019.五月十六日 月曜日 後半
「奇襲、成功したりーーーー!!」
「「うおおおおおーーーー!!」」
うおーじゃないだろ!
「君らは本当に何やってるんだよ!」
僕はうちのバカどもに囲まれて顔色が悪いしーちゃんに近寄ると、腕を引いて庇うように背中に隠した。おいおいマジで震えてるじゃないか。
いや、そりゃ怖いだろう。
隣のクラスの連中が乗り込んできて拉致されてきたのが現在のしーちゃんだ。何事だと思うだろう。戸惑いもするし、怖いだろうさ。
「やっていいことと悪いことがあるだろ!」
「「それはこっちのセリフだ!!」」
その声はハモッていた。ほぼ全員が、である。喜色満面だった彼らは一瞬にして怒りの形相となり、まっとうな抗議をする僕を睨みつけた。
「元はと言えばおまえのせいじゃねえか!」
「そうだ一之瀬が悪い!」
「おまえが! 一人で! 俺たちを無視して! 一人でしーちゃんと仲良くしてるのが悪いんだろ!」
「そうだおまえが悪い!」
「俺たちなんかな、声かける勇気もなく眺めてることしかできなかった! でもおまえはいつの間にかちゃっかり彼氏ヅラしてたじゃねえか!」
「おまえなんか爆発しろ! そしてもげろ!」
ちょ、え、え?
方々から一気に言われたので理解が追いつかない。彼らの本気っぷりと威嚇も怖かったし。
えっと……え、なんだ?
「僕のせい、って?」
「「おまえのせいだ!!」」
「なんでだよ! 意味わかんねーよ!」
「――待て」
こんな事態でも冷静な柳君が、僕とバカたちの間に入った。
「おまえらの主張はまず俺が聞く。そして正確に一之瀬に伝える」
「うるせえイケメンはひっこんでろ!」
「「そうだそうだ!」」
「ついでにハゲろ!」
「水虫になれ!」
「女の前でくしゃみして鼻水彼女に飛ばしてろ!」
「黙れ。早く処理しないとC組の報復が来るぞ。内輪揉めしている場合じゃないと思うがな」
その言葉には、さすがに返す言葉がなかったようだ。そう、早く事態を収拾しておかないと、購買組が帰ってくる。そうしたら当然、C組の残党たちと合流してここB組に攻め入ってくるだろう。
もちろん、しーちゃんを取り返しに、だ。
僕は納得できていない。
というかこんなことはダメだと思っている。
だから僕は彼らを裏切ってC組にしーちゃんを返すだろう。というかそれが当たり前だし。
そういう意味でも説明が必要だ。この行為に対する正当な理由がないなら、僕はB組の一員としてではなく、しーちゃんの友達として動かざるを得ない。というか理由があってもダメだろうと思っている。やむを得ない理由があるなら、それこそ方法を選べとしか言えない。
柳君と彼らが話し始めたのを確認し、僕は振り返った。
しーちゃんが怖がっていた。いや、うん、そりゃ怖いだろうね。三十人くらいの男に拉致されてきたんだから。
「大丈夫?」
「な、なんなの?」
「僕もよくわからない」
というか、わかるわけがない。正直わかりたくもない。
「一之瀬、いいか?」
「え? 早いね」
説明を聞いた柳君は、もう情報を整理できたようだ。うーん……頭の出来の違いだろうか。聖徳太子の逸話みたいな能力も持っているのだろうか。持ってるもの多くていいですね!
バカどもとしーちゃんから少し離れ、僕らはひそひそを言葉を交わす。
「まず発端は、さっき奴らが言っていた通り、おまえにある」
「僕が悪いの?」
「いや、ただの逆恨みだ」
あ、はっきり言った。逆恨みなのかよ。
「C組での島牧の扱いは聞いているだろう?」
「えっと、いつだったか、周りがよそよそしいって高井君が言ってたっけ」
過剰なアイドル扱いで友達がいないとか。言っていた気がする。
「それは俺たちのクラスの奴らも同じだったんだ」
うちの男どもも、しーちゃんを遠巻きに見ては溜息をついていたらしい。男相手に……って言いたいところだが、しーちゃんが相手だったら完全にありえる。男に興味なんてない僕だって色々危ないんだから。
「そんな風に遠巻きに見ることしかできなかったB組の中で、島牧と接点ができた奴らがいる。俺たちだ」
「うん」
柳君は中学時代に同じクラスで、高井君は例の購買での戦いで知り合ったみたいだし、僕も「一年C組の混沌(一週間もののゴミ箱)」で偶然知り合った。その後一緒にお好み焼き屋に行ってなんとなく仲良くなったんだっけ。
「会って時々話す。それくらいだったら容認できた。だが先日の一件は、我慢ができなかったらしい」
「先日の一件?」
「おまえが島牧を『新人狩り』から助けたアレだ」
「ああ、あれ」
「俺も知らなかったが、あの一件、わりと騒ぎになっていたらしい。『C組のアイドルが男と手を繋いでいて、しかも騎士のように島牧を守った』と」
「はあ?」
「しかも仲睦まじく二人抱き合って倒れたとか」
「はあ!?」
何言ってんだバカじゃないの、と思ったが、柳君はやはり冷静に言った。
「客観的に考えてみろ。……そうだな、おまえの場合は、あの時の島牧をその辺のグラビアアイドルに差し替えるだけでいい。それをしているクラスメイトを見て、どう思う?」
「どうって……」
「嫉妬しないか? なぜアイドルの手を引く男は自分じゃないのかと考えないか? アイドルに接近できて羨ましいと思わないか? たとえ偶然でも仲睦まじく抱き合って倒れたいと思わないか?」
…………思う。モテない僕は絶対に思う。
ここでようやく納得できた。
そうか、そういう風に見られたわけか。僕としーちゃんは。まあそうだよな。すでに僕もしーちゃんや守山先輩は、観賞用としては異性として割り切って見ている。それくらいかわいいから。美人だから。
「で、どうしてこんなことに?」
「『新人狩り』の一件で、元から島牧と話したい、近付きたいと思っていた願望が刺激された。島牧を見かけるたびに日に日にその想いは強くなっていく。奴らはなんとはなしに、島牧とお近づきになる方法を模索する。恐らくは考えるだけで実行なんてしなかっただろうがな。しかし」
「しかし?」
「先週、おまえにある疑惑が浮上した」
疑惑……あっ!
絶対に結びつかないだろうと思われた事情と、この状況とが、奇跡のように繋がった。
「僕が本気でしーちゃんを好きである可能性か」
諸事情によりONEの会に出入りしていた僕に、その、同性愛疑惑が上がった。
つまり僕が本気でしーちゃんを口説くんじゃないか。その上付き合っちゃったりするんじゃないか。彼らはそんな心配をしたのだろう。
「でも僕は否定したけど」
「半分は納得した。だが半分は異を唱えた。『島牧は男とか女とかの壁を越えた存在だから特別だ』と」
どっかで聞いた天使説だろうか。
「だから奴らはおまえを試したんだ」
先週土曜日、あの購買部パン争奪事件のあの日。
「ストーリーはこうだ。貧しくいやしいおまえにパンをお情けで一つ恵んでやる。腹を空かせた意地汚くもむっつりでクズな」
「正確に言わなくていいから。さらっとでいいから」
「おまえにパンを一つ渡す。そのおまえに腹を空かせた島牧を接近させる。もしおまえが島牧に気があるようなら点数稼ぎに必ずパンを渡すだろう――そんな試行を行った。その結果」
「……僕はしーちゃんにパンを渡した」
でも、あれは本当に偶然だったと思う。だって僕の昼飯はONEの先輩方が用意してくれていて、パンを貰っても昼には食べられなかったから。
もし僕に昼飯の当てがなかったら、渡さなかったかもしれない。……まあ代わりに「一緒に食べよう」はと誘ったかもしれないが。
「真実はともかく、これで奴らは確信した。おまえは島牧が好きだ。このままだと二人はくっつくかもしれない。C組の連中はなぜ一之瀬を近づける。なぜしーちゃんを守らない。あいつらは役に立たない。ならば俺たちが島牧の純潔を守ろう」
「で、これか」
なんというか……なんというか、壮大な勘違いだなぁ。
でも、なぜかな。
ちょっと悲しいけれど、少しだけ気持ちがわかる。
僕だって……僕だって、きっとこのクラスの誰かがアイドルと上手いこと行きそうって聞いたら、嫉妬に任せて二人の仲をブチ壊してやりたいと思ってしまうだろう。いや、アイドルじゃなくてもいい。彼女がいるってだけで嫉妬するだろう。「チャック全開を見られて彼女に嫌われて全力でもげろ」と思うだろう。いやどこがとは言わないけど。
「それで、あいつらしーちゃんをどうするつもりなの?」
C組に代わって俺たちがしーちゃんを守る、そのために拉致ってきた、というのは理解できた。警戒すべき者と守るべき者を同時に監視するのは、なかなか良い手段のようにも思える。
でもこんなの一時的なものじゃないか。この昼休みだけに限ったことじゃないか。
「その前に一之瀬の意志はどうだ? 早めにはっきりさせた方がいいと思うが」
「……答えるのもバカバカしいよ」
「気持ちはわかる。でも口に出せ。そうじゃないと皆納得しない」
はあ……仕方ないな。
「しーちゃんはかわいいと思う。でも僕は女の子が好きで、すごく彼女が欲しい。……これでいい?」
「伝える」
柳君が言ったその時だった。
「B組こらぁああああああ!!」
「潰す! 潰す潰す潰す!」
「しーちゃん返せやぁ!!」
「ヒーーハァーーーーー!!」
「汚物は消毒だぁーーー!」
うわ、来た! C組の報復が! というか残党どもが!
B組で大乱闘が起こり、僕はしーちゃんと一緒に教室の片隅に避難していた。超怖い。何これ。超怖い。
正直なんでこんなことになったのか、僕は理解はできているが納得はできていなかった。だいたいしーちゃんをどうするつもりなのか、肝心なことが聞けていない。
だから、どちらに加担することもできず、ただただ隠れているしかなかった。
「――おまえらぁぁぁぁ!!」
重厚にして肉厚な、腰も身体も重い獣が吠えた。
どうやら我関せずで昼食を取っていたグルメボスこと松茂君を、誰かが怒らせたようだ。たぶん昼食を邪魔したのだろう。……うわ、松茂君つえぇ。鈍重そうな見た目によらずパンチがキレてやがる。
「うわ何これどうした!?」
たった一人購買へ走った高井君も加わり、戦況は一気に動く。
先の殴り込みで負わせたダメージが利いているようで、C組は単純な戦力差で押され始める。一度崩れると体勢を整えることもできず、あっと言う間に決着がついた。
C組連中は廊下に放り出され、B組のバカどもは二度目の勝鬨の声を上げた。
吠える。吠える。
乱闘で上げたテンションが更に高くなっていく。
「障害の一つは排除した! もはや我らに敵なし!」
「「応!!」」
「行くぞ! これより我々は職員室へ乗り込み、しーちゃんの教室をB組に移すよう直談判を行う!」
「「応!!」」
ええっ!?
「ちょ、無理だってそんなの! 待てって!」
思わず僕が叫ぶと、彼らはジロリと敵意ある目で僕を振り返る。
「無理? やってもみないでなぜ無理だと決める?」
自称情報通……というより扇動上手な渋川君が、もはや軍師の顔で静かに僕を見詰める。……こいつ、自分に、そして状況に酔ってやがる。君は軍師なんかじゃないぞ。落ち着け。君が仲間を向かわせようとしているのは負け戦でしかない。
「常識で考えて無理に決まってるじゃないか!」
「貴様! それでもB組の一員か!」
あまりにもノリが良すぎる黒光りする肌が眩しい大喜多君は、普段のチャラさが嘘のように消えていた。……ていうか「きさま」って言われた……
そして、そんな鬼気迫る大喜多君を渋川君が手で制した。
「常識? フッ、そうだな。確かに俺たちは無謀にチャレンジしようとしているのかもしれない。だが一之瀬――始めないと何も始まらないんだぜ?」
軍師の名言に兵がしびれる。
「諦めるのはいつだってできる。だから俺たちは全ての手を尽くしてから諦めるつもりだ。その方が男らしいだろ?」
……ちょっと待て。
「チャレンジ精神が立派みたいなこと言ってるけど、マンガやゲームじゃないんだから保身は考えないとダメだよ!? 確実に成功しないから! もう小学生じゃないんだから自分の行動に責任を持たないと――」
「行くぞ野郎ども!」
「「おう!」」
「待てって! 聞けーーー!!」
彼らは待たなかった。
誰一人待たなかった。
本気で自分たちの主張が通る、通してみせると信じきっていた。
……僕は彼らを甘く見ていたのか、それともレミングの集団自殺のような貴重なものをこの目で見たと言うべきなのか……まあレミングの自殺は本当は違うらしいが。
ただ一つ確かなことは。
彼らは、僕が思っていた以上にバカだった、ってことだ。
「で、なんなの?」
ノリで暴れていた高井君が問う。
僕は「いつものことだよ」と答え、がらがらになった教室で何事もなかったかのように昼休みに戻った。
「な、なんかよくわかんないんだけど……」
「しーちゃん、それでいいんだよ。知らない方が良かったってくらいすごくバカなことだから。でもバカなんていつものことだろ? ただのいつものアレだよ」
せっかく来たのでしーちゃんも誘って、予想通り昼食を台無しにされたらしい松茂君も誘って、普通の昼休みを過ごした。
一年B組の2/3以上の人数が関わった職員室乱入事件は、出前ラーメンをすすっていた体育教師数名とエビチリチャーハンを食べていた我らが担任・三宅弥生たんに、完膚なきまでに叩き潰されたらしい。文字通り、物理的に。拳的な意味で。
全員が等しくぼこぼこにされて職員室前の廊下に放り出されて正座させられて彼らの主張を聞き、弥生たんは「おまえらは本当にバカだな。マジでガチでバカだな。午後はそのまま座ってろ」と厳罰を下した。
これが、一年B組で起こった悲劇「マジでガチ事件」の顛末である。
午後の授業には数名しか教室にいないという異常な状況で、教師も僕らも困惑し、結局自習になった。テスト一週間前だというのに。
そして。
僕はこの日を境に、C組にかなり恨まれることになる。
なぜなら、C組への殴り込みの首謀者は、僕だということになっているから。
どこをどう間違ったのか、僕がどうしてもしーちゃんを手に入れたいがために行ったこと、という風に解釈されてしまったそうだ。
僕は見た目だけは賢そうに見えるから、「そのように裏で画策したんだろ」「俺は知ってるぞ」と。
C組もやはりバカである。
この誤解を知るのと、誤解を解くのは、もう少し先の話。
今はただ、予想をはるかに超えたバカなクラスメイトたちを、生暖かい目で教室に迎えるだけである。