054.六月十三日 月曜日
夏服になった。
衣替えの中間期間が終わった八十一高校では、一部衣替えのことをうっかり忘れていた者と応援団を除き、皆涼しげな格好となった。僕も今日から半袖のYシャツだ。
「じゃあな一之瀬」
高井君と、黙って手を振る柳君が、僕を置いて帰る。
そう、僕は今日はまだ帰れない。
今日は三者面談なのだ。
高井君がいよいよ本領を発揮し始めた、六月第三週の月曜日。
中にシャツを着ない薄いYシャツ一枚の彼は、よく汗やら水分で(たぶんわざと)シャツを透けさせて、そのマッスルボディを露にしていた。
もはや軽いシースルーである。
そして覚醒したマコちゃんは、彼の肉体を見る目の色が変わり、時々テンションが上がりすぎて僕をバシバシ叩いたり悶えたりしていた。
……僕はあんな露出狂と目覚めすぎている乙女と一緒に夏を乗り切らねばならないというのか。はは、笑える冗談だ。……ああ、うん、気付いているさ。本当は冗談じゃない、本当はガチだってことはね。ちゃんと気付いているよ。
「あれ? 一之瀬君、今日だっけ?」
インドアゲーマーの池田君も、今日が三者面談のようだ。ほんの先週のことだったのに、すでに懐かしく思えるワーストナインの一人である。
今週は、今日から水曜日まで午前中授業だ。クラブは父兄が車を止めるため校庭の使用は不可、それ以外は普通にやっている。まあ帰宅部には関係ないが。
遊ぶ予定を立ててさっさと帰る連中が多い中、教室に残っている数名は、僕と同じく今日が三者面談の者だ。その中の一人に池田君がいた。
ちなみに池田君は、右の柳君の方ではなく、僕の左斜め前の席である。
「池田君も?」
「そうだよ。お尻だいじょうぶ?」
「だいぶいい」
僕のケツ問題で笑わなかった池田君は、「本当に災難だったね」と違う意味で笑った。
「あ、一之瀬くん。池田くん」
教室に戻ってきたマコちゃんも、声をかけつつ寄ってきた。たった今掃除場所から帰ってきたようだ。そう、マコちゃんも今日なのだ。
あと、
「立石君が今日じゃなかった?」
「そうだったはず」
だが教室を見回すも、立石君はいなかった。掃除かな?
「立石くんか……」
マコちゃんは、僕の前の空いた席に座る。
「みんなとはそれなりに話したと思うけれど、立石くんとはまだ話せてないのよね」
ぽつりと投げられたそれに、僕と池田君は「そういえば」と記憶を探る。
言われてみれば、僕も立石君とちゃんと話したことはなかった。ふと視線が合った池田君も首を横に振る。どうやら池田君もないようだ。
「立石のことか?」
同じく、教室に残っているイケメングループの一人、ピアス付けすぎで両耳の重みを心配してしまう小田君がこっちを見ていた。今日も耳が無事で一安心だ。
「あいつは中二病だ。だからまともな話はできないかもよ」
「「中二病?」」
僕とマコちゃんは首を傾げたが、池田君はわかったらしい。
「なんかの病気なの?」
「まあ病気と言えば病気だけど、病院なんかで治せるようなアレじゃなくてな……まあとにかく人体に害はないぜ」
「精神的には感染することもあると思うけどね」
池田君がそう付け加えると、小田君は微妙な顔で「そーね。そりゃあるね」と同意した。
いまいちよくわからない僕とマコちゃんだったが、噂の立石君が教室に戻ってきたので、話はそこで終わった。
そのまま十分ほどだらだら過ごしていると、隣のC組の親らしき婦人がぞろぞろと廊下を歩いていくのが見えた。
僕らもそろそろ廊下に出た方がよさそうだ。
誰が言うでもなく僕らは廊下に出て、それぞれの父兄を待つことにした。
ほどなくして、朝にでも見てきただろう馴染み深い顔がやってくる。
でもなぜだろう。それこそ生まれた時から見てきた親の顔なのに、学校で見るのと家庭で見るのとでは妙な違和感がある。
気恥ずかしいような、あまり友達には見せたくないような。
もしかしたら、家庭での無防備な僕らを知っている人で、しかも立場上遠慮なくそれをポロリできるからかもしれない。ほら、僕らは男で、男は基本的に見栄っ張りだから。それも思春期の難しい年頃だから。
「一之瀬くん。これがわたしのお母さん」
「はじめまして」
「あ、はあ……ども……」
男、と括るのはもはや失礼なのかもしれないが、前の説を裏切りマコちゃんは母親を紹介してくれた。印象がそっくりで、顔の造詣自体がやさしそうなところが親子よく似ていると思う。
……つーかマコちゃん、なんでお母さんを僕に紹介したんだろう? もしや「これからは家族ぐるみのお付き合いがあるかもしれないから」的な、そんな狙いが?
ま、まあいい。考えたら若干怖くなってきたけど、きっと考えすぎだろう。でも僕はさりげなく坂出親子から距離を取った。
その時、折りよく担任の三宅弥生たんがやってきた。
「お待たせしました。それでは三者面談を始めます」
お、弥生たん、いつも面倒そうなのに余所行きのイイ顔してるよ。いつもあんな「出来る女」みたいな顔してたら、それこそ文句なしに僕らの憧れの先生になっていただろうに。……いや、やっぱいつものダラッとしている弥生たんの方が、お互い楽かな。僕はいつもの弥生たんも嫌いじゃない。
「青島さんから、どうぞお入りください」
球技大会でその実力を遺憾なく発揮したサッカー部期待のホープ青島君が、母親と一緒に教室に。あいうえお順の出席番号順になっている。ちなみに我ら一之瀬家は、池田家の次の三番目だ。
少し遅れていた僕の母親もちょうどやってきて、僕に「化粧濃くない?」と耳元で囁いた。
「気にしなくて大丈夫、誰も見てないから」……とでも言いたいところだが、クラスメイトは見ているのだ。僕は軽くチェックして「大丈夫」と頷いて見せた。
廊下に並べられた椅子に座り、順番を待つ。
僕らは弥生たんに言われているのだ。「騒ぐな。動くな。椅子に座って大人しく待て」と。しっかり釘を刺されたのだ。なんでも過去、何が原因だかわからないが、生徒同士が父兄の目の前でケンカをはじめ、かなり大変な騒ぎに発展したんだそうだ。……そして担任が責任を取らされて大変なことになったそうだ。
「一之瀬さん」
「はい?」
池田君を挟んだ向こう側の、池田君のお母さんがうちの母親に声を掛けた。……なぜだ。
「はじめまして、池田です。息子がいつもお世話になっております」
「ああ、いえ、こちらこそ」
……ん?
僕は首を傾げる。
池田君とは先週月曜、B組ワーストナイン始動からの付き合いである。その前はほとんど話もしたことがなかったはずだ。いつもお世話に、なんて言われるほど付き合いは長くない。わざわざうちに挨拶をするほどでは決してない。……と、僕は思っているが。
ふと、池田君と目が合った。
彼は目を逸らした。
いやな予感がした。
「先日は大変でしたね。息子さんのお尻、だいじょうぶですか?」
――池田ぁぁぁあああああああ!! ……ハッ!?
それはまさに、野生の勘と言うべきものだった。僕の中のケダモノが覚醒した瞬間、気付いてしまった。
隣を見る。
その向こうを見る。
逆隣を見る。
逆隣の向こう側も見る。
僕を見ていた。父兄も息子も僕を見ていた。ちょっと含み笑いをしながら。生暖かい眼差しで。
つまりそういうことか?
そういうことだな?
――てめえらケツのこと話したな!? 一家団欒で僕のケツのことをネタに盛り上がったな!?
パチン。
誰かが指を鳴らした。見るとピアスが重そうな小田君だった。
彼はチャラく僕を指差し言った。
「おまえのケツネタ、今んとこ鉄板!」
言った瞬間、B組関連全員大爆笑した。
「てめえ!」
「ぶはははわりぃわりおぼっふ!? げっふっ、わ、わりぃわりぃ……ぐぶっ」――野犬と化した僕のボディを何発食らっても小田君は笑い転げていた。笑いすぎて腹が痛いのか殴られて痛いのかよくわからないが、とにかく小田君は「腹いてー腹いてー」とほざいていた。このピアス野朗! 女の子に話したのか? 女の子に話したのか!? 話した人数分確実に制裁してやるこの野朗!
「友晴! やめなさい!」
チッ……
母にたしなめられ、僕はこの場は小田君への制裁を切り上げることにした。これ以上やったら大騒ぎになるかもしれない――だが忘れない。この続きは明日だ。
心に固い決意を秘め、僕が振り返った瞬間、母が「ぶふっ」と吹き出した。
――あんたもか。あんたも僕のケツネタがおかしいか。笑えるか。鉄板か。そうかそうか。……畜生。被害者なのに……
なんという完全アウェー感。ここには絶望しかない。
三者面談は、「先日はどうもすみませんでした」という車で送ってもらったことの挨拶から始まり。
「中間テストの結果も良好、学校での生活態度も良好。交友関係も問題なし。特に言うことはありませんね」
そんな結論が弥生たんの口からいきなり飛び出し、進路について二、三言、それと家庭での僕のことを聞いて終わった。本当に五分くらいで終わった。
まだ廊下で待っている父兄とクラスメイトに挨拶し、僕と母は一緒に帰途につくことにした。母は車で来ていたから。まあ歩いてもそんなに掛からないけど。
「良い学校ね」
母は言った。
だから僕はこう返した。
「全然そんなことないけどね!」
それはもう声を大にして言ってやった。