148.九月二十四日 土曜日 歓迎
「それはおかしいでしょう」
「おかしくない」
「いやおかしいですって」
「おかしくない。どこがおかしいと言うんだ」
「どこって……全体的に?」
「なんだと。頭から尻尾までおかしいと言うのか」
「だってそれ。ナマズじゃないんですから」
「ナマズ……?」
「インターネットは怖いものではありません。優しく触れて優しく接すればちゃんと仲良くできますよ」
「本当か? この私が触れても果たして無事でいられるか?」
「だから言い方おかしいですって」
「おかしくない」
静かなトーンながら、不思議な盛り上がりを見せていた佐多岬さんとのトークは、八十一高校の校舎から出てくる黒っぽい軍団の登場によって遮られた。
「そういえば、ナマズって意外と美味しいって知ってました?」
「何……? 食べられるのか?」
一団を率いる八十一魂を背負う者――応援団団長・尾道一真は、まっすぐこちらへやってきた。
僕には見向きもせず、鋭い眼光で佐多岬さんを見据える。
「華遠、おまえが来るとは聞いてねえけどな」
「用件より挨拶が先だろう、尾道一真。あれだけ教えたのにもう忘れたか?」
一瞬、場が凍りついたかのような緊張感が広がった。率直に言えばヤバイ雰囲気だ。
だがそれも本当に一瞬で、何事もなかったかのように団長は笑った。
「変わんねえな」
「おまえは少し変わった方がいいと思うがな」
なんか……すげえな、この二人。住んでる次元が一緒なのかなんなのか……
まあとりあえず、僕はこの二人には絶対に逆らわないようにしようと思うばかりだ。命がいくつあっても足りないからね!
「で? ここで何してる?」
「九ヶ姫の付き添いだ。様子見がてら先に来た。もうすぐ……ああ、もう来ているな」
道の向こうに、昨日会った麗しの九ヶ姫女学園生徒会の皆さんが見えた。
そして、彼女らの魅力に惹きつけられたのだろう八十一のバカたちも、フラフラ遠巻きながらもくっついていた。まるで花の香りに誘われたアブラムシのように。
まあこの辺では絶対に見ない九ヶ姫の制服姿の女子が目の前にいるのだ、何をするでもなく付いていきたくもなるだろう。ふらふらっと。
やってくる彼女らを確認した団長が、今度は佐多岬さんの隣にいた僕を見た。
「で、おまえは……確か一之瀬だな」
チッ、ついに団長が僕の名前を覚えたか……できれば「ちょっと顔を知っているだけ」という関係を続けたかったのだが……できれば団長の卒業まで……
だが、まあ、いいかげん知られてもしょうがないか。前回の夏祭りの肝試しからこの件から、僕は関わりすぎている。
あるいは、応援団からすれば僕は危険視さえされている可能性もあるだろう。だって彼らは九ヶ姫の要請で、うちの生徒が九ヶ姫の生徒に近づくのを阻止する動きを担ってもいるらしいから。
ここ最近の僕は九ヶ姫に近づきすぎている。その辺のことは覚悟を決めているのでいい。
……でもやっぱり団長や応援団には名前とか顔とか憶えられるのは勘弁してほしかったな。荒事専門みたいな人と関われば、そりゃ荒事に巻き込まれもするからね。
「おまえのことは聞いてる。九ヶ姫生徒会の案内はおまえに任せるからな」
「え? 応援団は?」
「後ろの連中は散って見張る。俺は最後尾から着いていく。だからおまえが案内役だ」
そうか。そういう分担にしたのか。まあ確かに、ぞろぞろ移動するのも悪目立ちしてしまうかもしれない。……女子がいる時点でこれ以上ないくらい目立ってしまうと思うけどね。
「わかりました」
僕が頷くと、団長は団員たちに向き直った。
「始める! 散れ!」
「「押忍!」」
身体にぶつかるような気合の入った声に、団員たちは走り去った。
……ついに始まる、か。
なんつーか、嫌な予感がするなぁ……今日ばかりは問題だけは起こしてほしくないんだけどなぁ……
濡れたアスファルトを踏みしめて、ついに彼女たちはこの絶望的男子校へと光臨した!
おお女神の後光のごとき輝きに、我らが男子校の暗部が照らされてしまう……!
いや結構マジで。
「初めまして」
「――挨拶はいい。俺はただの護衛だ」
Oh! 団長! ここで尖った態度とかいらねーですよ!
九ヶ姫生徒会長・富貴真理さんが、僕への挨拶の時よりニ割増しくらいにこやかな笑顔を浮かべるも、団長の態度は普段と変わらなかった。
くそう……確かにあの団長が女子に媚びる姿なんて絶対見たくないが……しかしこの交渉は非常に大事なものなのだ。今だけは、って気も……いや、いいか。この人はこれだからかっこいいんだ。
「行きましょう。こんなところに長居していると、校内中の男が集まりますから。むらむらと群がってきますから」
団長の対応を流すように、僕はそう口を挟んだ。富貴さんは全然気にした様子もなく「ええ」と頷いた。
このむさ苦しくも汗臭い男の園に、今、女子が踏み込んだ……!
まさに記念すべきこの一歩を間近で見守った僕は、感動とともになんだか不思議な気分になった。
歓迎するべきことなのに、ここを案内するのがなぜか少し恥ずかしい。まるで自分の部屋を見られるようで恥ずかしい。
きっと、一皮めくれば女子には見せられない恥部が多々存在するからだろう。
エロ本とか普通に飛び交ってるし、妄想著しいエロトークも時と場所を選ばず頻繁に行われているし、何より女子がいないという油断から気を抜きまくっている。平気で裸になるし、裸で授業受けても先生含めて誰も何も言わないし。
こういうのって女子校の方が気にする、みたいなことを聞いたことがあるが。
でも昨今の男だってそれくらいは気にするのだ。
まあ、どれだけ意識しているかの差が、そのまま男と女の差だとは思うけどね。
「そういえば、昨日と同じメンバーなんですね」
校門から校舎へ向かう最中、先頭に立つ僕と肩を並べている富貴さんに話を振ってみた。
えっらい男の血走った視線がこの一団に集中しているので、なんとか気を紛らせやしないかと無駄な努力をしてみたくなったのだ。
周りを見ないで僕を見てほしい……そう言えばわかりやすいだろうか?
「九ヶ姫生徒会総員じゃないですよね?」
昨日僕が会ったメンバーは、生徒会長の富貴真理さん、副会長の羽村優さん、役職は聞いてないが生徒会の一員である天城山飛鳥さん、そして中等部生徒会長であるタマちゃんこと出雲たまきちゃんの四人だ。
そして今日は、佐多岬さんをプラスした計五人が八十一高校にやってきた。ちなみに月山凛と清水さんは来てない。
護衛である佐多岬さんと中等部のタマちゃんを除けば、生徒会役員は三人である。
さすがに三人しかいないわけがない。
「そうね。役員はあと三名ほどいるわ。今日は外したけれど」
だそうだ。なるほど、故意につれてこなかったのか。
「八十一高校に連れて行くのが心配だったからですか?」
八十一高校の一員としては不本意ではあるが、心配して当然だと僕は思う。むしろ富貴さんも心配しているだろう。だから佐多岬華遠というボディガードを連れてきたのだ。
「いいえ。少ない人数の方が交渉は早いから」
だがさすがはやり手の生徒会長、角が立ちそうな言動はしなかった。
一週間遅れで高校生活をスタートした僕は、初めて来た時はここを通った。
生徒用の隣にある来客兼教員用玄関に一同を招き、スリッパに履き替えてもらうのだ。
「おい、一之瀬」
そこで待っていた僕らの担任・三宅弥生たんが、寄りかかっていた壁からこちらに歩いてきた。今日はヴィンテージ風のダメージジーンズにカーキのジップアップパーカーというどこにでもいそうな若者風スタイルだ。もちろんよく似合っていた。美人だからね。
「言われた通り様子を見に来た。……おーおー、ここに女子高生がいるとか、なんか違和感しかないな」
九ヶ姫女子を一瞥し、弥生たんは同感以外何もない感想を漏らした。ね、なんか不思議ですよね。すげー同感ですよ。
弥生たんには僕が頼んだのだ。ちょっとでいいから様子を見に来てくれないか、と。
この八十一高校にも女性がいるんだぞ、と富貴さんたちに少しでも安心感をもってもらうために。あとうちの生徒はバカばっかだけど、うちの教師はすごいんだぞと。ちょっと自慢したかったのだ。
「あの――」
進んで挨拶しようとした富貴さんを、弥生たんは団長と同じように「挨拶はいい」で遮った。
「生徒同士の話し合いに来たんだろ? だったら私と無駄話してる時間はないはずだ。……まあ一応ここの教師として言わせてもらえるなら、この先きっと見苦しいものを多々見ると思うが」
うん……見るかもしれないね。色々。
「ぜひ目を瞑ってくれ。ここの生徒の真価は、目に見えるところにはないからな」
それだけ言うと、弥生たんはふと富貴さんの後方に目を止め……そのまま踵を返して行ってしまった。
なんだろう? 何か見てたみたいだけど。
何気なく振り返ると、……なんだろう、見た瞬間なんか納得できた。
すぐそこに佐多岬さんがいた。
たぶん、強者同士なにか通じるものがあったのだろう。
君らはアレですか?
言葉より拳で語る方が好きな人たちですか?
それはそれは。
男より男らしいですね。