049.六月十日 金曜日 球技大会 昼休み
色々と想定内のトラブル(主に乱闘系)が頻発したようだが、スケジュール的には順調に進んでいるんだとか。
切りの良いところで昼休み休憩が入り、僕らB組ワーストナインは教室に戻ってきた。
「おう」
アイドル大好き四人組の一人、坊主頭に走るラインがチャームポイントの鳥羽君が適当に迎えてくれた。どうやらサッカー組はすでに昼食を取っているようだ。
ちなみに今日は購買のパンはなく、食堂しか利用できないことになっている。たぶんいつもの争奪戦に私怨だのパン以外の利害要素を持ち込ませないためだろうと思う。ほら、昼以降に対戦するクラスの奴を潰してやろう、みたいなね。
「おまえらが勝ち残るとは意外だなぁ」
どっかで聞いた、というかさっき聞いたようなセリフが飛び出す。まあ、僕も意外だとは思うが。
一回戦目は語るのもはばかられるようなひどいもんだったが、二回戦目は違う。全員で知恵を出し合った作戦に添って動いたのだ。二回戦目は誇っていいだろう。
……まあどうしても一回戦目を語りたいというのなら、僕のケツが襲われた話でもすればいい。ちょいちょい今もマコちゃんにイタズラされている僕のケツの話でもすればいいさ。
銘々に別れて昼飯を食べる最中、こんな日でもメニューが変わらないサンドイッチと缶コーヒーの隣の柳君が言った。
「次は勝てないと思う」
「え?」
その言葉は、僕だけに向けられ、僕だけが聞いている。
だからこその本音だったのだろう。
「そんなわけない」だの「やってみないとわからない」だの、そんな月並なセリフは言わない。言いたくはなったが、言わない。きっと柳君もそんな言葉が欲しいわけじゃない。
「次の相手、そんなに強いの?」
「いや。俺たちと同じワーストナインだ。何人かできる奴もいるようだが、うちと似たようなものだ」
「……それで勝てないの?」
「俺たちの勝利には運が大きく関わった。そのツケが回りそうだ」
そう……か。いや、きっとそうだろう。
一回戦目を(僕のケツを犠牲にして)相手の自爆で勝利を得た結果、僕らの情報――とりわけバッターの情報が何一つ漏れなかった。
だから二回戦目、相手は無警戒だった。
もし一回戦目で柳君や松茂君がバッティングを披露していれば、あの二年D組のリリーフピッチャーも敬遠という手段を考えたかもしれない。できる奴は無視してできない奴だけにターゲットを絞ったりもしたかもしれない。
あれだけまんまと作戦に乗せることができたのは、多分に僕らの情報がほとんどなかったからである。できるイケメンの柳君がピッチャーの集中力をごっそり持っていったからである。
しかし、次は違う。
たった五人のバッターで先攻逃げ切りを完遂してしまった今、三回戦目の相手は警戒する。特に一番で二十球以上のファールを同じ場所に打った柳君と、野球部のリリーフと真っ向勝負してランニングホームランをかました松茂君を。
恐らく、柳君と松茂君は、まともに勝負なんてしてもらえないだろう。二回戦目のアレも、野球部のピッチャーというプライドを利用することで可能としたのだ。もし野球部のピッチャーじゃなければ、己のプライドを懸けて勝負するより勝利を優先するような展開も充分ありえた。
おまけに、次の相手は僕らと編成の似ているワーストナインらしい。
ならば勝てると言えるだろうか?
いや、そんなことはない。
彼らはきっと、ちゃんと勝負して勝ち抜いてきたのだ。対する僕らは、まともな試合なんて一つもしていない。それはほんのわずかな経験の差だが、それでも経験の差は結果に出てくるだろうと思う。
「それで?」
僕は聞いた。
「その寝言の続きは?」
柳君は「だから諦める」なんて言わないだろう。
勝ち目がない。
じゃあどうするか。
彼の頭には、きっと打開策がある。……まあ僕だけに話している時点で、なんとなく僕が関わることはわかる気がするが。
「おまえに四番を任せようと思う」
……ああ、やっぱりね。
二回戦第四試合に割り当てられたクラスは、シード枠と一試合多くやることになる。まあそれはどちらにも割り当てられていない僕らには関係ない話で、午前の部でちゃんと消化も終わっている。
準決勝までやってきた僕らワーストナインは、昼食が終わったら自然と柳君の周りに集まっていた。
幸運は、確かにあった。
それでも、その幸運を引き寄せたのは自分たちの実力だと思いたい。……一回戦目はともかく。
「またあとでな」
「がんばれよー」
サッカー組と、僕らの邪魔にならないよう気を遣ってくれたバスケ組が教室を出て行くのを見送り、僕らはミーティングを始めた。
「まず言っておくことがある」
柳君は、三回戦目がいかに自分たちに不利かを語った。だいたい僕が考えた通りである。
相手が自分たちと同じワーストナインだと聞いて「本当に不利なのか?」と異を唱える者も出たが、柳君は「二年D組には余裕があった。しかし今度の相手には余裕がなく、がむしゃらに勝ちに来る」と返した。
俺たちがまだ試合で一度も経験していないことだ、と付け加えて。
即ち、柳君と松茂君がバッターとしては使えなくなる、ということだ。恥も外聞もなく、勝つために必ず敬遠するだろう、と。
僕らワーストナインにとって、柳君と松茂君は強力……というより唯一のスラッガーである。逆に言えば、この二人を封じたら僕らは点を取れないということになる。
そして相手は、少なくとも一回戦と二回戦を勝ち抜いてきた程度には火力があり、また守りもそれなりに堅牢ということだ。
対する僕らは、ここまでの一、二回戦、まったく試合らしい試合をしていない。仕方ないと言えば仕方ないが、やはり経験の差は出てしまうだろう。
「だから勝つことは難しいと考えられる。俺たちが勝っている部分は……そうだな、一応ピッチャーの層が厚いかもしれないな」
立石君をスタメンに、柳君と松茂君が控えている。つまり三人もピッチャーがいる。一回戦目のスキンヘッド上高地先輩に(あと僕のケツに)起こった悲劇が起こらないことは確かに利点だろう。疲れたらすぐ交代できるのも利点だ。
「だがそれだけだ。俺たち三人とも変化球があるわけじゃなし、単調な攻め手ゆえに長引けばいつかは打たれるだろう」
まあ、基本的に経験不足だからね。野球。どうしても単調になっちゃうだろうね。
「そこで――渋川」
柳君が話を振ると、自称情報通の渋川君が言葉を継いだ。
「柳と松茂は使い物にならない。が、フォアボールで塁には必ず出られる。そのことを踏まえてこの二人をホームに返せるような打線が必要だ」
つまり、
「また打順の変更をするべきだ。一番二番に柳と松茂を入れて、三番四番五番でこいつらにベースを踏ませる。きっとこれが唯一俺たちが点を取るための策になると思う」
説得力のある言葉が途切れたそこで、柳君はメンバーを見回す。
「というわけだ。……何か意見はあるか?」
インドアゲーマー池田君が小さく挙手した。
「一つ提案があるんだけど」
――そんな感じで、僕らのミーティングは少しずつ少しずつ、二回戦目と同じく勝利へとにじり寄っていく。
そう、二回戦目の時も、本当は苦しい戦いだったのだ。
スペック差だけで考えれば勝てたことはまるっきり奇跡そのものだ。
それでも勝てたのは、僕らがより確実に勝てる作戦を考案したからに他ならない。大筋は柳君や渋川君が作ってくれるが、細かな舗装は全員でやった。
その結果、細い道を全員が通過できたのだ。
その事実は、僕らワーストナイン全員の自信に繋がっていた。
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り、僕らは教室を出た。
さあ行こう。準決勝だ。
その十分後、僕は個人的な理由で心が折れた。
「うそだろ……」
二度と見たくなかった。
二度と会いたくなかった。
しかも。しかもだ。
「あ、おまえ。あの時の」
しかも、しかも、しかも!
SHI・KA・MO!
彼は僕のことを憶えていた。
戦うことを目的とした、野生を駆ける生物を思わせる無駄のない肉体。
鋭角にして一切の隙がない角刈り。
その濃い腕毛が、その身に……特に胸元に生えているだろうことを彷彿とさせ。
眼光は常に獲物を狙うかのように、相手に重圧を与える。
あの悪夢の「新人狩り」で、まさに僕としーちゃんを狩ろうとした、空手部のあの人。
絶対強者の肉食獣。
僕に胸毛のトラウマを確実に刻んだ者。
三回戦目準決勝、僕らB組ワーストナインの相手である三年A組の一員に、あの高石先輩がいた。
しかも僕を憶えていた。
その時点で、心が折れた。ポキッと。