066.六月二十四日 金曜日 隣の聖戦編
聖戦から一夜が明け。
僕ら一年B組ほぼ全員が何かしらの故障を抱えるも、今日もいつも通りの日常が続いている。
僕はこの前のボール直撃の比ではないほど見事に腫れ上がった左頬にシップを貼り、隣の柳君も右眉の端……こめかみの辺りに絆創膏を貼っていた。高井君は「二、三日は脱げねえ」と言っていた――たぶん身体中あざだらけなのだろう。
まあ僕はともかくだ。
「柳君と高井君が負けたっていうのが、やっぱり信じられない」
どちらも異常なくらい身体能力が優れているのに。具体的に言えば、あの「新人狩り」を毎日無傷で正面突破できるくらいなのに。
――B組が一丸となって仕掛けた聖戦の果てに、僕らは見事に玉砕、全滅したのだ。聞いた時は耳を疑ったが、どうやら紛れもない事実らしい。
「ここの教師は恐ろしいな」
隣の席の柳君は、いつも通りの無表情でそう評した。
「同感だ。できれば二度とやりあいたくねえ」
まだ鞄を持ったままの高井君も、渋い顔で同意した。
まあそれでも、どこか心はすっきりしている。
きっと結果的には勝利を収めたからだろう。僕らは要望通り、覚醒した乙女マコちゃんの女性用水着許可を貰うことには成功したのだから。……まあ、やられた以上手放しで喜べないのも確かだが。
そして僕には、もう一つの聖戦が待っている。
外を見れば、今日も雨が降っている。
今月中は梅雨が続くので、きっともう少し降り続けるだろうが、しかしのんびりもしてられない。
三時間目の休み時間、僕は動いた。
いつもは人目を気にして会わないようにしていたが、今日だけは違う。今日だけはむしろ見せ付けるつもりでやってきた。
そう、隣のクラスの一年C組に。
「しーちゃん!」
廊下から教室を覗き、やや孤立気味に文庫本を読んでいるC組のアイドルしーちゃんを大声で呼ぶ。C組の連中が殺気走った視線を向けるも、僕は一切気にしない。……本当は気にしているが。超こえーよ。いきなり殴りかかられそうだよ。
「ど、どうしたの」
これほど注目を集めて呼び出すことなんて今までなかったので、殺意独り占めの僕と同じく、しーちゃんも戸惑っていた。
僕は廊下に出ることなく、開いたドアのレールを境界線にして、廊下と教室とに別れたまま話す。
「話は聞いてると思うけど、僕らは聖戦を勝ち抜いた」
「…? そう、だね。聞いてるよ」
「次は君たちの番だね」
ざわ――と、渦巻く殺意が大きくなったような気がした。
そうこなくては困る。
その通り、僕はC組を挑発しに来たのだ。怒りを増幅させるために来たのだ。超勇気を出して。単身で。……でもB組の出入り口に、何かあった時のために柳君と高井君に待機してもらっているのは秘密だ。
「しーちゃんのC組は、まさかクラスメイトのために身体を張れない腰抜けばかりじゃないよね」
僕は炊きつけている。僕らと同じように、しーちゃんの女性用水着使用許可を貰うために聖戦を仕掛けろ、と。
というか、なぜしないのかわからない。
僕らが昨日やったことは、すでに学校中の噂になっている。つまり隣のC組にも届いているはず。実際しーちゃんも知っていると言った。
つまり、そういう手段があることを「知らなかった」とは言えない。
なのになぜ行かないのだろう?
やるんだったらいつでもいいのだ。仕掛けるんだったら早朝、一時間ごとの休み時間、昼休み、放課後だってできる。
絶対に聖戦を勝ち抜きたいなら、絶対に意見を通したいのなら、それこそ一度だけじゃなくて何度も何度も仕掛ければいい。
なのに、待てど暮らせどC組に動きはない。
そこがどうしても気になり、こうして挑発がてら様子を見に来たのだ。……柳君と高井君に待機してもらって。一人じゃこんな大それたことはできません。
でも僕一人の方が効果的だからがんばって踏ん張っているわけだ。僕はしーちゃんと仲が良いと思われているので、C組の彼らにはすごく嫌われている。つまり僕の挑発には乗りやすいのだ。たぶん。
「……無理だよ」
殺意渦巻くC組をチラリと振り返り、しーちゃんは眉を寄せた。
「C組には、運動のできる生徒が少ないから……球技大会も全部一回戦敗退だったし。聖戦、君たちも全滅だったんでしょ? 柳君も高井君もすごく運動できるのに、あの二人もやられたんでしょ? ……僕らには無理だよ。行ってもやられるだけだよ」
ああ……そっか。そういうことか。
「気持ちで負けてるんだね」
クラスメイトをバカにされてカチンと来たのか、しーちゃんは僕を睨んだ。
「僕はB組を知らない。でも一之瀬くんもC組を知らないでしょ? 勝手なことを言わないで」
おお、しーちゃんが怒ってる……しーちゃんに怒られるのもいいなぁ。心が洗われるようだ。
思わず頬が緩みそうになったが、気を入れて顔を引き締める。
「知らないよ。しーちゃん一人に我慢させて、みんなで苦労する気がない連中のことなんて知りたくもない」
しーちゃんはC組の連中に「プールに参加するな」と言われたのだ。それは言い換えれば「しーちゃんだけ我慢してくれ」って言われたのと同じことだ。
「君はそれでいいの? みんなのために我慢するの? みんなと一緒にがんばりたいとは思わないの?」
「……」
「ちょっと来て」
僕は黙り込むしーちゃんの手を取り、C組の壇上に上がった。
静まり返るC組。
集まる視線の痛いこと痛いこと……本当に殺されかねない殺意に膝が震えた。
僕は一つ深呼吸し、強く脈打つ心臓を落ち着かせた。
「――誰かしーちゃんのために身体張ろうって奴はいないのか!?」
僕の激に、驚くしーちゃん。そしてC組の面々。
だがレスポンスは早かった。
「うるせーボケ!」
「彼氏ヅラしやがって! ボコボコにすんぞカス!」
「ざけんな! しーちゃんのためならいつだって命張ってやるよ!」
「くたばれリア充!」
「ハゲて死ね!」
C組は一瞬にして怒号にまみれた。怒りと殺意とやる気が目に見えるかのように色濃く飛び交い、その強烈な感情の昂ぶりは校舎を揺らした。
――なんだ、いけるじゃないか。「しーちゃんのために僕らが代わりに聖戦やろうか」なんて僕一存の非常に無責任な挑発をせずに済んだじゃないか。
「しーちゃん」
驚いた表情のまま固まっているしーちゃんは、僕を見た。
「君のために身体張るってさ。いいクラスメイトだね」
一応秘密兵器を用意していたのだが、この分だと必要ないかもしれない。
一年C組、六月二十四日金曜日、三時間目休憩時間に聖戦決行。
結果、全滅。
同日昼休み、二度目の聖戦決行。
結果、全滅。
そして同日放課後、三度目の聖戦決行。
「行くぞオラァ!!」
応援団団長・尾道一真、副団長・北見幸夫、団員・守山悠介、敦賀鉄二、大野新太郎、以上五名が応援のためにと助っ人として飛び入りし、見事聖戦を勝ち抜いた。
「見たか! バーカ!」
「くたばれバーカ!」
「むっつり野郎バーカ!」
「二度としーちゃんに近付くんじゃねえぞ! バーカ!」
「あー……あ、と、とにかくバーカ!」
先行きを案じて帰れずB組で待機していた僕は、再三に渡る職員室襲撃でボロボロになっているC組連中に、通りすがりに勝ち誇った顔で「バーカ」と言われた。
肩を借りて歩く者、出した鼻血そのままの者、まぶたが腫れて片目瞑りっぱなしの者、足を引きずっている者……皆本当にボロボロで、でもすごく輝いて見えた。まあ僕らほどじゃないが。僕らほどじゃないけど。
そうか……ついに勝ったか。
僕は安堵の息を吐き、付き合わせてしまった柳君と高井君に「帰ろう」と呼びかけた。
「おまえもだいぶお節介だな」
「そんなことないよ」
「どう思う柳?」
「お節介だな」
「だからそんなことないって」
――慈善事業じゃないんだよ。親切ってだけでもないんだよ。……ククッ。
応援団を助っ人に呼んだのは、実は僕だ。五条坂先輩経由で頼んでもらった。
これが僕が考えていた切り札、最終兵器だった。いつかの土曜日のパン争奪戦で見たように類希な実力者たちである以上、彼らが入ることで戦力は倍くらいになったことだろう。ちなみに応援団の助っ人は前例があることで、だから僕も知っていた。
だが、彼らを動かしたのは、紛れもなくC組の根性である。やられてもめげなかったその姿勢である。
三回目にして応援団は動いた。
応援団は立場上、がんばる者は応援するが、がんばらない者は一切応援しない。そういうスタンスらしい。
だからC組の姿勢を見て応援団が動いたのであれば、それは彼らがそれだけ応援団の心に訴えかけたからに過ぎない。
確かに僕が働きかけたが、僕はそれだけしかしていない。彼らを本当の意味で動かせるのは、五条坂先輩のコネや僕の頼みではなく、団長や団員の心を動かせるかどうか。それだけだ。
だから、僕は褒められるようなことは一つもしていない。
そして僕は、過度のお節介なんてガラじゃないことはしない。
「これでしーちゃんの水着姿(女性用)の写真ゲットだぜ! イェー!」という打算が当然あったことは、あえて言うことではないので言わないでおこうと思う。
良かったね、しーちゃん。僕もよかったよ。水着写真的な意味で。過度の肌色的な意味で。
そしてあたりまえのことだが、C組における僕の立場は、かなりまずいことになる。もう尋常じゃない嫌われ方をすることになる。
だから、それも、僕への当てつけだったのだろう。
僕の言う通りになどしない、という。
おまえの言う通りになんてしてたまるかよ、という。
C組は、確かにしーちゃんの女性用水着使用許可を取った。
――でもしーちゃんの分だけではなく、全員分取った。
話し合いの結果、「しーちゃん一人に恥ずかしい思いはさせない」という結論を出した彼らは、しーちゃんと一緒に羞恥に身を晒すという覚悟をしたのだ。
これにより、超かわいい女性用水着しーちゃんの写真の背景に、見るもおぞましい女性用水着を着たスネ毛が濃い男、見ていると自然と涙が出てくる女性用水着の股間が妙にまりもっ●りしている男、何かに目覚めつつあるパッドを入れている男……などなど、絶対に写ってはいけない、ある意味霊的存在より歓迎できないモノが無様に写り込み、著しく観賞気分を損なうという致命的な事件が発生する。
僕にとってはどこまでもひどい嫌がらせだった。嫌すぎる嫌がらせと言わざるを得なかった。
この事件を元に、しーちゃんとC組の間にできていた溝が埋まり、本当の意味でしーちゃんの高校生活が始まることになる。
そして僕は、ほとんど台無しにされたしーちゃんの水着写真を前に、マジ泣きした。
アイドル大好き四人グループが引くくらい、マジ泣きした。