153.九月二十七日 火曜日
大変なことになった。
昨日の時点ですでに大変なことになっていたのに、いとも簡単にその上を行く大変な騒ぎになった。
八十一生徒会は今日になって特大の爆弾を放り込んでくれた。
僕は八十一の生徒会長を知らないが、……うん、少なくとも僕のような凡庸なタイプではないのは確かだろう。
恐らく、八十一の生徒会長は、九ヶ姫の生徒会長・富貴真理さんと同等か、それを超える人材なのだと思う。
だからこそ、事態は僕の想像を超えて――否、考えうる最高の利益を上げるために動いたのだ。
たぶん九ヶ姫側の「最高の利益」ではなく、八十一側の「最高の利益」を得るために。
つまり八十一の生徒会長は、交渉において九ヶ姫をうまく丸め込んだに違いない。
-―そうじゃなければ、出し物一つに付き最低二人の九ヶ姫女学園高等部の女生徒が手伝いにやってくる、なんて公約は取り付けられるわけがない。
衝撃の校内放送が終わって、誰もが何も言えなくなっていた。
今し方生徒会から発信された重大な放送の、言葉の意味がわからなかったのだ。
だって、言葉の意味通りに捉えると、信じられないような内容になってしまうから。
何度も何度も今耳に入れた言葉を反芻していた僕は、隣の席の柳君を見た。
視線を感じたのか、柳君はいつも通りの無表情で僕を見た。
「聞き間違いじゃない」
問わずとも答えてくれた。
じわじわと実感が沸いてくる中――校舎のどこかの教室で、まさに爆発音のような歓声が上がった。それをきっかけに、爆発はどんどん連鎖していく。
「やったーーーーーー!!」
僕ら一年B組も例外ではなく、連鎖爆弾の一つになった。
まあ、それはそうだろう。
僕だって何も知らなければ、無邪気に喜んだはずだ。喜んだに違いない。だって今ちょっと嬉しいし。
でも素直に喜べない自分も確かにいた。
……とりあえず、連絡した方がいいだろうなぁ。
「どうした? おまえは嬉しくないのか?」
「いや……ちょっとトイレ」
訝しがる柳君にはそう返事をし、感情丸出しで大騒ぎしているクラスメイトたちの間を抜け、僕は教室を出た。
屋上にやってきた。幸い無人だった。
今や校舎を揺らさんばかりの騒ぎにある八十一高校は、ここにも充分声が届いてにぎやかだ。
彼らは至極当然の反応をしていると思う。
女の子が手伝いにやってくるのだ、嬉しくないはずがない。僕だって嬉しいさ。
でも、なんか、素直に喜んじゃいけない気がする。
僕は携帯を出し……ちょっと迷ったが、やはり電話を掛けてみた。
念のために番号も交換していたが、まさかこんな形で初電話をすることになるとは思わなかった。
三コール目で相手が出た。
「はい。羽村です」
――九ヶ姫生徒会副会長・羽村優さんだ。
「一之瀬です。今大丈夫ですか?」
「ええ。生徒会室ですから」
ただ、と羽村さんは人間味を感じさせない声で続けた。
「私ではなく富貴真理に連絡があると予想していましたが」
……そうか。この人、というか向こうの生徒会は、僕から電話が来ることを予想していたのか。
「羽村さんを選んだのは、遠慮なく物を言ってくれるからです。富貴さんだと僕に遠慮するかもしれないから」
それに、僕も本人には言いづらいし。
「そうですか。あなたがそれを望むのならいいでしょう」
よし、じゃあ言うぞ……
「もしかして交渉に失敗したんですか?」
この話の発端は僕だ。僕が九ヶ姫に話を持っていったのだ。
その上で、一方的に九ヶ姫側に貧乏くじを引かせてしまったのであれば、責任を感じるな、というのはさすがに無理だ。いくらもう僕が関わることのできない大きな話になっていたとしても、責任がなくなったわけではないだろう。
さっき放り込まれた爆弾は、どう考えてもお互いの利益には繋がっていないと思う。
すなわち、九ヶ姫側からの提案ではないはずだ……と思う。
だから富貴さんは、うちの会長との交渉に失敗したんじゃないかと僕は思ったのだ。
こんな話、直接富貴さんにできるもんか。
「あなた八十一の生徒会長に負けたの?」とか言えるもんか。
「いえ、私の見たところでは、負けてはいませんね。まあ勝ったとも言いがたいですが」
「え? ほんとに?」
じゃあ、九ヶ姫の生徒を手伝いとしてこっちに送り込むってのに、九ヶ姫側の利点もあると。そういうことなのか? それともその案を呑まざるを得ないような交換条件があったとか?
いや、その前にだ。
「……もしかして僕は、すごく失礼なことを聞きましたか?」
「そうですね。八十一生徒会長が一方的に勝って九ヶ姫生徒会長が一方的に負けたと思ったのであれば、一之瀬君はうちの生徒会をやや軽視していたかもしれない、ということになるかと」
そ、そうか……
「すみません。軽率でした」
「いいえ。そんなあなたが持って来た話だから我々が動いているのです。むしろ連絡がなかった方が私はがっかりしたかもしれません」
……え? つまり結局これでよかったってこと? ……女心ってわかんねーわ。
「それで、こっちの準備に女子を送り込むってどんな理由があるんですか?」
「簡単に言うと慣らしです」
慣らし?
ああ、そうか。つまり九ヶ姫の女子に直接八十一高校の様子見をさせようってわけか。
でもそれはうちにも同じことが言えるな。
女子が参加する学園祭なのだ、本番前に少しは女子が参加することに慣れておいた方が絶対にいいだろう。若干……いや、かなり不安は残るが……まあ不安があるからこそやるのだ。不安があるからこそね。
「それと時間がないというのがネックになりました。そちらの生徒会長は、女子の目があれば八十一校生が素直に出し物の変更を受け入れるだろう、と見積もったようです。確かにごねる時間は残されていませんからね。やや強引でリスクもあると言わざるを得ませんが、やむを得ないでしょう。それが必要になるくらい無理に割り込んだのは我々ですから」
あ、それはあるな。まさか女子の前で「裸神輿」だの「裸喫茶」だのの準備をするわけにもいかないだろう。
そっか。本当に互いの同意の上で女子がやってくるのか。
僕が予想外の展開だと思ったのは、細々した問題点を無視して結果だけ見ていたからだろう。やはり生徒会長ともなると、問題点の割り出しとか得意なんだろうな。
それから「今日から引率として生徒会もそちらへ行きますので。何かあったら頼ると思います。その時はよろしくお願いします」と丁寧な挨拶をされ、通話を終了した。
携帯を見詰めて、思案にふける。
ていうか、ほんとに大事になってきたな……
ただ学園祭に女子を呼びたいってだけなのに、こうも面倒としがらみがあるのか。
安易に結果だけ求めた僕と、大小関わらず一つ一つ問題を処理して結果に向かっている両生徒会長は、今や振り回されるだけの普通スペックの僕とは大違いである。
女の子を求めるってさ……そんなに大変なことなのか?
僕はただ衝動のままふたたび携帯を開き、「こんな出会い方をしていなければ、僕と君は友達になれたかい?」と、ノリの良い中等部生徒会長・出雲たまきちゃんことタマちゃんにメールしてみた。何気に彼女はよくメールをくれるのだ。
すぐに返信が来た。
内容は「そこは友達じゃなくて恋人でしょー。ネタとしては三十点以下だよー。」だった。
フッ……妹で思い知ってはいたが、女子中学生ってほんとに容赦ないぜ。
用事も済んだのでさあ教室へ戻ろう、と思ったところでようやく気付いた。
「柳君? 高井君も……どうしたの?」
僕は今まで気付かなかったが、ドア付近に柳君と高井君が立っていた。
「おう、電話終わったか?」
柳君と何かしら話していた高井君が、僕を見て悪党ヅラでニヤリとする。
「何、そろそろ口を割らせてやろうと思ってな。おまえ俺らに黙って何してんだ? あ?」
……あ、そういうアレで追っかけてきたんですね。
そう、この「女子を高校に呼ぼう」作戦は、基本は僕個人から始まっている。それを実現するためにいろんな人に協力を求めた結果、今校舎を揺らさんばかりの狂乱の宴に発展しただけ。
僕はこの件に、柳君と高井君を巻き込んでいなかった。
迷惑をかけるのもイヤだったし、何より彼らの手を借りる前に僕の手から離れちゃったからね。
だからこそ、もう隠す必要もないわけだ。
「別に話すのはいいんだけど、柳君は聞かない方がいいかもよ?」
「それは聞いてから判断しよう。話せ」
フッフッ、そうですかそうですか。では話しましょうか。うふふふふ。
「発端はね、学園祭で君に会いたいって言った月山さんから始まったんだよ――高井君捕まえろ! 逃がすな!」
「お? おう! おい柳どこ行く!」
「離せ。俺はもういい。聞きたくない」
「まあまあそう言わずに。全部話すから遠慮せず聞いていきなよ。この騒ぎがどこから始まったのか、一から十まできっちり説明するからさ」
ここしばらく忙しかったから、久しぶりにこの二人と話をした気がする。
嫌がる柳君に無理やり真実を付きつける。
僕と高井君は笑っていた。だって柳君が嫌がること自体が非常に珍しいことだから。
それにしても、柳君をもてあそぶのは楽しいなぁ!
あとで月山さんに自慢メール送って「ぐぬぬ……一之瀬め……!」って言わせてやろっと!