045.六月十日 金曜日 球技大会 一時間目
野球、サッカー、バスケの三種目ともトーナメント制である。
一学年六クラス、二年生三年生も含めた計十八チームが頂点を目指して勝ち抜いていくことになり、シード枠が一つと一試合多くやるクラスがある。
僕らB組ワーストナインは、なんとも平凡な第三試合に割り当てられていた。
十八チームである。とにかく時間がないので、かなり変則的なルールになっている。野球は五回までで延長は二回までで五点差がついた時点で表裏関係なくゲームセット。サッカーは十五分と十五分で一試合、三点差がついたら終わり。バスケも時間は同じだったはずだ。点数は何点だったかな?
八十一高校の広大な校庭では、野球とサッカーは同時にできる。バスケは体育館だ。場所に関しては問題ないのだが……
あれはいったいなんだ?
僕の視線を釘付けにするあの人たちは、ちらほら見覚えがある。あの人たちは確か――
「どうしたの一之瀬くん?」
覚醒した乙女マコちゃんが、動きの止まっている僕に声を掛けてきた。
「いや、あれ、部外者じゃない?」
おもいっきりレジャーシートを敷いて、何十名もの私服のギャラリーがいる。え? これって球技大会だよね? 体育祭じゃないよね? 公開するようなものじゃないよね?
「うん、そうだね。…?」
どうやらマコちゃんは、僕がなぜ疑問に思っているのかわからないようだ。つまり彼には普通の光景なのだろう。……え? 僕が間違ってるのか?
「説明しよう」
若干戸惑う僕の前に、自称情報通の渋川君が躍り出た。
――なんでも時の生徒会が「これじゃ球技大会じゃなくてただの乱闘大会だ!」という、およそその発言だけでどんな凄惨なスポーツマンシップに乗っ取られたのか知れる一言から、球技大会を公開する案を提出したそうだ。
正式なる外部の目があれば、勝ちを望みすぎたバカ溢れる八十一校生でもルールくらいは守るだろう、と。せめてスポーツではあるだろうと期待して。事が起これば教師だけでは止められないのだ。……というか、先生たちはそういうのはもう諦めてる節があるから。
まあとにかく生徒会の狙いは見事的中し、野球やサッカー観戦が好きな暇してる大人の目が監視役となり、理不尽な乱闘はなくなったそうだ。
ちなみに僕が見覚えがあるのは、ジョギングで見る顔……つまり地元の人、それも商店街の人が来ているからだ。仕事しろよ。平日だぞ。……あれ? あのおっさんビール飲んでない!? ハメはずしすぎだろ!
「うちは地元密着型の高校だからな。購買のパンだって八十一町商店街から取り寄せてるんだぜ」
「へえ」
本当にどこまでも面白い高校だ。呆れて言葉もないわ。
第一試合はもう始まっていて、早くも三回裏である。
邪魔にならない程度に離れている僕らの周りには、同じく野球に出る予定のクラスが、学年を超えて雑然と立っていたり座っていたりする。そして無責任に野次を飛ばしたり応援をしたり野次を飛ばしたり野次を飛ばしたり基本的に野次を飛ばして盛り上げている。
周りは知らない顔ばかりだ。上級生なのかもしれない。
「――集まれ。組み合わせ表を貰ってきた」
立場的に一番下っ端である野次れない一年生は、所在無く観戦するのみ。そこに柳君が、総監督として野球を見ている体育教師から、対戦表を貰ってきた。
僕らワーストナインは集まり、柳君が持つ対戦表を覗き込む。
その時だった。
「おいおまえら!」
ん?
ドスの利いた声に、僕らは振り返った。
……うわあ、でかい人だらけ……
「あ? てめえらが俺らの相手か?」
その中の一人、ガタイのいいスキンヘッドのその人が、無遠慮に上から僕らを値踏みする。――やべえ、三年だぞこれ。これ絶対三年生のクラスだぞ。
「三年C組?」
柳君だけ平然と、普通に聞いた。
「そういうてめえらは一年B組だな?」
……ってことは、こいつらが僕らの相手か!? か、勝てるかこんなもん! 全員僕よりでかいぞ! どう見てもワーストチームじゃないだろこれ!
「はん……こりゃ楽勝だなぁ!」
三年C組は完全に萎縮している僕らを見て、勝利を確信するとガハハハと笑い合いながら行ってしまった。
「俺たちの出番は第三試合。今の三年C組とやり合うことになる」
ああ……やっぱりそうなのか……
今朝の威勢も闘争心もすっかり枯れ果て、僕らはお通夜かカツアゲ中かってくらい暗くなっていた。
このワーストなメンツじゃなくても、B組ベストメンバーでも勝てるかどうか怪しいだろう。どう見ても運動できる奴を優先して集めたとしか思えないようなチームだった。
「フン」
グルメボス松茂君が鼻を鳴らした。
「あれならなんとかなりそうだな、柳」
はあ!?
「同感だ」
うそ!?
「ちょっと待って! あれ勝てる!? あれ勝てるか!?」
僕が問うと、柳君は「ちゃんと見ておけ」と答えた。
「スキンヘッドは確か野球部の副主将だったはずだ。だが他は運動部の部員と、それ以外。俺たちと同じくワーストっぽい姿も確認できた。――そうだな、渋川?」
「ああ」
渋川君の同意は躊躇がなかった。
「運動できる奴はそんなに怖くない。怖いのは終わらない打線だ。打たれるのはいいが、まずいのは打たれ続けること。強打者が副主将だけなら勝機はある」
マジかよ……!
「しっかりしろ、一之瀬。おまえが気持ちで負けたら、俺たちの半分は負けだと思え」
え、僕そんな重要なポストなの!? 違うだろ! ……違うよね?
あっと言う間に僕らの出番は回ってきた。
萎えた闘争心と、勝機の有無を疑う複雑な気持ちを抱えつつ円陣を組む僕らに、柳君は言った。
「いくら三年でも俺たちと同じ寄せ集め。付け入る隙は必ずある」
なんと頼もしいセリフだろう。柳君にしては珍しいが、とても頼もしいセリフだ。
そう思ったのは僕だけではないらしく、僕らワーストたちの羨望の眼差しを受けるも、柳君らしくそれには全然気付かなかった。
「渋川、池田、大沼、分析は任せる。早めに俺たちの攻め方を決めてくれ」
三人は真剣な顔で頷いた。
「よし――一之瀬、やってくれ」
また僕かよ。まあもういいけどさ。
「あのさ、一応確認したいんだけどさ、あの掛け声でよかった?」
地面を見詰めていた全員が、僕を見た。
「「あれでいい」」
本当に、全員が見事にハモッた。ちょっと感動するくらいに。
そうか……僕と君たちの気持ちは一緒か。
ならば、もう迷うまい。
最後までこれで通すぞ!
「矢倉のメガネをぶち割るぞ!」
「「おう!!」」
整列すると、やはり三年C組は全員が僕より大きい。それに運動部も何人かいるようで、いい身体している先輩も何人かいる。
だが冷静に見ると、柳君の言う通り見るからにワーストっぽい奴もいる――うちの太りすぎた鷹とは比べるのもおこがましい平和なぽっちゃり系だの、ローキックかましたら骨が折れるだろってくらいのガリガリ君だの。見るからにウィークポイントな連中がいるのも無視できない。
スキンヘッドはやはり強そうだ。何せ野球部の副主将らしいし、ケンカも強そうだ。というか野球よりケンカの方が得意そうだ。なんでスキンヘッドなんだよ髪伸ばせよ。こえーよ。
だが忘れてはいけない。
野球はチームプレイだ。
一人だけ優れたプレイヤーがいたところで勝てるものではないのだ。
「「よろしくお願いします!」」
僕らの初試合が始まった。
先攻は我らB組ワーストナインである。
一番バッターである僕が、先陣を切ることになる。
……ああ、緊張するなぁ。打てるかなぁ。
「絶対出ろー!」
「出なかったら百烈拳だからな!」
「ヘイヘイ! うちのむっつり大王ナメんなよ!」
「もやしこの野郎! しーちゃんと別れろ!」
「しーちゃんを俺にくれ!」
「打ったらキスしてあげる!」
万雷の拍手より頼もしい仲間たちの声援が、力強く僕の背を押す。――よし、あとであいつら殴っとこう。
ヘルメットをかぶり、バットをぎりりと握り締め、バッターボックスに立つ。
こうして見ると、意外とマウンドからここまで距離がある。大丈夫かなぁ……打てるかなぁ……
「プレイ!」
主審役の教師が宣言し、ピッチャーをやっている例のスキンヘッドが大きく振りかぶった。
第一球――来た!
……えっ、ちょっ!?
ズボン!
「ぎゃあっ」
かなりの速さで飛んできた白球は、中途半端に避けようとした僕のケツを直撃した。
わずかに身をねじったおかげで骨や肉へのダメージはほぼ皆無だ。
何せ割れ目にズボン、である。
ちょうど空いている隙間にズバン、である。
だが、なんだろう。痛くはないがこの極上の屈辱感は、いったいなんなんだ。こんなことになるなら直撃の方がマシだと思ってしまうのは贅沢だとは思うが、それでもケツだけは守りたかった……そう思う僕は確かにいた。
勢い余って、しりもちをつくようにして情けなく座り込む僕は、驚愕した。一切ダメージのない人体の不思議も含めて。
な、なんだと……初球デッドボールとか、マジかよ野球部……! 八十一校の野球部ってこんなにデンジャーだったのか……!?
野次ったり野次ったりで盛り上がっていたのに、今の悪球で一気に場が静まり返った。
そして次の瞬間には、目を疑うような光景が広がっていた。
「てめえ上高地ぃぃぃ!! 野球部潰す気かオラァァァ!!」
「なんで副主将がピッチャーやってんすか!」
「あんたすげーノーコンだろが! マウンド降りろや先輩!」
「いいかげんにしろよハゲ!! 頭に落書きしてやるから頭出せやハゲ!!」
ギャラリーからわらわら飛び出してきたのは野球部の面々で、本当にわざとじゃないからこそ呆然としていたのだろうスキンヘッド――上高地先輩を囲み、袋叩きにし始めた。
誰も止めないし、止められない。
僕らは唖然と、公開処刑を見守るしかなかった。
ほんの数分ほどで制裁は終わり、野球部十名ほどが上高地先輩を僕の前に連れてきた。
「す、す、すんませんした……」
数分前には自信満々でマウンドに立っていた上高地先輩は、今やボロボロの捨てる寸前ってくらい使い込んだ雑巾張りにひどい有様になっていた。おまけに自慢のスキンヘッドにはチューリップの落書きが……なんでチューリップ……
「ごめんな一年。すげー痛かったろ。俺らからも謝るから許してくれ」
「あ、はあ、いや、別に」
「なんならこいつ殴っていいから。気が済むまで殴っていいから」
「……いえ、いいっす」
だってもう残ってないじゃないか。責められる部分が。僕が上高地先輩を責められる部分なんてもう残ってないじゃないか。
――この初球デッドボールで、唯一の野球部員が自粛という名の正座反省モードに入る。
要にして頼りにしてピッチャーを失った三年C組は、ピッチャーの練習さえしていない者をピッチャーに据えるしかなくなり。
最低限の適正さえ見ていない急造ピッチャーは、暴投とフォアボールを繰り返し。
三年C組の、というより野球部副主将の自爆という出オチで、僕らは初戦を突破した。
「「…………」」
なんか素直に喜べなかった。
こんなにすっきりしない勝利というのも、珍しいのではないだろうか。
何せ、誰一人バット振ってないからね。全部押し出しで点取っちゃったからね。
今度は三年C組のメンバーに囲まれている上高地先輩を見て、ケツに残るわずかな違和感とともにつくづく思う。
……野球っておっかねえスポーツだな。いろんな意味で。