021.――after school. 五月十四日 土曜日
す、すげえ……!
今僕の目の前には、かなりのご馳走が並んでいる。色彩鮮やかにして、どこかで温めたらしく湯気とともにかぐわしい香りが立ち上る。
「これ全部先輩たちが作ったんですか!?」
自分で言ってものすごく月並なセリフだな、と思ったが、返答はしっかりパンチが効いていた。
「そうよぉ。愛情たっぷり込めたんだから★」
五条坂先輩の愛情とやらとウインクが一切の容赦なく返ってきた。
……そ、そうですか。愛情たっぷり込めてくれたんですか。…………はぁ。
なんとなく食欲が失せた気もするが、気を取り直して。
「一週間、お世話になりました」
土曜日の放課後、僕は約束通りONEの会に顔を出していた。
まず驚いたのは、いくつか固めた机の上にずらっと並んだご馳走の数々だ。
「一人二品ずつ持ち込んだのよ」
ということは、六品あるわけか。すげえな。――僕はこの時は気付かなかったが、先輩たちは三人でちゃんとメニューを考え、同系統のものが重なったりしないよう、ちゃんと昼食になるよう調整してくれていた。この辺は男にはない細やかな気遣いと言えるのかもしれない。
「といっても、持ち寄って食べるのはたまにやるんだけどね」
「へえー。……あ、ありがとうございます」
今日も魅惑の絶対領域・前原先輩が紙コップで紅茶をくれた。……むう、今日は黒ニーソか。やはり魅惑的である。
そして僕の視線にやきもちを焼く、僕の隣に密着している東山先輩。僕は何度か思った。あなたが女性だったら、と何度も思った。むしろもう願いとさえ言えるほどだったかもしれません。
「さあさあ、食べましょう」
というわけで、僕のお別れ会が始まった。
五条坂先輩が作ってきた、身体に似合わず小さくてかわいい色とりどりのサンドイッチとミニハンバーグ。
前原先輩が作ってきた、染み込んだ生姜と醤油が絶妙な鶏のからあげ。
東山先輩が作ってきた、甘めのだし巻き卵と、サンドイッチもあるけど一応主食に作ってきたというシンプルなおにぎり。
どれもこれも美味しかった。
サンドイッチは種類が豊富で見た目楽しく、しかも僕が食べたことのない具材のものまであった。……たくさんあったけど結局半分以上五条坂先輩が食べてしまったが。ミニハンバーグなんて冷凍のチンすればいいやつしか食べたことなかったが、こっちは手作り。味なんて比べるまでもない。……気がついたら五条坂先輩が全部食べていたが。やはりあの身体を維持するには食べる必要があると。そういうことらしい。
何気にヒットだったのが、東山先輩が持ってきた普通のおにぎりだった。前原先輩のからあげはご飯が欲しくなる味だったからだ。甘い味付けのだし巻き卵がちょうど良いアクセントになっていた。……あの手この手で僕に食べさせようとしてこなければ100点だった。初めての「あーんして☆」をここで失いたくないという危機感があったせいでゆっくり味わえなかったのだ。
食べきれるかどうか心配するくらいたくさんあったと思ったが、気がついたらすべてなくなっていた。……全体的に半分くらい五条坂先輩が食べたような気がするが、野暮なことは言わない。
そして、本日一番の驚きが、これだった。
「すげえ……これほんとに作ったんですか!?」
色、形、香り、どう見てもケーキ屋辺りで売っている、本格的なアップルパイだった。
「ふふーん。これでもお菓子作りは得意なのよ」
魅惑の絶対領域もあらわに、前原先輩は自慢げだった。自慢するだけあって本当にすごい。
「昴のお菓子は絶品なのよ」
と、五条坂先輩が一番嬉しそうだった。
アップルパイ自体を食べ慣れていないのであまり他と比べたりできないが、前に食べたものより酸味が優しく癖のない、上品な味がした。
美味しかった。確かに絶品だった。
「お姉さま、食べすぎです」
ええ、その方は間違いなく食べすぎです。
「えぇー? まだ腹八分なのにぃ」
甘えた声出してんじゃねえよ!――前原先輩の言う「五条坂先輩=お姉さま」は慣れた(ことにする)が、五条坂先輩の鳩尾を貫くような衝撃的甘え声を僕はまだ許せない! 許すことができない!
「一之瀬くん、よかったら少し持って帰って」
「いいんですか?」
「今回はあなたのために作ったから」
お、おお……ちょっと嬉しいな。男同士がどうこうというより、僕のために手間暇かけてくれたことが純粋に嬉しい。
あと東山先輩、ジェラシーやめてください。というか最後くらい何かしゃべってください。
同好会最終日。
一応お別れ会として色々してくれたが、特にしんみりすることもなく、振り返るようなエピソードもなく、これまでのクラブ終了と同じように普通に解散した。
惜しむこともなく別れられたのは、やはりあそこに僕の居場所がなかったからだろう。
先輩たちにとっては、僕はどこまでも一時的な仮入会の一生徒で、身内ではなく、限りなくお客さんに近い存在だったんだろうと思う。
仕方ないとは思うが、少しだけ寂しい気がした。
きっと先輩たちも同じ気持ちでいてくれるだろうと、ちょっとだけ信じたかった。
家に帰るなり、リビングにいた妹が鼻を鳴らした。
「甘い匂いがする」
そして何か期待するように僕を見る。いつもは冷淡かつ冷徹な視線で見るか、そもそも見向きもしないくせに。
「……ないよ」
「早く私の目の前から消え失せろ」
「うそ。本当はある」
「あれ? おにいちゃん最近かっこよくない?」
なんだこの露骨な妹は。露骨なところも含めてひどい妹だ。
「鞄に入ってる」と言い、僕は冷蔵庫を開けた。奇遇というかなんというかアップルジュースがあった。これでいいや。
「あ、アップルパイだ!」
背中で妹が珍しくはしゃいだ声を上げていた。
コップにジュースを注ぐ。
ふと、さっきまで聞こえていた妹のゴキゲンな鼻歌が途切れていた。
「……ねえ、これどこで買ったの?」
半分ほどかじって、じっと手元のパイを見ていた。怖いくらい真剣な顔で。
「聞いて驚け。先輩の手作りだ」
「はあ!? 手作りって、家庭の味!? これが!? これ売り物レベルだけど!?」
妹は驚いていた。正直、僕の予想以上に。
「……すげえな、高校生って……中学レベルとは違うってことか……」
いや、それは高校生がどうこうじゃなくて、たぶんONEだからだと思う。言わないけど。
「その先輩にレシピ聞いてきて」
「いいけど、いつになるかわからないよ」
「なんで? すぐ聞いて。月曜にも聞いてきて」
なんて無茶な。お別れ会やった直後なのに会いに行けとな。……まあ別にいいけどさ。
あ、いや、待て。
そういえばメアド登録してたっけ。毎日会えてたから特にメールもしなかったけど。ちょうどいいし今日のお礼のメールでも送ってみようかな。
早速携帯をイジる僕を見て、妹は言う。
「メアド知ってるの?」
「うん」
「じゃあ直で話せるよう段取りつけてよ」
「うん……いやダメだ。それはダメだ」
「え? なんで? メアド教えてもいいか聞くだけじゃん」
「絶対ダメだ」
なぜってONEがバレるから。妹がどんな解釈しているかはわからないが、まさかONEが作ったとは思っていないはずだ。
別に先輩がONEだから紹介するのが嫌だとか恥ずかしいとかじゃない。
交友関係的に、学校での僕を心配されそうで、そっちが嫌なのだ。
――たとえば、そう、旧クラブハウスに行ったら部室に拉致されてほぼ無理やり所属させられて出会いました、とか。
逆に妹がそんな目に遭ったと聞けば、僕は心配するぞ。絶対心配する。納得行く説明がなければ大事にしてでも真相をあばくつもりだ。あんな妹でも妹だから。……時々本当に血の繋がった妹なのか疑いたくなる時もあるが。
「……わかったよ。じゃあレシピのことよろしくね」
「うん。……ところで僕の分は?」
「え? 全部私へのお土産じゃなかったの?」
「…………」
「ごちそーさま」
今夜妹の好物出ろっ。
アップルパイ食べたせいで食べられなくなれっ。
そんなせせこましいことを本気で願う、一之瀬友晴十五のある日――