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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
五月
18/202

017.五月十四日 土曜日  後半




 なぜ人は争うのだろう。

 平成も二十年を回ろうというのに、僕の目の前には地獄がある。


 悲鳴と怒声の狂乱が不運ハードラックダンスっちまっている獣たちの宴。殴り殴られ蹴り蹴られ。学年が違おうが知り合いだろうが、ここでは一切遠慮がない。


 ただただパンという今日の糧を求めているだけであり、人として当然のその行為に上も下も関係ないのだろう。

 が、関係ないにも程があると思う。


 大の男が宙を舞ったり、ぼっこぼこにされて狂乱の外へ放り出されたり、かなり白熱した大乱闘になっている。しかもこの大乱闘に参加するバカは、呆然と立ち尽くす僕の横を通り、今もどんどん増えている。


 殴り合ってまで奪い合うものじゃないと僕は思うんです。特に今日は。


 今日は土曜日だ。八十一町商店街まで出れば食べ物には困らない。商店街は地域密着なので学割が利く店も少なくないらしいし、正直怪我を覚悟してまで購買を利用する必要があるのかどうか。

 僕には理解できない。


「どうする?」


 付かず離れずでずっと僕を追従してきた柳君が、乱闘前で止まった僕に近付いてきた。


「どう、って言われても……入る余地がないと思う」

「まあ、そうだな。今週は特に争奪戦が激しいと高井も言っていた」

「そうなの?」

「朝の『新人狩り』の影響らしい。それと『新人狩り』に参加できない応援団は、かなりフラストレーションが溜まるんだろうな」


 つまり、暴れ足りない人と暴れたい応援団が参加して、結果今週は荒れていると。

 土曜日だから競争率は確かに低いんだろう。参加者自体は少ないらしい。

 だが問題は参加者たちのやる気が段違いだった、と。……そんなこと聞いてないよ。知ってたら断……りはしないか。秘蔵写真のためなら多少無茶はできる。髪を下ろした守山先輩の写真のためなら多少の無茶は当然できる。


 でも、これは多少の無茶じゃ利かない。多少なんてもんじゃ済まされない。


「フッ。面白いことになっている」


 と、隣に並んだのはグルメボスこと松茂君だった。メガネの奥で鋭い瞳が細くなる。


「どうだ一之瀬。俺に策がある。乗らないか?」

「え?」

「おまえが……いや、おまえと柳が手伝ってくれるならブツを手に入れられるかもしれない。闇雲に突っ込むよりは確率は高いぜ?」


 なんという安心感、そして安定感。松茂君の(体重的な意味ではない)重みのある言葉は驚くほど耳に馴染む。


「策とは?」


 柳君が問うと、松茂君は大乱闘――の、核を指差した。


「見ての通り、この乱闘を制しているのは応援団の三人だ」


 購買前を陣取り、誰にも買わせない役割を担う団長。

 その団長へ向かおうとする雑兵を蹴散らす副団長。

 場外付近から確実に競争相手を減らしている、激しく揺れるポニーテールがとてもキュートな守山先輩。


 そう、あの学ラン三人がこの場を制しているのは確かだ。応援団三人が大乱闘の核になっている。

 人が多すぎて応援団同士がぶつかりあうスペースがない、というのも確かだが、しかしあの三人は常に他の二人を意識し、隙あらばすぐに潰しに掛かる腹積もりはできているのだろう。……というか守山先輩が強いっていうのがちょっと意外だ。まあ、闘う女性……アニキも美しいが。


「この争奪戦の勝利とはパンを確保することにある。応援団をまともに相手する必要はない。つまり、」

「あの三人をどうにかすれば勝機がある、だな?」

「そうだ。あの三人を止めれば、一瞬だけこの大乱闘も止まるだろう。その隙を狙う」


 松茂君はメガネを外し、ブレザーの内ポケットに収めた。メガネ越しでも鋭かった眼光が更に鋭くなる。たとえるなら、そう、太りすぎた鷹のようだ。


「三人を同時に抑える。柳、あのポニーテールを頼む。俺は団長を。副団長は高井に任せる。高井はほぼ中央地点で身動きが取れなくなっているようだが、購買以外の方向なら苦もなく動けるはずだ」


 お、おぉ……本当に作戦みたいだな。


「松茂は大丈夫か?」


 うん、あの団長を相手にするとか、無茶すぎる。何せあの人、今、十人以上の男を一度に相手にして一歩たりとも引いていない。強さの桁が違う。


「俺の仕事は勝つことじゃない、負けないことだからな。――一之瀬、おまえがキーだ」

「へっ?」


 ていうか、なんか僕の意志に関係なく話が進んでるんだけど…………ああ、もういいや。なんか雰囲気的に「僕は参加しません」とは言いづらいし、一応話を承諾してここまで来た以上、このまま見てるわけにもいかない。怖いけど。かなり怖いけど。めっさめさに怖いけど。アニキの写真のためならがんばれるし!

 松茂君はよくわからないが、柳君は頭もいい。勝機の見えない作戦だったら乗らないはずだ。そこに期待しよう。


「急ぐぞ。他の団員が来てパワーバランスが崩れる前にケリをつける」


 やたらすごい重厚感をかもし出す松茂君は、やっぱりなんかかっこよかった。つかやっぱ同い年に思えないよ。三十代くらいの貫禄があるよ。僕の親父より渋いよ。





 僕らは松茂君の指示通り散った。

 突入の合図は、そう――高井君のアクションだ。


「高井、仕掛けるぞ! 副団長を抑えろ!」


 松茂君の声が、喧騒を突き抜けて重く響く。一瞬場が静まり返ったような気がした。そして大乱闘は何事もなく続く。

 ダメか? 高井君が副団長を抑えるのを合図に、僕らも動くことになるのだが……


 ジリジリしながら待つ。

 高井君が動いてくれないと、僕らも動けない。打ち合わせのない指示だが、しかし激戦区の中央で未だ生き残っている高井君なら……そんな期待は捨てきれない。


 時間にしてほんの数秒のことだったのに、随分長く待ったように思う。

 反撃の狼煙は上がった。


「――松茂! いいぞ!」


 喧騒の中から、高井君の声が確かに聞こえた。人込みの中にかろうじて高井君が見えた。大柄な副団長が、二回りは小さい高井君と真正面から両手を組んで硬直していた。ほら、プロレスでよくみるあの状態だ。

 しかし、すごい。

 見た目の体格差は歴然としているのに、高井君は副団長に全然負けていない。……高井君の筋肉は本当にすごいのだろう。普段から安売りしてるから軽く見られがちだけど。


 ……っと、感心している場合じゃない。


 高井君のアクションは成った。

 次は僕らの番だ。


 柳君は、割り込むように守山先輩の前に立つ。遠慮なく放たれた守山先輩の鋭い拳を難なく受け止め、二人の動きが止まった。さすが柳君、スマートである。

 そしてその隙を突いて、松茂君が頭を下げてアメフト選手のごとく大乱闘に突っ込む。完全なる力技、完全なる体重任せの荒業だった。


 さっきまでは絶対に通らなかっただろう。

 だが、乱闘が行われている核の二つが停止しているわずかなこの瞬間、大乱闘自体がどこか浮ついていた。猛威を振るっていた強大な力がストップしたせいで全体の流れまで止まり、どこに拳を振るえばいいのか誰もが戸惑ったのだ。


 だから通った。

 松茂君の力と体重任せの突進で大乱闘は割れ、一気に購買前に――団長の前にたどり着く。


「甘ぇんだよ!」


 しかしさすがは団長、松茂君の体重を簡単に受け止めた。わずかに揺れもしない。


 ――読み通りだった。


 松茂君は身体を開き、団長に抱きついた。


「一之瀬!」

「うん!」


 松茂君の背後に張り付きピッタリついてきていた僕は、自由を封じられた団長と拘束する松茂君の脇を通り、握り締めた千円札を二枚、購買のおねえさんに突き出した!


「ゴールデンカツサンドと超ビッグチョコと中濃コロッケサンドを二千円分ください!」

「「なっ、なんだと!?」」


 叫んだのは団長で、副団長で、守山先輩で、この場の全員だったかもしれない。

 喧騒が嘘のように静まった。


 伝説は達成された。

 僕らは、一年B組は、八十一校の歴史を塗り替えたのだった……!





 購買のおねえさん(ちょっとヤンキーっぽい)は、睨むように腕を突き出す僕を見ながら、はっきり言った。


「買占め禁止! パンは一人五個までだ!」


 えっ、そうなの!?






 結局カツサンドとコロッケサンドを二つずつ、チョコパンを一つというチョイスで購入し、僕は乱闘を抜けた。

 あとはもう、凄まじいものだった。

 どこか乱闘を楽しんでいた(さっき言っていた「新人狩り」の影響だろう)争奪戦が、完全に食料を得る闘いに移行する。僕が購入した直後、拘束を解かれた団長と、拘束していた松茂君は、同時に購買に駆け込み――そんな二人に全員が殺到。いつもの争奪戦の様相になった。


 とにかく買えるパンを買って戦線を離脱するという、従来の「人気のパンを三つ同時に購入できない」という状態になっていた。まあ、そのうちみんな出てくることだろう。


「でかした一之瀬!」


 さっきあっけなく倒された鳥羽君が復帰していた。


「はいこれ」


 ビニールに入った伝説と、余ったお金とおつりを渡す。


「すげえな……ほんとに買っちまったのかよ。すげえな……!」


 すごいそうだ。僕はここでパンを買うのは諦めて久しいから、いまいち難易度がわからないんだけど。というか買うことよりこの大乱闘を生き抜くことの方が……あ、そういう意味も含めて難しいのか。


「ありがとな、一之瀬。おまえのおかげで一年B組は伝説になった」

「お礼なら松茂君と柳君と高井君に言って」


 僕は言われたことしかしていない。作戦を立て、実行した人たちの方がよっぽど賛辞を受けるべきだろう。特に松茂君はあの団長を抑えていたのだ。まったく恐ろしい男である。


「おいてめえら!」


 え? うわっ、団長がこっち来る! ビニール下げて! ビニールの中からビックチョコ覗かせて! 案外甘党ですか!?


「伝説は個人でやるもんだ! 徒党を組んでの奪取はノーカンだからな!」

「え、そうなんすか?」


 鳥羽君は知らなかったようだ。というか狭量な僕は、一瞬負け惜しみの言いがかりかと思ったくらいだ。が、どうやら本当のことらしい。


「ったりめぇだろうが! そんなもん認めてたらどこもかしこもやり始めて収拾つかなくなっちまうだろが! 実際昔あったんだよ!」


 あ、なるほど。そうか。そうだよな。みんなが助っ人呼んでパンを買いに来たら、今以上の戦場になってしまう。それどころか一クラスでのパンの買占めのような偏った結果が生まれかねない。


「一年っつーことで大目に見てやるが、次やったら鉄拳制裁だからよ! 憶えとけボケども!」

「す、すんませんしたっ」


 鳥羽君と一緒に、僕も頭を下げておいた。団長はそのまま去っていった。こえー。団長こえぇー。やっぱ目が違うわあの人。目力すごいわ。


「……違うってさ」

「まあ……逆になんか納得しちまったけどな。こんなあっさり成功じゃ伝説でもなんでもねえや」


 確かに。あの団長でさえこなせてない前人未到の伝説なんだから、そんな簡単じゃないよな。

 待つでもなく待っていると、それぞれパンを購入したB組連中が戦場から還ってきた。どうやら全員何かは買えたようだ。柳君まで参加したらしくビニール袋を下げていた。


「鳥羽、交換だ」

「ああ」


 どうやらそういう約束で手伝うことを承諾していたらしく、松茂君の買ってきたメロンパンとコロッケサンドがトレードされた。


「これがユキノベーカリーの中濃コロッケサンドか……フフッ。ついに出会えたな」


 そんな渋いことを言いながら、松茂君はメガネを掛けながら去っていった。……やっぱすげえな、松茂君は。何がすげえって色々すげえや。特に躊躇なく団長に抱きつくとか、並みの神経の持ち主では絶対無理だ。やはり奴は大物か。やはり彼女的な存在を「ハニー」と呼ぶ男は一味違うってことか。


「じゃあ一之瀬、これ」

「え?」


 松茂君の背中を見送る僕に、鳥羽君が差し出したのは、今トレードしたメロンパンである。


「何?」

「感謝の気持ち。いいから取っとけよ。悪かったな、無理に付き合わせて」

「……わかった。ありがとう」


 気持ちなら、受け取らないわけにはいかないと思った。





 教室に戻る途中の廊下で、C組のアイドルしーちゃんに会った。


「あ、一之瀬君。柳君。高井君」


 今日もしーちゃんはすごいかわいかった。これで男なんだから嘆くしかないわ。僕としては。……うーん……やっぱり守山先輩と甲乙つけがたいね! どっちもイイ!


「もう遅いと思うぞ」


 高井君はいきなりそう言った。僕には話の流れはわからないが、しーちゃんはがっくり肩を落とした。


「だよね……というか、僕の場合行けても買えないけどね」


 どうやらしーちゃんは購買に行く途中だったらしい。確かに高井君の言うとおり、もう遅い。きっと不人気なパンしか残っていないだろう。しーちゃん的には、もうそれでいいと諦めているのかもしれないが。


「あれ? しーちゃん帰宅部じゃなかった?」


 土曜日である。帰宅部ならさっさと帰って何か食べればいい。購買行くお金があるなら帰りにコンビニでパン買ってもいいだろうし。


「図書館に寄って帰ろうと思って。僕は本が好きだから」


 おお……文学少女のような理由を惜しげもなく……やめろ! 好きになっちゃうだろ! もうほんと危ない! もうほんとシャレになんない!

 ……そういえば、僕もまだこの高校の図書館には行ってないな。そのうち時間を見つけていってみよう。


「これ、よかったら」


 と、僕はブレザーのポケットに突っ込んでいたメロンパンを差し出す。


「貰い物だけど」

「え、悪いよ。そんな」

「いや、今日は昼の当てがあるんだ。でも貰い物だから無駄にするのも悪いし」


 いらなかったら誰かにあげていいから、と僕はしーちゃんの手にメロンパンを押し付けた。


「じゃあね」


 手を振って、しーちゃんを置いて歩き出す。


「優しいじゃねえか」


 高井君が囁く。


「本音だよ」


 今日はONEの先輩方が昼食を用意してくれている。むしろメロンパンなんて持っていたら何を言われるかわからない。「まあっ。私たちのご飯じゃ嫌だっていうのっ」とか、五条坂先輩なんかが嬉々としてレバーをえぐるように言いそうだ。


「やっぱり身体を鍛えていると人に優しくなれるよな」

「ごめんちょっと意味がわからない」


 ちょっとした親切をしたつもりで、少しだけ気分がよくなっていたかもしれない。

 そんな僕の背中を、しーちゃんと、とある人物が見ていた。





 全てのお膳立てが、この時点で揃った。

 あとは決行のみ――水面下で育っていた陰謀が姿を現す。









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