064.六月二十三日 木曜日 聖戦の夜明け編
「おーおまえらー。ちっと聞いてくれやー」
昼休み終盤になり、食堂に昼食を取りにいっていた者や、遊びに出ていた連中が帰ってきたところを見計らい、クラス委員長である竹田君が壇上に上がって呼びかけた。
そのフランクにしてラフな口調は、騒がしかった僕らのハートでさえガッチリと鷲掴みした。
決して大きくはない声に従い、すぐに静まり返る一年B組の姿に、竹田君への信頼と、僕ら自身の結束力が見えるような気がする。
「話聞いてる奴もいるとは思うけどよー、一から話すわー。まず――マコちゃん、ちょい来て」
自分の席に座り、神妙にこの時を待っていた覚醒した乙女マコちゃんが、まっすぐ竹田君の元へ向かう。
竹田君の隣に立つマコちゃんは緊張に硬くなり、いつになく真面目な顔をしていた。
「おまえらも知っての通り、マコちゃんはアッチ系だ。そして今日は雨のおかげで運良く潰れたが、もう体育の授業でプールが始まってんだわー」
竹田君は眠そうな顔をして、マコちゃんの背中を押し、一歩だけ前に出した。
「こいつに女モンの水着着せるにはよー、担任の許可がいるらしいんだわー。……あとは言わなくてもわかるよなー?」
誰かが言った。
「まさか職員室に殴り込みか?」と。
わずかにざわめく僕らに、竹田君は口の端を上げて笑う。
「俺はよー、ダチのために身体張れんならバカでもいいと思ってるわー。だからよー、みんなで行こうやー」
静かでだらけた声だったが、力のある言葉だった。
そして、マコちゃんは不安そうな顔で、どこからどう見ても女の子らしい表情で、言った。
「みんな……私のためにがんばってくれる?」
椅子に座っていた者は立ち上がり、
手にある飲みかけのジュースを一気飲みし、
広げていた雑誌を閉じ、
常時踏んでいる上履きの踵を履き直し、
「――狙いは俺らの担任、三宅弥生! 行くぞバカ野郎ども!!」
そして、僕らの雄たけびがB組を、教室を、いや――校舎さえも震わせた。
一年B組の聖戦は、こうして幕を開けた。
――十分前。
僕はマコちゃんを伴い、竹田君の前にいた。
「お? 晩飯?」
「いや、まだ学校」
自分の席で眠りこけている竹田君を揺り起こす。竹田君は授業中だろうが休み時間だろうがだいたいいつも寝ている。これで不思議とテストの点は悪くないのだから、なんだか理不尽な気もしないではないが……まあ、それは今はいい。
本当に聞いているのか若干不安になるくらい眠そうで、かつ反応がにぶい竹田君に、先日のプール問題のことをを話してみた。
あの男だらけの修羅場の後、「とりあえずこの場は解散しよう」ということで現地解散したが。
とにかく動くなら早い方がいい。
僕は竹田君に、聖戦の要請をした。
八十一高校における聖戦とは、生徒たちが教師たちに、絶対引けない意見を伝えることだ。
その苛烈さ、熾烈さ、そして難易度ともに、八十一高校では絶望的なまでに低い成功率を誇る最終手段である。生半可な覚悟と勢いでは、前にあった「マジでガチ」事件のように、真っ向から叩き潰されるのだ。こちらが本気である以上、教師陣も本気で迎え撃つ。そういう伝統ある反乱様式である。
そう、そこまでしないと特例は降りないということである。
それはわかるつもりだ。
教師側としては、生徒一人を特別扱いはできない。簡単に特例を認めれば、他の者たちの要請も認めなければ不公平になる。そして生徒たちも納得できない。「あいつだけ特別扱いされて……」みたいな恨みを買ってしまうことにも繋がる。
だから聖戦という伝統ができた。
この聖戦とは、いわゆる総力戦である。別に何人でやっても構わない。一人で行っても聖戦だ。だって全貌としては、ただ職員室に乗り込んで担任に頼むだけだし。
だが、どれだけ本気かは、そしてどれだけその意見を貫きたいかは、そこに乗り込んだ人数で証明されるという。
譲れない意見と、その意見を支持する者たち。
この両方が揃って、始めて対等に戦える……らしいが。
「マジで? そっか……またアレに参加すんのか……」
聖戦の要請を聞いて、竹田君は「マジでガチ」事件を思い出したのか、渋面を浮かべた。あ、そういえば。
「竹田君、前のに参加したんだよね?」
「マジでガチ」事件の顛末は、教師陣の武力行使で鎮圧され、暴徒と化した生徒は午後いっぱい職員室前に正座させられたが。
「おー。なんかよくわかんねーけど、渋川にカレーパンで頼まれてよー。気がついたら弥生たんにヤクザキック食らって死んでたわー。カレーパン一個じゃ安すぎるっつーのなー」
う、うーん……
「今回は無報酬なんだけど……」
「あーうっせー。皆まで言うなよ」
竹田君は鬱陶しそうに手を振った。そしてくたっと力なく机に上半身を伏した。……そんなに眠いのか? 朝からずっと寝てるのに、まだ寝るのか?
「前のはよくわかんなかったけどよー、今回はマコちゃんの水着の件なんだろー? クラスメイトが困ってるっつーならよー、報酬なんざいらねーわー。きっとうちのバカどもも同じ気持ちになるだろーよ」
おお……だらしなさを極めているとしか思えない体勢なのに、言ってることはかっこいいぞ!
「よかったね、マコちゃん」
「う、うん……でもほんとにいいのかなぁ?」
マコちゃんはやはり気が進まないようだ。いや、まあ、それはそうだろう。聖戦が始まるとすれば、僕らはマコちゃんのために、職員室に殴り込みをかけることになる。マコちゃんのために傷つく者はたくさん出るだろう――前例である「マジでガチ」事件を思い出す限りは。
たぶん、僕もただでは済まないだろうな……
正直すごく怖いし、できれば勘弁してもらいたいが、でもみんなと一緒なら僕はいい。マコちゃんの願いは切実で、友達としてなんとかしてあげたいとは思うから。
「気にすんなよー」
すっかり睡眠モードに入っている竹田君が言う。
「俺らも、クラスの連中も、全然関係ないようで実はわりと横に繋がってるからよー。だから俺らはクラスメイトって括りで仲間意識があんだよー。広く考えりゃクラスどころか学年でも、同じ学校って枠でも繋がってたりすんだよー。
今日はたまたまマコちゃんだけどよー、明日は違う奴のために身体張るかもしんねー。もしかしたら俺のために聖戦やるかもしんねー。そんなもんだから気にすんなよー」
竹田君は意外としっかりしているなぁ。見た感じ全然しっかりしてないのに。
「マコちゃんはいつも通りウザかわいく笑ってりゃいんだよ」
「し、失礼ね! 別にウザくないけど!」
ウザかわいい、か……なんかわかる気がする表現だ。
「あー……おい一之瀬」
「何?」
「気張れよ。今回は負けられねーからよー」
「わかった」
「あとさー……あと五分だけ寝かしてくれやー……」
それは却下だ。起きろ。