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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
はじめに
2/202

001.初日



「君が一之瀬友晴か」


 目の前の女性は、ハスキーかつセクシーな声で囁き、舐めるようにじっとりねっとり獲物を物色する肉食獣の視線で僕を見ていた。


 落ち着かない。

 目の前の女性が美人だからというのもあるが、というかそれが理由の九割だが、女っ気のない健全な普通の高校男子ならば落ち着かなくて当然だろう。なお、モテる男子は健全の中に含まれない。あんな突然変異どもが普通で健全に入ってたまるものか。いわゆるJ系的な奴らなど。


 ちなみに残りの一割は、ここが職員室で相手が教師だからだ。僕の担任の。

 名前は三宅弥生みやけやよい。歳は二十半ばくらい、裾を出したYシャツの上に黒のカーディガンを引っ掛け、下はジーパンというラフだが品のある格好だ。キツそうな目元と黒髪のロングが美しい。今後心の中では親しみと愛情を込めて「弥生ちゃん」と呼ぼうと思う。


「うん、元気そうで何よりだ」


 弥生ちゃんの僕の品定めは終わったらしい。あっさりと。


「もう走れるのか?」

「ええ、まあ」


 だって嘘だし。


「新学期が始まってまだ一週間だ。授業にはすぐ追いつく」

「はあ」


 授業より問題なのは、交友関係の方だろう。


 僕こと一之瀬友晴は、「足の怪我」という理由で、新学期開始から一週間ほど遅れて高校に登校していた。本来なら一週間前から僕の高校生活は始まっていたはずなのだが。

 実は僕の怪我というのは大嘘で、急に決まった引越しの準備に時間を取られていただけ、というのが真実だ……主に妹関係で。


「いや、それにしてもだ」


 弥生ちゃんはすがすがしい笑顔でバシバシ僕の腕を叩いた。逆の立場なら「きゃーセクハラよチカンよ慰謝料よー」とでもリアクションするべき馴れ馴れしさである。まあ、もっと触ってくれもいいけども。ソフトタッチで触ってくれてもいいけども。


「おまえが思ったより賢そうで良かったよ。これ以上アレを抱えたら、私の胃が持たないところだ」


 いきなりの「おまえ」呼ばわりに親しみを覚える。どうやらこの先生は生徒と距離を置くタイプではなさそうだ。嬉しい限りだ。もっと親しくしてほしいものである。


 それにしても、気になる発言があった。

 確かに僕は賢そうには見えるらしいのでそこは否定はしないが(中身はまったく普通である)、弥生ちゃんの発言の色々が引っかかる。とても引っかかる。


「なんか嫌な予感がするんですが」


 というか嫌な予感がしない方がおかしい。アレとか胃とか。気になるさ。


「はずれていない、とだけ言っておこう」


 つまり危機感を持て、と。そういうことですか。


「私もこの高校の教師になって三年目だがね、もうとにかくこの学校はバカばかりだ。いつの代もバカばかりだ。右を向いても左を向いても――ああ、おはようございます。え? バカ? あはは何言ってるんですか先生のことじゃないですよ? ところでそのネクタイ、ずいぶんバ……アレな柄でセクシーでステキですね。よっ、セクシー先生! ……で、何の話だっけ?」

「今横を通りすぎた中年男性教諭が先生の後頭部を睨み付けているという話では?」

「私は後頭部が魅力的とよく言われるからな。見るだけならタダでいい。おまえも見ていいぞ。だが触ったら金を取るからな」


 金取るのかよ。……美人な見た目に寄らずこの人も変わってるな、と思った。





 我らが一之瀬家は、親父の仕事の都合で、家族ぐるみで春からこの八十一町に引っ越してきた。この辺はわりと都会で、結構な田舎から出てきた僕たちが不便に感じることは少ないだろう。逆ならともかくね。

 そんな八十一町にある、平凡にして何のとりえもない高校である八十一高等学校こそ、僕がこれから通うことになる学び舎だ。


 本当になんの変哲もない高校である。

 やれ野球部が強いだのサッカー全国進出常連校だのゴリさんと呼ばれる超高校級センター率いるバスケ部があるだの超美形揃いの生徒会やらお金持ち集団がいるだのホスト部があるだの薔薇的な館と呼ばれる生徒会専用の建物があるだの幽霊憑きの囲碁部員がいる囲碁部があるだの、ということは一切なく、何一つ自慢できるものがない普通の高校と聞いている。偏差値もまあ普通だ。


 そして、そんな学校に通う僕も、中身も外見もごく普通の健全な高校一年生である。

 そう、僕の高校生活は、今日から始まるのだ。

 よほどのことがなければ人生一度の高校生活である。いぶし銀に輝くもいぶされて煤けるも、全ては最初が肝要である。


 青春時代最大の転機の一つと言っても過言ではないこの瞬間こそ、今までのさえない自分と決別する絶好の機会である。

 自慢にもならないが、僕は小、中学と帰宅部で、だらだらした無気力な青春時代をすごしてきた。それはそれでいいとも思うが、こう、なんというか、マンガで見るような楽しそうな高校生活に憧れたりしちゃったりもするわけだ。普通ゆえに。普通だからこそ。

 だから、この転機に何かしら始めてみたいな、とは思っている。


 運動?

 しんどいのは嫌だ。疲れるから嫌だ。運動神経も特に良いわけじゃなし。


 じゃあ勉強?

 一夜漬けだって勘弁だ。保健体育の勉強だけは自主的にやらせていただきますが。


 ……とまあ、こんな感じで、悩んでいる最中である。

 わがまま? 根性なし? 優柔不断?

 いやいや、冷静に考えてほしい。


 例えば軽い気持ちで運動部に入ったとしよう。「キツかったらすぐやめればいいやー」みたいな軽い気持ちで。

 だがしかし!

 気軽に入ったクラブの先輩に怖い人がいたらどうするよ!?  辞めるに辞められず、向いてないしやる気もないクラブ活動を続けることになって夜な夜な枕を濡らす三年間を過ごすことになっちゃうかもよ!

 一番最初というのはとても大事だと僕は思う。友達選びから始まり、その友達は進学から将来まで関わることになるかもしれない。人間関係は大人になっても、定年を迎えた後でさえ絡んでくる、もはや個人の人生の半分以上を占めるような要素だ。


 多かれ少なかれ今が未来に続いているのだから、今を大切にして何が悪い。今を大切にしない奴が未来を夢見る資格はない。あれ? 僕今いいこと考えなかった? あとでメモっとこ。


 とにかく、何かしんどくなくて知的で誰に言っても恥ずかしくないステキなことを始めてみたいのだ。具体的には女の子に「へーすごーい」と感心されて関心も向けられてしまうようなことを。あれ? 今感心と関心を掛けてうまいこと考えなかった? あとでメモっとこ。


 ――まあ、あと十五分後の僕は、そんな贅沢な悩みなどすっかりさっぱり解決しているのだが。





「ここが一年B組。一之瀬のクラスになる」

「はい」


 色々考えている間に、弥生ちゃんの案内で自分のクラスに到着していた。

 教師が来る前の教室なんて、騒がしくて当然だ。ひとまず僕は小・中学で幾度も経験し、またかつてはその一員であった憶えのある喧騒を目前にし、少しだけ安心した。何も高校だからって急に何かが変わるということもないらしい。


 安心もしたが、同時に緊張に胸が高鳴る。

 これからクラスメイトに一足遅れての自己紹介的なことをし、一週間の遅れを取り戻しつつうまいこと馴染まねばならない。僕は普通なので孤立したり友達できなかったりするのは嫌だし勘弁だ。誰だってそうだろうとは思うが、集団生活の中で孤立するのはかなり厳しいものがある。


 緊張のあまり乱れてもいないブレザーの襟を正してみたりするも、あまり効果はなかった。


「後から呼ぶから待っていろ」

「お約束ですね」

「ああ、お約束だ。――そう緊張するな。このクラスはバカばかりでバカばかりやっているが、本当の馬鹿者はいない。ちゃんと馴染める」


 どうも緊張が顔に出ているようだ。弥生ちゃんは教師らしいことを言って笑い、またしても僕の肩をバシバシ叩くと、「席に着け!」と怒鳴りながら教室へ消えていった。

 野太い声が「おはよー弥生たん」「弥生たん今日も美人!」と返していた。


 ……弥生たん、だと?


 バカな。僕の「弥生ちゃん」を上回る親しみやすさと愛情を兼ねたあだ名がすでにあるというのか。畜生め。僕もそれを採用だ。

 静まりつつある教室の喧騒から、中の様子が聴こえてくる。


「いいから席に着け。それと高井、服を着ろ」

「ふふ。今日の俺の筋肉も良いツヤしてると思わない? ほらこの上腕二等きイタタタタタタタ! 痛い痛い痛い痛いもげるもげるもげるもげるもげる!」

「裸で女性に近付くなと何度言わせるつもりだ。いい加減警察に突き出すぞ」

「ひ、ひどい……俺の乳首をもてあそんでっ。ひどい女っ」

「早く席に着いて服も着ないと両方同時に逝かせてやろう。本気でもぐくらいの気持ちでやってやるからな」

「すんません勘弁してください」


 ……ああ、うん、確かにバカがいるようだ。それもすごいバカがいるようだ。

 できればお近づきにならずに過ごしたいものだが、僕の第六感が「絶対絡むと思うよ」と予言している。当たらないことを祈ろう。……当たらないことをマジで祈ろう!


「よし、聞け。実は始業式から来ていなかった一之瀬が、今日から登校する。――一之瀬、入れ」


 お呼びが掛かったので、僕はガラッとドアを開けた。

 その途端だった。


「なんだよ男かよ!」


 あーあ、と漏れる野郎どもの溜息の数々。


 ……僕はもう、なんというか、教室に入ろうという足さえ止まってしまうほどの脱力感に襲われてしまった。

 「心が折れる」という表現はよく聞くが、今の僕は「心が萎える」という表現が異様なまでにしっくりきた。


 そりゃないだろう。


 さすがに冗談で、決して本気ではないはずだ…………なんて言えない「本気さ」というものを感じてしまった。それは真偽を問う以前の直感でしかないが、直感だからこそストレートに装飾に惑わされず伝わってしまうこともあると僕は思う。


 ただ確信を持ったのは、こいつら本当にバカなんだな、とだけ。完全確実に確信を持ってしまった。


「おまえら……」

 さすがの弥生たんも、苦笑を通り越えて顔が引きつっていた。





「……ここ、男子校だろうが……」





 僕の心から期待と緊張と迷いと悩みが嘘のように消え去り、ぽっかり空いたスペースを我が物顔で独占し始めたのは、絶望だけだった。


 こうして、バカに囲まれた僕の高校生活が始まる。









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