169.十月一日 土曜日 ニ幕・新たな一ページの予感
ONEと美少女が用意した昼食を平らげ(僕は紅茶とデザートだけ)、僕らは明日の準備を開始した。
「一之瀬くん、劇の方に行ってくれる?」
「え?」
演劇班と裏方班に別れて作業開始、というところで、前原先輩が僕に告げた。
そして、先輩の隣にいた一年C組の図書委員・白糸君が理由を告げた。
「小道具関係は、昨日一之瀬君が帰った後、第二演劇部全員でやったんだ。あと残ってるのは衣装だけだから」
あ、そうか。
「僕が針できないからか」
小学校の家庭科かなんかでフェルトとか縫った記憶はあるが、それ以来まったく、触ることはおろか見向きもしない世界だった。ミシンなんかも一応習ったはずだけど、糸通すのが面倒だったくらいしか憶えていない。普通スペックの僕らしく、得意でも苦手でもなかったと思う。
明日舞台で着る衣装を作る、というのが状況である。
時間のない今、こんな素人がいても邪魔になるだけだろう。逐一教えながらやるより、自分たちでパパッとやってしまった方がきっと早い。
「それはいいけど、そっちで僕ができることってあるの?」
「うん。今ギリギリの人数でやってるから、できればタイムキーパーとかセリフのチェックとか、雑用もあるから」
部長がやってたけど部長も舞台に立つから最終日くらい稽古に専念したいんだって、と。
もっともな理由が並べられ、僕はできるだけ近づきたくなかった「暗躍するONE側から、活躍するONE側」へと左遷……いや一応よりスポットライトに近いところに行くのだから、栄転になるのだろうか?
まあ、その、友の「気をつけろ」が身に染みる場所へと移動することになった。
天城山さんの様子も気になっていたから、ちょうどいい……と、強く自分に言い聞かせておこうと思う。
立場の弱い同好会だけに、練習場所なんてまともに確保できない。
そういう理由で、彼らはクラブハウスのすぐ裏にある山の麓で稽古をしていた。
裏のすぐ傍は、ちょっとした林の中みたいになっている。そこから少し行くと開けた場所があり、僕らはそこで広がった。
……この裏山はエロ本がよく落ちてるらしいが、目に見える範囲にはなさそうだ。さすがに天城山さんの目に触れると気まずすぎるからね……ほっとした。
「一回通してやってみようか。一之瀬君、これお願い」
第二演劇部部長が、僕にストップウォッチと自身の台本を差し出す。
「舞台の時間は三十分だから」
ああ、なるほど。明日はステージで色々な出し物があるから、彼らが使用できる時間が決まっているのか。時間厳守なんだろう。だから大雑把に計ってみようと。
ストップウォッチと台本を受け取った僕は、ようやく気になる第二演劇部の劇について知ることになった。
えーっと。
大雑把に言うと、天城山飛鳥演じる「女ったらしのJ」なる男と、白糸君演じる「赤毛のミリー」なる田舎娘とのラブストーリーらしい。
「女ったらしのJ」が、五条坂光と部長を筆頭にした美女と毎日面白おかしく遊び歩いているものの、「赤毛のミリー」と出会うことで真実の愛に目覚めてどーたらこーたら、という……まあリアルでもありそうな話のような気もしないでもない話らしい。
そして、台本は最後のページが白紙になっていた。
ラストシーンは、美女たち(おい……!)に「誰を選ぶのよ」と詰め寄られる「女ったらしのJ」が……というところで、続きはない。
「――HEY! ジェーン! 今日もステキな美人だね! 今夜その豊かで堅い胸の中で眠れる幸運な男は誰だい!?」
心配はいらなかったな。
天城山さんはノリノリで、五条坂先輩演じるところの「ブロンド髪で長身でヘビー級の女ジェーン」を口説きに掛かっていた。すげえ声張ってんな。
「――Oh! J! もちローンあなたのためにジェーンのここ空いてマースヨ!」
お、おおう……五条坂先輩もノリノリだな……いやあの人はノリノリだろう。結構陽気なタイプだ。
役名からして五条坂カスタマイズされていることといい、某ピンクのベストっぽい仕草というかネタといい、なぜか端々が片言になってることといい……
ツッコミどころが多すぎて、その……うん、まあ、間違いなく言えるのは、本番すげー面白そうってことだな! うん! また伝説になっちゃうんじゃないかな、五条坂先輩!
というか、五条坂先輩が女装して出てくることを考えただけで(見てるだけなら)すでに面白い。いるだけで面白いからね。見てるだけなら。……本人は本気だろうから、間違っても言えないけどね。言ったら殺されるわ。一瞬で。二秒でヒネられるわ。
どうやら真面目……いや、そういう表現は正しくないな。
あまり教養がなくて観劇なんて高尚な趣味もなくてじっとしてるのが基本苦手でつまらないことでも大笑いできる八十一の生徒向けに、お笑い要素をふんだんに取り入れ、退屈させないよう工夫と趣向を凝らした劇になるようだ。
まさに八十一向きと言えるだろう。
たとえワールドクラス張りに完成度が高くても、うちじゃシェイクスピアとかやっても受けなさそうだし。
「お笑いなら拙い演技でドタバタしてても、それも面白いだろ?」
一回目の稽古が終わって部長に劇のことを聞いてみると、「真面目なのも嫌いじゃないからちょっと複雑だけどね」と部長は語った。
「予算も小道具も衣装も、まあがんばればなんとかなるから。でも役者が少ないのはどうしようもない」
そっか。
いくら尋常ならざるスペックと趣向と存在感を持つONEの会の手伝いが入ったからって、役者としては急ごしらえの素人だ。
当初の予定はどうだったか知らないが、たぶんONEの会の手伝いが入ると決まった時点で、台本もだいぶお笑い傾向に偏ったんだろう。
「あ、そうだ。最後のページは?」
台本も、今の稽古も、「女ったらしのJ」が詰め寄られるシーンで終わった。
まさか「女はもうコリゴリだぁーい!」なんて言いながら夕日に向かって無駄にジャンプして逃げる、というアレな感じで終了、というわけでもないだろう。
まあ、それはそれで、天城山さんがやるなら面白い気がしないでもないが。
「ああ、最後のシーンはね」
部長が、明らかに気があるっぽい第二演劇部部員と(本当は違う話がしたいが)劇のことについて話し合っている天城山さんを見る。
「彼女の好きなように決めてもらおうと思って」
え? というと、
「最後のシーンの台本通り、本気でJに選ばせる、という形に?」
「うん」
へえー!
「面白そうですね!」
「いや……ほんとは苦肉の策だよ」
ありゃ?
僕の言葉とは裏腹に、部長は力のない溜息をついた。
「そこまでの道のりはどうあれ、最後くらいは真面目に締めたかった。終わり良ければって言うだろ? でも天城山さんの体質のこととかあるし……何より真面目にやるには稽古の時間が足りなすぎてね。真面目にやると、笑わせるつもりよりも滑稽になりそうでさ」
……うわあ……この人真面目だわ……つか真面目って今何回言った?
そんな難しく考えなくても……と思うのは、僕が責任のない立場だからかな? やはり部長ともなると、成功も失敗も、どちらにしても責任者として矢面に晒されるのかもしれない。
「本当は白糸君の『赤毛のミリー』が正式なヒロイン役だったんだけどね。天城山さんがちょっと苦手そうだから」
そうっすね……天城山さんは男が苦手ってアレがあるからね……
「すみません」
「ん?」
「僕が彼女を連れてきたんです。それに無理に稽古にも参加させたし……なんかだいぶネックになってるみたいで」
「いやいやそんなことないよ。人手不足だった頃より明らかに面白く、そして完成度も高くなってるから。俺こそごめんね、気を遣わせちゃって。不満というか、不安がちょっと出ちゃって。愚痴っちゃったね」
「いやいやいやそんな僕こそ」「いやいやいやいや俺こそ」なんて、貴重な休み時間に僕らは頭を下げあっていた。
この日は、暗くなるまで稽古をした。
最後に役者たちは衣装を合わせて帰るそうで、その一足先に天城山さんが合わせた。
「パ、パンタロンだと……!?」
彼女の衣装はすごかった。
いや、今風に言うとブーツカットジーンズ? つまりそういうデニムのラッパズボンに、先の尖ったブーツ、これでもかとばかりにエリをおっ立てたシルク地の白いカッターシャツという……かつてはサタデーのナイトにフィーバーしたかのような衣装だった。
「ヒュー! どうです皆さん!?」
一人部室で着替えた彼女は、右手の指二本を立ててビッと振る、というありえない陽気さで出てきた。おいおいJ入ってるよ! 抜けてないよ! 「Jスタイル」が日常生活に支障をきたしてるよ! ……頼むからあの天城山飛鳥が「ヒュー!」とか言わないでくれ……悲しくなるよ……
でも、美少女は何を着ても美少女である。
……でも、まあ、今はちょっとだけ残念かな。
「似合う似合ーう♪」
「かわいー★」
まあ似合ってはいるけど、どう見てもアレをかわいいとは思え……まあいいや。ONEたちの賞賛を得て天城山さんはちょっと嬉しそうだった。……でもちょっと恥ずかしそうなところに個人的に安堵感を得たが。羞恥心は忘れてない。ならば大丈夫だ!
たぶんこれで注文に忠実なのだろう。
第二演劇部の部員、そして真面目な部長からも文句は出なかったから。
「じゃあ一之瀬君、天城山さん、また明日」
と、僕は皆より早めの解散となった。
理由は、天城山さんを送る役目があるからだ。あと、もう僕ができることがないから、かな。
残りの人たちは、衣装を合わせたり小道具の調整をしたり明日の段取りを話し合ったりと、まだ色々やることがあるんだと思う。
そして、やはりいても邪魔になりそうなので、僕は帰ることにした。鞄もまだ教室に置きっぱなしだしね。
校門で待っていた九ヶ姫生徒会の皆さんと、手伝いに入っている九ヶ姫の生徒たちの集まりに天城山さんも合流し、その場で別れる。
「一之瀬さん、明日はがんばりましょうね」
「はい。……あ、そういえば天城山さん。劇のラストシーン大丈夫ですか?」
「……はい。一応」
ちょっと戸惑ったように見えたが、稽古中の天城山さんを見ているので、もう僕は心配していない。
稽古中の天城山さんは、少なくとも男がアレっていうのは、まったく見られなかったから。
最後まで男が苦手なのは相変わらずだったみたいだけど、がんばっていた。
そしてONEの会の皆さんとは、性別を超えたところでかなり仲良くなっていたように見えた。
だから大丈夫だ。心配いらない。
学園祭前日。
こうしてかなり慌しかった一日が、彼方を燃やしながら過ぎていく。
「それじゃ」
「また明日!」
まあ、たぶん明日は、この忙しさの比じゃないんだろうけど。