201.十月二日 日曜日 学園祭 午後一時三分
ゴスロリ美少年と浴衣美少年、ついでに燕尾服(執事設定らしい)の男子も呼び、藍と恵は写メにて記念撮影した。ちなみにカメラは高井に任せた。さすがにこのメンツに裸の男が入るのは、絵的にわけがわからなすぎると判断して。
しかし藍は、その美しい肉体(主に腹筋)を、俗物の存在しないピンで、邪魔のない唯一無二の状態で保存したかったのであえてはずしたのだ……未だ己に芽生えたフェチズムにはっきりと自覚がないまま。
「あの、高井さん」
「撮れた? 俺の筋肉の最高の一枚」
「は、はい」
おずおずと「身体だけ撮りたい」とお願いした藍に快く……というよりサービス精神旺盛に「いいとも」と快諾した高井は、「ちょっと待ってて」と言い残し裏手へ行き、すぐ戻ってきた。
傍目には、変化はほとんどない。
しかしそこを中心に見ている藍にはすぐわかった。
高井は、自らの筋肉に、水を掛けてきたのだ!
ボコボコとした肉体に、弾ける水滴。
人体が誇る美しい凹凸にツーッと伝い落ちる水は、なるほど押し付けがましくないレベルで筋肉を強調する……!
元から見事としか言いようのない美しい見事な肉体が更にワンステップ進んだものになった……そんなものを魅せられては、藍はもう熱い溜息を禁じえず、手に握る携帯電話を握り締めずにはいられなかった……
主に腹直筋と外腹斜筋を中心に、とにかく撮った。撮りまくった。初めて己の携帯の画素を意識した。この携帯で満足に撮影で来ているのか? 気になって仕方ない!
「あの……」
ポーズを変えたり角度を変えたりと、高井のサービスは藍の心をトキメかせっぱなしで。
だから、十数枚も撮ったのち、思わず言ってしまった。
「あの……腹筋にちょっと触っても……」
「ダメだね」
即答だった。
先の「写真いいですか?」「いいよ」のやり取りと同じくらい早い即答だった。
――藍に「触らせて欲しい」と言われて断る男子など、この八十一高生にはほんの一握りいるかいないかである。恐らく十人もいないだろう。しかもその十人未満はONEたちも含めてだ。
「俺の筋肉は――観賞用だぜ?」
高井は歯を光らせてドヤ顔で笑う――しかし落胆する藍はドヤ顔ではなく身体しか見ていなかった。
「アホかおまえは」
「ひぇぃい!?」
ゴスロリにビキニの紐をぐいっと引っ張られ、高井は悲鳴を上がった。「まろび出ちゃうからっ! こぼれ出ちゃうからっ!」と言いながら。
今目の前でものすごく意味深でアブノーマルな膨らみが危険な方向で強調されているような気がするが、それでも藍の視線は筋肉に注がれたままだった。
まるで死の峠と呼ばれるヘヤピンカーブを夜な夜な危険なスピードで攻める走り屋に例えても遜色ないほどの、意味深な膨らみをきわどすぎる角度で攻める歪なビキニラインを前にしても……
そんなものよりなにより、藍は腹筋に魅了されていた。
だが、パンツのゴムを離して肉を打つパチンという声には、なぜだか心惹かれるものがあった。高井が上げた「あふっ」という悲鳴も。藍の心にまた一つ新たなフェチズムの種が生まれた……のかもしれない。
「触るくらいで価値が下がる程度の肉体なら、最初から脱いで見せるな。軽いボディタッチくらい褒美と思え」
「そ、そんな……そりゃないっすよ先輩! 俺の身体を目でも肌でも鑑賞させるなんて……相手が我慢できなくなって俺の筋肉が襲われたらどうするんすか!」
「アホか。筋肉を襲うって具体的にどういう行為だ。アホ言ってないで向こうの特攻服が呼んでるからさっさと行け」
冗談だか本気だかわからない抗議の声に、ゴスロリは構うことなく冷たい眼差しでシッシッと手を振る。高井は「へーい」と返事をして行ってしまった。
「おまえもあんまり見るんじゃねーよ。ガン見しすぎだからあいつが調子に乗るんだよ」
「はっ!?」
名残惜しく高井を目で追いかけていた藍は、ようやく我に返った。
「中学生だろ? こんなところで変な趣味開発すんなよ」
「え? なんのことですか?」
「……ここで不思議そうな顔ができるのか。末恐ろしい女だな」
いまいちわけのわからないことを言うと、ゴスロリも行ってしまった。
撮影に付き合ってくれた島牧翔も、燕尾服の執事も、皆仕事に戻っていった。
フリードリンクとして貰った紅茶をいただきながら、恵とのんびり話をする。
まさか今日、どこも雑多な八十一高校学園祭において、こんなにのんびりゆっくり話ができる空間や時間があるとは思わなかった。
「そういえば、ショータイムって何するんだろうね?」
恵がそんなことを言った時、藍の携帯が鳴った。ようやく兄からメールが返ってきたのだ。
「気になりますね」
と言いつつ内容をチェックし――「迎えに行く」とだけあった。ようやく向こうの揉め事は片付いたようだ。
「恵さん。迎えが来るので私はそろそろ失礼します」
「え? マジで? 迎えって彼氏?」
「兄です。元々一緒に行動することになっていたので」
「そっかー……残念だな。ぜひショータイムまで一緒にいたかったのに」
まあ気にならないと言えば嘘になるが、「単独行動はしない、兄と一緒に回る」という約束でこの危険な学園祭に来ている以上、無視するわけにはいかない。
兄は「男の宴」の関係者ではないし関係者の紹介もないだろうし、当然合言葉も知らない。教室を出てから待っていないと合流できない。合流できなければ、藍がトラブルに巻き込まれたと推測し、力任せに封鎖を突破して乗り込んでくる可能性もある。
「あ、ねえねえ」
「それでは」と、あとは別れの挨拶をするばかりという段で、恵はココアのシフォンケーキを運ぶ通りすがりのゴスロリ美少年を捕まえた。
「なんだ? 注文か?」
「いや。『ショータイム』ってなんなのかなって」
「ああ、あれか。あれは――」
ゴスロリ美少年は壁にある時計を見た。
「もうすぐやるよ。一時前からだから」
「何やるの?」
「一時間ごとにやってて、毎回違うんだ。今度のは確か――高井のダンスだったかな?」
――藍の行動は早かった。
メールにて兄に「一時少し過ぎまで待ってください。」と送信し、携帯の電源を切った。
あの筋肉が、あの腹筋が、触ればきっと硬くしなやかであろう完璧なまでの腹直筋と外腹斜筋が躍動する様を見逃せるものか。
「もう少し居ようかな!」
わくわくしてそわそわし始めた藍を見て、ゴスロリ美少年と恵はこそこそ耳を寄せる。
「あいつ大丈夫か? 中坊だろ? 中坊にしてはなんか目覚めすぎじゃないか?」
「うん……真面目そうだし、きっと刺激が強すぎたんじゃないかな……」
まあとにかくそんな感じで、時間は過ぎていく。
待つことしばし。
遮光カーテンを引いて暗くした教室。
一段高くなったそこで黒板を背に。
安物であろう、しかしそこがなんともいい感じの手作り感を醸し出す、暗闇に咲く光の百花繚乱……室内用ミラーボールが回る。
そして、毒々しいまでに美しい筋肉という蝶が舞う。
光の粒子を受けて輝く肉体。
動くたびにたくましさとしなやかさが、これでもかこれでもか、どうなんだこれでもか、と全身で自己主張する様は、もはや艶かしいとさえ言えるかもしれない。
有名アーティストの曲の激しいダンスを完コピした高井秋雨は、本当に黄色い声(藍含む)を受けて、魅せる喜びにまた輝く。
まるで本当にどこかの地下で夜な夜な行われる、チップ的なものが発生するショータイムのように……
藍は、至福の時を過ごした。
そして帰宅後、もちろん撮影した、あやしいネオンに輝く一匹のたくましい蝶の動画を見ながら「至福の時を過ごしたな」と自覚した瞬間。
彼女もある意味、絶望住まう男子高の犠牲となったのだった。