197.十月二日 日曜日 学園祭 午後十二時五十九分
「えー、マイクテスマイクテス。本日は晴天なり。ただし夜は雨なり。
――これより、二時から行われる女装コンテストの受付が始まります。自薦他薦学年学生社会人問わず広く募集いたしますので、むき出しのフェロモンを持て余している男性諸氏は奮ってご参加ください。
受付は体育館前で行います。衣装の貸出も行いますので、早めにご参加下さればコスチュームを選ぶ余地もあります。優勝を狙うなら早いもの勝ちですよー。
今年は、近隣にある九ヶ姫女学園生徒会から、特別審査員が参加することになっています。例年にない一風変わったコンテストになること請け合いなので、皆さま学園祭の締めにぜひご見学ください。
以上。八十一高校生徒会長、茅ヶ崎からの放送でした」
気の抜けたその声は八十一高校に数多あるスピーカーを介し、無差別に拡散した。
ともすれば、例年にない盛り上がりを見せている学園祭の昼時には、喧騒に飲まれかき消されそうな、張りのない声だったが。
しかし、内容が内容なので。
その辺の事情を知っている八十一校生や常連客は、その時だけは口を噤み、動きを止め、ただただ八十一高校代表の重要な発表に耳を傾けていた。
ある者は、追われる獲物として恐怖し。
ある者は、恨みと妬みと嫉妬に狂った闘志を瞳に宿し。
ある者は、面白半分で獲物を追い。
ある者は、絶対強者を誇示するように狩人を返り討ちにせんと身構える。
その声は、はっきりと告げたのだ。
地獄の釜の蓋が開いたことを。
イケメン狩りが始まったことを。
「うわ……」
「すごーい」
「……」
八十一高校生徒会室では、四人の女子が窓から校庭を見下ろして、唖然としていた。……いや、若干一名はなぜか嬉しそうだが。
「どう? すごいっしょー?」
八十一高校生徒会長・茅ヶ崎信成は、強いて普段と変わらない様子で椅子に座ったまま、今年で三回目となる地獄を楽しんでいた。見てはいないが聞こえる阿鼻叫喚だけで地獄絵図が垣間見えるのだろう。
立場上「見ない」という選択を選んでいるのだ。「見ていない」ものは「実際何が起こっているのか知らない」ことになる。たとえ無茶な理屈でもなんでも、事実は事実だ。……屁理屈でしかないが、それでも事実だ。
今し方、放送部に連絡して、元から取っていた音声を流すよう指示し、それは果たされた。
当日何があるかわからない。急な仕事が入って時間を失念する可能性があるので、予め用意して放送部に頼んでいたのだ。
幸い変更もなく茅ヶ崎が生徒会室を出る用事もなく、GOサインさえ出すことができた。
「これ、いいの?」
九ヶ姫女学園生徒会長・富貴真理は、先の乱闘が小競り合いに思えるような大乱闘を目の当たりにし、ものすごく困った顔をして茅ヶ崎を振り返った。
聡明な彼女にあってさえ、どう反応すればいいのか、どう解釈すればいいのか、どうコメントしたらいいのかさえわからない強烈な光景だったのだ。
先程の放送が終わってすぐ、校庭では男たちと若干のピンクの特攻服の女子という面子の大乱闘が始まった。
本当に殴り合いをして、「よし! クソ野郎! クソッタレのイケメンを確保した! このクソッタレをクソッタレらしく連れていけ!」だの「嫌だー! 女装は嫌だー! 五条坂に顔を覚えられるのは嫌だー!」だの「モテる奴は死ね! 彼女持ちは死ね!! 彼女いない歴と人生が比例する俺に殴られて死ね!!!」だの「あっくんはやめて! あっくんは勘弁して! 私たち付き合い始めたばかりなの!」だの、人の闇が垣間見えるいろんな声が止まることなく上がり続けている。
あれを現世の地獄と言わず、何を地獄と呼べばいいのか。
「いいんだよ。八十一高校喧嘩祭りの醍醐味だからねー。でも俺も一年の時は驚いたなー。ねえ相馬君? 君も一年の時は驚いただろ?」
電話で各方位に連絡を取りながらも「そうですね」と返答したのは、八十一高校生徒会副会長・相馬元だ。ただぼんやり座っているだけの会長に反し、彼は忙しそうだ。
「……なんだか本末転倒な気がしますが」
一悶着あった後、無事生徒会室に来ることができた九ヶ姫女学園生徒会副会長・羽村優も、メガネをお仕上げて振り返る。ショッキングなものを見てもやはり鉄壁の無表情だ。
「『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』というのは、いわゆるミスコンと同じようなものでしょう? 青あざ作ったり腫れた顔で参加するのはどうなのでしょう」
さすがに鋭い。彼女の言う通りである。
「うん、他薦で強く推される奴らの八割九割は、受付段階で却下されるね。どんな理由で怪我したのかは知らないけど、怪我人出すわけにはいかないからねー」
白々しい発言も入っているが、ともかく。
校庭で暴れている連中の半数以上が、理由などどうでもいいのだ。
ただただ祭りに便乗して、有り余る若さとエネルギーと嫉妬心を爆発させているだけに過ぎない。
本物のイケメンハンターは、きちんと狩り方を弁えて動いている。顔を殴るなんてとんでもない。獲物の価値が下がる行為は絶対にしない。だから難しいのだ。
「うひょー! すごーい! ねえねえすごいですね! すごいですね!」
「……」
一人テンションが上がっている九ヶ姫女学園中等部生徒会長・出雲たまきは、横にいる生徒会一年生・久居日和の腕を掴んでブンブン振り回している。久居はちょっと迷惑そうだ。
「なんというか……やっぱり八十一高校は普通じゃないわね」
富貴はもう、そう漏らすことしかできなかった。
朝から今まで、あの客層と客の多さと元から荒っぽい出し物が多い八十一校生を一緒くたに腹に抱え、大したトラブルを起こすことなく統率した茅ヶ崎や相馬を始めとした八十一高校の生徒会と、八十一高校の教師陣の優秀さは疑う余地がない。
だが、たった一本の放送で、この有様である。
下心は丸出しだが、それさえなければ紳士的と言ってもよかった八十一校生の変貌っぷりも、驚くべきものがある。
ここまでの学園祭で、異常とも思えるくらい活気と熱気を感じていたが。
今眼下に広がる光景は、それを更に凌駕する。
人間の……いや、男子高校生のエネルギーというものを、むき出しになった強い生命力を感じ、圧倒されていた。
女子たちが様々な理由で固まっていたその時、生徒会室に乱入者がやってきた。
まず入ったのは、隔たれた喧騒だ。
ドアが開かれると同時に入ってきた音に、全員が振り返る。
「ちーす」
学ランの……長かったり短かったりする学ラン姿の二人組だ。丈の短い方が軽い調子で生徒会長に挨拶した。
「おう、応援団の。今日もお疲れー」
茅ヶ崎が軽く手を上げてねぎらうと、学ラン二人は許可なく生徒会室に踏み込んだ。
「会長も大変っしょ。あ、でも女たくさんいるから意外と楽しい?」
学ランが窓際の九ヶ姫の女性陣をジロジロ見る。品定めするかのような嫌な視線だ。
「まーね。……てめえ俺の客に声掛けたら殺すぞ?」
――え?
にこやかで、だるそうな口調も変わらず、だがはっきりと茅ヶ崎は乱入者に釘を刺した。「ここにいる九ヶ姫の生徒に声を掛けたら殺して差し上げますよ」と。
女性陣は茅ヶ崎の発言に耳を疑うも、学ランの彼は「へいへい」と返事を返す。何事もなかったかのように。
「本題はそっちだし。相馬先輩狩りに来た」
「え? 僕?」
相変わらず電話対応に忙しい相馬は、乱入者の目的にびっくりした。
彼らはイケメン狩りだ。相馬元を狩りに来たのだ。
――確かに。
女性陣が改めて見るまでもなく、八十一高校生徒会副会長・相馬元はイケメンだ。いや、美少年と言った方が近いだろうか。
「すんません。手荒な真似はしたくないんで、大人しく来てもらえませんかね?」
今度は、軽薄な短い学ランの方ではなく、長い学ランの方が口を開いた。強い意思を感じさせるしっかりした堅そうな声だ。
「うーん……」
相馬は首をひねり、渋い顔をする。
「学園祭を盛り上げるためなら参加してもいいんだけど、生徒会の仕事があるから……」
「生徒会長いるからいいじゃん」
「おいおい。俺が人並みに仕事できると思うなよ。俺ほとんど相馬君任せの飾りなんだから」
これは嘘である。
茅ヶ崎は表向きはやってないように見せて裏ではきっちりやっている。……普段のだらけた態度からして信じられる発言ではあるが、実際は違う。
「――つっても、俺らも団長命令で動いてるんで」
「――そうそう。簡単に諦めるわけにはいかないんで」
乱入者二人はすでに覚悟を決めてきている。だから譲歩する気がない。説得に応じるつもりもない。
「……こりゃ無理だわ。相馬君、行っといでよ」
「団長命令」が出たら、生徒会長にも応援団の行動は抑止できない。
「え、本気ですか? 会長、僕いなくて大丈夫ですか?」
「なんとかするよ」
ここは司令塔である。
校内の情報が集まり、トラブルを即座に解決するよう指示を出す大変なポジションだ。揉め事一つ滞れば全体が歪みかねない、ただでさえ忙しいポジションである。
二人掛かりでなんとか対応していたのに、今まさに片方が欠けようとしている。
部外者に近い九ヶ姫女子にも、かなり無茶な作業だと察することができた。しかもそれを円滑に回していた切れ者っぷりは、見習うべきものである。
ただでさえ負担の大きい部署なのに、その作業を一人に任せようだなんて、それこそとんでもない話だ。
内輪揉めに近いので口を出すのは憚られるが、しかしここは口を出すべきだろう。
富貴や羽村がそう考え口を開こうとした時、先んじた者がいた。
「ちょっと待った!」
九ヶ姫の一年生、久居日和だ。
彼女は止める間もなく、学ラン二人の前にずずいと歩み出た。
「今ここがどれだけ忙しいか知ってるんですか!? 相馬さん連れて行ったら学園祭が変なことになりますよ!」
久居が言っていることは非常に正しい。
ただし、正論では勝てない相手というものも存在する。
「チッ」
面倒臭そうな奴が入ってきたと言わんばかりに舌打ちする長ランを横に、短ランは「はっはっはっ」と軽く笑い飛ばした。
「大変だと思うならおまえが手伝えばいいじゃん。な?」
「手伝えるものなら手伝ってます。相馬さん以外にはできないから、連れて行かれると困るんです」
ここで当人である相馬元を除く全員が気づいた。
――あ、こいつ相馬に気があるんだな、と。
「めんどくせーな……おい、もう連れてこうぜ」
「待て」
久居を無視しようとする長ランを、短ランが止める。
「なあ会長、そんなに大変なんすか?」
「超大変よー。ぶっちゃけ二人で精一杯って感じ」
――信じる信じないという次元の問題ではない。団長命令だから従うのだ。
しかし、そのせいで学園祭がどうにかなってしまうのは、本末転倒だ。それは学ラン二人にもわからないでもなかった。ただそれより重要なこととして「団長命令」を捉えているだけで。
「……」
短ランはじろじろと久居を見る。
そこにはさっき見た軽薄そうなものはなく、少し真剣なものを漂わせておた。
それに負けじと、久居は堂々とその視線を受ける。
「――よし!」
短ランが力強く頷いた。
「相馬先輩の代わりにおまえが出ろ!」
「「は?」」
この場の全員の声が重なった。
彼は何を言っているのだろう? 女が女装コンテストに出ろというのか。
――いち早く意味を察した茅ヶ崎と富貴は、吹き出した。
そう、「出ろ」と言っているのだ。言葉通りの意味で。
「そのガチぺったんなパイオツ! クソ生意気そうなツラ! ガリでもデブでもないバディ! おまえが男のフリして女になって出ろ!」
「はあ!? ガチ、ぺ……!?」
失礼なことを言われている。かなり失礼なことを言われている。バディとか言われている。……ガチぺったんとか若干気にしていたことを言われている!
「相馬先輩は自分にできることをする。おまえはおまえにできることをする。おまえがさっき言った通りだと俺も思う」
「い、いや、確かに、言ったことは言ったけど」
だがそれは道理の話であって、ルールを捻じ曲げろとは言っていない。
女装コンテストに女子が女子の格好をして出るのは、ルール無視もいいところではないか。
あと失礼なこと言われたし。
「俺らも団長命令で動いている以上、『はいそーですか』って簡単に諦めるわけにもいかねえ……だったら身代わりでも連れて行かねえとケジメも取れないからな。だからおまえが出ろっつってんだよ」
「……」
道理が通るとは思わないし、ルールも間違っているとは思う。だが「身代わり」というフレーズはとても説得力がある。
相馬をかばいたいなら身体を張れ。
この短ランは、そう言っているのだ。ある意味譲歩案を口にしている。……なんだか根本的なところで話がズレている気もしないでもないが、とにかくそう言っているのだ。
「大丈夫! おまえならイケる! 優勝狙える!」
「待って、優勝とか根本的に、それ…………え、何この流れ? ……何この流れ!?」
九ヶ姫女学園一年生、久居日和。
己の身を犠牲にして特例のサプライズ参加が決定しようとしていた。
しかし、彼女は知らない。
これから自身に起こる、最悪の事件を。
女装コンにただ一人、正真正銘の女子が参加したのに女装した男に負けるという、生涯忘れられない屈辱的な事件の当事者になることを。
そう、彼女はまさしく、これから絶望を見ることになるのだ。