185.十月二日 日曜日 学園祭 十六
話に区切りがついたので、ひとまず表に出た。
「万尋」
体育館横から正面に出ると、そこらで待っていた加西さんと、いつの間にか合流していたメガネさんこと桜井の二人が天塩川さんを迎える。
そう、まるでタイミングを見計らったかのように、天塩川さんの携帯に連絡が入ったんだよね。「そろそろいいか?」と。これ以上ないってタイミングで連絡が入ったんだよね。
「…………」
「……何?」
「…………」
「……何か?」
加西さんと桜井の顔をじっと見ると、彼女らはさりげに目を逸らした。――やっぱり様子を見てやがったな。これ以上ないってくらいのジャストタイミングで連絡しやがって。
話まで聞かれていたかどうかはわからないが……まあ、確かに大体の話は終わったので、これはこれでちょうどよかったのかもしれない。
僕も考えねばなるまい。
今後のこと、ゆっくり考えねばなるまい。
さて。
まず何をおいても着替えるべきだろう。
いくらそろそろ自分の普通のかわいらしさに慣れてきたからって、男にナンパされるなんてごめんだ。『跳ねる者』みたいなチャラ男に声掛けられるなんて一度で充分だ。
「――先輩、先輩」
天塩川さんと加西さんが何かしら話しているのを前に、夏休みの喫茶店以来の再会である桜井がいつの間にか僕の横にいて、こそこそと僕の袖を引っ張る。
「ちゃんと決着つきました?」
「まあ、一応」
天塩川さんとのことは今は置いておく。
こんなところでせわしく結論を出さず、じっくり考えたいから。
今度こそ偽情報に踊らされず、自分らしく攻めたいから。
「じゃあ、これからどうするんですか?」
「考えるよ」
「いえそうではなく、これから。今日の学園祭、これからどうするのか」
あ、今からのこと? これからの予定のことね。
「とりあえず着替えるよ」
いくらこんなちょっとかわいい状態にあろうとも、やはりこのミニスカの不安感が不安だ。山羊さんにめくられたせいで痛感したさ。
まったく。この防具の守備力には疑問を感じざるを得ないね。
本当に女子って大変だよね。
別にパンツ見られるくらい全然平気だが、だからって自分から見せたいわけではないからね。どっちかといえば、やっぱり見せたくはない。今日は女の子も大勢いるんだから。
だいたい、パンツ見せるくらい基本的には全然平気なわけだけど、そんななけなしの羞恥心でさえ、天塩川さんにモロに見られた時点で更に半分くらい目減りしている気がする。半分くらいはもう見られるのを諦めているのかもしれない。
「よかったらそのまま一緒に回りませんか?」
「え?」
なんだそれ。どういう意図だ。このまま限定?
「香先輩……ああ加西先輩ですけど、さっき話したんですよ。この人込みだし、八十一高校に詳しい人が一緒だったら助かるね、って。……ナンパも多いですし」
あ、なるほどな。男除け兼ナビ役やってくれと。
「その話自体は全然いいけど、それなら着替えた方がよくない?」
僕の今日の予定は劇の終了とともに終わっているし、これから終了までフリーだ。……このフリーの時間に天塩川さんを探す予定だったが、まああの通りなわけだし。
それに、桜井と回るということは、必然的に天塩川さんと一緒にいられるってことになるんじゃないかと! ならば断る理由などあるものか!
ただ、ナンパ除けとして同行してほしいと言うなら、やはり着替えるべきだと思うが。
「じゃあ万尋先輩に聞いてみましょうか」
「え?」
聞くって、何を?
ピンと来ていない僕を放置して、桜井は天塩川さんを呼んだ。――ちなみに向こうでも、僕を同行させたいという旨の会話がされていたらしい。
桜井はまず僕の返事を伝え、天塩川さんの返答を聞き、双方OKということを確認した上で訊いた。
「万尋先輩、一之瀬先輩のこの格好なんですけど。一緒に行動するならこの格好と八十一高校の制服、どっちがいいですか?」
「その格好でいいと思うけど」
え、何気に即答!?
…………
天塩川さんと例の「女の先輩」の関係も気になるが、もしや天塩川さんは女子の方が好…………いや。いやいや。気のせいだよ気のせい。
だいたいそんなの確かめられるか。
無遠慮に聞いて望まない答えが返ってきたらどうする。
真っ二つになったけどボンドでくっつけてなんとか応急処置した心が、今度は修復不可能な粒子レベルで粉砕されちゃうぞ!
女子高なんだよ! これが女子高クオリティなんだよ! 異論は認めない!
それからの時間は、まさに至福だった。
あの夢にまで見た九ヶ姫の高等部二名と中等部一名という三人の女子に、ちょっとかわいい僕が囲まれるという構図! 両手に花どころか囲まれてるからね!
もう楽しいの楽しくないの、筆舌に尽くしがたいものがある。
なにせ、何をしても楽しいのだ。
基本ギラついている八十一高生が出し物をやっていて、それがメインになっている学園祭だ。一人……いや、男同士で回ればさぞかし楽しくないだろう。もはや回る気力もなく、それこそ僕だってナンパに乗り出していたかもしれない。九ヶ姫の女子を中心に女子もたくさんいることだけが救いだし。
それがどうだ? どうだいおい!
今普通にかわいくなっている僕の周りに三人もいるんだぜ!?
しかも一人は僕の好きな人だぜ!?
もう楽しいなんて生温い。
これまでの十五年の人生、この時のためにあったのではないか? 本気でそんなことを考えてしまうくらい楽しかった。
――だが、心のどこかでは思っていたのだ。
この高校において、こんな幸福が許されるわけがない、って。
至福の時間は短かった。
出し物を回り、ナンパをあしらい、何かちょっと食べて、ナンパをあしらい、ナンパがしつこいのでパンツを見せて撃退し、いくら僕がちょっとかわいいからって「本当に男か?」と疑うバカもいたりして「改めてモテない男って嫌よね」と思ったり、さっき会った佐多岬さんが女子にナンパされて困っていたりと、密度の濃い時間だった。
あっという間に時間が過ぎた。
このままでいられるはずがない、という一抹の不安を抱えたまま、僕らはなんとなく校舎から校庭に出て。
夢の終焉を告げる兎が、僕の前に現れた。
「てめえ……見つけたぞコラァ……!!」
な、なん、だと……!?
僕らの前に躍り出てきた、今時珍しすぎるロングスカートの黒いセーラー服を見事に着こなしたそいつは――
「……『跳ねる者』……さん……?」
身形どころか顔や髪……それこそすべてが激変している彼は、しかし見覚えがあった。
黙っていればそこそこイケメンの、あの『跳ねる者』である。
さっき五条坂先輩に貢いだ生贄の、あの『跳ねる者』である。
「よくも俺を売ってくれやがったなルーキー……てめえのせいでこの有様だバカ野郎!」
色々聞きたいことはあるが、まず、このチャラ男がここまで本気で怒っていることに驚いた。……肉体的には現在進行形でえらいことになっているが、果たして精神的には何があったのか……聞くのが怖い。というか聞きたくない。だから聞かない。絶対聞かない。
「てめえのせいで――こんなに美人にされちまったじゃねえか!」
あ、こいつ、怒ってても残念だわ。
彼は、マンガでしか見たことのない、いわゆる「スケ番」という姿になっていた。振り乱す黒髪ロングと脛まで伸びたスカート、ちょっと濃いめの化粧に昭和の匂いが漂っている。
出来はかなり良く、本人の言う通り美人だとは思う。
今や化石のようなファッションなのに、相当似合うのだからなんだか面白い。まあ元々イケメンだからね。……僕の方が普通にかわいいけど。
彼は、出場者が少ないドキアニ――『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』に出場することを条件に、五条坂先輩の愛から開放されたそうだ。
「安いもんじゃない」
「おまえが言うんじゃねーよ! ……まあ、確かに安いもんだがな」
言って、彼は大きく一つ身震いした。何やら恐ろしい想いをしたのだろう。絶対聞きたくない。
「なんかおまえといるとろくなことがねーわ……昨日も負けるしよ……」
「じゃあさよなら」
「逃がすかゴラァ! てめえには責任を取ってもらう!」
「え? せ、責任って……ごめん。いくら美人でも男はちょっと……」
「男に愛の告白なんてしてねーよ! するんだったらせめてイケメンにするわ!」
なんだと失敬な! ……まあ僕もそうかな。するんだったらせめてイケメンか、しーちゃんや守山おねえさまにしたいよね。
「てめえにも出てもらう! ドキアニに!」
――うん、なんか、『跳ねる者』に捕まった瞬間からそうなるんじゃないかって思ってた。
そしてもう一つ。
「桜井、僕の目を見て」
「……」
「こっち見て」
「がんばってくださいね、一之瀬先輩」
「顔を背けて言われても。僕の目を見ろよ。おい」
桜井は頑なに目を合わせようとしない。……こいつ、たぶん、最初から僕をドキアニに出場させるために、女装姿のまま連れ回したに違いない。
だって『跳ねる者』が五条坂先輩に拉致された時、こいつは前原先輩と会っていたのだから。
しかしまあ、こんなもんだろう。
あんなしあわせな時間、この高校で過ごせるわけがない。
そんなのもう、最初から知ってたよ。
……この姿を、全校生徒はおろか、外から来たお客さんにも晒すってか。
はあ……マジか……
身内だけに見せるならまだしも、公表しちゃうのはさすがに嫌だわ……
ちょっとだけ普通にかわいくなっていることだけが、唯一の救いだった。
やっぱり出るからには、ほら、かわいい自分を見てほしいからね!
――こうして僕の学園祭は、アニキたちの美の共演で幕を下ろした。