022.五月十八日 水曜日
登校すると、大変なことになっていた。
僕は、目の前の現実を受け入れる前に、もはや感心してしまった。
この高校すごすぎる。
ほんの先週の話なのに「新人狩り」の脅威が遠く懐かしく思えるくらい、毎日いろんなことがありすぎる。
休日に遊びたいとかどこか行きたいとか思えず、家に引きこもり、ただただ平和にして平穏、何も起こらないことのありがたみを噛み締めたくなるくらいに。
本当に毎日毎日、小さなことから大きなことまで事件に事欠かない高校だ。
――まさに毎日がジェットコースターだぜ! ただし僕は元々ジェットコースター嫌いだし、毎日少しずつ確実にもっと嫌いになっていくけどな!
テスト前くらい真面目になるかとほんの少しだけ期待していたのに、やはり無理のようだ。
「あ、一之瀬くん!」
奴に感付かれた。
奴は小走りに駆け寄ってくると、くるりとターンした。
ふわり
綺麗な円を描いて舞い上がるソレを、僕はガン見した。……別に見たかったからではなく、目の前の現実をまだ受け入れていないからである。
ただただ異物であるそれを、なんとなく見ていただけ。ただそれだけにすぎない。
「ちょ、一之瀬くん真顔すぎっ! もうっ!」
真顔にもなるよ。ええ、真顔にもなるし、敬語にもなりますよ。
「……坂出君、覚醒しましたね」
今僕の目の前にいる坂出君は。
昨日弱々しく僕に相談事を持ち込んだ小心者の少年ではなく。
女装した少年だった。
「あの……と、遠い目とか、やめてくれる?」
本人的にも結構無理してテンション上げて、クラスのみんなに自分を見せていたのだろう。しかし僕のクールすぎる視線に、若干テンションが揺らいだようだ。不安そうに眉を寄せた。
いかんいかん。
こういうのは五条坂先輩で慣れ(というか一気にレッドゾーンに叩き込まれて)、前原先輩の絶対領域を「それはそれ」として見ることもできるように、すっかり鍛えられているのだ。
肉体は男でも、心は女性。
そう考えると、絶対に傷つけて良い存在ではない――仮に男でも、人としていたずらに傷つけるものではないと思う。
「僕は素足も好きだけど、黒タイツに大人の魅力を感じる」
「え?」
「ぜひ履いてくれ」
自分でも何言ってるんだか、という発言だった。仕方ないだろ。とっさにそれしか出なかったんだよ。
今気付いたが、僕は女装から連想すると、始めてONEの会の部室に連れ込まれた時に見た、五条坂先輩の女装姿が必ず思い浮かぶらしい。それほどまでにあの人は強烈すぎたのだ。……案外こういうのもトラウマというのだろうか。あの人は本当に罪深い。
僕のいきなりの発言を数秒遅れて理解した坂出君は、本当に嬉しそうに笑った。
「一之瀬くんは好みじゃないからイヤ★」
「えっ!? 拒否なんだ!? というかなぜか告白した体で僕フラれてない!?」
坂出君は本当に楽しそうにゲラゲラ笑っていた。
これが本当の坂出誠なのだろう。
今までは、B組の中でもまったく目立たない、大人しい小さなクラスメイトだった。
そんな彼が目の前でスカート履いて生足もあらわに腹を抱えて爆笑している。……というか笑いすぎている。……いや笑いすぎだろ。
何が正しいとか僕にはよくわからないけど、本人が楽しいならそれでいいと思う。少なくとも、昨日不安そうに僕に相談事を持ってきた彼よりは、今の彼の方がしあわせそうだ。だったらそれでいいだろう。
「おーす。入り口で固まって何やってんだ?」
あ、高井君だ。今登校してきたらしい。
「おはよう高井くん☆」
坂出君の笑顔がはじける。
「お? おう。誰だ?」
誰だ、って。
「坂出君だろ」
「一之瀬くん、わたしのことはマコちゃんって呼んで☆」
「あー……マコちゃんだよ」
正直ちょっとウザいと思ってしまったが、親しくないクラスメイトにそんなことを言えるほどの度胸は僕にはない。
「坂出? あのちっちゃい? え? なんでスカート履いて化粧とかしてんだ?」
……え?
僕と、さか……マコちゃんの時が若干止まった。
そして、僕らの時を止めた高井君は、ようやく時を動かした。
「あ、そうか。おまえアレか。五条坂先輩と同じか」
「気付いてなかったのかよ!」
日々あれだけ露骨だったのに! こいつどんだけ自分と筋肉のことしか興味ないんだよ! 驚いたよ! もう逆にすげえよ!
だが、本日一番の驚愕を与えたのは、この人だった。
「あ? スカート? ……ふむ……下着は? ――バカ野郎! 短いの履くなら見せパン着けるのが礼儀だろうが! 見えそうで見えないラインを守りつつ、もしものために見られる覚悟もする! 着るだけで満足するな、見られることを常に意識しろ! 見てくれだけじゃなくてもっと女を磨け! そして意図して見せることも憶えたら一人前だ。わかったな?」
八十一高等学校一年B組担任、三宅弥生。
この人も、逆にすげえ。
マコちゃん覚醒のこの日。
アイドル大好きグループが密かに色めきだった。
――アイドルの原石がこんな間近にいたのか、と。
坂出誠サクセスストーリーが始まる……………………できれば僕の知らないところでやってほしいが、たぶんこの願いは叶わないと思う。