033.五月二十八日 土曜日 後半
僕は散々語った。
日々の苦労。
覚醒するマコちゃん。
無駄に長い突発性勉強会への強制参加。
振り回される日常。
クラスメイトたちのバカ行為。
妹の弁当(本当は母が作った)を奪い去る暴挙。
担任がエビチリチャーハンを一口もくれなかったこと。
冗談じゃすまない冗談の連続。
どうやら僕の中で切れた何かは、僕の不満を塞き止めていたモノのようだ。
僕が無遠慮に吐露するものを、しーちゃんはただただ聞いてくれた。たったそれだけのことが僕にはとても嬉しかった。
どれだけ話しただろう?
八十一高校を出て、八十一大橋に差し掛かるまで愚痴り続けた。妹が汚物を見るような目で見る――大型トラックのクラクションがそんな僕の声を掻き消し、イラつかせたその時、我に返った。
「あ、ごめん。なんか僕だけしゃべっちゃって」
「別にいいよ」
しーちゃんは事も無げに言う。
「一之瀬くんのこと、僕はまだ全然知らないから。不思議だよね。友達なのに本当に何も知らなかった」
友達……か。
まあ、そうなんだろう。ゆっくり話すような接点はまったくなかったが、しかしただの知り合いというには深く関わっている気がする。
「引っ越してきて、知り合いもいない環境で、しかも高校はアレで。それは愚痴を言いたくもなるよ」
し、しーちゃん……!
もししーちゃんが女だったら、この時点ですでに惚れている。いや、もっと早かったかもしれない。どうして五条坂先輩といいしーちゃんといい、生まれた性を間違えてしまったのだろう。……まあ異性だったら、こんな美少女と僕なんかが知り合いにもなれていないだろうが。
「柳くんには話さなかったの? 愚痴くらい聞いてくれると思うよ」
「……柳君はダメだ」
柳君は、どちらかと言うと戦友に近い。クラスや学校で発生する事件を一緒に――まあ今は守られてばかりかもしれないが、すぐ隣で一緒に戦ってくれる戦友だから。
そんな存在だから、できれば弱いところは見せたくないのだ。たぶん、僕も男で柳君も男だから。
そしてしーちゃんは、友達としての立ち位置が違うんだと思う。……自分でもうまく分析できないが、そんな感じだと思う。
「それで? もういいの?」
「うん。もういい」
溜まっていたものを吐き出したのだ。だいぶすっきりした。
それより、他人の不満や愚痴などというつまらない話より、楽しい話をしよう。しーちゃんが退屈しないような楽しい話を。
「しーちゃん」
「ん?」
「好みの女の子のタイプは?」
しーちゃんは見る見るうちに赤面した。おいかわいいな! やめろよ好きになっちゃうだろ! ていうか男ととしてこれくらいの質問で赤くなるとかどんだけピュアだ! 下ネタ言ったら卒倒するんじゃないか!? ……まあしーちゃんはそうであってほしいとも思うけどね!
「あの、本当に見に行くの? 九ヶ姫まで」
「行く」
ちなみにしーちゃんの家は八十三町らしいので、彼にとっては帰り道でもある。
「そういう一之瀬くんは?」
「なんでもイケるぞ! 僕はなんでもイケる!」
「節操なしなんだね」
ああそうさ! 僕は節操なんてものを持っていないさ! それが何か!?
「しーちゃん、冷静に考えてくれ」
「うん?」
「女性にはそれぞれいいところがある。それぞれの魅力がある。なのに優劣をつけるなんて愚かだとは思わないか?」
「そうだね。でも個人の好みとは別次元の話だと思うけど」
「まあそれはいい。それでしーちゃんの好みは?」
「……諦めないね」
「諦めないよ。ぜひとも聞きたい」
しーちゃんは見た目は美少女である。でも中身はノーマルだ。それがわかっているからこそ……うん、まあ、色々危ないんだ。色々ね。心臓が痛くなるようなこと全般がね。
「こういう話、恥ずかしいんだよね……」
恥らうしーちゃんは可憐である。好きになるからやめてほしい。本当に。マジで。
「……幼馴染が好きなんだ」
「へ?」
大きい子がいいだの激しい子がいいだのという漠然とした好みを期待していたのに、まさかの告白だった。
「僕は小さい頃、身体が弱くてね。運動もできないし学校も休みがちで、だからいじめられたりもして。そんな僕をいつも助けてくれた幼馴染。よく笑ってよく食べて、とにかく元気な女の子だよ」
へえ。
「告白とかした?」
「ううん。片思いだってわかってるから」
「そんなのわからないよ」
「いや、中学三年の卒業間近、好きな男子がいる、って相談されたくらいだから」
……oh……もししーちゃんが女の子だったら、この時点ですでに抱き締めているだろう。そして全力で慰めているだろう。なおかつ口説いているだろう。
「しーちゃん」
「ん?」
「エロ本の好みは?」
しーちゃんは耳まで真っ赤になった。可憐極まりない。……ていうかほんとかわいいな!
「ちなみに僕は年上のお姉さまから年下の妹タイプまでイケる」
「い、一之瀬くんは真面目なんじゃないの!?」
ハッ。戯言を。
「逆だよ。これ以上健全で真面目な男子高校生の会話なんてないよ」
「ええっ!? で、でもああいうのは十八歳未満は禁止なんだよ!?」
「いいから話しちまえよ。ん? 一冊や二冊はあるんだろ? …………え? マジで?」
「持ってないよ! 持ってません! ありません!」
う、うそだろ……マジかよ……
僕はめまいを感じた。思わず後退った。信じられない。高校生にもなるのにエロ本の一冊も持っていないなんて……バカな……バカな……っ!
「はっ!?」
まさか――その可能性に気付いた時、僕の全身に雷が落ちた。
まさかしーちゃん……アニメや漫画やゲームではわりとメジャーな、男装して男子高に潜入している女子なのでは……!? イケメンたちのパラダイス的な状況なのでは!?
そう考えると、細やかな気遣い、優しさ、そしてこの未熟ゆえに輝く青い美貌に納得がいく! そうだよな、こんなかわいい野郎がいるわけない! 女の子だと考えた方が色々納得できる! 僕のときめきも正常だと証明できる!
「……ってんなわけないな」
「…?」
ああいうのはアニメや漫画やゲームだから、フィクションだから実現するのだ。何よりバレた時のリスクが大きすぎるし、バレないのも逆に女の子の沽券に関わるのではなかろうか。
「今度エロ本持ってくるよ」
「え、いいよ。いらないよ」
「いいから取っとけ。……お願いだから、嘘でもいいから、興味がないなんて言わないでくれ」
自分でもなんでこんなに必死なのかわからないが、とにかく、しーちゃんにはもう少し健全な男子に寄ってほしいと思う。天使説なんてクソ食らえだ。僕の友達はただの野郎でいい。
八十一大橋を渡りしばらく行くと、周囲の音量がだいぶ下がった。
八十三町は古くから高級住宅が立ち並ぶ土地で、八十一町のような雑多な、というか普通ににぎやかな雰囲気があまりない。なぜだろう? 見る限りで店などが少ないせいか? 車が少ないからか? それとも人をあまり見ないせいだろうか?
高級住宅が並ぶというだけあって、一軒一軒がかなり大きい。ああ、白いワンピースの可憐な女性が犬の散歩がてらその辺から出てきたりしないだろうか。……しないか。
「しーちゃんの家も大きい?」
「マンションだからそうでもないかな」
「……時にしーちゃん、お姉さんか妹いない?」
「…? いないけど?」
そうか……残念。彼の姉か妹なら、間違いなく間違いないはずだったのに。唯一の間違いはしーちゃんの性別くらいか。
僕は驚愕する。
まず目に飛び込んだのは、赤煉瓦の校舎である。美観を遮ることなく、だが力強く少女たちを守る。大きく取られた正門と、その先にある噴水付きの、ちょっとした公園のようなスペース。パッと見でも正門から校舎までは遠かった。どこか全体的に輝いて見えるのは、ここには僕の……いや、男たちの夢とロマンがこれでもかこれでもかと詰め込まれているせいに他ならない。
有権者たちの高い壁に囲まれし乙女の学び舎、九ヶ姫女学園。
これが、僕が狂喜乱舞して求めた乙女の園だ……!
そして僕はがっくりと両手を地についた。
「……ごめん。知ってて言ってると思ってたから……」
しーちゃんは悪くない。
僕が悪い。焦りすぎた僕が悪い。
今日、土曜日じゃん。
バカ行為で単位が足りないなんて本当っぽい噂が絡んだ八十一高校週休一日制とは違って、こっちは完全週休二日制だったという、ただそれだけの話である。
人っ子ひとりいやしない。
僕の目当ての女の子はかけらほども見えやしない。
こうなったら……こうなったら……!
「しーちゃん! お茶行こう! 家が近いならぜひかわいい服に着替えてきてくれ!」
「えっ!? ちょっ、主張の意味がわかんないよ! かわいい服って何!?」
「ジーパンなんてイヤだ! スカート履いて!」
「持ってないよ!」
「黒タイツは!?」
「ないです! い、一之瀬くんのヘンタイ!」
「ヘンタイ」いただきましたー。
なぜか嬉しかった。
この日の僕は壊れていた。
でもなぜだろう。あまり言動に後悔はなかった。
しーちゃんの困った顔がかわいかったからである。その辺の女の子より反応も普通にかわいかったからである。
だが、近い内にもう一度、ここに訪れることになるだろう。
今度こそお嬢様を見るために……絶対に来てやる……!