188.十月二日 日曜日 学園祭 幕ノ二 午前十時五十六分
とある場所で酔っ払いが暴れて高笑いしながらビールを煽っている頃。
ところどころで騒ぎが巻き起こっている八十一高校において、ここも騒ぎの渦中にあった。
「六番テーブル明石3! ――おい緑茶なくなるぞ! 隣から持ってこい!」
「てめえで持ってこい! こっちたこ5テイクアウトだ!」
「これ三番テーブルに運べ! おい富士! 外の客の注文聞いてこい!」
「承知でござる! ニンニーン! ……あっちぃ」
「明石焼きカフェ」という名で喫茶店のような店をやっている一年B組は、まさに戦場のごとき忙しさと慌しさに満ちていた。
客の入りが異常に多い。想定以上に多い。
何せ、すでに教室の外にまで行列ができているほどである。想定内で収まるなら、机を固めて簡易的なテーブルとして少々多めに用意した席が全部埋まるわけがない。
それだけ外来客が多いということだが。
八十一高校の生徒として、これは誤算以外の何者でもない。
嬉しい悲鳴なんてとんでもない。
――せっかく女子が来る学園祭を実現できたのに、ナンパする時間も余裕も一切ないのだから。
客寄せなど必要なかった。
それが今、一心不乱に働く男たちが思う共通の後悔だった。
特に、たこ焼きプレート前でただただひたすら額に汗して焼き続けている男・松茂秀人の後悔は深い。
もはや故意に在庫過多になるよう計算した材料まで売れるだろうことを予期していて、しかも焼き方の責任者として学園祭中はここを離れることもできないだろう。焼き方班は何人もいるが、松茂ほど完璧な焼き方とペースを維持し続けられる者はいない。
そう。
客寄せなど必要なかったのだ。
事は八時五十分頃に遡る。
「柳、始めようぜ」
一緒に飾りつけをしていた一之瀬友晴が、坂出誠と一緒に一年B組を出て行ってすぐ。
彼らを見送る柳蒼次に声が掛かった。
振り返った柳の視線の先で、すでに相方がぼやいていた。
「なあおい。マジでやんの? くそ……タイマン行きたかったのによ……」
「良いではないか良いではないか」
「やめろてめえオタク! ベルトで回そうとすんじゃねーよ! つか俺らは脱ぐ必要ねえだろが!」
B組の金髪・久慈が、脱がしに掛かるアニメオタク・富士を必死で押さえつけている。そんな二人を「まあまあ」と副委員長・西沢がたしなめていた。
「ていうか俺、久慈は絶対すっぽかすと思ってたんだけど」
「俺だってサボりたかったよ。学園祭なんてめんどくせー。……ただ弥生たんが怖えんだよ……」
久慈は遅刻も早退も多いが、休むことは少ない。それと校内イベント等はちゃんと出る。
――できるだけ学校に来て授業に出て行事に参加すること。
それが担任との約束だった。特に行事の参加は強く推されている。
それさえ守れば無事卒業させてやる、という約束で。
もちろん単位不足やテストを見逃すというわけではなく、絶対に見捨てない、という意味だ。どんなに落ち込もうとギリギリまで付き合う、という確約だ。
入学当初に交わした約束だ。
久慈としては、入学当初は「高校なんてどうでもいい、いつ辞めても構わない」とさえ思っていたが……今となっては担任への恐怖が強くなっている。諸々の理由で。というか八十一高校の教師全般が怖い。
「……」
静かに合流した柳は、何も言わずさっさとそれを頭にかぶり、位置を調整する。
「……柳がそれかぶるとシュールだね」
「そうか?」
柳は西沢の感想なんて気にしない。
――柳が頭に装着したそれは、たこ焼きを模した着ぐるみである。
予算の都合上身体は用意できなかったのでかぶるだけのものであるが、見事な円を描くそれは紛れもなくたこ焼きである。
そして顔を出す穴からは、学校一と言ってもいいくらいのイケメンである。
滑稽なまでに滑稽なのに不思議と似合っていて、なのによくよく見るとクスリと笑えるというこのギャップ。
シュールという言葉以外あてはまらない。
この古い着ぐるみを調達したのは、「神々の黄昏」と呼ばれる、この事件の絶えない八十一高校でも相当大きな事件を引き起こした大戦犯・田沢で、その着ぐるみをたこ焼きに見えるように改造手術を施したのは、柳のワースト仲間である池田だ。
「よっ、たこ焼きマン!」
すでに忍者コスチュームに着替えている富士はやたら嬉しそうだ。
「おまえもなかなか神経図太いよな……はぁ」
すでに装着済みの柳を見て溜息を漏らし、ついに久慈も諦めて、柳のそれと比べるとソースの色が淡い「明石焼きマン」の頭に手を伸ばした。
この時、柳は思った。
「もしここに一之瀬がいたら、『君、結構楽しんでるよね』とでも言っただろうな」と。
柳蒼次、ネタ的要素の強いかぶりものは、これが初めてだった。
自分を見るたびにぎょっとする周囲の反応が、なかなか新鮮でちょっと楽しい。
――厳正なる多数決で、柳と久慈は客寄せマスコットを兼ねた宣伝係を任された。
色々と理由はあったが、建前なんてどうでもよく、皆の意思がただ一つの目標に向かっていた。
教室に女子を呼びたい。
だからイケメンを宣伝に使おう、と。
滑稽なかぶりものをさせたのは、単なるイケメンをそのまま自分たちの一員として世に出すのが癪に障ったからだ。
もしかしたら、かぶりものなんてない方がよっぽど集客を見込めるかもしれないが、イケメンをイケメンのまま表に出すのはどうしても嫌だったのだ。
どうせここに遊びに来る客は、というか女の子は、「あのたこ焼きになってた人、なんて名前なんですか?」だの「あの明石焼きの人って教室に来ないんですか?」だの、文句なしのイケメンである柳や、何気にイケメンである久慈のことを聞きまくり、期待に胸膨らませているモテない男子の心を、何気ない言葉でえぐるだろう。えぐり散らかすだろう。
それはもう覚悟した。
そこを乗り越えた先にあるしあわせを、具体的に言うなら恋人を手に入れるため、多少の傷を受けることは覚悟した。
だからこそ、快く送り出すのだ。
――イキのいいイケメンを。
だが、客寄せなど必要なかった。
確かに狙い通り女子は来た。
今回の学園祭が合同発表ということになったおかげで、今まで近付くことさえ許されなかった九ヶ姫女学園のお嬢様たちを筆頭に。
駅二つほど離れたところにある共学高である三十三高校の女子や、網丘六女子高の女子。ピンク色の特攻服というかなり場違いだけど八十一高校では逆に不思議とそこまで違和感のないレディースの女子、そして中学生や小学生、もちろん熟女や老女や幼女まで、幅広い層の女性が詰め掛けた。
狙い通りすぎて、今や教室から溢れている始末である。
目の前を、九ヶ姫の女子が楽しげに通り過ぎていく。
ゆっくり見守ることさえできない忙殺される男たちは、いつしか「なぜ働いているのだろう」から、次第に、ゆっくりと、疑問と憤りが薄れていく。
仕事による昇華。
労働による煩悩の浄化。
忙しさのあまり、「小人閑居して不善をなす」の言葉を決して裏切らなかった八十一高生が、次第に女子ではなく仕事しか目に入らなくなっていた。
根が単純なだけに。