174.十月二日 日曜日 学園祭 五
「おおう!? 何の騒ぎでござるか!?」
うわっ! 忍者!?
目だけ出して顔を覆う覆面、前合わせの裾、帯と、全身黒ずくめの忍者スタイルが一年B組から出てきた。しかし律儀にエプロンは掛けていた。
――逆転の発想である。
見た目は誰だかわからないが、その声その口調には覚えがある。この忍者は、我がクラス最強のアニメオタク富士君に他ならない。
フッ、見事に祭りしてやがる。
恐らく彼の独特の口調が問題視され、「ならば口調に合わせた格好をさせよう」というコンセプトで、このようなことになったのだろうと思われる。この格好なら、むしろ普通にしゃべってほしくないからね。
忍者富士君はお客さんも入れた(若干悪ノリしてる通りすがりの八十一高生とヤンキー含む)せいで一時的に騒がしくなった記念撮影の現場に驚き、様子を見に来たのだろう。富士君も確かウェイター班だしな。
「うーわ忍者じゃん!」
「わははははは! 忍者がウェイターやってんのかよ! 意味わかんねえ!」
通りすがりのヤンキーどもが指差して笑い、富士君はサービス精神旺盛にかっこいいポーズを取ったり「リンピョウトウ……あ、もう面倒イィエイ(賭け声)!」と印を結んで忍術を使う真似をしたりとギャラリーを楽しませた。
何これ。
無駄に完成度高い動きを……動きがキレッキレじゃねえか! 練習したの? まあいい撮っとくか!
しばし場を沸かせた富士君が「終わりです」と言わんばかりに一礼すると、拍手が起こった。見事に軽いヒーローショーみたいになってたからね。
なんとなく終わったのを悟り、小田君は食券売りに戻り、僕も激写しまくったデジカメをポケットに納め富士君に近づく。
「お疲れ」
「おお、一之瀬氏。……あっついでござる」
うん、暑そうだね。今日は全然暑くないけど、富士君は暑いだろうね。全身スーツで動き回ってるようなもんだからね。
「あとでジュースおごろうか」
「マジでござるか?」
富士君は大業な仕草で腕を組んだ。異様に似合っているので、これが彼なりの忍者の待機ポーズなのだろう。
「しかし残念、おごりの先客が五名ほどいるので遠慮いたそう。お気持ちだけ頂くでござる」
なるほど。僕以外にも個人的に彼を労いたい奴がいるらしい。
……まあこんだけ完成度高い忍者やってくれるなら、そりゃ労いたくもなるよな。
「して、一之瀬氏はなぜここへ? まさかマコちゃん氏とデートでござるか?」
白糸君といい小田君といい、なんでマコちゃんとデートって発想が普通に出るの? 僕の男好き疑惑ってそんなに根深いの?
「マコちゃんって呼ばないでよ」
「ほほう? 女装姿で睨まれるのもなかなかいい……そして胸パッドを入れていない己のステータスを誇示する潔さもすばらしい……!」
「胸見ないでよ! いやらしい!」
「フッ。女性の胸は生物学的検地から言っても、見られるために大きくなっておるのよ」
「ヘンタイ」
うん、富士君らしいヘンタイ忍者っぷりである。
「富士君がヘンタイなのはいいとして、様子を見に来たんだよ。ほら、僕は途中で抜けたから」
「左様か。まあ見ての通り、嬉しい悲鳴を上げっぱなしでござる」
どうやらそのようだ。長居すると迷惑掛けそうだ。
「この有様ゆえ、教室に入るのは無理でござるよ。でもせっかく来たのだから一皿持って行くといいでござる」
「え? いいの?」
僕とマコちゃんは試食しているのでまだいいが、白糸君は食べていない。せっかく連れてきたのだからやっぱり食べてもらいたいとは思っていた。
この状況を見て一瞬で諦めてはいたけどね。
「ハッハッハッ! 我らの総意でござるからな!」
「総意?」
意味を問う前に、「しばし待たれよ」と忍者は教室へ戻り――すぐに湯気昇る紙皿を持って出てきた。変更がなければ一皿六個の明石焼きだが、この一皿には特別に十ニ個あり、ちゃんと爪楊枝は三本あった。
十二個で爪楊枝は三本。
白糸君も勘定に入れていることは一目瞭然だった。
「これは皆からのおごりでござる」
「おごり……って、なんで?」
「フッフッフッ。一之瀬氏に呼ばれた女子が何人か来たからでござるよ。拙者も皆も喜んだものよ」
隅に置けぬなウォンチュ!と斜め下からガスガスぶつかってくる富士君。やめろ落とすだろバカ。だがその前に気になる言葉を解明しよう。
僕に呼ばれた女子とは誰だ?
食券は結構(女子だけに)配ったから心当たりはあるが、実際誰が来たのかまではわからない。
けど、この様子じゃ今聞き出している時間はないな。忙しそうだし、そろそろ富士君を仕事に戻さないと教室が大変だろう。
それに僕らも、休憩時間は一時間しかない。
ここで立ち話だけしていてもマコちゃんや白糸君も退屈だろう。気にはなるが……まあ仕方ない。
「忙しそうだからもう行くね。またあとで」
「うむ。達者でな」
――この時、誰が来たのかをちゃんと聞いていればよかったのだ。
そうすれば、少なくとも、いらない後悔だけはしなかったのに。
雑然とする一年B組から離れ、その辺の空いたスペースで明石焼きを囲む。
「ああ、おいしいね」
これはリピーターつくだろうね、と白糸君は頷く。
そうだろうそうだろう。うちのグルメボスはすごいだろう。僕も食べて驚いたわ。試作段階でもおいしかったのに、今は更においしくなっているのだから。
しかしこれは……松茂君はすげえな。
たかが学園祭で、しかも低予算なのにここまでのモノを完成させたのか……恐ろしい男だ。将来食料品業界や料理業界に革命でも起こすのではなかろうか。
うむ、これは後日、ぜひともレシピを聞き出してやろう。彼の作った黄金比の秘密を絶対知りたい。
「C組は何やってるの?」
「何もやってないんだ。クラブとか手伝いとかであまりにも教室担当が少なくなってね。僕も演劇同好会があったし」
「そうなんだ。せっかくだから何かやれればよかったのにね」
「そうだね。クラスでの出展がなくなったから帰宅部の人たちが散り散りになったんだ。彼らが一番苦労したかもしれない」
よそのクラスでも色々あるんだな。……C組の帰宅部と言えばしーちゃんもそうだな。しーちゃんは今どこにいるんだろう?
――マコちゃんから始まった何気ない会話をしながら、早々に明石焼きを平らげた。
満腹でもないし、でも食べた感はちゃんとある。半端に食べたせいでもっとちゃんと食べたくなったが、劇本番前にはむしろこれくらいでいいのかもしれない。
……満腹だと動けないし気持ちも高ぶらないのは、昨日想いっきり思い知らされたからね。
この人込みだ、下手にうろつこうものなら集合時間に間に合わなくなる。
そう考えた僕らは、さっき横目で見ていた中庭の顔面パフォーマンスなどを見学して過ごそうか、という結論を出し、移動を開始した。
混雑している階段を下りようとした、その直後だった。
「あっ」
あ。
僕の後ろにいたマコちゃんが、真横からふいに前に出てきた。
身体が不自然に、前に傾いていた。
――登ってくる人を避けようとして、マコちゃんは段を踏み外したのだ。
だがそんなことを考える間もなく、僕はほとんど反射的に、自分の意思さえ関係ないようなところで思考し、前に泳いでいこうとするマコちゃんの手を掴んでいた。
マコちゃんは小柄で、軽かった。
だからこそ、決して身体も大きくなく、体重も重くない僕でも、彼を止めることができた。
――びっくりした。本当にびっくりした。
ほんの一瞬だけ止まった世界が、今度は激しくなった鼓動とともに高速で過ぎていく。驚いた以外の感想が浮かばないのは、自分でしでかしたことなのに、まだ頭で状況が理解できていないからだろう。
「……びっくりした」
数段下で踏みとどまったマコちゃんも、びっくりしていた。
「大丈夫? 怪我は?」
白糸君が僕の肩を掴んだ時、ようやく何があったのか理解した。
「あ、危ないだろ! 気をつけろよ!」
「……ごめんなさい」
あーびっくりした! あーびっくりした!
階段のど真ん中、迷惑そうに人が僕らを迂回していくが、そんなことは今はいい。
マコちゃんに怪我は、なさそうだ。
……あーびっくりした。ああよかった。……あーマジで肝が冷えた……
動けてよかった。
決して運動神経が良いわけではない僕だが、今だけは、この有事に動いてくれたこの中途半端なスペックの身体に感謝する。
これだけ人がいるのだ、もしかしたら僕が動けなくても、誰かがマコちゃんを受け止めたかもしれない。だが「もしかしたら」なんてない可能性もあるようなものに期待なんてしてはいけない。
まあ、とにかく、よかった。
これだけ人がいるのだ、避けそこなってよろめくこともあるだろう。マコちゃんだけに限らず、僕も気をつけなきゃな。
油断と、事故である。
事件の原因は、この二つが絶妙なタイミングで重なったことにある。
「一之瀬さん!」
へ?
誰もが振り返るだろう険のある大声に、僕とマコちゃんと白糸君と……あとその辺の人たちも振り返った。
ここら一帯だけ、しんと静まり返った。
その声にまたしてもびっくりし、階段の上を振り返った僕が見たのは……九ヶ姫女学園の制服を着た女子で…………え? だ、誰だ?
いや、知ってる。
僕は彼女を知っている。
見覚えがある。
でも……誰だっけ?
頭の中いっぱいに?マークを飛ばしまくっている、マコちゃん階段落ちショックからまだ完全に立ち戻れていない僕の前に、彼女は降りてきた。
自然と人込みが割れる。
それもそうだろう。
彼女は怒っているから。すげー怒っているから。
僕が彼女を思い出せないのは、彼女がここまで怒っている顔を見たことがないから、でも、あると思う。
「……」
彼女は顔に「怒り」という感情のみを貼り付けて、立ち尽くす僕と、展開がわかっていないマコちゃんを交互に見る。
「これはどういうことですか?」
……どういう、とは?
僕が質問をする間もなく。
発言する間さえなく。
彼女は僕の頬を張り飛ばしていた。
バチーンと。
「――万尋先輩に告白したくせに!」