150.九月二十四日 土曜日 グラスキラー爆誕
なんというさわやかなスマイル……!
わかっちゃいたが、改めて認めざるを得ない。
一年A組の嫌味ないい奴であるこの矢倉隆一郎は、タイプこそ違うが、やはり柳君とほとんど同じスペックを持っているということを。
生徒会室から出てきた矢倉くんは、いつもは勝気で挑発的な表情で見る者に不快感を与えるというのに、この時ばかりはただただ人が良さそうな好青年の笑顔を浮かべていた。
普段を知っている僕でさえ騙されそうなくらいの見事なスマイル……悔しいが社交性だけを取るなら、柳君より上と判断するしかないだろう。
……いや、まあ、矢倉君は態度と物言いは悪いけど、意外といい奴だからね。
今更警戒する理由もないだろう、とは思うのだが。
でもそれでも、一応確かめるべきか。
「矢倉君、ちょっと」
一歩近づいて囁くように言うと、矢倉君は営業スマイルのまま応えた。
「悪いが構ってる時間はおいおい待て待て」
僕は矢倉君の返答など聞いていない。
彼を生徒会室から引っ張り出すとドアを閉め、そのまま「ちょっと待っててください」と九ヶ姫生徒会一同に断り、その場からほんの少し離れたところまで移動した。僕も九ヶ姫もお互いが見える、廊下を少し行ったなんでもないところだ。
「何だ君は」
営業用じゃない声で僕の手を振り払う矢倉君は、いつもは見せないような不機嫌顔だった。
思わず「何だチミはってか」と反応しそうになったが、それどころじゃないのでさっさと話を済ませよう。
「何やってんの? つかいつ生徒会に入ったの?」
確か矢倉君も帰宅部だったはずだ。
まさか彼がこの計画を潰すために動いている……とも思えないが……しかし、確かめたい。わずかな危険さえも排除しておきたい。
矢倉君の返答次第では、今ここで葬るしかない。
「フッ……君ごときに答える必要があるかい?」
メガネをクイッと押し上げながら、矢倉君は想定内の嫌味なセリフを吐いた。
だから僕はやってやった。
「ほっ」
「むっ」
彼のメガネを押し上げている左腕の肘をポンと押し上げるという我が愚行は、愚行に相応しい愚かな結果を招いた。
矢倉君のメガネは僕の加えた力により、想定以上に押し上がったのだ。
つまり、額にメガネ状態になった。
へっ、ざまーみろ! これぞスカしたメガネ使いを殺すために編み出した僕の必殺技だ! 名前はアッパーグラス! メガネに触れず本人も傷つけない紳士たるところがポイントだ!
「さあどうする矢倉君? 慌ててメガネを直すのか? ん? いつもの余裕たっぷり具合を捨て去り慌ててメガネを所定位置に直すのか? んん? いつもは偉そうな嫌味を言うくせにメガネがズレただけで大慌てですか? んー? 直してもいいんですよ直しても。いつもクールぶってるくせにちょっとメガネずらされたくらいで取り乱してもいいんですよ?」
必殺技を決めてニヤニヤしている僕を、矢倉君は「こいつバカか」という冷めた目で見ていた。ああバカだよ。知ってるだろ? この高校の生徒はみんなバカさ。
「君は何がしたいんだ」
何って、決まっているだろう。
元々精悍な顔立ちしているのでメガネが所定位置になくてもイケメンではあるが、すっきりした顔になった矢倉君を僕は睨んだ。
「矢倉君、僕を怒らせるなよ。僕は覚悟を決めて動いている。君が僕の障害になるというのなら、全力で排除する」
「ほう? 君ごときがこの僕に何をする気だい?」
彼は僕を侮っている。
いや、それも当然か。
矢倉君は柳君とほぼ同スペック、僕と競って負けることなんてまず考えられない。きっと矢倉君も、僕がどの程度の奴かくらいは耳にしているだろう。
僕は物事を普通にしかできない。
だが、僕だけに限らず覚悟を決めた人間は強いぞ。具体的に言えば、普通の男子が女子高の前で一人で待ちぼうけ食らっても逃げないくらいにね!
「する」
僕は言ってやった。
禁断にして反則、だが今この状況にこれ以上のものが存在しないという脅し文句を言ってやった。
「九ヶ姫のみんなが見ている前で、君にキスする。そして君は僕と一緒にこの場から退場するんだ」
ここで矢倉君とシャレにならないレベルの問題を起こし、僕と矢倉君を団長に処理させるのだ。
正直捨て身以外の何者でもない。
初キスの相手が男だなんて、それも額にメガネ掛けたマヌケな男だなんて絶対嫌だ。
だがそれだけでこの厄介な男が排除できるなら、確実に安い。確実に僕のトラウマになるだろうが、しかし、代わりに得るものは決して小さくないのだから。
それに運がよければ実際する必要はない。目撃者にそれっぽく見えて僕が騒いででっち上げる、という流れでも可能だろう。
矢倉君は……すごく嫌そうに眉を寄せると、「しょうがないな」と小さく呟き、己のスタンスを話し出した。
「生徒会に入ったのは二学期からさ。――先に言おう。僕と君の目的は同じだ」
そう、か……安心した。他の連中ならまだしも、矢倉君は絶対敵に回したくなかった。
たとえば、矢倉君が九ヶ姫の参加する学園祭に反対する勢力にいるなら……と心配したのだが、それはないらしい。
彼が嘘をついている可能性もなくはないが、とりあえず「何かしたら僕にキスされるかもしれない」という不安要素は植え付けた。
何より、ゆっくり話す時間もないので、今は信じる方向で考えていいだろう。
「むしろ君ではなく僕が、九ヶ姫が参加する形の学園祭をやろうと生徒会に潜り込んでいたのさ。君より早く動き出していたことになるね」
「え……」
マ、マジで?
いや、柳君と同スペックの矢倉君なら、それくらいやって不思議はない。それに行動を起こす兆候みたいなものは、確かに見ていた。
あの肝試しのことを聞きつけてやってきたことだ。
矢倉君はあの時、「自分が動く理由があるからやってきた」みたいなことを言っていた。ただ女の子目当てでやってきた、という感じではなかった。
彼は彼なりに、八十一と九ヶ姫の関係修復を狙っていた。
目的はわからないが、それはきっと真実なのだ。だから僕と目的が同じだと言えるし、そのためにこうして行動も起こしていた、と。
「例の肝試しで前準備は済ませた。強固だった門は開いたんだ。あとはおあつらえ向きのイベントを共同でこなすことで垣根を超える……という流れを計画していたんだがね。どこかのバカが僕より先に表立って動いてしまったよ」
あ、そのバカって僕のことだね? メガネぶち割るぞこの野郎。
「君はその後のことまで考えているかい?」
「その後……?」
というと……この八十一と九ヶ姫が協力する学園祭の開催のことだよな?
これの後、というと……なんかあるのか?
「先の展望はないのかい?」
「うん……ちょっと思い浮かばないけど」
「ならばこの手柄、僕がもらうぞ」
……え?
「僕はいずれ八十一高校の生徒会長になる」
どどん!
……なんて効果音的な何かが見えた気がするが、別にそれほど衝撃的なことは言っていない。
なぜなら、僕は彼が権力を求めるタイプだと最初から思っていたからだ。
あえて言おう。
「計算通りである!」……と。
「僕は今度の九ヶ姫との関係修復という手柄をステップにするつもりだ。君にとってもその方が都合がいいだろう?」
いや、まあ冗談はともかく、確かにその方が僕にとっては都合がいいかもしれない。
僕は手柄なんて欲しくはないんだよね。
……そんなもの求めるから「レジェンド」なんてわけのわからないものが付加するのだ。何より最悪なのは、僕の知らないところで悪評が広まっていることだ。あれはもう最悪だ。最悪すぎる。
僕としては、結果が欲しいだけだ。
女子が参加する学園祭、という結果が。
別に誰が実現してくれても構わないし、僕がやらなければならないってことでもない。むしろそんな実績を作ったら、それこそ新たなレジェンドが生まれてしまうだろう。
女子を学園祭に呼びたいがためにがんばったエロ大王……とか。
そんな悪評が生まれたら、彼女できなくなっちゃうだろ! もう今でさえ絶望的なレジェンドが僕に絶望を見せつけているというのに!
「何、気にする必要はない。本当は誰がやったかなんて、皆が真実を語り継ぐだろう。僕はほんの少し手伝いをした……それくらいのことさ」
いや! おい! それが問題だっつってんだよこの野郎! 手柄が欲しけりゃ真実ごと持ってけ!
「悪いがこれ以上構っている時間がない。どうしても話したいなら後日だ。――悪いようにはしない、ここは僕に任せろ、一之瀬君」
あ……矢倉君、ついに僕の名前憶えたのか……
「こんなものでいいかい? 僕は今更キスくらい平気だが、君は初めてだろう? せいぜい大切にしておくことだね」
フッと鼻で笑って、矢倉君は僕を置いて行った。
く、くそう……やっぱり奴はモテモテか……!
あと額メガネを直さないまま行くという勇猛さと余裕……僕の渾身の必殺技を食らって平然としているとはなんて野郎だ……!