020.五月十七日 火曜日
衝撃の「マジでガチ事件」から一夜が明けた。
それぞれに何かしらの教訓は得たらしく、アイドル大好き四人組と自称情報通にして軍師もどき渋川君が、さらりとではあるが僕に「悪かったな」と謝罪を口にしたのは、自発的反省から出た言葉だと信じたい。
そして僕自身も、色々と考えることはあったが、それはもう少しだけ先の話になる。
何があっても時間は平等。
昨日はすでに過ぎ去り、今日という火曜日が始まった。
昨日のことなど忘れたかのように、B組はいつもと変わらないバカさ加減で今日を過ごしていた。
良くも悪くも切り替えの早い奴らである。
「一之瀬くん、ちょっといい?」
三時間目の休み時間、グルメボスこと松茂君と話していると、クラスで異彩を放つ坂出君が神妙な面持ちで声を掛けてきた。
意外な人物が近付いてきた。話をするのは初めてだったはずだ。
坂出誠。彼はとても小柄で、恐らく今年の一年生で一番小さいと思う。
「じゃあ一之瀬、頼んだぞ」
「うん、ありがとね」
「何、自分のためさ。ぜひ期待していると伝えてくれ」
話を切り上げた松茂君はメガネをクイッと押し上げ、ニヒルに笑って去っていった。今日もかっこいいなおい。
「ごめんね。邪魔した?」
「いや、大した話はしてないから」
――昨日、いつものメンツに加えてしーちゃんと松茂君とも一緒にお昼を食べた。そして昨日の僕の弁当は妹が作ったものだったから、ちょっと味見をしてもらったのだ。
彼はただの食いしん坊ではなかった。
今日になって、改善点や、今の妹のレベルでも簡単かつ美味しく時間も掛からない料理のレシピを、丁寧にメモして持ってきてくれたのだ。
……まあ、確かに、色々期待はしているのだろうけれど。主に食い物的な意味で。妹の試作品が回ってくる的な意味で。
「それで、どうしたの?」
「あ、うん……」
話をうながすと、坂出君はもじもじし始めた。……異彩だなぁ、本当に。坂出君は異彩とか言いようがない。
「ちょっと来て」
坂出君が僕の腕を取り、引っ張る。どうやら教室では話しづらい内容のようだった。
この時点で、なんとなく、なんの話かは予想ができていた気がする。
廊下に出ただけだが、教室よりは人がいない。休み時間なので遠くへ行くと次の授業に間に合わなくなるので、あまり選ぶ余地もなかった。
「あのね、あの……あのね」
それでも言いづらいらしく、坂出君はなかなか言い出せない。幾度も覚悟を決めたかのように顔を上げ、次の瞬間には顔を伏せる。六回ほどそんなことを繰り返していた。
僕は、あの時のことを思い出していた。
強引極まりない方法ではあったが、あの人たちは自分から晒したのだ。それはきっと、とても優しく潔い。
そして、一人じゃないこと。
それがとても大きいんだと思う。
「ああ、勘違いだったら悪いんだけど……」
僕は言った。
「坂出君は、その、ONEの会に興味があったりする?」
「…!?」
驚愕以外には見えない坂出君の表情が、全てを語っていた。
「な、なんで!? なんでそう思うの!?」
なんでって……逆に聞きたい。
「なんでバレてないと思ってたの?」
「えっ!?」
「君、結構異彩を放ってるよ」
坂出君の仕草や言動、視線。それらは普通の男子とはどこか一線を隔すものだった。上手く言えないが……もしかしたらこういうのは理屈じゃないところでわかるのかもしれない。
まあ、というか。
「最近隠す気なかったでしょ?」
「ええっ!?」
体育の時に小さな声で「きゃっ」と悲鳴を上げたり、走り方が……なんというか大雑把じゃないというか。「わたしそんなに走れないよぉ」と吹き出し付けたら似合うような感じで。一言で言えばなよなよしてて。
それに、一番顕著なのは、やはりアレだろう。
「脱いだ高井君の身体ガン見してるし」
「そ、そ、そんなことまで!?」
坂出君は赤面して両手で顔を覆い隠し、指の隙間から僕を見る。そういうモロな仕草もそれっぽいよね。
「みんな知ってると思うよ。話したことがない僕でさえこれだけ知ってるんだから」
それくらいバレバレだったのだ。坂出君は。むしろ最近はオープンにしたのかと思っていたくらいだ。
「そう……じゃあ、今更もう隠さないけれど」
坂出君は小さく息を吐き、手を下ろした。
「ほら、先週、色々あったじゃない。金曜日だったかな? ……一之瀬くん、みんなにすごく嫌な目で見られていたでしょう?」
ああ、同性愛疑惑を掛けられていた時のアレか。
「みんなわたしのこと、特に何も言わないし。変な目で見ないし。だから平気だと思って。少しずつ自分のことを見せていって。きっと自然に受け入れてくれるって思ってて。
でも、あの日の一之瀬くんみたいに、わたしもいつかあんな視線に晒されるんじゃないかって。そう思ったら怖くなって」
うーん……問題からして安易に「わかる」とも言えないが、普通である僕だってあの視線は嫌だった。坂出君は僕より繊細そうなので、僕よりもっと傷つくような気がする。
でも勘違いである。はっきり言って。
「みんな坂出君のこと知ってるだろうから今更何も言わないよ」
「でも一之瀬くんが」
「僕の場合は、ソッチ系に見えなかったからだよ。実際そうだしね。だからみんな警戒した。僕だっていきなり柳君辺りに同性愛疑惑が浮上したら戸惑うよ。意図せず変な目で見るかもしれない。でも坂出君はバレバレだから」
立ち位置が違うのだ。根本的に。
それと、もしかしたら、同性愛疑惑の相手がアイドルだったから、あそこまで嫌な視線を向けられたのかもしれない。
普通に隠していた人がカミングアウトしたところで、「あーそうなの」くらいで済みそうな無神経なんだか逆に優しいんだかわからないような雰囲気は、B組どころかこの高校全体にある。
あの日渋川君が言っていたように、本当にソッチ関係に免疫があるのかもしれないし。細かいことは気にしないと思う。
「そ、そっか……そっかぁ。もう隠さなくていいんだ」
というか隠しきれていたと思っていた坂出君に僕は驚いているが。
「それで?」
ほっとして頬が緩んでいる坂出君に、僕は先をうながす。
「僕に話って、本当にONEの会のことだったの?」
「あ、うん。そうなの。よかったら私のこと紹介してくれないかな?」
いつか同士のいるONEの会に顔を出したいと思っていた坂出君だが、例の「五条坂光伝説――不良編――」の噂を聞き、訪ねるのが怖くて今まで行けなかったんだとか。
でも僕も通っていると聞いて、今日、思い切って話してみたと。そういうことらしい。
「いいよ。今日の放課後、一緒に行こうか」
僕は快諾した。特に手間もないし、ONEの先輩たちには伝えたいこともある。むしろ一人で行かなくていい分だけ僕も気が楽になった。
「ほんと!? うれしいっ!」
坂出君は飛び上がって喜んだ。僕の手を取って。
……まあ、喜んでいただけて、良かったんじゃないでしょうか。
でもこういうスキンシップされてもあまり抵抗感が現れなくなったのは、もしかしたら、実は、本当は、結構僕にとって大きな問題なのかもしれない。
ONEの会との出会いは、これまで僕が培ってきた常識と通念を余裕で破壊し、想像以上に影響を与えているということだろうか。
危ない。ほんと危ない。注意しないと危ない。色々危ない。
これまで以上に気をつけねばなるまい。
気をつけすぎて困るってこともないだろうから。
坂出誠、バレバレだったけどついにカミングアウト。
これがある意味、B組のターニングポイントになることを、当然僕は知らなかった。