187.十月二日 日曜日 学園祭 午前十時四十三分
初戦を機に、一気に参加者が名乗り出た。
一番人気は、一年生の大野である。血気盛んな中坊はまず一年生を相手にしたがる。――去年の大野がそうだったように。
一方的に殴ることができる、というのが表向きのメニューではあるが、参加者のほとんどが裏メニューを要望する。
多くの喧嘩自慢、多くのヤンキーが見ているこの状況で、まさか表のメニューを頼むのは、古い言葉で言えば相当「シャバい」行為である。
しかし、応援団はそこそこ手加減はしている。
一戦一分のみの喧嘩である。大怪我防止のため、それと連戦することになる応援団の体力面を考慮してこのスタイルになった。
体力の温存も考えなければならない応援団なので、防御だけですごすこともある。というか多い。応援団側が手を出すほどの相手が少ない、という単純な理由もある。遠慮なく手を出せば、早ければ秒殺で終わるものもある。
名前は過激でも、一応はホスト役なのだ。今日この祭りだけは応援団の不器用なサービス精神もたっぷりである。
だが、中にはいるのだ。
「久しぶりだな」
本気で相手せざるをえない、本物が。
怒号と応援と悲鳴と、ギャラリーも参加者たちもホスト側も盛り上がってきた喧嘩祭りに、二人の女が応援団の前に立った。
「――やべえ! あいつ旭だ!」
誰かが叫ぶと、無責任に野次を飛ばしていた周囲が違う意味でざわつく。
旭――旭和歌。
ここら一帯のチームを軒並み潰してきた正真正銘の武闘派レディースチーム『愚裏頭裏威』の二代目総長。あまりにも獰猛で攻撃的、もはや人食い熊の化身とさえ言われた初代総長のあとを継ぐだけあって、この旭和歌が弱いはずがない。
「大野、交代だ」
一部男子に密かにアイドル呼ばわりされている美貌の少年が、己より背が高い一年生の肩を背後から掴んだ。
「ちょ、待ってくださいよ守山先輩。俺イケますって」
連戦をこなし汗だくになっている大野だが、まだこれといったダメージは受けていない。むしろようやくエンジンが掛かってきた頃だ。動きが鈍くなるどころかより速く、より鋭くなってきている。
この祭り始まって以来の大物の出現に、大野は血が沸いた。
そろそろぬるいタイマンに飽きていた頃だ。
にも関わらず、この女にしか見えない先輩は代われと言う。納得できるはずがない。
「おまえが勝てねえって意味じゃねえ。元々俺の客なんだよ」
――去年の因縁である。
去年、守山祐介と旭和歌はここでやりあっている。丸々一分、ガチで殴り合って、ほとんど引き分けに近い結果となった。
お互い不本意な結果だった。時間制限が恨めしいほどに。
しかし、だからこその時間制限付きなのだ。時間制限があるから引き分けが――引き際がちゃんとある。祭りで怪我するのも一興だが、大怪我するとさすがの八十一高校でも処理できない。
どうしても決着をつけたければ、祭りの外……ここじゃない場所か、後日やるしかないのだが。
しかし立場上、喧嘩できない奴というのも存在する。
この旭のように、チームをまとめているような奴は、敗北がチームの存亡に関わったりする。
それだけならまだしも、周囲とのパワーバランスも崩れて……という面倒臭いしがらみがあったりなかったりする。
そういうのが原因で、結局去年以来この二人が会うことはなかった。
それら一切のしがらみをかなり軽減できるこの喧嘩祭りは、やはり格好の喧嘩場所というわけだ。何があろうと「祭りだから」でだいたい済ませられるし、済ませてきたのだから。強引にでも。
「今日は特攻服じゃねえのな」
ピンクの特攻服を着ている気合の入った女子は、そこかしこにいる。しかしこの総長はシャツにジーンズという、いたって普通の格好である。言われなければヤンキーにさえ見えないくらいだ。
「他に用事もあるからな」
旭の目は、最初から目の前の大野ではなく、守山を見ている。
守山の言う通り、指名相手が違うようだ。
大野は大きく息を吐き、舞台から降りた。
ふと、守山の目が旭の隣の少女を向き……動きが止まった。
「……誰かと思えば、おまえ新島弥子か!?」
「おう」
やっと気づいたのかよ、と旭のツレ・新島弥子が笑った。
「いや……引退したとは聞いてたけど、それ……予想以上に普通じゃねえか……」
守山ほか、応援団員や、新島弥子を知るギャラリーの情報通たちも驚いている。
新島弥子。
初代とともに『愚裏頭裏威』を育て上げた、かつての特攻隊長である。百五十ない小柄な背丈にも関わらず、異常なまでに強い。
初代総長と一緒にチームから引退した、という話は有名だが、まさかここまで変貌を遂げているとは誰も予想していなかった。
まあ変化と言っても、新島弥子の場合は染めていた金髪を黒く戻しただけなのだが。しかしそれだけで、ヤンキーからめちゃくちゃ真面目そうな小さい少女に変貌を遂げている。
「どうだ。普通の私もかわいいだろ」
大してない胸を張る。……ぶっちゃけ中学生にしか見えないが、中学生が高校生相手に背伸びしていると思えばかわいく見えないこともない。
「おい北見! なんかオゴれ!」
ちなみに去年、新島弥子は現副団長・北見幸夫と喧嘩している。
当然のように決着は着かず、応援団一の巨漢である北見と小兵である新島弥子の喧嘩は、なんだか不思議な光景だった。
体格差のせいで大人と子供の喧嘩以外の何者にも見えなかったが、それでちゃんと喧嘩が成立していたのだから。
「オゴるかバカ」
今日はまだ出番のない副団長・北見が出てきた。
見上げるような大男を、新島弥子は文字通り見上げる。
「先に言っとくけど、私はやんないから。こいつと遊びに来ただけ」
「ふん……勝手に引退しやがって」
北見は去年、本気で倒れかねない一撃を、この新島弥子から食らっている。倒れなかったのはただの意地と根性だ。
並の者なら顎骨を砕いただろう新島弥子必殺の膝蹴りを思い出し、北見の顔は険しくなる。あの時は己の大きな身体と頑丈な骨格に感謝したものだ。
そんな因縁の相手が、一人で勝手に、なんの決着もつけることなく退場した。
……だが、北見には不思議と恨む気持ちは湧かなかった。
話を聞いた時、「引退してよかった」と素直に思ったからだ。
ただの不良、ただのヤンキーが行き着く未来など、あまり明るくない。男だろうが女だろうがだ。この現代社会、いつまでも悪ガキやっているわけにはいかないのだ。
新島弥子の引退はヤンキー界隈では少々早かったかもしれないが、きっぱり足を洗ったのであれば、それはそれでいい。
「噂じゃ喫茶店でバイトしてるとか聞いたが」
「してるよ。高校にもまた通い出したし」
まあ積もる話はまた今度な、と新島はバリバリに尖りまくっていた現役時代とは程遠い、晴れやかな笑顔でバシバシと北見の腕を叩いた。
自分より三十センチ以上背の高い大柄の男を前にしても気合負けしない凶暴極まりなかった女が、この有様である。
今だったら、積もる話とやらを、少しは楽しくできるかもしれない。
「……俺ももう卒業だしな」
一つ年下で自分より早くこの世界から卒業してしまったライバルを見て、やや置いていかれた感はある。
いつまでも応援団だ喧嘩だと続けてられない。三年生である北見や尾道は特に。
「え? 今年こそ卒業できんの?」
「あ?」
「だって北見って二回留年ってんでしょ? そりゃそんな老け顔にもなるわなーあははは」
「おまえどこの喫茶店で働いてるって? 嫌がらせしに行くから教えろよ」
――まあ、姿形は変わっても、本質はなかなか変わらないものである。
「ちーす。先輩たちがんばってるー?」
旭和歌、新島弥子という有名人の登場により、これから行われるであろう本物同士の喧嘩を固唾を呑んで待つギャラリーの中から、ようやく、最後の学ランがやってきた。
やたら軽いノリでひょいと顔を出したのは、こんな日でも一人遅刻していた応援団一年生・姉川九である。
「姉川コラァ!」
奴の顔を見た瞬間、大野が再び表舞台にやってきた。
「てめえこんな日まで遅刻してんじゃねえぞ!? つか遅れすぎだろうが!」
すでに学園祭が始まって一時間以上が過ぎている。八時半くらいには集まれ、と言われていた時間から計算すると、二時間以上の遅刻である。
「わりーわりー。ウ○コしてたら止まんなくてさー」
「あ!? ……おまえ団長に本気でその言い訳する気か?」
「するけど? なんで?」
「……」
「……」
「……そんなあからさまな言い訳通んねーよ……」
大野は改めて思った。
こいつは確実にバカか大バカのどっちかだな、と。
姉川九。
八十一駅の向こう側にある四条ヶ丘中学校出身で、大野たちの世代では一番強いと言われた悪ガキだ。二水中学校で頂点を取った大野とも六回ほどやりあっているが、一度たりとも勝てたことはない。
ひどい遅刻癖、軽い口調、先輩相手でもふざけた態度と、およそ硬派な応援団には不向きと言わざるを得ない男だ。
まあ他はともかく、気合の足りない腑抜けではない、とは大野も認めてはいるが。
ちなみに姉川だけ、長ランではなく丈の短い短ランに下はボンタンという格好をしている。誤解されることも多いが、応援団は長ラン厳守というわけではない。代々伝わっている学生服を団員が各々選んで着ていて、この代は姉川だけが短ランを選んだというだけである。
一応、応援団が長ランを着るのには理由があるので、公式に活動する時は姉川も長ランだ。
『愚裏頭裏威』二代目総長と姉川九が顔を突き出したこの瞬間、この世代の悪ガキどもが機を見据えて動き出す。
「――待ってたぜ姉川ぁ……殺しに来たぜぇ……!」
七土岐中を支配していた男・柏原法康。
進学した三十三高校で二年までをシメた一年坊だ。三年生を潰しての三十三高の頂点には立てなかったが、それでも充分すぎるほどの猛者である。
たった一人で八人もの三年生を叩きのめして倒れたその武勇伝は、瞬く間に噂が広まった。ちなみにバカっぽく思われがちだが結構頭はいい。
「――今度チーム作るんでー。一応挨拶しときたいっつーかぁー」
網丘六女子高等学校の二年・赤平雪那。
喧嘩も強くかなりかわいい上にそこそこ人望もある、「網女のユッキー」の愛称で有名な一匹狼が、ここでようやく旗揚げを宣言した。
凶悪極まりない『愚裏頭裏威』初代総長が引退したと同時に、新しいチームを作ろうというこの手の輩も増えてきた。
仲間連中には「初代に比べて旭は甘い」と言われるが、旭は別に八十一町に他のチームができてもいいし発足の際の挨拶も必要ないと思っている。
が、ユッキーの目は確実に、旭に喧嘩を売っている。
「――ヒマなんだよ。遊んでくれよ」
ヘッドである室戸なき「war」で退屈しくすぶっている男・石狩拓哉。
まだ名の売れていない新参者だが、目ざとい情報通はすでにチェック済みだ。無類の強さを誇った室戸が、去り際にチームのことを頼んだ者の一人……あえて言うなら「war」の幹部クラスである。
「war」は唯一、初代総長率いる『愚裏頭裏威』と対等にやりあっていたチームである。よそのチームが軒並み潰されていく中、ここだけが生き残っていた。それだけ見ても弱いわけがない。
今ここに集う。
八十一町で頂点を目指すバカたちが。
これから行われるであろうこいつらの覇権争いに、事情を知る者も知らない者も、違う祭りの予感を感じていた。
――だがしかし。
「くぉらぁぁ! ガキどもぉぁぁ!」
ヤバ過ぎる面子が顔を付き合わせるヤバイ状況に、更に一人の男が乱入した。
足元はフラつき、手にはビールの缶を持ち、顔は赤く目は据わり、どうにも酒臭い。
「――うわっ、岩木のおっさんだ!」
ギャラリーの誰かが叫んだ時には、一番手近にいた柏原がすでに殴り飛ばされていた。彼は「ぐおおおお」と叫びながら地べたを転げまわる――それはそうだろう。彼は缶で殴られたのだから。相当痛かったに違いない。
「はよ喧嘩せぇーや! こっちゃそれ見に来とんじゃい!」
八十一町の名物おじさん・岩木のおっさん乱入。しかも酒入り。
そして、この時代で頂点を狙う若者たちは、たった一人の酔っ払ったおっさんに壊滅させられた。
いくら突然の乱入だったとしても、いともあっさりと……
だが不思議なことではない。
これが八十一町である。
男も女も関係ない。大人も子供も関係ない。
ただ強い奴が勝つ。
そして強い奴はその辺にゴロゴロしていて、その中には強いガキなんて片手でひねるとんでもない大人もゴロゴロしているというだけだ。
「あーあーめちゃくちゃだな……」
惨状を前に、尾道は呟く。
渦中にいた北見、守山、大野、姉川は「喧嘩っちゅーのはこうするんじゃい!」と恫喝されつつ真っ先に殴り飛ばされ、旭もボディに強烈な一撃を食らってギャラリーの向こうまで飛んでいったし、新島の現役時代の必殺技「悪魔の膝蹴り」はまともに顎に入ったのにおっさんにはまったく利いておらずそのまま投げっぱなしジャーマンのごとく遠くにブン投げられた。
初っ端に缶で殴られた柏原は改めて踏まれ、石狩は撃退しようと拳を突き出したところをクロスカウンターを食らい沈み、ユッキーはちゃっかり逃げた。
一分もない乱闘の末。
そこに残ったのは、喧嘩自慢たちを子供扱いした酔っ払いのおっさん一人だけ。
本当に、なんとも恐ろしいおっさんである。
「なあ鉄二、どうするよ?」
「……」
八十一高校応援団でもっとも寡黙な男・敦賀鉄二は、団長の問いに黙って首を横に振った。
打つ手なし、と。
そんな荒ぶるおっさん乱入も、喧嘩祭りにはただの小さなイベントの一つである。