183.十月二日 日曜日 学園祭 十四
「あー……あの、えっと」
とりあえず、何言っていいかわかんねえ。
再会からここまでに妙に掻き混ぜられたせいで何言っていいかわかんねえ。
パンツ見られたし。
天塩川さんはまだ顔赤いし。
僕もきっと耳まで赤いし。
……つか、今女装してるし。普通にかわいくなってるし。
山羊さん相手や……いや、天塩川さん以外なら、レディース総長の旭さんとだってまだ話せる気がする。やれやれ……ほんと難儀だわ。
とにかく何か言わねば! なんかないか!? 取っ掛かりはないのか!?
慌てて周囲を見た上で、ふと自分を見下ろす。あ、こんなところに取っ掛かりあったわ。
「あの、劇観に来てたんですね」
というか僕は、来ていることは知っていたのだが。前原先輩に頼んで、メガネさんこと桜井経由で体育館に誘うよう頼んでいたから。
僕は劇のあと、速攻で天塩川さんを探そうと思っていた。体育館内を含めた周辺を。白い制服を片っ端から探してやろうと思っていたのだ。
ちょっと予定外にかわいくされてしまったりして、予定がだいぶ狂ってしまったが……一応前原先輩と桜井経由で連絡が取れる状態なので、そこまで焦る必要もなかった。
むしろ偶然見つけてしまい、あの憎き、にっくき赤ジャージが呼びさえしなければ、さっと着替えてさっと接触していたのに。ほんとにもう……あのバカめ! あそこまで遠慮のない性格の悪さってなんなの!? 髪型のせいじゃないの!?
「……うん……あの……」
うわっ! 天塩川さんが上目遣いで僕を見やがった……な、なんつー破壊力…………好きだ! ああ僕は君が大好きだ!
「飛鳥ちゃんが出るって言ってたから……」
あれ?
「天城山さんと知り合い?」
「同じクラスだから。よく話すし」
そうなんだ。そういえば二人とも二年だしな。……そういや桜井は前原先輩の幼馴染なんだよな。あれ? そういえば桜井は?
「桜井はどうしたんですか? 一緒じゃないんですか?」
「千佳? 千佳なら、劇に出ている知り合いに挨拶してくるって言って別行動になったけど」
なるほど。前原先輩に会いに行ってるんだな。
「まさか一之瀬くんまで関わってるなんて……驚いちゃった」
ようやく天塩川さんが顔を上げて笑ってくれた。まだちょっと顔は赤いが……すいませんねパンツ見せちゃって。もっとかっこいいの穿いとけばよかったですね。……そういう問題じゃないか。
よし、これでようやく普通に話せ――
「ねえねえ君たち! 暇!?」
え、誰だこの野郎! なんだよナンパ!? 僕が普通にかわいいからナンパ!? まったく、かわいいって大変だね!
……っておい。
僕と天塩川さんの間に、無遠慮かつ無作法に割り込んできてイラッとさせた軽薄が服を着ているようなこの男は、知っている顔だった。こいつほんとにナンパして回ってるのかよ……
「君どこの高校? その制服見たことないんだけど」
…………
「俺この辺地元だからさー。よかったら案内しようかー?」
…………
「え? 八十一の生徒じゃないのかって? 残念、違うんだなー。俺は三十三高に通ってんだけどさー」
「何やってんだウサギ」
「へ?」
へらへらぺらぺら手馴れたナンパしやがって。……つか君の場合ちょっと落ち着いた方が絶対モテるぞ。見た目は結構落ち着いてて真面目に見えるんだから。しゃべると残念の典型的なタイプなんだから。
「僕だよ『跳ねる者』」
「え……誰?」
『跳ねる者』はじっと僕を見る。……めんどくさいなぁもう! ちょっと普通にかわいいからってそこまでわからないもんかね! そんなに普段の僕は印象薄いですかね!
「……あれ!? おまえルーキー!?」
「そうだよ」
……っていうか、僕の名前というか二つ名というか、あだ名的なものは「ルーキー」で固定されつつあるみたいだ。いや別にいいけど。
「え、なんで女装とかして……あ、ドキアニか! おまえアレだろ!? 『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』に出るつもりなんだろ!?」
出ねーよ。つか空気を読んでくださいよ『跳ねる者』さん……
「で?」
「何?」
「こっちのお嬢さんを紹介してくれないの? ――やあコンニチワ。固焼きそばみたいなヘアスタイルが素敵ですね」
「は、はあ」
この野郎……!
奴が天塩川さんに笑いかけた瞬間、僕のイラつきは怒りと変じ、一瞬で許容範囲のメーターを振り切った。こいつ空気読めないだけならまだしも、天塩川さんに……天塩川さんに……言うに事欠いてサザ江さんみたいな焼きそば風ヘアスタイルだと? 絶対許さねえ!
「五条坂せんぱーい!! ここにイイ男がいますよーーー!!」
叫んだ後、三秒である。
わずか三秒である。
「え、ちょ、なっ……えっ? えっ!?」
音もなく気配もなく、まるで凄腕の暗殺者のように標的の背後に忍び寄ったむくつけき大男は、『跳ねる者』を連れ去り体育倉庫へと消えた。
すべてを含めて十秒ほどで、一人の男がこの世から姿を消した。
……どうやら僕は、怒りに任せて大変なことをしてしまったようだ。
いくらタイミング的にこれ以上ないほどウザイからって、いくら僕と天塩川さんの仲を邪魔しようとしたからって、いくら天塩川さんに色目を使ったからって、いくら美味しそうな焼きそば風の髪型と彼女を侮辱されたからって、あの五条坂先輩を、伝説のあの男を召喚することはなかったんだ。
いくら不快が色々重なったからと言って、五条坂先輩に生贄として捧げるほど悪い奴ではなかったのに。
これから彼がどんな目に遭うのか……想像しただけで寒気と震えが来そうだ。
でも、まあ、こうなってしまうと、もうどうしようもないよな。
今後二度とこんな危険なことはしないようにしよう。
うん、後悔先に立たず!
友晴、反・省っ☆
「なんか落ち着きませんね」
「そ、そうだね……」
驚いた顔でうなずく天塩川さんは、お邪魔虫を連れ去った大男を気にしているようで、チラチラと体育館の方を気にしていた。大丈夫、あの人は女性に害はありませんから。……男には保証できませんが。
「少し場所を移しましょうか。……話したいこともありますし」
「……うん」
というわけで、僕らは少し歩いた。
移動といっても、体育館の横手に来たくらいである。今はどこへ行っても人がいるだろうから、この辺で充分だ。
ここらは……うん、ちょっとヤンキー二、三人がうちの教師にシメられて倒れているくらいで、何も問題はなさそうだな。人気も少ないし、ゆっくり話せそうだ。
「おう、なんだ。こっちには何もないぞ」
こんな日でもいつものジャージにホイッスル。僕らの担当の体育教師、最近ちょっと腹が出てきたことを気にしている三十八歳二児の父・岡谷先生がお勤め中だった。ご苦労様です!
「先生こそどうしたんですか?」
「ああ、こいつら未成年なのにタバコ吸ってたから教育的指導をな。君どこの生徒だ? 見たことない制服……ん? どっかで会ったか?」
体育受け持ちなだけに、さすがに僕の顔は知っているのだろう。でも今はちょっとかわいくなっているので、やはりバレないようだ。僕はそろそろ逆に誰かに気づかれたくなってきましたよ。
「ちょっと人に酔ったんで休みに来たんです。少し休んだらすぐ行きますから」
こんなこともあろうかと用意しておいた言い訳をさらっと口に出すと、岡谷先生は「おう、そうか」と納得した。
「あんまり人気のないところに行くんじゃないぞ。悪ガキも多いからな」
先生は先生らしく忠告すると、落ちていた吸殻を自前の携帯灰皿に処分すると、倒れているヤンキー三人を担いだり引きずったりして連行していった。お疲れさまでーす!
「なんか、すごいね」
うん、すごいよね。……八十一の教師、やっぱ普通じゃないわ。
「あれ、僕らの体育担当の教師なんですよ」
「へえー」
ちなみに、意外なことに体育の授業自体は全然普通で、スパルタなわけではない。先生の腕っ節がバレたあとなんとなく誰かが問うと、先生いわく「昔、やりすぎて生徒にボイコットされちまってなぁ……校庭五十週くらい軽いだろうによ」と恐るべき授業内容を漏らしたものだ。僕は今を生きてて良かったと思う。
まあ、先生のことはさておきだ。
ここまで来た以上、ちゃんと話をしないと。
僕も、ちゃんと覚悟しないと。
まず、だ。
「しばらく会えなくてすみませんでした。……その、あんなこと言ったあとに」
言うと、また天塩川さんの顔が赤くなった。
「いえ、その…………うん」
言葉を探したけど、いい返事が思い浮かばなかったようだ。
「迷惑でしたか?」
「いやいやそんなことは! ……いやあ……私にもついにモテ期が来ちゃったのかなぁと。なんかニヤニヤしちゃって」
あ、そう!? 一応喜んでたんだ! ……でもなんか、僕の想像と違う喜び方してる気が……いや、不快じゃなければそれでいいさ! ああそれでいいとも!
「友達には『最近ちょっといい加減しつこいレベルでキモいよ』とは言われたけど。えへへ」
……どんだけニヤニヤしてたのか若干気になるが、あえて触れずに話を進めるぞ。だってニヤニヤしてる天塩川さんもかわいいからね! もう僕を誘惑してるとしか思えないね!
「今日、石川さんに会いました」
そしていきなり足に来るようなビンタされました……とは、言わないでおこうと思う。
「ちょっと、あんまり話せる状態になかったんですけど……もしかしたら天塩川さんが僕のこと気にしてるのかな、と思いまして。だから会えてよかった」
「……うん」
ニヤニヤしていた天塩川さんの顔が、引き締まった。
「ちゃんと返事しないと、失礼だと思って」
やっぱりか……
僕は夏祭りで、天塩川さんが男と手を繋いで歩いているのを見ている。
だから、返事は告白する前に貰っていた……と思っていた。
でもそれは、天塩川さんは知らないことだ。僕が僕の中だけで結論付けていただけに過ぎない。
無責任なことをしてしまった。
自己完結で一ヶ月も放置してしまった。
石川さんに殴られなければ、こうして対峙することもなかっただろう。
殴られたあの時は納得が行かなかったが、今は違う。
殴られてよかったんだ。
殴られるだけのことを、僕はしていたのだから。
「こんな格好ですみませんね。真面目な話してる男の格好じゃないですよね」
「うーん……まあ、一之瀬くんらしい気はするかな」
そうですか……え? 今のどういう意味? 普段から女装しそうな感じしてたってこと?
「私なんかを好きになるんだから。変わってると思うよ」
いやいやいやいやいや。
「あなたはかわいいです。本当にかわいいです。大好きです」
「え、あ、……はい」
天塩川さんは照れた。手の中にあるプルタブを起こしていないジュースをこねくり回す。
「……でも、私って地味でしょ? 顔も地味だし、天パだし、胸も小さいし。おしゃれなんてよくわからないし。友達に『天然ボケすぎて時々イライラする』って言われたこともあるし。自慢できることなんて走ることくらいだし。でもそれだって私より速い人はたくさんいるし」
天塩川さんは欠点のように言うが、僕にとってはそれら一つ一つが輝くような長所に思えるけど。……なんとなくわかってたけど胸小さいのか……いやそっちでも僕は好きですけどね。
「だから、正直、誰かと付き合うとか考えたこともなくて……そんな私だから、モテ期が来たと思ったらニヤニヤしちゃって……」
ニヤニヤの話はもういいです。
「だから」
天塩川さんは顔を上げた。
いつになく誠実で、まっすぐに、僕を見た。
そしてゆっくりと下げた。
「……だから、ごめんなさい」