんだけテストから目を逸らしてるんだよ!
「やっべ今週かよ!」「俺何もしてねーよ!」「嘘だろ……そうだ、俺は夢を見てるんだ、きっとそうだ」「つまりどういうことだってばよ……!?」「逃げちゃだめだ逃げちゃダメだ逃げちゃだめだ……」「えー? 俺デートあるのにー」――大喜多君は近場の連中に殴られた。
夏真っ盛りで命を燃やし続けているセミの合唱にも負けないくらい喧々諤々とした様相に、僕は改めて思った。
彼らは本当にバカなんだな、と。
テスト前くらい授業ちゃんと聞け、と言いたいところだが、その前にテスト期間さえ知らなかったとか……木曜からだぞ。今日を入れてあと二日だぞ。はっきりいって色々手遅れすぎるぞ。
今回の場合は、弥生たんを責めるべきなのだろうか――いや違う。そんなのありえない。むしろ「あえて言う」と前置きした弥生たんの言葉を酌むのであれば、「私はおまえらをそこまでのバカだとは思わない。でも私が心配だから無意味かもしれないけど一応聞いといてね」くらいの気持ちだったはずだ。
なのにこの有様である。
日程くらい知っとけ。
弥生たんはもう何も言いたくなくなったのだろう。
「くれぐれも私の手を煩わせないように。以上」
そう言葉を締めて、さっさと教室を出て行った。……僕らに呆れたというのもあるのだろうが、たぶん暑いから職員室に逃げたんだと思う。あの人はそういう人だ。
……さて。
僕はすでに覚悟してしたので、戸惑いはない。
むしろ昨日の段階で誰も何も言わないから、逆に心配していたくらいだ。
ホームルームが終わった直後、赤点補正候補生どもが僕の周りに集まった。まるで中間テストの時のように。「たすけて●らえもーん」と蒼き深遠に佇む彼に泣きつくメガネくんのように。
救いと言えば、僕にとっても一応テスト勉強になるという点だ。
基本的にヤマを張って、そこを重点的に解いたり憶えたりするだけだから。……まあできれば僕よりできる人に聞いて欲しいと思うが。
覚醒した乙女マコちゃん経由で、今回も五条坂先輩の過去のテスト問題とノートはすでに借りてある。前のテストで僕も一応先輩の恩恵を得ていた。本当にあの人はすごい。見た目的にも中身的にも。
教師たちも、この時期の僕らのことは心得たもので、授業時間の半分は自習として時間を開放してくれた。わからないところは質問を受け付けるし、席を立つ者たちを注意することはなかった。
お膳立てはされている。
あとは各々の頑張り次第だ。
夏休みを懸けた期末テストは、目前である。