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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
六月
38/202

037.六月二日 木曜日  後半




 セミロングの髪、前髪をピンクのハートマークのかわいいヘアピンで止めているのが、遠野洋子さん。

 高井君のお兄さんの彼女で、女性にしては170近い長身。無駄な肉の一切をそぎ落としたような細い身体。その細く長いシルエットに、外国のあのテニスプレイヤーを思い出せた。僕にさっき正確無比にして疾風迅雷のタックルをかました人だ。


 そしてもう片方、赤毛の長髪を後ろでまとめたシンプルな髪型の理不尽に荒ぶる人が、沢渡夏波さん。通称カナ。

 洋子さんの一つ下の後輩で、同じく無駄な肉を一ミリたりとも許さない締まった身体をしている。


 そして今、思いっきり僕にメンチ切っている人だ。


「へー。おまえが友晴か。ほー。ふーん」


 簡単な自己紹介の後、夏波さんは僕に歩み寄った。どちらもいきなり下の名前で呼ぶあたりも体育会系である。

 ていうか、すっげ見られてます。すっげ見られてる。至近距離で見られてる。十センチ間隔くらいで見られてる。ヤンキー張りに近い間合いで見られてる。その辺のヤンキーよりよっぽど怖い。一瞬だけ見た目がかなり怖かった。すっげ見られちゃってる。え? 僕なにかしましたっけ? なんかすみません。うわーまだ見てる。怖い怖い。


「カナ」


 洋子さんが呼ぶと、夏波さんは俯いたまま動けない僕から離れ……あれ?

 ようやくそのことに気付き、僕は夏波さんを見た。


「なんだよ」


 目付きが鋭すぎて怖い。絶対悪意あるよこれ。

 だが、僕は言わなければならない。それを言うために来たようなものなのだから。


「ジャージ、ありがとうございました」


 きっちりと頭を下げた。――僕と同じような体格の夏波さんに。

 あのジャージは洋子さんのものではなく、夏波さんのものだ。香水の匂いが同じだったからやっとわかった。


「あ? なんだ? 私の使用済みがそんなに嬉しいか?」

「いやそっちじゃないっす」


 そこだけは訂正しておいた。


「あのジャージ、すごく気に入りました。大切にします」

「あったりまえだろ。あれはおまえで三代目だ」

「え?」


 ――実は、本当に洋子さんが高校時代使っていたものらしく、その後に夏波さんに譲られ、そして今僕に回ってきたのだそうだ。


「まあ私の場合、身長伸びちゃったからすぐ使わなくなったんだけどね」


 初代の持ち主である洋子さんは、そんな補足をした。


「アキ、こっちの子たちは?」


 洋子さんの視線は、下手なヤンキーより怖い荒ぶる夏波さんに怯えているマコちゃんと、マコちゃんを庇うように前に立つ柳君に向けられている。


「付き添いだよ。暇だから」

「ふうん……こっちのイケメンはいい身体してるなぁ。なんか運動やってる?」

「いえ」

「何もなしでその身体はできないでしょ」

「でも、特になにも」


 さすがは高井君のお兄さんの彼女といったところか。着眼点が身体って辺りが――


「いててててて!」

「おまえはこっちだ。座れ」


 突然夏波さんに耳を引っ張られ、無理やりベンチに座らされた。夏波さんはベンチに置いたショルダーバッグを開けると、中から靴を出し、僕の前に出す。


「26だな?」

「あ、はい」


 どんどん靴を並べていく。どれもこれも新品とは程遠く、どこか使い古した印象がある。そんな靴たちを丁寧に並べる夏波さんは、どこか神聖な儀式をしているような精錬さを感じさせた。


「あのジャージも、このシューズ一足一足も、誰かの想いがこもってる。もう使えないけど捨てられない、だから後輩に想いごと託すんだ。そこには言葉に尽くせない後悔も無念もある……だいたいがもう履いてやれない未練だけど。おまえにそこまで察しろとは言わない。でも貰った以上は使え。使わないなら誰かに託せ。これ、義務だからな」

「……はい」


 趣味で走る僕と、ここに並ぶ靴を履いていた人とは、覚悟と思い入れが違う。――案外あのジャージを気に入ったのも、わずかながらにそんな想いを感じ取れているからかもしれない。そして不相応にも背負わせてもらっているからかもしれない。自分が着ているなんて意識とは程遠く。


「あの……やっぱり僕なんかに譲るのとか、イヤですか?」


 夏波さんは顔を上げた。おもいっきり真顔だった。


「喜んでると思う?」

「いえ全然」

「じゃあなんでそんなこと聞くの?」

「すみません」

「そんなに女子高生の使用済みが好きなの?」

「それは好きです――おぅっ」


 高速パンチでボディを打たれた。めちゃくちゃ重い。


「カナは照れてるんだよな。自分の使用済みを男の子に着られて」

「ちょ、先輩!」

「『もし私が持ち主だって気付かなかったら絶対蹴り入れる』って言って無理やり付いてきたんだからさ。せっかくなんだし少しくらい優しくしてやんなさいよ」

「余計なお世話っすよ! あのジャージあげたの今だって惜しいと思ってるんすから!」


 ――気付いてよかった。本当に気付いてよかった。ローとか入れられたら大腿骨ぽっきりなんてこともありえたかもしれない。おお……恐ろしい。


「カナさん高校一年生も守備範囲なの?」

「おい秋雨!」

「ああ、あれは中学から異性にほとんど免疫ないからね。意識しちゃってるところはかわいいよね」

「先輩!」

「そりゃ残念だな。黙ってれば顔はかわいいのに――おう!?」


 弾かれたように動き出した夏波さんのボディブローが、たわけたことをさえずる高井君を苦悶の底に叩き落した。あの筋肉の塊である高井君を一撃必殺とは……ほ、本当に恐ろしい人だぜ……!


「友晴! ぼんやりしてないでさっさと選べ!」


 戦慄に震える僕を、夏波さんは背中で命じる。僕は当然「はい」としか答えられなかった。


「――秋雨、おまえはちょっと教育しておこうね」

「――ご、ごめんカナさん、勘弁……」


 こえーよもう。もう帰りてぇよ……マコちゃんも涙目になってるじゃないかよ……





 並べられた十六足から、一足選んでみた。青いラインが入ったシンプルなスニーカーみたいな靴だ。それでも陸上用に作られたものらしく、軽い。

 使い古した柔らかなそれに足を突っ込み、紐を結んでみる。……うん、いい感じだ。かかとを上げると吸い付くように底のラバーが曲がる。


「それでいいの?」


 高井君を教育中の夏波さんではなく、洋子さんが聞いてきた。高井君がどう教育されているかは、怖いので見ない。まあ時々悲鳴が聞こえるので死んではいないだろう。


「靴選びのポイントってありますか?」

「長距離と短距離で違う。走る場所でも違う。用途用途でも違う。野外用のを集めてきたから特に気にすることはないと思うよ。ただ、靴は持ち主の癖がつくから、できれば新品を履いて自分用に育てていった方がいいんだけどね」


 なるほど。さすがに詳しいな。

 ……詳しい、か。


「洋子さんは短距離ですか?」

「どっちもいけるけど?」


 ならば、あの悩みを話してみるべきかもしれない。本当は高井君に聞いてもらおうと思ったが、今ここに専門の人がいるのだ。こちらに聞いた方が絶対にいい。


「あの、ちょっと話を聞いてもらえます?」

「――フッ」


 洋子さんは鼻で笑い、ジャージの上着に手を掛け、


  ジャッ


 一気にジッパーを引き下ろし、ジャージを開いた。

 黒地のそこに燦然さんぜんと輝く「裸男(ラ・マン)」の白い文字。僕が先日、ジャージのお礼にと悩みに悩んで悩みすぎてよくわからなくなり「もういいもうこれでいい」と半ばやけになって購入したもののその日の夜にはやはり早々に後悔したという、イロモノすぎるシャツである。


「こんな良いTシャツ貰ったんだ。多少無茶でも聞いてやるさ」


 ……気に入ってるのかよ。さすが洋子さんの感性は一味違うぜ。受け取りを辞退した夏波さんが正しいと思うのに。そっちの方がお礼として選び購入した僕でさえ正しいと思うのに。

 ちなみに背中の文字は「極裸(チップ求む)」である。……自分で選んでおいてなんだが、そのTシャツはどうかと思う。というか売る気で作ってないと思う。……ほかならぬ僕自身が買っておいてアレだけど。





 だが今は話すべきではないだろう。

 夏波さんが怖すぎる。

 ……今チラッと見たら、高井君はだかがアイアンクローで引きずり回されるというブッ●ャーのフォーク攻撃、前方不注意でノーヘルのバイクの彼が事故に遭う漫画のコマと同じくらいショッキングな場面だった。……周りを見ろ! 人っ子一人いなくなってマコちゃんすでに恐怖で泣いてるぞ! 柳君は全然平気そうだけど。


「連絡先を交換していただけませんか? 近い内に必ず連絡しますから」

「ああ、いいよ」





 用事を済ませると、僕らはさっさとその場を立ち去った。

 背中に「助けろー助けてー柳ーやなぎぃぃぃぃいちのせぇぇぇえええ!!」という悲鳴にも似た絶叫が聞こえたような気がしたが、絶対に気のせいだ。ああ、絶対に気のせいである。気のせいである自信がある。気のせい以外なら幻聴に他ならない。はは、最近疲れてるからなぁ。


 だから僕も柳君もマコちゃんも、誰も振り返らなかった。その足取りが遅くなることさえなかった。









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