191.十月二日 日曜日 学園祭 午前十一時二十六分
つまりだ。
「あなたを女だと勘違いした人が、あなたと一緒にいた人の恋人だと思った。だからその人を殴った……と?」
「ややこしいけど、そんな感じだと思う」
本当にややこしいな、と諫早は思った。
「簡単に言えば、浮気現場を見られて怒られたけど片方は男だから誤解だ、ってところ?」
「まあ、形としてはそれが近いわね」
目の前の少年は、その「殴られた人」を気遣って色々と伏せているのでわかりづらい。が、それこそ事情を察している諫早にはほとんど筒抜けだったりする。
――「殴られたのはあの一之瀬くんで、たぶん天塩川先輩のことが片付いてないんだろうな」と。その辺から誤解を招いたのだろう、と。
「それで、あなたは……そういえば名前は?」
「坂出誠。マコちゃんって呼んでいいけど」
「じゃあマコちゃん。あなたはその誤解を解こうと追いかけていたのね?」
「……あれは本当に私が悪い」
マコちゃんは先程の事故を語る。
自分が階段から落ちかけたこと。
それを一緒にいた友達(一之瀬)が未然に助けてくれたこと。
その直後、そのまま密着しているところを見られ、見事に誤解されたこと。
男ということが信じられないくらいかわいらしいマコちゃんは、なんとも苦々しい顔をする。案外見た目以上に後悔の念が強いのかもしれない。
「あの石川さんが……」
こんな顔を見せられて、もはやマコちゃんが嘘をついているとも思えない。彼の語る言葉は真実なのだろう。
だからこそ、諫早は思う。
諫早が知るあのクラスメイトは、非常におとなしく気が弱い。
運動部より文科系のクラブの方が、走り回って汗を流すよりも木漏れ日の下で本を読んでいる方が似合う、そんなタイプの女の子だ。あまり話したことはないが、見ている限りではそんな感じだ。
そんな彼女が、男に手を上げたという。
彼女にとってそこまでしたくなるほど激昂するような出来事だったのか、元々そういう激しい一面がある子なのか、最初から一之瀬がすごく嫌われていたからだったりするのか、いまいち判断がつかないが。
しかし動機はともあれ、事実は事実なのだろう。
「どう? 清水さん、呼んでくれる?」
「……ええ。連絡を取ってみる」
そもそも諫早も、一之瀬と天塩川の現在の関係がよくわかっていない。マコちゃんが彼女を追いかけていた理由は聞いたし、どうしたいかも聞いた。これ以上二人で話せることはないだろう。
諫早は携帯を出し、とりあえず顔が広い友人から件の相手に繋ぎを取ることにした。
「こっちに向かうって」
ものの数分でアポを取り付け、携帯をしまう。このまま待っていればすぐに会える。
「よかった……なんとか誤解を解かないと」
肩を撫で下ろすマコちゃんを見て、「ああ、本当に一之瀬くんの友達なんだな」と思った。
見た目はかなり特殊だが、まあ、女子校にもいろんな人がいるのだ。男子校にだっていろんな人がいるのだろう。
あの伝説の五条坂光とか。
彼の噂はお嬢様校にも漏れ伝わっているし、テレビでもそういう感じの人をよく見かける今の時代、そこまで驚くこともないだろう。
「……」
「……」
とりあえず話すことも尽き、やることもやった。
ふと、見詰め合う。
「……あのさ、清水さん」
「何?」
「なんで九ヶ姫の女ってそんなに地味なの?」
地味と来たか。面と向かって言ってくれるではないか。
「装飾や染髪、化粧。そこら辺の身を飾る行為のほとんどが校則で禁止されているから」
もっとも現代では、軽い化粧や派手じゃないアクセサリーくらいなら大目に見てもらえるが。
だが髪を染めるのはNGだし、高校生に相応しくない髪型も禁止である。そこら辺は世間で言われるお嬢様校のイメージ通りだ。
特に、男女交際自体は禁止されていないものの、異性交友関係上の問題を起こしたら問答無用で一発退学なのは、昔も今も変わらない。そういう意味ではやはりお嬢様校と言えるのかもしれない。
「ふーん……」
マコちゃんはじろじろしげしげ諫早を見る。
「もうちょっと磨けば? 素材は悪くないんだし」
「そう?」
だいたいいつも隣に三大美姫なんて呼ばれている友人がいるので、もう見た目なんて結構どうでもいいのだが。どうせ隣で一際輝く太陽がまぶしすぎるのだ、すぐ傍にいる地味な女なんて誰の目にも入らない。
「まあ、」
マコちゃんはニヤリと挑発的に笑う。
「飾っても私の方がかわいいけどね!」
「……」
顔には出さないが、さすがにちょっとイラッとした。
まあ友人に日常的にイラつかされるよりはよっぽどマシだが。格も質も。
ぼちぼち取り留めのない話をしていると、ドアが開いた。
「諫早さん」
待ち人が来た。石川真紀である。
「呼び出してごめんなさい」
諫早は立ち上がり、こちらに来るよう促す。
「いえ……」
石川はマコちゃんを気にしながら、教室に入ってくる。
「一応、電話でさらっと話した通りなんだけど」
「うん……誤解だったって」
確認するようにマコちゃんを見ると、当人は深く頷いた。
「私、男だから。一之瀬くんがノーマルなこと知ってるでしょ? 手を繋いでたのは偶然で、たまたま」
「……うん」
石川は、どことなく元気がない。
「よくよく考えたら、一之瀬くんが誰と付き合ってても、私には関係ないから……」
そりゃそうだ、と諫早とマコちゃんは納得した。
――石川は男を殴った後、外まで走って逃げて、また校舎に戻って、職員用の女子トイレで泣いてしまった顔を洗って頭を冷やして、冷静になったら己のしたことを後悔していて、そんな時に諫早から連絡があった。
「でも、ほったらかしなのが許せなくて」
「え? ほったらかし?」
ここで驚愕の真実が浮上する。
「一之瀬くん、夏祭りの日に万尋先輩に告白して、それっきりほったらかしだったから」
「「えっ」」
諫早とマコちゃんは驚いた。
夏祭りの日に彼が告白した、という事実にも驚いたが、何よりあれから今日まで接触していないという話にも驚いた。
つまり、告白しておいて一ヶ月くらい無責任に放置していたのだ。あの男は。
「万尋先輩、そのことをずっと気にしてて。返事しないといけないけど会えないから、って。この一ヶ月ずっとヘラヘラしたり苦悩したりしてちょっと気持ち悪……挙動不審で。なんとかしてあげたかったけど、私にはどうしようもなくて……」
石川は今日、一之瀬を探すために学園祭に来たのだ。ちょっと男が苦手なのにも関わらず、それでも先輩である天塩川を悩ませている問題をどうにかしたくて。
そんな石川が見たのが、一之瀬が他の女とイチャイチャしているシーンである。
――そりゃ怒るだろう。殴りたくもなるだろう。
「告白したことは聞いてたけど、そのまま放置してたのか……そりゃ一之瀬くんが悪い」
マコちゃんは腕を組み、そう断じた。
「でもなんで放置してたんだろう……割と自分のやることにはきちっと責任取るのになぁ……」
そう、そこが諫早もちょっと引っかかっていた。
「私もそう思う」
少々関わりがある諫早も同意し、ほとんど話したことのない石川も、冷静になった今なら不思議に思う。
――九ヶ姫の女子の多くは、一之瀬が今にも倒れそうなほど真っ青な顔してガチガチになって九ヶ姫女学園校門前で三十分の待ちぼうけを食らっていた姿を見ている。
色々な要素もあるだろうが、彼をあの場に留めた理由の一つに、己の行動の責任に他ならない。
逃げ出さなかったことだけ取っても責任感はある方だと思う。
そう考えると、放置していたことが非常に不自然である。
「まあいいわ。その辺のことはあとで本人に聞くから」
マコちゃんの言う通り、さすがに考えても答えは出ないだろう。一之瀬が何を考えているのかは、一之瀬しか知らないことだ。
「それで、えっと……石川さん?」
「はい」
「携帯番号、交換しましょう。私は一之瀬くんと連絡が取れるし、あなたは天塩川さんと連絡が取れる。私たちが連絡取れればいつでも会わせられるわ」
「あ、うん。お願い。一之瀬くんにも謝りたいし」
――さて。
「ちょっと長居したわね」
諫早は立ち上がる。壁の時計を見れば十一時五十分を回っていた。
「ん? ……あっ、ヤバッ!」
同じく時計を見たマコちゃんが、慌てて机から飛び降りる。
「これから劇があるのよ! うわ、間に合わないかも!」
「ごめん行くから。じゃあね」と挨拶もそこそこに、マコちゃんは教室を飛び出してしまった。劇をやるのは体育館だろうか? 今日の混雑ぶりを見るに、道のりにも時間が掛かるだろう。
「……で、置いていかれたわけだけど。石川さん一人? これからどうするの?」
「探してた一之瀬くんは見つけたから、もう帰ろうかと思ってたんだけど……男の人、ちょっと苦手だし……」
「そう? せっかくだから一緒に回らない?」
「諫早さんと?」
「うん。私も一人だから」
「月山さんは?」
「私より男の方がいいってさ。フラれちゃったわけ」
「あ、噂の彼? 柳くんだっけ?」
「そう。それに」
「…?」
「隣のクラスの『明石焼きカフェ』の食券もあるから。一人だと行きづらいし、よかったら付き合ってくれない?」
――クラスメイトのナンパに成功した諫早はこの後、学園祭デートを楽しんだ。