146.――A happy dream and sad reality. 九月二十三日 金曜日
「それじゃ具体的な話に移りましょうか」
すっかり昼食を片付けて、新たに淹れ直したカップから漂う香りが室内に広がる。
今まで意識しなかった雨音が、ようやく僕の耳に届いた。
僕はこの短時間に色々ありすぎて、一周回って落ち着いたのだろうと思う。
で? えっと、これから何するんだっけ?
……ああ、確か、八十一の学園祭を合同でやるための案を考えるとか、そんなんだったな。
天城山さんが各自に配った書類に目を落とし……僕は愕然とした。
ここまでひどいのか、と。
「毎年八十一高校の学園祭で行われる恒例行事は書面の通り。優、概要を」
え? 言うの!? これを!?
「――八十一高校の学園祭で最も人気があるのは『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』……いわゆる女装コンテストですね」
うわすげえ……さすが羽村さん。なんの感情も躊躇もなく言い切ったよ。
「次点で、第二演劇部の出し物である劇です。彼らは正規にあたる演劇部から派生した人たちで、主に女形をメインに活動するそうです」
女形……つまり女装ってわけだね。そっちも。
「以上の二つが特に人気を集めているようですが、恒例行事としては大食いコンテストと、応援団主催のタイマン対決というものもあるようです」
――ひどい。ひどすぎる。女の子が喜びそうな出し物が全然ない。
「一之瀬くん、どう思う?」
「ここで僕に意見を求めるのはイジメだと思います」
富貴さんの振りに、きっぱり答えてやったとも。痛む胸の内を隠しながらね!
ひどいとしか言いようがない。こんなのやってるから近隣校の女子が来なくなるんだ。アホか。身内で騒げるネタばっかだろこれ。
「『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』かー。けっこーおもしろそうだけどなー」
タマちゃん正気になってくれ。……いや、案外それが普通の女の子の意見なのか?
ああダメだ。
僕の知っている女装は、まずあの伝説の五条坂光の姿が思い浮かぶのだ。そのせいで人一倍拒否感が強いのかもしれない。
「この『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』にテコ入れするのは難しいかしらね」
ぜひ入れてほしいのだが。もうぶっ壊すつもりでやってほしいのだが。
……まあ、そういうわけにもいかないか。
確かに、一番人気の行事に介入するのは難しいかもな。
毎年恒例でやっているなら、それはそれなりに需要があるということだ。
……まあ需要があるというか、普段なら絶対に女装なんてしないアイドルが、その日その時ばかりは大っぴらにスカートとかひらひらさせるのだ。たぶん需要どうこうじゃなくて、単に期待値が最初から高いのだろう。
僕だって見たいからね。守山のおね……アニキが他校の女子の制服着てる姿とか、しーちゃんがミニスカでニーソで……そんな格好をしているの。マコちゃんの私服姿は見慣れてるからどうかなぁ……いや、気合入ってるとまた違うかもしれないなぁ。
そのほか、僕らが気づいていないアイドルの原石が見つかったりもするかもしれない。……あれ? なんだか意外と楽しそうだな?
「仮に『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』に自然に割り込むなら、九ヶ姫側は審査員席でしょうか。女性が参加するわけにもいきませんから」
天城山さんの意見には、僕も賛成だ。
でも君たち……あんまりその名前を連呼しないでほしい。
「あるいは、女子参加OK、飛び入り参加OKという形にして、『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』の審査員席にも座るという手もなくないかもしれません」
参加OK!?
「それはつまり、天城山さんたちが『ドキアニ』に出場するってことですか!?」
それはきっと人呼べるぞ! 噂の九ヶ姫三大美姫で、誰が一番かを決めるとか!
「え?」
でもそれは、口にした天城山さんには寝耳に水の提案だったらしい。
「そんなの無理です。『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』に私が出るなんて……」
「いちのせ先輩」
本当に嫌そうな顔をする天城山さんの隣で、タマちゃんが僕に言った。
「あすか先輩はおとこが苦手なんですよ。だからたくさんのおとこの前に出るなんて無理ですよ」
あ……そういや自称情報通の渋川君もそんなこと言ってたな。噂は当たりなのか。
「とりあえず『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』の話は、ここまでにしておきましょう。なんとか参加できないか向こうの生徒会長とじっくり話し合ってみるわ」
「そうですね。『ミス・八十一決定戦 ~ドキッ、アニキにときめく三秒前~』は八十一高校で一番人気の恒例行事です。下手に参加して我々が邪魔になる可能性もありますから」
……だから名前呼ぶなよ。真面目か。せめて略せよ。……先導しようとして失敗した僕は余計恥ずかしいわ。
なんだかんだ話していると、突然タマちゃんが「あっ」と声を上げた。
「まり先輩、時間」
「ん? ……ああ、もうすぐ二時ね」
富貴先輩だけじゃなく、全員が釣られるように壁掛け時計を見た。現在一時四十五分である。……ここに来てから結構時間経ってるな。
「一之瀬くん、これでだいたいの話ができたと私は思っているけれど、あなたからは他に何かある?」
「あれ? もしかしてもうお開きですか?」
「私たちはいいんだけどね。あなたはそうはいかないでしょ」
…? もしかして僕が九ヶ姫にいられる時間は二時まで、って申請でもしてあるのか?
「飛鳥、お願いね」
「はい。一之瀬さん、行きましょう」
「え?」
どこへ?
やっぱ帰れってこと?
疑問に思っていると、反応の鈍い僕から察したのか、「そういえば話してませんね」と羽村さんが言った。
「一之瀬君があと一人確約を取らねばならない相手、佐多岬華遠とアポイントを取り付けています。約束の時間が二時なので会いに行ってください」
あれ!?
「本当ですか!?」
「我々が協力できるのはここまでです。その仕事はあなたの仕事なので」
「いえ、充分です」
とりあえず僕は天城山飛鳥と話すためにここに来て、九ヶ姫側の予想外の踏み込みに焦りつつも、早い段階で目的は達している。
三大美姫の最後の一人、佐多岬華遠のことは、とにかく今日を乗り切ってから考えようと思っていた。あわよくば約束を取り付けた天城山飛鳥の協力を得て、なんとか会おうと思っていたくらいだ。
先に約束を取り付けてくれていたというのはありあがたい。
なんとか今日中に済ませられれば助かるんだけど……まあでも、それはさすがに甘いかもな。
「それじゃ行ってき……あ、そうだ」
席を立って円卓の四人を見て、ふと思い出したことがある。
これまではテンパりすぎて思い出すどころの状況ではなかったし、絶対に不可能だろうと思っていたから記憶の片隅に追いやっていた。
だが、この予想外に親睦を深く深く深めてしまった彼女たちになら、言える。
「あの、一つ皆さんにお願いがあるんですが」
「お願い?」
富貴さんは「どうぞ」と言いたげに微笑み、羽村さんはまったく無反応で、タマちゃんはどんな面白発言をするのかと前のめりになり、天城山さんはかすかに首を傾げる。
普段の僕なら、こんな美少女たちにこんなことは絶対言えない。
でも、恥という恥を晒してしまっている彼女たちには、今更取り繕う必要なんて一切ない。
「実は友達に頼まれたんです。一人で九ヶ姫まで行くことになったって話したら、内部の様子を写真に撮ってきてくれって。できたら皆さんの集合写真を一枚撮らせていただけませんか?」
ちなみに言ったのは渋川君だ。僕は「絶対無理!」と言っておいたのだが……色々晒し過ぎたおかげで、遠慮なくこんなことが言えるようになってしまった。
――彼女たちは迷うことなく快諾した。どうやら本当に信用は得ているようだ。
まあ、恥を晒した甲斐はあったのかもしれないね。
彼女たちの写真と自分の恥、天秤にかけるとどっちが大事なのか決めかねるけどね……女子の写真と天秤にかけて女子が勝たないケースなんて、僕の中ではかなり特殊だけどね。
「なんなら一之瀬くんも入れましょうか。その方がここにきた証明になるでしょう? 携帯貸して。私が撮るわ」
え、マジで?
「こっちこっちー」
すばやく部屋の片隅に椅子を移動させたタマちゃんが、僕の腕を引いてその椅子に座らせた。……窓際なのは光源を気にしてだろうか? 女の子らしい気遣いである。
そんな僕を追って、羽村さんと天城山さんもやってきた。
これで写真を撮る準備が整ったわけだが……いや、一つ問題があるか。
「あの、タマちゃん?」
僕とまだ腕を組む形になっている中等部生徒会長は、戸惑っている僕に笑顔で言った。
「おもいでおもいでー」
え、マジで? だったらその、できればツーショットで撮りたいんだけど。
「思い出か……じゃあそのまま撮ってもつまらないかもね」
僕の携帯を持っている富貴さんのこの発言が、この数分後に訪れるハーレムフィーバーの幕を引くことになる。
「笑顔は疲れますね」
羽村さんが、彼女が言うとなんとなくわかる気がする言葉を漏らしたのが印象的だった。
「ゆう先輩エロい顔してましたよー」
「本当ですか? それは我ながら興味深い」
うん、まあ、エロいっていうか……女豹みたいな? 魅惑的な肉食獣を思わせるような迫力はあったかも。
「とにかくありがとうございました。これで僕の夢が一つ叶った……」
図々しくもお願いしてしまった「できたらハーレム的な状態になっている写真を撮りたい」という要求は「男って……」みたいな微妙な顔をされたがOKされた。
富貴さんが「どうせなら動画で撮ろうよ。その方が楽しいよ」と言い出したので、うん、僕は今世紀最強の超チャラ男になってしまった。
せいぜい「もし女子高にたった一人男子がいたらモテすぎてモテすぎて困っちゃった」的な、渋川君が羨ましがるようなモテっぷりを数十秒間必死でがんばってみたが……僕にはハーレムは無理だな、というのがよくわかったね。さすがにドキドキしすぎて前しか見てられなかったよ。
だが仕方あるまい。
こんな美少女たちに囲まれて何だか抱きつかれたり腕組まれたりして正常でいられる男なんて存在するもんか! ……いやいないこともないか。平日の僕の隣にいつもいるわ。
まあとにかく、やらせ十割ながらモテモテ動画は撮れたので、真実はさておき自慢はしてやろうかな!
「一之瀬くん、番号とメルアド交換しましょうよ。そしてこの動画をちょうだい」
一人大笑いしていた富貴さんが、なんだか予想できたことを言って自分の携帯を出した。「わたしもわたしもー」とタマちゃんが、「私も一応。構いませんか?」と羽村さんも続き、
「……」
どうしようか迷っているように見える天城山さんは結局何も言わず、僕も無理に交換しようなどと言うつもりはなかった。
最後の一悶着で予想外に時間を食ってしまい、僕は天城山さんの案内で生徒会室を飛び出した。