171.十月二日 日曜日 学園祭 ニ
午前九時になると、俄然騒がしくなった。
元々、女神降臨という予期せぬ大事件でスケジュールは大幅に狂った。時間と準備に追われて当日さえバタバタしていた八十一高校だが、来客に伴い、更に慌しくなったようだ。
クラブハウス自体も校舎からやや離れている上、しかもここは裏山にまで入り込んでいる。
そんな校舎裏という、まず客は誰も来ないだろう場所でさえ、今年の学園祭にどれだけ客が来たのかが伺えた。
中学時代の文化祭だかなんだかは、ぬるっと始まってぬるっと終わってパッとしないままなんとなく過ぎた、という記憶にも残らない記憶しかないが。
しかし、八十一高校の学園祭は違う。
いきなりアクセル全開である。
見ていなくても、始まったことがわかるくらいに。
きっと開場に併せて、何十人もの人がなだれ込んだのだろう。
往年の八十一高校学園祭は僕は知らないが、今年の学園祭は、恐らく話題性がありすぎたのだと思う。駅を隔てた別の高校まで伝わっているくらいには。
……早速誰かの上げる奇声が響き、高らかに鳴き叫ぶ笛の音が空を裂く、混沌を連想させる雑事も耳に入るしね……
「じゃあ、もう一回!」
第二演劇部部長の指揮に従い、僕らは今一度通し稽古に入った。もちろん、万が一にもここで声が終わらないように控えめに、体力を使わないよう抑えて動いている。
十一時まではみっちり稽古をして、一時間休憩を挟み、十二時十五分からの開演に備える。
これが第二演劇部+ONEの会の今日のスケジュールとなっていた。
セリフなんかは、もうみんな頭に入っている。この分なら大きな失敗もしないだろう……と、演劇素人の僕は思う。
でもやっぱり、いざ舞台に立ってみると、プレッシャーとかすごいんだろうなぁ……稽古は稽古だからいいのであって、本番はやっぱり違うんだろうなぁ。
よかった。出る予定なくて。
ちなみに劇に出ない僕は、タイムキーパーを務めることになっている。
劇に使える時間は三十分。最長でも三十五分だ。それで残り時間が五分となるので、三十分をオーバーすればかなり慌しい撤収作業を余儀なくされるだろう。
時間に遅れて迷惑を掛けるのは、僕らのあとにやる正式な演劇部である。
通称第二演劇部は、正式な演劇部とは関係が悪いわけではない。敵対視しているわけでもライバル視しているわけでもないそうだが、しかし意識はしているそうだ。まあ形は若干違うものの演劇メインの二つのグループだから、それは意識もするだろう。
だが本当に関係は悪くないそうで、部長は第二演劇部の演目が終わったあと、助っ人として正式な演劇部の舞台にも立つそうだ。どこも人手不足なんだね。
それはともかく。
劇を三分割し、一部十分の構成で、進行の時間を計り調整するのが僕の役目となる。
役者たちは当然舞台に集中するので、時計なんて見ている余裕はない。なので僕が代わりに時計を見ているのだ。
予定時間を越えていたらテンポアップを指示し、予想時間より早ければ……その場合は問題ないが。遅れるのがNGなのであって、制限時間より早く終わるならそれに越したことはない。でも基本遅れることはあっても早まることはまずないらしいが。
通し稽古を見ながら、ストップウォッチをチラチラ確認する。
何度も見ているせいか、体感でなんとなくわかるようになってきた。ちょっと進行遅いかな、とか。少し早いかも、とか。
……劇か。
今まであんまり縁も興味もなかったけど、演劇も結構楽しそうだな。出たいとはまったく思わないが、機会があったらちゃんとしたのを観てみたい気がしてきた。
稽古が三部に入った頃だった。
「――」
その声は非常に小さく、目の前で少々大きめの声を出している演者たちではなく、背後から聞こえた。
「……?」
振り返ると……少し離れた木の陰から顔を半分覗かせた誰かが、っていうかよく見る坊主頭が手招きしていた。
同じクラスの鳥羽君だ。あ、松島君もいるな。
……えー? 何? なんかすっげえ嫌な予感……
ここは旧クラブハウス裏の林の中である。こんなところ、偶然通りかかるような場所ではない。故に彼らは間違いなく僕に会いにここにきたのだ。
そして気になるのはメンツだ。
だって彼らは、自他ともに認められるアイドル大好き四人組の二人……それを考えれば、自ずとここに来た理由はわかる。
――いや、あえてこう言うべきか。
よく今まで黙っていたな、と。
僕は稽古の邪魔をしないよう、静かにさりげなく前を向いたまま後方へとバックし、すっと彼らの隠れている木の裏へと滑り込んだ。
「何やってるの」
普通に話しても聞こえないだろうが、声は控えて問う。
そして彼らも小声で応えた。
「わかるだろ?」
鳥羽君のラインが走るボーズ頭が、今日はやけに眩しい。案外今日に合わせて美容院にでも行ってきたのかもしれない。
チッ、悔しいけどキマッてやがる……!
だが果たして、そのチャームポイントを見せつける特定の相手はいるのかな!? いないんだったら、フフッ、学園祭後はちょっぴり悲しいピエロになっちゃうかもしれないぜ!
……なんていらんことを考えていないで、話をしよう。時間もないんだし。
彼らが来る理由なんて、一つか二つしかない。
そう、やはり、「よく今まで黙っていたな」と思う。
「天城山飛鳥」
「「そう」」
鳥羽君と松島君はシンクロして頷く。
「おまえがあの天城山飛鳥とどうこう、って話は随分前から話題になってた」
まあ、生徒会室から送り迎えとかしてたからね。「あの三大美姫があんな冴えない小僧とツーショットだと!? バカなっ……!」「よし殺そう! 今すぐに!」「待て! ここは民主主義に乗っ取って、投票で決めようぜ! ……俺たちが納得できる処刑方法をな!!」みたいな会話が、学年を超えた全校中で日常的に行われていたんじゃないでしょうか。……考えると恐ろしすぎて考えないようにしてたよ! 必死にね!
「でも揉め事になると学園祭開催が危ういと思ってな。俺が止めていた」
さすが松島君。冷静な男だ。
「だが一之瀬、もうわかるよな?」
はいはいわかるよ。わかってるよ。
「我慢できなくなったわけね」
僕は彼らを知っている。
だからこそ、言いたい。
よく我慢した、と。
よく学園祭本番まで我慢し、ほんのわずかな災いの種をも蒔かなかったな、と。
僕はクラスメイトとしても、そして友人としても、彼らの我慢……いや、誠意に応えなければならない。彼らが示した誠意に、僕なりの誠意でもって応えなければならない。
彼らが望むものなど、一つだ。
そう――写真だ。
彼女の美貌を激写しまくってコレクションに加えたいのだろう。わかるわかる。僕だって写真欲しいからね。実物の方が確かにいいが、いつも会えるわけじゃないからね。……あと僕は彼女に恥を晒しすぎたからね、時々ふっとあの九ヶ姫生徒会室での一事を思い出して微妙な気分になるんだよね。
こうして、隠し撮りではなく僕を通して撮影したい旨を伝えてくる辺り、今回彼らは正面からの写真が欲しいのだろう。
彼らの望みは一つだけで、それは僕を含めた八十一高生に夢と希望を与えてくれたりもするのだ。決して私欲だけの話では収まらない。
僕は彼らの気持ちに応えたい……のだが。
でも、その「一つ」が、遠いと言わざるを得ない。
「今は見ての通り難しいよ。本番前は無理だと思った方がいいよ」
今日は、今は、さすがに稽古に向かう緊張感が違う。天城山さんやONEの皆さんは素人かもしれないが、それでもがんばっているのだ。横槍を入れて気を散らせたりするべきではないだろう。
「そっか……やっぱ無理そうだよな」
鳥羽君も松島君も、今行われている稽古風景を見て感じ入ったのだろう。変に食い下がろうとはしなかった。
だが君たち、諦めるのはまだ早いだろう。
「僕が撮ろうか?」
きっと予想外だったのだろう僕の言葉に、二人は驚き顔を見合わせた。
「え? 一之瀬が?」
「マジで?」
「うん、僕も写真欲しいし。それに――」
部外者の介入なら気が散るだろうが、生憎僕は手伝いとして認められている。それなりの理由で天城山さんを説得すれば、撮影許可は貰えると思う。「せっかくの合同学園祭だから思い出に」とかなんとかね。スナップ写真くらい許してもらえるかもしれない。
仮に天城山さんが渋っても、一緒にいる連中はどうかな? たとえば明らかに天城山さんに気がある、高望みしすぎ感満載の第二演劇部部員の二人とか。天城山さんと自分が写っているツーショット写真が欲しいと思うだろう。
つまり、勝算は充分あるというわけだ。
そんな話をすると、鳥羽君と松島君は「どうする?」と相談を始めた。
たぶんこの二人、ここにいない一谷君と城ヶ島君と四人で、女神たちを撮影して回るつもりなのだろう。そんな予定が立っているので、ここで僕にカメラを貸す――商売道具がなくなるデメリットを考えて悩んでいるのだ。
まあゆっくり考えればいい……と言いたいところだが、そろそろタイムオーバーだろう。
「――あら? 一之瀬クンは?」
五条坂先輩の声に、鳥羽君と松島君はギクリと肩を震わせた。なるほどこの二人も、あの八十一の生きた伝説とは相対したくないようだ。
「使い方わかるな? 頼むぜ!」
デジカメを取り出し僕の手に押し付けた鳥羽君は、松島君とともに素早く走り去った。
やはり相手はあの三大美姫とあって、どうしても写真が欲しかったのだろう。
よし!
僕らの夢とロマンのために、天城山飛鳥を激写してやるか!