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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
九月
181/202

180.十月二日 日曜日  学園祭 十一





 不思議なもので、いざそうなってみると、素直に「DA・YO・NE」と思ってしまった。


「痛くしないから。おとなしくしてたら痛くしないから」


 僕は非常に冷静だった。

 だって、心のどこかでは、「平和なまま終わるとは思えない」という決して捨てきれない不安は拭えず、トラブルの予想はできていたからだ。


「それはわかったので、ハァハァ息を荒げながら言うのだけはやめてもらえますかね」


 ちなみに()の息が荒いのは、舞台でがんばった直後だからである。向こう側とこっち側を全速力で行ったり来たりしていたからだ。

 だから、決してシチュエーション的に興奮しているわけではないのである。


 ……絶対そうだよ! それ以外の答えは信じないからな! さすがに!





 天城山飛鳥扮する「女ったらしのJ」が、いよいよクライマックスに向けて自分の女性遍歴とかなんか色々なアレと葛藤を始めたその時だった。

 舞台で輝く彼女を見守っていた僕は、背後から突如襲いかかってきた彼奴らに、もう有無を言わさず埃っぽい体育倉庫へと連れ込まれた。


 本当に一瞬の出来事だった。

 声を出す間も、抵抗する間もなかった。


 僕は感情で驚くと同時に、「ああなんかデジャブだわ」と心ではいたって冷静なままだった。

 いつかの昼休み(・・・・・・・)に経験した二度目の拉致誘拐に、今度は戸惑いもなく、ただただ身を委ねていた。


 背後から僕を抱きしめるようにして拘束し、そのまま力技で暗がりの部屋へと連れ込んだその人物は、細腕にしては予想外にパワフルである。

 まあ、二度目だし、そんなに驚きもないけどね。


 僕は強引に椅子へと座らされる。


 そして、二人の()が、僕の目の前に立った。

 手に化粧道具を持って。


「痛くしないから。おとなしくしてたら痛くしないから」


 ……ええ、そうですね。今暴れると目とか突かれそうですからね。


 真剣な面持ち、真剣な瞳、微塵も冗談を感じられない美少女然とした()――前原先輩とマコちゃんの顔を見た瞬間、僕がこれから何をされるのかを悟った。ああ、悟ったさ。ここまで来て何をされるかわからないなんてほど、僕は鈍くないさ。……背後の人物の息が荒いのは悟れないけど。

 そして、抵抗しても無駄ってことも、知ってるさ。


 この状況、まだ舞台の最中でのこの暴挙である。

 きっと僕以外の全員が、グルだ。


 下手に動けば、前原先輩が持っている、あの、なんだっけ? まつ毛をアレする棒みたいな奴が僕の目をえぐりそうだ。仮にそれを回避できても……Oh!


「かわいくしてあげるからね――あ、目は閉じててね」


 いや先に言えよ! やる前に! 棒じゃなくて粉で目をやられるところだったわ!

 凶器にしか見えない突起物に注意を奪われている横から、いきなりマコちゃんは、僕の顔にファンデーション的なものを塗り始めた。これはわかる、パフってやつだな。確か。……くそ、さすがに手馴れてやがる……あと背後の人物をどうにかしてくれ……


「あの」

「しゃべっちゃダメ」


 うるさいしゃべるわ。マコちゃんこの野郎。無抵抗だからって、悟っているからって、すべて納得した上で大人しくしていると思うなよ。


「僕の出番はあるんですかね」


 そう、僕はきっと、女装させられて舞台に立たされるのだ。


 ……やっぱりどう考えても「DA・YO・NE」という言葉しか、僕の心からは浮かんでこなかった。

 何事もなく終わるわけがないって思ってたよ。

 何度も「僕は出番がない」って自分に言い聞かせるように思い続けていたけれど、その思いを一番信じられなかったから何度も思ったんだよ。なんの不安もなく出番がないと思っているなら、わざわざ否定的なことを考える必要もないんだから。


 そこまでは理解できた。

 だが問題は、僕の出番である。


 僕は劇の練習には立ち会っていたが、稽古には一度たりとも参加していない。セリフどころか役さえ貰っていない。

 ただ、唯一考えられるのは――劇の最後。


 この演劇『J・ドリーム』の最後のシーンは、台本には書かれていなかった。

 それは、最終的には主役である天城山さんが演者の誰かを選ぶ、というシナリオで完結するからだ。


 つまり、僕の出番は、まさか、


「違うわよ」

「ですよね」


 僕が何を考えたのかわかったのだろう。最悪を想像して顔が引きつったのを見て、前原先輩はすかさず指摘した。ちなみにマコちゃんの作業と入れ違いで、今は前原先輩が僕のまつ毛をいじっている。……顔が近い。今の先輩はいつも以上の美少女にしか見えないだけに、ちょっとドキドキする……こいつは男だこいつは男だこいつは男だ……


 ――とにかく意識しないようにして、現状をもう少し考えてみよう。


 さすがに無茶なことだらけの劇だが、稽古さえしていない完全素人の僕を劇に出す、って方向での最悪の無茶はしないようだ。

 そう、むしろ「そうだったら本気でまずい」と思ったから顔が引きつったのだ。


 そんな、今まで舞台に立っていない奴をオチに持ってくるとか、絶対ありえないだろう。ミステリ小説で言えば最後の最後まで犯人役を出さないという禁忌の後出しに等しいことだ。そんなことをしたらこれまでの流れが台無しである。……仮にもう、結構台無しっぽくなっていたとしてもだ。終わり良ければ……まあ、半分くらいは良いだろう。背後の人物の息が気になるのは全然良くないが。


「最後に全員で挨拶するために舞台に立つから。その時は一之瀬くんも出てもらおうってことで、満場一致で話が決まったのよ」


 前原先輩がなんか鉛筆っぽいのでまぶたにスッスッと描くと、また入れ違って、またしてもマコちゃんが僕の頭にカツラをかぶせた。……ヅラなんて初めてだよ。

 まあ、話はわかった。

 それくらいの出番なら、まあいいだろう。

 むしろ軽傷と言えるだろう。

 この面子に混じっている上での事件であれば。





 ONE二人掛かりのメイクにより、掛けられた時間はわずか数分。


「こ、これは……」


 最後に地毛とカツラを馴染ませるように櫛で梳かし、前原先輩とマコちゃんは僕の変身姿を見つめる。怖いほど真剣な顔で。

 ……なんだろう。ハッ、まさか……!?


「絶世の美少女に変身したとか!?」


 この二人のこの真剣な顔、よもや僕の変貌ぶりに想定外の驚きを隠しきれていないのでは!?

 だとすると、もしかしたら僕は今、前原先輩や東山先輩、あろうことかあの三大美姫・天城山飛鳥さえも越える美少女になっているんじゃなかろうか!?


「いや……なんというか……マコちゃん、どう?」

「……驚くほど、普通?」


 …………


 ――鏡を見せられ、本当に納得した。


 うん、前原先輩もマコちゃんも、その判断で正しい。


 本当に普通なのだ。

 完成度は決して低くない。メイク的には文句はないと思う。

 だから、普通にどこかにいそうな女子に見える。「女装してます」と言われても信じられるし、「正真正銘女です」と言ってもある程度の人は信じるだろう。

 というか、「もう男とか女とかその辺のことはどうでもいいよ」って感じの、本当に何一つ興味を惹かれない普通としか言いようのない、褒めるところもけなすところもないような面白みのない女子の顔が、そこにあった。


 ……わかってたよ……

 すべてにおいて普通である僕が、化粧一つで美少女になれるだなんて甘い話があるはずがないってさ……

 元々何の特徴もない影の薄い僕だが、むしろメイクしたせいで更に影が薄くなった気がする。こんなことってあるんだな……


「素材は悪くはないはずなんだけど……なんだろう、このパッとしない感じ……」

「やっぱり負のオーラじゃないですか?」

「そうねぇ……なんか一之瀬くん、普段から非モテオーラすごいしねぇ……」


 ……散々だよ! 勝手に女にしておいて、今すごい勝手なこと言われてるよ! 目の前で顔しげしげ見られながらしみじみ言われてるよ! 散々だよ! 何このいじめ!?


「……」


 ふと、今まで僕を背後から抱きしめていた東山先輩が離れ、色気たっぷりの未亡人姿で僕の顔を覗き込んだ。……いいですね美人で! 全然女装とか興味ないけどせっかくメイクされるんだったら僕だって綺麗でかわいくなりたかったですよ! せっかくだから!


 いや……まあ、素か。素材の違いか。


「――」


 東山先輩は小声で何かを口走り、前原先輩からメイク道具を渡された。……あれ? 僕の顔いじるつもりですか? ……もう好きにすれば!?


「お」

「おお……あ、そっちか」

「ほうほう。おーおー」

「あぁなるほど……えっ!? そんな……!」

「大胆ねヤッシー。でもやっぱりもう少し華が欲しいわよね」

「ウィッグ代えます?」

「そうね。もう少し明るい感じにすれば」


 なんかONEたちが盛り上がっているが、僕はもう好き勝手されるばかりである。もういいよ。どうせ僕なんてメイクの力を借りても普通だよ。ちぇっ。


「「おおー!!」」


 どうやら終わったらしい。はいはいお疲れお疲れ。


「そろそろ劇も終わりでしょう? 行き……ま…………えっ!?」


 僕は、いつの間にか目の前に差し出されていた鏡を奪い、自分の顔を信じられない思いで見つめる。


 ――普通にかわいい! 普通にかわいいじゃないか!


 いや、美少女とは言いがたい。ぶっちゃけここにいるONE三人と比べるなら、確実に下だ。

 でも、普通にかわいい。……と思う。


 いつもより明るい顔色、ピンク色のリップ、先ほどのパッとしない普通の女子が、ちょっとがんばってる女子くらいにはランクアップしていた。やはりさっきと一番違うのはカツラだ。非常に明るいライトブラウンのセミロングで、それをナチュラルな感じでふんわりセットしている。

 傍目には、派手な感じだろう。見た目だけなら今時のギャルと言えるのではなかろうか。


「やったね一之瀬くん! かわいいわよ!」


 食い入るように鏡を見ていた僕は、マコちゃんの声にハッと我に返る。

 マコちゃんを見て、脳裏にこんな思考が走る。


 ……なんとなく、その笑顔に「私の方がかわいいけどね」と書いてあるような気がした。

 そう、勝者の笑顔的な余裕と優越感が溢れているように見えてしまった。


 もしやこれは、僕の中に対抗意識というものが生まれていたからかもしれない。鏡を見た瞬間に生まれた何かなのかもしれない。


 なんだろう?

 メイク効果だろうか?

 僕は今、認めたくないが、女として負けたくないと思い初めている……ような気がする……


「うーん……さすがヤッシーね。私は素材を活かそうと思ったんだけど、どうイジッても地味にしかならなかったものね。逆に盛るとはね」


 まあ、僕の複雑な気持ちの芽生えは、今は蓋をしておこう。

 とりあえず、今の僕の顔なら、人前に出てもある意味では恥ずかしくない。男的な意味ではやはり恥ずかしいが、目の前に三人も女装している男がいて、その中に混じっている状況だ。一人放り出されていない分、はるかに気は楽である。


 何より、伝説の男が仲間にいるのである。

 あの人と一緒に舞台に上がるのであれば、それはもう気が楽で楽で仕方ない。本気のONE連中は軒並み目を引く人たちだ、誰も僕なんて見ないだろうし。


 まあ? 言っちゃえば? 第二演劇部の皆さんよりは? かわいくなっちゃったし?

 ここまで作ってくれたのであれば? 恥ずかしがる理由もないし?


 ……ま、本心を言うなら、今更これくらいで動じないってだけだ。そんなもんだ。


「ヤッシー、ついでに衣装も見たててあげてよ」

「……」


 東山先輩は前原先輩にメイク道具を返しつつうなずくと、ONEの会が衣装箱代わりに運び込んでいたキャリーバッグを開いた。

 衣装か……もう全部任せよう。


 それにしても、ともう一度鏡を見る。


 ――やっぱり普通にかわいい。……と思う。

 この僕がメイクのおかげで普通を超える何かを手にすることができるとは……やっぱり自分を磨くって大事なことなのかもしれない。





 その後、僕には襟が水色の白いセーラー服を見繕われた。

 なぜこの衣装が用意されていたのだろう。舞台の展開上、この衣装がたとえ予備として用意されていたとしても、使えるわけが――と考えたところで、至極当然の答えにたどり着く。


 あ、これ、最初から僕用に用意されてた衣装なんだね、と。

 ほらサイズもピッタリだし。


 それにしても、僕は人生で初めてスカートを穿いたわけだが……スカートが短いって恐ろしいものだな、と思った。何このすーすーする不安の塊のような衣服。もう服と呼んじゃいけないんじゃないか。

 女は大変だ。

 男はただ無責任に愛でるだけなのに対し、着ている方は常に捲れないかを気にしていなければならないではないか。しかもこれ、冬とか絶対寒いだろ。……よし、じゃあ冬場女子はいっぱいタイツを穿きなさい!


 ……あれ?


「今度はなんですか?」


 着替えた僕を、東山先輩が再び拘束した。後ろから抱きしめるという形で。……もういいわこの人のことは。正面から来られると今はかなりヤバイが、後ろからならまあいいわ。





 そして僕は思い知る。

 女性は、本当に本当に、常日頃から男の数倍は大変な想いをしているのだということを。





 無事に、とも言いがたいが、とにかく舞台はなんとか終わり。

 笑い混じりの喝采の中、第二演劇部とONEの会の皆さんが舞台に並ぶ。


 その中に、裏方として参加した、舞台に立たなかった僕も立った。


 満足感、達成感。

 演者のみんなが、やり遂げた顔をして輝いている中。





 僕だけは半泣きだった。

 ぶっちゃけちょっと泣いていた。


 感動したわけではない。

 あたりまえだ。舞台に立っていない僕が、演じていた皆より感動するわけがない。





 ……最後の最後の仕上げとして。


 ……彼らは僕を無理やり押さえつけると。




 ……僕のスネ毛を()っちまったからだ……!!





 僕という大陸に住んでいた()が、一瞬にして狩られた。

 先ほどまでのうのうと過ごしていたのに。

 何の不安もなく、まるでそこにいるのが当然のように過ごしていたのに。


 突如現れた死神に()られた彼らは、もがき苦しむように、テープの海で溺れていた。

 男として大切なものを奪われてしまった気分だった。


 後々考えると大したことでもないような気がするが、この時の僕は、もうなんか取り返しのつかない大切なものを失った気分だった。

 あと、超痛かったし。ガムテープみたいなのでべりっとやられたし。





 肉体的にも精神的にも深い傷を負って手に入れた、

 ミニスカートでも耐えられるようになったツルッツルの我が生足は、


 客席から見ると、さぞ眩しく輝いていたことだろう……









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