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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
九月
168/202

167.十月一日 土曜日  !





「うわーこいつやりやがった……」


 山羊さんの勇姿に感銘を受けた僕は、次いでどんぶりを空にした。……うぉぉ、腹具合がどうこうというより、胃の中に入ったスープの熱感じられる違和感が……

 でも、満足した!

 やはり悩むくらいなら平らげる、これだろう。

 この食い逃げにおいてはこれ以上の礼儀はない! と思う!


 『跳ねる者(ラビット)』が呆れた顔をしている横で、赤ジャージが苦々しい顔で僕を見ていた。その顔はパプリカを丸かじりした時のように歪む。もしくは犬の○ンコ踏んだ時のような顔だ。おまえにはお似合いの顔だな!


 ふと視線を下げる。

 奴のどんぶりには、汁が半分ほど残っている。


『――あれれぇ~? どうしたのかなぁ~? 体調悪いの? ねえ体調悪いの? 体調悪いからそれ残しちゃう気なの? あっそぉ~残しちゃうんだぁ~へぇ~。僕は全部飲んだけどねぇ~。キミは残すんだふぅぅん~』


 という某コ○ン君が子供らしさを遺憾なく発揮して大人に訴える時のような勝ち誇ったドヤ顔(言ってはいない)で見ていると、奴はムカッと来たらしく、


「あ、おい!」


 『跳ねる者(ラビット)』が「やめろ」と言わんばかりの声を上げる中、赤ジャージもどんぶりを持ち上げた。

 何度となく喉を鳴らし、ドンとテーブルに置かれたそこはもう何も残っていなかった。


 ――おまえには絶対負けない、という対抗意識丸出しの顔をしていた。


「おいおい……おまえら正気かよ……」


 対して、隣の『跳ねる者(ラビット)』はほぼ真逆のような負け犬の顔をしていた。


「『汁王(じゅうおう)』に付き合うとか何やってんの……?」


 は……?


「じゅうおう?」

「私のあだ名」


 答えたのは山羊さんだった。


「私、汁物強いのよ。体質みたい。それで『知恵ある者(ゴート)』以外にも時々『汁王(じゅうおう)』って呼ばれるんだ」


 な、なんだと……!

 じゃあさっき飲み干したのは、汁物に強いからか!? 男らしさアピールとかじゃなくて!?


「ふざけんなよおまえらよー。四人いて三人もルーシー(しる)完食してたらよー、俺もせざるを得ないだろうがよー……何やってんだよー……」


 あ、そう、なるほど……いやに『跳ねる者(ラビット)』が腐ってると思えば、知らず追い込まれてたんだね……


「ご……ごめんね?」

「うるせーよバカヤロー」


 うわ、謝ったら軽くキレられたよ。


「つかおまえほんとに……ルーキーがやって俺がやんねーわけにもいかねーだろーがよー……青海庵のおごりはたけーんだぞ……くそー……」


 ――僕はメニューさえ見ていないので値段は知らないが、うん、普通のうどん・そばはともかく、鴨はちょっと根が張るんだよね……ただの高校生が自腹で食べるにはだいぶ高い、というくらいに。

 それが、食い逃げに敗れたら十数人単位で借金を背負わされるわけだ。

 おごりって……実はちょっと怖いよね。


「逃げ切ればいいじゃん」

「みんなおまえみたいに汁物(ルーシー)強くねーんだよ……はぁ……」


 『跳ねる者(ラビット)』は一頻り文句を言ったらもう諦めたらしく、両手でどんぶりを抱えた。





 ちょうど『跳ねる者(ラビット)』が飲み干して、どんぶりをテーブルに置いた、その時だった。


 僕らの横を、スーッとやけに丸い何かが、それこそ隼のような尋常ならざる速さで音も気配もなく過ぎった。

 一瞬の目の錯覚か、もしくは眩暈でも感じたのか……それくらいの微々たる違和感だった。


「さすが『丸い隼(ラウンドファルコン)』、もう動き出したか」

「え?」


 『丸い隼(ラウンドファルコン)』は、松茂君の二つ名だ。……あれ!?


「今出て行った?」

「うん」


 山羊さんは事も無げに頷き、お冷を一口。

 目の錯覚か勘違いかと思った。それくらい違和感なく、そして速かった。

 そうか、今の松茂君だったのか……なんつーか、動きがもうプロだわ。完全に食い逃げ常習犯だわ。


「つか私が『汁王(じゅうおう)』なら『丸い隼(あいつ)』は何なんだっつーの。――おーい『筋肉男(バイソン)』」


 まだ隣のテーブルにいた『筋肉男(バイソン)』こと高井君を呼びつけ、「あいつ今日どんだけ食った?」と世間話のように問う。

 もちろん、返ってくるのは世間話なんかじゃ済まない驚愕の返答だ。


「えー、ちょっと待てよ……」


 高井君はテーブルの端にある明細を取り、読み上げる。


「鴨南蛮大盛り鴨増し、鴨せいろ蕎麦大盛り鴨増し、いなり寿司(大)、天丼えび増しトッピング、追加で鴨南蛮大盛りとバニラアイスだな。……うわーすげー食ってんな」


 うん……すげー食ってる。

 こっちのテーブルでは、あの赤ジャージさえ交えてげんなりした顔をするくらい、すげー食ってる。

 しかもそれだけ食って走れるっていうのも……並の鴨南蛮で難儀している僕らは何なんだってレベルで、松茂君はすげえ。

 そしてそこまでやれば鴨せいろ(ざる)頼んでも全然素人っぽくない。


 なるほど、どうしてもざるそば食いたければ二杯三杯は注文しろってことね! ……できるか!


「俺もぼちぼち行くかな……うわー走れねーよこんなん……」


 『跳ねる者(ラビット)』がのろのろと立ち上がり、ふらふら店を出て行った。


「……」


 赤ジャージも身体が、というか胃が重いのか、腹の少し上を撫でながら立ち上がる。そして元気のないシケた顔で『跳ねる者(ラビット)』の後に続く。


「あいつら今日ダメだな」


 椅子にふんぞり返り、妙な貫禄をかもし出す『汁王(じゅうおう)』の予言は、当たりそうだ。


 ついでに僕にも当たりそうだ。





 様子見がてら、僕も店を出てみた。

 ……動いてみると、想像以上に、ちょっと……って感じだった。歩くだけで胃の中に満たされている鴨汁がたぷたぷ揺れる。

 これはまずい。

 というか……すでに諦めが来てる気がする……


 空腹が満たされたことで、なんというか、こう、「競おう」とか「やってやろう」っていう気迫や気概みたいなものがすっかり萎えてしまっているのだ。

 前回は、意図せずチャーハン半分という、大して食べない僕でも少なすぎる昼食後の運動だった。だからこそ平常のままいられて、いつも通り動くことができたのだ。


 だが今回は違う。

 鴨南蛮を汁までいった。『汁王(じゅうおう)』につられて。


 その結果、このザマである。

 満腹状態の弊害は、動けないこと。

 それは身体的な問題もあるが、それ以上に気持ちが全然前に向いてくれない。「捕まる? 別にいいんじゃない?」くらい平和ボケした本音が意思に語りかけてくる。


 ここ青海庵は、前回の将龍亭と比べると、大通りに近い。

 そして前回見た限りでは、大通りはやはり激戦区だ。広いだけに数を用意できる。だからこそ捕獲者は大通りに集中しているのだろう。うっぷ。


 僕はとりあえず、大通りから遠ざかるように、真逆の方向へ伸びる路地裏へと入った。





 ――そして、もう諦めた。





 先に出ていた『跳ねる者(ラビット)』と赤ジャージが並んで、、両手を膝にやり中腰になって、地面の一点を見詰めている姿があったからだ。


 彼らは、たぶん走ろうとして、リバースしかかったんだと思う。

 まだしてないのは、今全力で耐えているからだろう……まあいつリバースしてもいい体制ではあるようだが。


 彼らを見て、僕はもう諦めた。

 たぶん走ろうと……いや、多少上下に揺れる(・・・・・・)だけで、僕も同じ状態に陥るだろう。こんな有様で誰かに追いかけられて、あまつさえ転んだりしたら、その場でヤッてしまうかもしれない。


 今僕らに必要なのは、身体の安静だ。

 胃の中のものを少し消化するまで待たないと、大変なことになってしまう。リバース的な意味で。

 「このゲロ野郎」と罵られるも嫌だし、何より、せっかく食わせてもらったものを戻すなんて失礼なこともしたくないのだ。

 このイベントは商店街のご厚意で成り立っている。礼を失するのは本当にダメだ。


 観念した僕は、彼らの隣に並んだ。

 彼らは僕を恨めしそうに見たが、何も言わなかった。

 たぶん何かの間違いで僕だけ逃げ切っていたら、僕はきっとこの二人に恨まれたことだろう。


 今日は難易度が高い。

 それは、こういう罠があることも含めてのことだったのだろう。





 しばらくぼーっとしていて、『跳ねる者(ラビット)』と赤ジャージも(胃的に)少し落ち着いてきた頃。


「……」


 僕の隣に、ぬっと影が陣取った。


 柳君だった。


「……ダメ?」

「……」


 柳君はハンカチで口元を押さえたまま、かすかに首を左右に振った。

 どうやら彼も、僕らと同じ状態にあるようだ。


 ――柳蒼次、リベンジならず。





 やってきた捕獲者(おばちゃん)にリタイアを告げ、僕と柳君、『跳ねる者(ラビット)』と赤ジャージは強制労働(バイト)を余儀なくされる。

 とあるお店の事務室に連行され、住所と携帯番号、生徒手帳の提出、それから本当にバイトの面接のような「いつ、何時間働ける? あと希望の仕事はある?」みたいな簡単な質問をされ、他の捕まった連中数名と三十分ほどで解放された。

 柳君がやたらおっちゃんおばちゃんにーちゃんねーちゃんに人気だったのが、ちょっと面白かったかな。


 はあ……強制労働決定か。





 衝撃だったのは、そのあとだ。


「え? 柳君……捕まったの?」


 そう、八十一第二公園前で、高井君と山羊さんと三人で待っていた月山さんは、負け犬となった柳君を呆然と見ていた。「こんなの私の柳君じゃない」と言い出しかねない顔で。

 この、恐らく食い逃げ史始まって以来初めてあろう九ヶ姫女学園の参加者は、なんとなんと、見事に食い逃げを完遂していた。


 いや……てゆーかさ……


「なんで月山さん逃げ切ってるの?」


 「柳くんと一緒に強制労働バイト」の魔力エサに釣られて参加したはずの超美少女が、しれっと逃げ切っているという事実。


 彼女は言った。


 ――「え? 別に簡単だったけど……走って逃げるだけでしょ?」と。


 柳君が二度もできなかったことを。

 事も無げに。





 月山さん、君は今、確実に柳君の痛いところをナイフでえぐったよ。

 そして僕は、君をフォローしないよ。


 だって今は僕も柳君側の人間だからね!





 十月一日、土曜日。

 柳君はリベンジを失敗し、僕も負けた。


 学園祭の前日にあった、そんな二度目の食い逃げイベントだった。








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