062.六月二十二日 水曜日 前半
それは、聖戦、というらしい。
聖戦。
ジハード。
主に宗教の迫害と妨害に関わる武力行使である。
僕が恋愛ごとで悩んでいる間に、聖戦の時は着実に近付いていた。
「おい一之瀬」
早朝、教室に入ってくるなり、雨に濡れて直視しがたいシースルーな高井君がまっすぐ僕の席に近付いてきた。……わざと濡れるなよ。
「おはよう高井君。風邪引くよ」
「俺はそんなにヤワじゃねえ。それよりこれ、カナさんからの預かり物な」
高井君は鞄からギンガムチェックの小さな紙袋を取り出し、僕に差し出した。中身はきっと例の●ンタックのパクリキャラ「カプセルくん」のストラップである。
そうか……本気だったんだな、あの人は。本気でこれにした方がいいって思ったんだな。
――沢渡夏波、まさに絶望の女子力であると言わざるを得ない。女子力がないとかいう生易しいものではなく、もはやマイナスと断じるべきであろう。
「ありがとう」
正直受け取りたくもないが、ごねたところで高井君が困るだけなので一応受け取っておこうと思う。
……これの処理もなんとか考えないとな……いくら絶望的アイテムであろうと、夏波さんが僕のために仕入れたことには違いない。厚意を無為にはできない。……たとえ実質嫌がらせに近かろうとも。
「それは何だ?」
憂鬱そうに受け取ったブツを見ている僕を不審に思ったのか、隣の柳君が少々興味を抱いたようだ。
「さあ? 俺も聞いてねえな」
どうやら高井君はブツの中身を知らないらしい……あ、そうだ!
「柳君、カプセルくんって知ってる?」
「いや、知らない」
「妹さんから何か聞いてない?」
「何も聞いてない」
ああ、この淡々とした受け答え、非常に柳君だ。
「高井君は?」
「●ルなら知ってるけど」
それは僕も知っている。ブルァァァ!の外の人だ。あ●ごさんの中の人の外骨格の一人だ。
「そうか……知らないか」
もし知っていたとすれば、本当に女子高生の間で流行っているかどうか確認できたんだけどな。
僕は袋の中から、写メで見た通りのキモいマスコットのストラップを出してみた。……うん、直で見ると写真の五倍はキモイ。あと言い訳できないくらいパクリ臭い。
「うわ何それ……初代ピッ●ロの産卵シーンよりキモイな」
高井君にとってはアレより気持ち悪いらしい。そりゃよっぽどである。
「柳君、これ欲しい?」
「いや」
「欲しいよね?」
「いらない」
「今ならただであげるよ?」
「ジュースをおごるから俺にそれを押し付けないでくれ」
どうやら金を払ってでも拒否したいらしい。こっちもよっぽどである。
処理に失敗したので、再びブツを紙袋に納めると、興味を失ったらしく高井君は「あとでな」と言って自分の席に向かった。
こんなの渡したら絶対嫌われるよなぁ……と思っていると、離れたはずの高井君が戻ってきた。
「忘れてた」
「ん?」
高井君が僕の耳元で囁いた。
「屋上へ続く階段の踊り場でしーちゃんが待ってるってよ」
「え?」
「伝えたぜ。またあとでな」
周囲にいるクラスメイトたちに漏れないよう、さりげない動作だった。高井君は僕の疑問など放置してさっさと行ってしまった。
えっと……屋上へ続く階段の踊り場でしーちゃんが待っている、って言ったっけ?
とりあえず行ってみるか。
奇しくも昨日、情報通の渋川君と密談した場所には、聞いていた通りC組のアイドルしーちゃんがいた。
「どうしたのしーちゃん」
しーちゃんはまだ教室に行っていないらしく、鞄を持っていた。
「うん……ごめんね、呼び出したりして」
「いやそれはいいんだけど」
今日もしーちゃんの美貌はすごいな……ちょっと肩が濡れている辺りに、いつにない色気を感じる。もし彼が女性だったら、このひとけのない場所に呼び出されるというシチュエーション……思わず男としてみなぎってしまっただろう。妄想的なものが。
まあ、それはともかく。
正直今は、冗談が飛ばせるような雰囲気にない。しーちゃんの表情には陰りがる。もしそうじゃなければ先日あげたエロ本の感想をセクハラ交じりに聞き出していただろうが、今は自重しよう。
「なんか悩み事?」
「うん……あのね一之瀬くん、僕は今からものすごく変なことを言うけど、引かないでね」
「え? 変なこと?」
変なことって……なんだ?
首を傾げる僕だが、しーちゃんは僕が何か答えるまでは、話すつもりはないようだ。
「……キスまでならいいけど?」
「えっ!?」
「そこまでなら僕は我慢できるけど。でもそれ以上はさすがにちょっと無理だよ。リアルな話」
「……一之瀬くんはどうしてそんなにヘンタイなの?」
おお、しーちゃんが始めて見せるさげずむような表情を……これもなかなか心ときめくものがある。
「それくらいキツイのじゃないと引かないって意味だよ。だから遠慮なく言ってよ」
笑う僕に、しーちゃんは納得したのかしばしの逡巡を見せ、ついに口を開いた。
「正直に答えてほしいんだけど」
「うん」
「……僕の裸って、見たい?」
「見たい!」
僕は即答した。しーちゃんこそ思いっきり引いていた。
「なんで!? 見たいの!? 僕の裸を見たいの!? それってヘンタイだから!?」
「まあまあ落ち着いて落ち着いて」
興奮するしーちゃんをなだめ、「なんでそんなことを聞くの?」と問うと、驚愕の事実が浮上する。
そして、僕にとって……いや、僕らにとっても無関係では済まされないしーちゃんの相談に、僕はしばらく、己を支配する女性のことを忘れることになる。
言われてみれば確かにそうだった。
このままではいけないのだ。
このままだと大変なことになってしまう。
一年C組が血の海に沈み、そして僕の友達があるいは傷ついてしまうかもしれない。
なんとかしなければ。