182.十月二日 日曜日 学園祭 十三
「あの焼きそばみたいな頭の子になんかあんの?」
「誰がソース焼きそば風の頭だ!」
「いやソースは言ってない」
僕の視線を追った山羊さんは、正確に僕が誰に目を奪われていたのかを見抜いた。
これだけ人が多い中でよく特定できたものだ。今や恐るべきスキルに思えてならない女の勘のなせる業か、それとも単に観察眼に優れているのか。
「用があるなら声掛けたら?」
「いや、この格好じゃ、ちょっと……」
ダメだろう。女装中ではダメだろう。
僕は今、襟の青いセーラー服なんだぞ。しかも生足でミニスカで足ツルッツルなんだぞ。民が死滅している不毛の大地なんだぞ。
……告白の返事を聞こうって男の格好じゃないだろう。さすがにこれは。
「そこのモジャモジャ頭!」
「なっ!?」
なっ……なん、だ、と……!?
大声を張り上げた赤ジャージは、驚き戸惑う僕を、心底根性捻じ曲がった顔でニヤリと見た。
――この野郎! どの段階で確信したかはわからないが、その顔はもう、確実に僕が天塩川さんに気があることを見抜いてやがるな!? ……そんなわかりやすいですかね僕の顔は! それとも女って生き物は本気でその辺の勘働きが鋭いってことですかね!?
「意地悪すんなよー」
「フン」
山羊さんのツッコミは生温い。こういうのはもう「根性がウ○コそのもの」って言うんだよ! 言ってやれ!
ギリギリと赤ジャージを睨んでいると、……来た。
来てしまった。彼女が。
「あの、私に何か?」
モジャモジャ頭こと、天塩川万尋さんが。
八月末の夏祭り、あの肝試し以来の再会である。
始めて見る天塩川さんの白い制服姿は、もう、なんか、……素晴らしいとしか言いようがない。眩しくて直視できないくらいに。会いたくて震えたりする夜もそれなりにあったけど、今は感動で震えている。
あの時と髪型も変わらない、天パのショートカットだ。跳ねている髪はきっと丁寧にセットしてあり、派手さの感じられない地味な雰囲気が僕にとっては親しみやすい。……断じてソース焼きそばを頭に乗せているような髪ではない! モジャモジャなんて呼ぶな! 失礼な! マッシュルームめ! おまえなんかシルエットがすでに下ネタ寸前なくせに!
告白したあの日以来、会いたいという気持ちにずっと蓋をしてきた。
理屈では付き合えないとわかっていても、感情までは納得してくれない。
あれから一ヶ月以上が経っているのに、姿を見ただけで、僕の恋心は再びくすぶり始めていた。
……やっぱりちゃんとフラれないと、ダメなのかもしれない。
忘れたフリをずっとしてきたけど、会ったら会ったでこうしてまた気持ちが再燃するのだ。きちんと決着をつけないとダメなのかもしれない。
「こいつが、」
山羊さんがポンと僕の肩を叩いた。
「結婚してくれって」
「おい!!」
あんたいきなり何言ってんの!? 赤ジャージよりキッツいこと言ってない!? つか言ったよね今!?
確かに僕も柳君の妹にプロポーズはするけどさ、それはもうアレだ、断られることが前提になってるわけじゃん! 冗談だってわかりきってることじゃん! ……いやひそかにOK来ないかなとか、ほのかな期待はしてるけどさ!
でも本気具合が違うのだ。
僕の場合、天塩川さんとは本気で結婚したいと思っている。十割本気で思えるのだ。そしてそのための努力も惜しまない気持ちもある。「あわよくば」なんて淡い期待をして藍ちゃんに言うのとは別次元すぎるのだ。
「え……」
天塩川さんは目を丸くし、僕を見た。
「…………」
……み、見ないでくれ。今の僕を見ないでくれ……! ちょっとかわいい僕を見ないで……!
実際はほんのわずかだっただろう、しかし僕には長すぎる、周囲の音さえ聞き取れなくなるほど長く感じられた濃密な沈黙の末、果たして彼女は口を開く。
「あの…………日本では同性結婚は、その、できないので……外国で式という形になるんでしょうか……?」
「そこじゃねえ!」「OKなの!?」「問題そこ!?」
僕、山羊さん、赤ジャージのツッコミが不協和音で重なった。……すげえな天塩川さん、相変わらずの大したボケ体質じゃねえか……思わずツッコミ出ちゃったぜ……
……いやちょっと待て!
「結婚はOKなの!? ねえ結婚はOKなの!?」
天塩川さんは僕のことちょっとかわいい女子だと思ってるみたいだけど今の返答は外国で式という形でもいいと僕が言えば結婚OKという返事ってことでいいんじゃないかないいんじゃないかないいんだよねそうだよね!?
「お、お互いの気持ちが、確かなら、……そ、それもいいかなぁと……」
僕のかなりの食いつきっぷり、本気っぷりに若干引いているが、天塩川さんはOKを……あれ?
「……ちなみに天塩川さんは、僕と結婚OK?」
「まだ早いです。お互い知り合ってからでも遅くないかと思うんですが……」
…………
まあ、だよね。
ただ、女子だと思っている僕との結婚の可能性が0じゃないっぽいところがなんかすごくアンモラルな気もしないでもないが、まあとにかく、だよね。さすがにできるわけないよね。
「あんた面白いな」
「はあ、恐縮です」
いや、山羊さん……もう掻き回さないで……
「万尋。ジュース買ってきたよ」
天塩川・ザ・ワールドがこの場に広がり始めたその時、背の高い女子が僕らの輪に入ってきた。
この人は……あ、知ってるわ。
この人は天塩川さんと同じく九ヶ姫女学園陸上部の部員で、確か加西さんだ。この長身と俊足ぶりはよく憶えている。
恐らく天塩川さんは、今日は加西さんと一緒に回っているのだろう。で、ジュース買いに行っていて今戻ってきたところだ、と。そんな感じか。
「はいこれ。何? ナンパされてるの?」
ナンパって言葉がナチュラルに出るのもすごいな。密かに女装中の男がいるとはいえ、傍目には女子に囲まれている体なのに。
「ありがとう。……うん、ナンパというか、プロポーズを少し」
「あ?」
いや、そりゃわかんないだろうね。「あ?」とか言いたくもなるだろうね。
「というか……あなた、一之瀬くん……?」
お、すごい。今ちょっと普通にかわいくなってしまっている僕を、加西さんは見抜いたか。
「はい、一之瀬です。お久しぶりです」
「う、うん…………あ、そうか。その制服、さっきの劇で」
どうやらこの二人、伝説が暴れた劇『Jドリーム』を観てしまったらしい。
「先に言っておきますけど、女装が趣味なわけじゃないですよ」
「……まあ」
加西さんは、チラと天塩川さんを見た。
「そうじゃないと困るというか、そうあってほしいというか」
……なるほど、この人も、僕が天塩川さんに告白したことを知っているみたいだな。あんまり特殊すぎる趣味の男が友達に付きまとうとか告白するとか、そんなの確かに困るもんな。
「ほら、万尋。一之瀬くんだよ」
「え? いちの……え?」
天塩川さんは不思議そうに加西さんを見、僕を見、そんなことを交互に繰り返す。そんなにわかんないかよ天塩川さん……確かにちょっとかわいくなってるけどさ。今。セーラー服とか着てるけどさ。
「……何言ってるの? 一之瀬くんはこんなにかわいくないよ」
い……いやまあそうですけど……笑うな赤ジャージ!
「ほれ見ろ。男でしょ」
山羊さんはバッと僕のスカートをまくりあげた。それはもう堂々とスカートめくりをしやがりましたよ。最近の女子高生って怖いね! やることが大胆だよね! ……でもその大胆さ嫌いじゃないよ!
「きゃっ」
僕は悲鳴を上げて両手で顔を覆った。
反射的な何かではなく、余裕の行動だった。
だって下はトランクスだからね! ブリーフじゃないから恥ずかしくないもん!
…………
……いや……待て……
僕は、判断を、間違えたのでは?
天塩川さんの姿を見た瞬間から、割とテンションは高い。
故に、自分でも気づかなかったが、冷静さが飛んでいるのではないか?
僕は指の隙間から、反応が伺えない天塩川さんの様子を見た。
――やっぱり間違ってました!
「やめてください! 失敬な!」
「いや遅いし」
スカートをめくっている山羊さんの手を払う。彼女は「しょうもない」という顔をしていた。赤ジャージは、普段着ている血染めのジャージばりに顔を真っ赤にして、口元を押さえて必死で笑いを堪えていた。
そして。
お嬢様学校として知られている九ヶ姫女学園の二人は。
……いや、天塩川さんだけは、顔を真っ赤にして、両手で包み込むようにして持っているジュースに目を落としていた。
そんな天塩川さんを見て、僕も顔が熱くなった。
――パンツ見られた……好きな女の子にパンツ見られたよ……! しかも判断ミスで数秒間、丸のまま晒しちゃったよ……!
男子校の弊害か、羞恥心の欠落か、こっちはパンツ出すくらい日常茶飯事すぎて、その程度のことなどどうでもよくなっている。だってパンツどころか中身もポロリしているケースも多いのである。見たくないものを見せられるケースも多いのである。そんな環境にいたら、今更僕だってパンツ出すくらい平気にもなる。
だが、平気じゃない人が、今日はたくさん来ているではないか。
たとえば、ちらほら見える、白い制服の女子とかは。
ほとんど見慣れていない人たちとかは。
彼女らにとっては、目の毒以外の何者でもなかった……んだと思う……
「……」
いや、周囲の目も当然あるのだが、たくさんあるのだが、今日ばかりは女子も含めて外部の人間も多いのだが、それよりなにより、この人にだけは、天塩川さんにだけは見られたくなかった。その辺にいたヤンキーどもが、ちょっとかわいい僕がスカート捲られたことで「うおお!?」と野獣の声を上げた後に「男かよバカ野郎!」と毒づいたのも全然気にならない。それは一重に僕が今普通にかわいいから、僕のかわいらしさが魔性の魅力を発揮しただけにすぎないのだから。
僕も羞恥に顔をうつむかせる耳元で、この野郎赤ジャージがぼそっと呟いた。
「パンツの柄だっさい」と。
「そういう問題じゃねえんだよ! …………いやそういう問題か!? ああもうわからん!」
僕は頭を抱えた。
反射的にツッコミは入れたものの、仮に僕の穿いているトランクスがもっとかっこいい奴だったら、ここまで天塩川さんを辱めることはなかった、の、か……?
「じゃあそろそろ行くわ」
「待て」
明らかに、気まずさと自分がやらかしたことを察して逃げようとする山羊さんの肩を掴む。
「君のせいで今めちゃくちゃだから。どうにかしてからいけ」
「えー? 自分のせいじゃん」
「今僕が君を抱きしめて大声で告白したら、君に百合疑惑がかかって近隣高校の噂になるかもしれないね。高校在校中に彼女じゃなくて彼氏できるといいね」
「……いい脅し文句持ってんじゃん」
必死なだけだ。ただそれだけだ。
「でも部外者がいても邪魔なだけじゃない? おたくらの関係もよくわかんないしさ。ルーキーがどうしたいかもわかんないし」
む…………まあ、確かに、そうかもしれない。
「ねえあんた」
「はい? 私?」
山羊さんは、思いっきり恥ずかしがっている天塩川さんの横で、平然としている加西さんに声を掛けた。
「ちょっと私たちと付き合ってよ。なんかよくわかんないけど、こいつとその子だけで話させた方がよさそうな気がするし」
……女の勘ってほんと怖いな。この数分の間だけで、もしかしたら山羊さんは僕らの関係さえもはっきりと見抜いているのではなかろうか。
「……」
加西さんは山羊さんと僕を見て、しばし考え込むと、まだ俯いている天塩川さんに「どうする、万尋?」と声を掛けた。
そして僕と天塩川さんは二人、向き合うことになった。