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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
九月
197/202

196.十月二日 日曜日  学園祭  幕ノ六  午後十二時五十一分




 流れが変わった。

 校舎、校庭、体育館周辺と、まるで統一性がなく方向性もばらばらな客の流れが変わった。

 それは一分一分が過ぎるごとに、、次第にはっきりと見えてくる。


 新クラブハウス前も、すでに人気ひとけが引いている。

 午前中は人気者だった古い学ランの連中が、これからの本番に向けて食事を取ったり水分を補給したりと、わずかな休息を取っていた。椅子を引っ張り出して適当に机も出し、学園祭で出している模擬店の食べ物や朝買ってきたのだろうコンビニ弁当を広げたりしている。


「なんか一年のたこ焼き屋がガチで美味いらしいっすよ」

「マジで? 誰か買ってこいよ」

「よし、団長ジャンケンしましょうよ」

「あ? 俺にパシリやれってか?」

「姉川行けよ。遅刻してきたくせによ」

「すんません、持病のリウマチが疼いちゃって。今ちっと走れねーっすね」

「じゃあ団長しかいねーな」

「そうだな」

「午前中でちょっと疲れたしな。団長出番少なかったし」

「決まりだな。団長ヨロ」

「……なんだこの流れ? マジで俺に行けってか?」


 そんなこんなで全団員が団長に期待の視線を向ける中、一人の女が一団に近づいた。


「尾道」

「あ?」


 鋭い視線で振り返った白ランの男――応援団団長・尾道一真は、わずかに眉を動かした。


「クマ……!」

「熊野、な」


 「ほれ差し入れ」と、今し方並んできた噂の一年B組のたこ焼きを差し出すその女は。

 去年の学園祭で、団長と対等の殴り合いを経て引き分けに終わった、レディースチーム『愚裏頭裏威グリズリー』の初代総長・熊野菊子だ。


 尾道一真は強い。

 応援団団長はいつの代も強いが、今年の団長は特に強いと言われている。

 いくら去年の話とはいえ、それでも、尾道一真とやりあって倒れなかったという相手は、片手で数えられるほどしかいない。

 そんな片手で数えられる一人が、この女だ。


 熊野菊子がどういう奴なのか知っている応援団総員は、一瞬で場の空気が凍りついたが――団長の一言ですぐに緩んだ。


「……ああ、そうか。引退したんだったな」

「まあ、ね」


 検のない顔、視線、そして地味なシャツとジーンズという普通の格好。普通にその辺にいるただの背の高い女にしか見えない。

 これが、かつて人喰い熊の化身とまで言われ恐れられたレディース総長の引退した姿である。


 はっきり言って別人なんじゃないかと疑いたくなるくらい、面影がない。

 唯一残っている面影は、根元の黒い自毛が目立つ、まだらの金髪だけ。


 毒気を抜かれた尾道は、他意なく差し出された差し入れを受け取ると、一年に「椅子持ってこい」と命じた。

 この女は、客だ。

 喧嘩相手という意味ではなく、言葉そのままの意味で。





 差し入れられたたこ焼きに群がる団員はさておき、尾道はすっかり丸くなってしまった喧嘩相手に興味津々だった。

 一年前は、一言目には罵倒が入り、二言目はなく速攻で手が出る、という凶暴な女だった。喧嘩相手と判断するやまともな会話もできないほど血気盛んだったのだ。

 そのギャップが、非常に面白い。


「さっき新島弥子と旭和歌が来たぜ」

「ああ、知ってる。来るって言ってたから」

「一緒じゃないんだな」

「三人一緒だと悪目立ちしそうだから遠慮した。はっきり言って組み合わせも悪いし」

「まあ、そうだな。再結成とか噂立つと面倒そうだしな。……しっかしおまえが遠慮とか信じらんねえな」

「これでも一応社会人なわけ。まだ学生やってる尾道と違って苦労してるのよ」

「へー。あのクマがなー」

「熊野な」


 まるで何年ぶりにあった友達同士のように、おだやかな気持ちで会話できる。

 尾道と熊野の関係なんて、一年前にたった一分間だけ、ガチで殴りあったくらいしかないのに。友達同士どころか、喧嘩しかしていないような仲なのに。

 ともすれば、友情が芽生えているどころか、恨みがあってもおかしくないのに。


「で、今日はどうしたんだ? 遊びにきたのか?」


 先の話から続く世間話のように、尾道は聞いた。実際尾道にとっては世間話の延長線上にある疑問だった。大した答えも期待していなかった。


 だが、熊野にとっては、少しだけ大事な用があった。


「いや。詫び入れにきた」

「あ? 詫び? 誰に?」

「おまえに」


 面食らう尾道の前に、熊野は居を直した。


「すまん。おまえとは決着をつけるって約束したのに、こういうことになった」

「あ、それか」


 一年前、きっかり一分の濃密な喧嘩が終わったところで。

 「そんなルール関係ない」とばかりに続けようとした熊野を、レディース仲間が必死で抑えて遠ざけようとした時に、熊野が言い放った言葉だ。


 ――絶対に潰してやる、と。


 まあ、約束と言えば約束である。……正直、約束と言っていいのかどうか迷うところではあるが。


「そんなこと気にしてたのかよ……バカは変わんねーな」


 あんな捨て台詞、もはや生涯何回言われたか忘れるくらい何度も聞いている尾道である。気にした試しもなかった。


「それよりおまえ、俺との喧嘩より五条坂の方が大変だっただろ」


 五条坂。

 その名を聞いた瞬間、本当に一瞬だけ、熊野菊子の表情が現役のあの頃に変わった。

 まるでこの世には敵しかいないと言わんばかりの殺気走った視線に、いつでも目の前の誰かを殴り倒そうとする握り拳、靴の中で足の親指に力が入るのは、いつでも距離を詰められるようにの構えの一つ。

 どんなに変わり果てようと、痛みを伴って身体に染み付いた癖は、そう簡単には抜けない。


「……実は、尾道と勝負する直前に、偶然あいつに遭遇して」

「喧嘩売っちまったと」


 熊野菊子、現役時代は負けなしのヤンキーである。その伝説があったからこそ有名にもなった。

 その負けなしの記録を破ったのが、あの八十一町の伝説・五条坂光その人である。


 十連敗した挙句、結局勝利を諦めた。

 熊野菊子のヤンキー人生で最大級の挫折だった。


 そんな絶対に勝てない壁にぶつかっていたせいで、尾道一真との再戦をすっかり忘れてしまったのだ。


 五条坂光は、不良界では禁忌の存在である。

 そもそもヤンキーじゃない。

 それに男にとっては存在自体が危険なのでもう放っておこう、というのが暗黙の了解となっていた。


 危険と言われる存在に、身の程知らずにも自ら触れたのだ。あれはもう一切合切熊野の自業自得である。


「あいつって人間なの?」

「違げーだろ。ありゃハンマの血とか流れててもおかしくない一種の悪魔だ。……男にとっては特にな」


 そして、これからあの悪魔が暗躍する時間となる。





 もうすぐ一時になる。

 八十一高校学園祭、最大のイベントが始まろうとしている。


「おまえら、時間だ」


 これからの山場に備えて休息を取っていた応援団総員が、団長に注目する。


「あ、外そうか」

「別にいい。おまえ参加しないんだろ? だったら聞かれても問題ねえ」


 まだいる熊野が気を遣おうとするも、尾道は気にせず話を続けた。


「各自リストは持ってるな? それが俺たちに依頼があった獲物だ」

「団長、俺リスト貰ってねーんすけど」


 こんな日に思いっきり遅刻した一年生・姉川九は、朝に配られたリストを持っていない。


「ああ、おまえはいい。大野とコンビで動いてもらうからよ」

「え!? なんすかそれ!?」


 驚いたのは姉川ではなく、同じく一年生の大野新太郎である。


「聞いてねーすよ!」

「言ってねーからな。どうせそんな反応すると思ったしよ――いいか、よく聞けよ」


 団長は語る。

 これから始まる、喧嘩祭り最大のイベントを。


 罪深きイケメン狩りのことを。


 表向きは、祭りのシメに行われる『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』への強制的な他薦・推薦という名目はあるのだが。

 それよりなにより一番の動機は、モテない男たちがイケメンだのモテる奴だのかわいい彼女を連れているヤンキー的な客だのを無条件で殴り倒し、女装させて写真撮って公衆の面前で恥を掻かせてやる、という嫉妬に狂った男たちの悲しくも熱いイベントである。


 喧嘩祭り、という通称を象徴するような代々伝わる自然発生系の恒例行事で、外部客の多くがこれを楽しみに来場している。

 もちろんあたりまえのことだが、公式の出し物ではない。暴力を推奨するような催しは一つもない。……というのが生徒会からの公式発表だ。


 そして腕っ節の強い応援団も、出番がある。


「俺らに依頼があった獲物は、その辺の奴らじゃ狩れない連中だ。率直に言えば強いんだよ」


 尾道は、一年生を単独で動かすには荷が重いと判断した。

 毎年、応援団には「強い奴を狩ってくれ」という要望が届く。喧嘩の経験の乏しい一般生徒から、自分たちでは狩れない喧嘩の強い相手をぜひイベントに参加させてほしい、という要望が。

 たとえ喧嘩の経験が乏しい一般生徒でも、単純に数を集めればどうにかできるような相手ならともかく。


 応援団に捕獲依頼があるのは、数だけではどうにもならないような相手ばかりだ。


「文句があるなら、俺ら団員の誰かに一対一タイマンで勝ってから言え。だがおまえらは今までそれができなかった。だから今日は二人で動け」

「……マジっすか」


 団長命令は絶対だ。喧嘩自慢でやってきた大野には不平も不満も大きいが、命じられたなら従うしかない。


「足引っ張んなよ、大野」

「てめえが言うな!」


 どうやら姉川は、大野ほど拒否反応は起こらないようだ。


「団長命令だ。勝てないのはいい、だが絶対負けんじゃねえぞ。俺たちが喧嘩で負けるってことは、八十一高校が負けるも同然だからよ。――わかったな!?」

「「押忍!」」


 団長の強い声に、団員たちは勢いを付けて立ち上がった。





「ああ、あと守山は反対に狩られないようにな」


 依頼には「応援団の守山悠介をドキアニに出してください」という声が、決して少なくなかった。というかむしろ多かった。

 尾道としては、実は結構悩んだのだ。強く要望があるなら答えるのが応援団のスタイルだ。


 結局、身内を売るのはまずいだろうと結論を出したが。


「……押忍」


 しかし、応援団は無関係で誰かに反対に狩られるのであれば、それはどうしようもない。


 去年かなり苦労した守山悠介は、今年も自分だけ激戦になるだろうな、と覚悟を決めていた。











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