177.十月二日 日曜日 学園祭 八
僕は何コールも繰り返す呼び出し音を聞きながら、首を傾げる。
一度電話を切り、携帯に向かって呟く。
「……イヤな予感するなぁ……」
連絡が取れないってどういうことだ? しかも二人揃って。
この混雑である。どこにいても不思議じゃない。案外近くにいるかもしれないが……しかしそれと同じくらい、どこか遠くにいる可能性もあるわけで。
だがマコちゃんも天城山さんも、時間にルーズなタイプではない。仮に遅刻だとしても、それはマコちゃんに限ってのみだ。天城山さんは九ヶ姫からのゲスト扱いである。そんな立場の人なら余計遅刻するとも思えないし、すっぽかすなんて絶対ありえない。
要するに。
やはりというかなんというか。
トラブルに巻き込まれた、という可能性が濃厚だと、考えた方が自然……だろうなぁ……
とにかく時間がない。
実は、セリフはないがマコちゃんも舞台に立つことになっている。モブ扱いっていうか、通行人みたいな役を。前原先輩も。せっかくだから作った衣装を着て舞台に立とう、という理由で。
急遽決まったので削ってもいい役らしいが、一応マコちゃんにも出番があるのだ。
つまり二人とも、僕のような裏方ではなく、衣装チェンジとメイクという準備が必要な演者であるということだ。今すぐにでも来てもらわないと非常に困る。天城山さんは特に。メインだからね。
……ちょっと迷ったが、仕方ない。
天城山さんと一緒に遊びに行った、恐らく今も一緒にいるはずの羽村さんかタマちゃんに連絡を入れてみよう。マコちゃんの方は正直お手上げだ。最悪出番がなくなるかもしれない。
迷った理由は、もし羽村さんとタマちゃんが、天城山さんの所在を知らない場合だ。
「もう劇に行ったよ」とか。
「さっき別れたよ」とか。
もしそんな恐ろしい返事が返ってきたら、すなわち天城山さんは行方不明ということになる。
そして事件の始まりだ。
ただでさえ九ヶ姫関係にはかなりの緊張感を持って接している八十一高生が、恐らく大騒ぎにしてしまうだろう。不必要なくらいに。
そうなった場合、学園祭はいったいどうなるのか……
だが、しないわけにもいかないだろう。
もし本当にトラブルに巻き込まれているなら、何かある前に発見し、速やかに解決しないと。天城山さんの身の安全のためにも。天城山さんに何かがあったら、場合によっては来年から八十一の学園祭がなくなる可能性さえありうるのだから。
気が気じゃない――そんな心境で、僕は羽村さんに連絡を入れてみた。
もしかしたらの可能性を考えると、タマちゃんよりも羽村さんの方が冷静に、そして迅速に捜索指揮を取れるだろうと判断して。どうせ動くなら一秒でも早い方がいい。
まさか羽村さんまで出ない、ってことはないよな……?
内心ハラハラしながら息を殺してコール音を聞いていると……あ、出た!
「一之瀬くん? どうしました?」
背後に聞こえる喧騒の真ん中に、いつも通り冷静な羽村さんの声。――すごく頼もしい。
「天城山さんはいますか? そろそろ集合時間なんですが」
さあ、返答はいかに!?
なぜそうなったのか、も気になるが。
なぜそこにいるのか、の方が重要な気がした。
八十一高校学園祭は、別名喧嘩祭りと呼ばれていた。
今年は九ヶ姫女学園の介入により、その色はだいぶ薄くなっている。
……が、本質はそこまで変わっていない。
いや、むしろ、女神がいる分だけ、対抗意識的なものは例年より高いのかもしれない。
「な、なんだこりゃ……」
だだっ広い校庭のど真ん中で。
見覚えのあるピンクの特攻服の女子と、
皮パンと鋲系のロックだかパンクスだかメタルな連中と、
外部ヤンキー十数名と、八十一の超精鋭十数名と、
あとギャラリーと。
そんな連中が、乱闘していた。
いや、乱闘と言うと、語弊があるかもしれない。
彼らは一時的に手を組んでいるのか、それとも共通の敵がいるのか、周囲には目もくれず渦中へと飛び込んでいく。
そして乱闘のど真ん中の周囲には、誰かにやられたのだろう倒れている連中が……
喧嘩祭り過ぎるだろ!
つか喧嘩そのものすぎるだろ!
「一之瀬くん」
呆然と見ていると、この乱闘のことを教えてくれた羽村さんが、僕を見つけて近づいてきた。
「羽村さん、これって……」
震える指で乱闘を差すと、彼女はこんな時には憎たらしいくらいいつもの無表情で頷いた。
「はい。飛鳥さんはあそこです」
ちょっ、おいおいおいおい! おい!
とりあえず電話に出られない状況であることと、読み通りトラブルに巻き込まれていることはわかった。現在進行形で。
天城山さんは、乱闘のど真ん中にいるらしい。
ここからでは姿は確認できない。それくらい激しいものになっている。……なんでそんなことになってんの!? 天城山さん何したの!? 巻き込まれたの!? つか何気にこんな時でも冷静沈着な羽村さんってすごくね!?
「な、なんで? なんでこんなことに?」
「長々とやっているわけではありませんよ。五分ほどであっという間にこんな有様に。発端は――話している時間はなさそうですね」
その言葉の意味は、すぐにわかった。
校舎の方から、本日風紀委員の腕章を着けている九ヶ姫最強の女子・佐多岬華遠と仲間ニ名、そして彼女らを先導するように一緒に走ってくるタマちゃんが見えたからだ。
うーん……三大美姫の二つ名に恥じない、今日も威圧感バリバリの美女っぷりである。佐多岬さんの周りだけ輝いて見えるからね。今日もあの美貌で何人の男に「カツアゲされてぇなー」と思わせたのだろう。罪な女である。ああ、あなたは罪な女だよっ。
「これはまたすごいな」
「えっ」
現実逃避のように佐多岬さんに見蕩れていた僕は、突然の背後からの声に驚き振り返る。
そこには、我らが担任・三宅弥生たんが立っていた。
「一之瀬、おまえは来るなよ。怪我するからな」
弥生たんはそれだけ言いおいて、平然と火中へ向かっていく。……ヤダ……普段だらっとしてるくせに、今日は超カッコイイ……!
本当にここ数分のうちにこんなことになったらしく、見蕩れるほど美しい風紀委員と僕の心に一滴のトキメキを落とした弥生たんを筆頭に、八十一の武闘派陣も続々と集まってくる。
先生たちは、今日は見回りで忙し……うわっ、教頭だ! 教頭来た! こええ! 冴えないバーコード頭なのにあの人マジでめちゃくちゃ強いんだぜ!
「君たち! やめんか!」
あれ? いつもは容姿は冴えない教頭なのにイキイキしてる? ま、まさかアレこそ噂の、現役時代に近づきつつある悪鬼羅刹の姿……?
風紀委員と教師陣の乱入で、乱闘はあっという間に沈静化した。
まあそうよね。これくらいなら、狭い場所の上に障害物の多い職員室での乱闘の方が気を遣いそうだしね。むしろ聖戦より楽だったんじゃないでしょうか。
倒れるヤンキーども。
それを見下ろしている者たち。
まさに死屍累々の戦場の後には、十四、五名ほどの強者だけが立っていた。
教師陣は当然として、意外な人物が参加していたことに驚く。
「や、柳君? 月山さん?」
大混雑を極めていた乱闘の中央には、やや遠目でも余裕でわかる超イケメンと、超かわいい超美少女の姿があった。もちろん天城山さんもいるし――なんだか意図せず九ヶ姫三大美姫が揃っていた。
乱闘には参加しない、でも見学と応援はしていたギャラリーたちが、噂に名高い三人がこの場に揃ったことに更に興奮した。「うおー」とか。
言いたくなる気持ちはわかるが、しかし僕は今はそれどころではない。
「天城山さん! 時間!」
思いっきり騒ぎが収束した今、僕の声は確かに彼女に届いていた。
「すみません! その、もう劇の時間ですよね!?」
走ってきた天城山さんに、怪我らしい怪我はない。汚れもない。
あの混雑の中に、ど真ん中にいて、無傷で汚れもない……だと?
かなりアレな感じがしたが、今はそれはいい。
「いいから行こう!」
騒ぎの原因とか、なぜあそこに天城山さんがいたのかとか、なぜ柳君と月山さんまで乱闘の中央にいたのかとか、疑問は尽きない。
だが今はそんなことより、劇だ。
話ならあとでもできる。準備の時間を考えると本当にもう時間がない。
「送ろう」
一緒にやってきていた佐多岬さんの厚意に甘え、羽村さんとタマちゃんに「あとで」と短い挨拶をし、僕ら三人は走り出した。
体育館前には、黒衣の美女――ではなく女装美少年・東山先輩が、周囲の男も女も虜にしながら腕を組んで立っていた。
彼は僕らを確認すると、一つ頷き体育館へ戻った。どうやら待っていてくれたらしい。
僕らは体育館へと駆け込み、更衣室代わりとなっている体育館倉庫へと飛び込んだ。
そこには、全員すっかりメイクも済ませていて……まあ一部信じられないくらい美女もいるが、基本混沌としている女装軍団の姿。
「遅い!」
「すみません!」
メイク兼衣装担当となっている前原先輩が、珍しく怒っていた。だがこの人の女装姿も美少女である。
「これで全員揃ったな! ほら、俺らは外出るよ!」
第二演劇部の部長 (なんかどっかにいそうな微妙な女装姿)が、これから着替えをする天城山さんに気を遣って部員に部屋を出るよう促す。
もちろん僕は見たいので残りたい。しかしそういうわけにもいかないので、一緒に出ることにした。ついでに一緒に入ってきた佐多岬さんを連れて。部員とかすげービビッてるし。主に美貌に。
……あれ?
「マコちゃんは?」
今部長、「全員揃った」って言ったよな?
「いるよ! ここ、ここ!」
あれ? 来てる!?
着替えは済ませ、パイプ椅子に座って、五条坂先輩のものごっつい太い指でメイクを施されているその人物は、間違いなくさっき連絡が取れなかったマコちゃんである。――五条坂先輩はできるだけ見ないぞ。今気合入りすぎてヤバイから。
「さっき電話したんだけど、どこにいたの?」
「ごめーん。ちょっとナンパされてたから出る余裕なくて♪」
なんだそれうぜーな! ペロッと舌出したのもうぜーわ! 男だったら間違いなく制裁してるわ! ……いやマコちゃん一応男だけどね!
「男なら張り倒してるわね」
五条坂先輩がドスの利いた声で、僕と同じ感想を漏らしてくれたことだけが、なんとなく救いになった。――でも僕はあなたを見ませんよ。気合入りすぎてヤバイから。
そんなトラブルもありつつ、なんとか劇には間に合った。
なんか色々疑問は残っているが、今はそれだけで充分である。
……それだけで終わればいいんだけどね。
そうもいかないのが、この絶望の学び舎だよね。
知ってたよ。
悲しくなるくらいに知ってたよ……




