052.六月十一日 土曜日
「おっす一之瀬! ……ぷふっ。だ、大丈夫か? ……ケツとか」
「笑っていいよ」
「ぶははははははっ! はぁーははっはーーーおぶふっ!?」
教室に入るなり駆け寄ってきた、近年希に見るほどのお調子者である田沢君に容赦なくボディブローを叩き込み、僕はむせる彼の横を通り自分の席へ向かった。
十名ほどのクラスメイトの顔が言っている。
――「あいつが昨日のMVP(笑)だな」と。半笑いで。
「笑えよ」
僕が憮然として言うと、何人かがププーと吹き出した。
吹き出した瞬間、僕は野犬のごとく駆け、笑った奴を殴りに行った。今の僕を止められると思うなよ!! 僕の(ケツという名の)プライドがかかってるんだ、上等だよとことんやってやんよ!!
そんな球技大会の翌日、土曜日が始まった。
昨日は大変だった。
野球ボールの猛々しいアタックをケツで受けるという、男としてこれ以上ないほどの屈辱的な事故で保健室に運ばれた僕は、担任の三宅弥生たんに車で家まで送られた。
本当に痛かったのだ。ヤバかったのだ。
調べた限りでは強烈な打撲のようなもので、ケツにあざができた程度だった。だが、痛い。非常に痛い。一晩経った今も痛い。
一歩歩くごとに筋肉が悲鳴を上げる。
地面のかすかな振動で悲鳴を上げる。
ぶっちゃけ何もしなくても悲鳴を上げる。
僕のケツは今、そんな状態である。
「よー奇跡の男ー。昨日は大活躍だったなー」
教室にやってくるなり、何人か血祭りにあげてやった僕にへらへら笑いながら挨拶したのは、クラス委員にしてフランクな口調にしびれる竹田君である。
「一発ならともかくよー。二発目は笑えるわー」
「ほっといてくれるかな」
そう、一回ならまだしも、二回目だから皆笑っているのだ。どんな奇跡だ、と。どんだけ白球に(ケツを)愛されてるんだ、と。
まさにつっこみどころ満載である。……ケツだけに。ああ、思考までなんだかネガティブだ。ケツにつっこみってなんだよ恐ろしい。死刑宣告張りの絶望だよ。
「でも惜しかったな」
竹田君は擦れ違いにそう呟き、行ってしまった。
惜しかった、か……
僕は机に両手をつき、そろそろと椅子に腰を下ろす。ゆっくりゆっくり。慎重に。そーっと。
「痔かよ!」「痔主かよ!」「ざぶとん持って来いよ!」
倒したクラスメイトたちの笑い声が、再び僕の中の獣を目覚めさせる。
男にとって致命傷とも言えるケツの痛みなど忘れ、僕は再び野犬と化す――てめらの血が何色なのか確かめてやんよ!! おおやってやんよ!! ピリオドの向こう側までな!!
昨日のことは、かいつまんで聞いている。
野球は、僕が退場した後、あっさりコールドで負けたこと。
怪我による途中交代は認められている。僕の代わりに、バスケ組のできる奴が入ったらしいが、ワーストナインは僕が退場した時点で全員が「負けた」と思ったそうだ。仲間が一人抜けたことで、朝から張りっぱなしだった緊張の糸が切れたのだ。
ちなみに三回戦第二試合で、憎きA組のカリスマ・矢倉君率いる一年A組も負けたらしく、結局その相手を務めた二年B組が優勝を飾ったとか。
そして勝ち残っていた我らB組のサッカー組は、なんと準優勝を果たしたそうだ。さすができる奴を集めただけのことはある。
バスケは残念だったが、まあ勝負なんてそんなものである。何せワーストを集めた僕らでも二回は勝てたのだから、勝負なんてやってみないとわからない。
僕らでも勝てた。
それは、僕らワーストナインにとって、意外と大きな財産になったかもしれない。
「おお一之瀬! おまえ大丈夫!?」
「あ、いるじゃん!」
「ケツどうだ!? 割れてねえか!?」
そしてワーストナインの連中だけは、僕を笑わなかった。……心配そうな顔をして触ろうとする不届きな奴はいたが。
「席に着け」
やってきた柳君も交えてなんやかんやと昨日のことを話していると、担任の弥生たんがやってきた。彼女の(物理攻撃的な)恐ろしさをクラスの半数以上が体験しているだけに、恐怖に支配されていますと言わんばかりの機敏な動きで彼らは着席する。
ちなみに僕は最初から座りっぱなしだ。今日は立ったり座ったりはできるだけ避けたい。
「これから体育館で、昨日の球技大会の表彰式がある。サッカーに出た奴らは整列場所が違うから注意しろよ」
あ、どうやら昨日は、時間的にちょっとだけオーバーしたらしい。本来なら表彰式は昨日の内に済んでいたはずだ。
まあ、これが金曜日に球技大会が宛がわれている理由なのだが。時間が足りなくてできなかった試合を、土曜日に消化するために。なんでも過去には、決勝戦を当日ではなく翌日土曜日に消化したという歴史もあるらしい。
三種目のスポーツの、どれもこれもが時間短縮を目的とした変則ルールだった。だが、長引く時はどうしても長引くものだ。
……たとえば僕のように負傷者が出て、そういうのが積もり積もって全体的なロスタイムに繋がってしまう、とか。
「それと一之瀬」
ん?
「…………ふふふふふ。尻の具合はどうだ?」
笑いやがった担任まで笑いやがった畜生!
その笑い混じりの声が引き金となって、一年B組は雷雨のごとき大爆笑が乱舞した。
まあ、いつも通りか。
野球で本気を出してしまった僕は、ここでようやくいつもの日常に戻ってきたような気がした。
疲れるばかりだが、過去を振り返る暇もないくらい充実した、八十一高校の日常が。
だがケツは痛い。やはりケツは痛い。
こうして球技大会はこんな帰ケツを迎えたわけだ。……ケツだけに。