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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
九月
141/202

140.九月二十一日 水曜日





「うわ、すごいな」


 自然と目が覚めた時、耳は外の異変を知らせてくれた。

 渦巻くような強い風の音と、昨日の内に閉めておいた雨戸に叩きつけられる雨の音。

 雨戸のせいで外の様子はまったく見えない。光源を断った部屋は恐ろしく暗く、だからこそ聴覚が鋭くなったように感じる。


 昨夜は寝る前から、多少風が強く空は荒れていたが、今朝はもっとひどかった。

 夜の間に、わずかなりにも逸れる可能性はあったのだが……


 どうも台風は直撃したようだ。





 とりあえず今日は走れないので、電灯とテレビを点けて、部屋でストレッチと筋トレをこなす。

 横殴りの雨、うねる海、一瞬で水滴に覆われるメガネの表面。

 朝っぱらから身体を張って台風の様子を教えてくれる、朝おなじみの地方女性アナウンサーは、強風にあおられてよろめきながら、大声を張り上げて視覚的にも聴覚的にも台風の様子を伝えてくれる。


「直撃だな」


 ここ八十一(やそいち)町は、今まさに台風に呑まれている状態にある。しかも今度の台風十五号は大型で進行が遅く、ここらを通過するのは早くて夕方、遅ければ夜まで抜けないらしい。


 恐らく学校は休みになるだろう。

 電車はすでに止まっているし、その辺の道路は早くも排水溝から水が溢れているみたいだ。

 いくら八十一高校が今時土曜日登校であっても、この天気で「出て来い」なんて無茶は言わないだろう。こんな天気の時に表を歩くのは、いくらうちの生徒でも危険すぎる。


 時計を見て「まだ学校に電話してみるのは早いか」などと思っていると、空を切る風の音の合間にかすかに聞こえた硬質の音に振り返る。


「友歌?」


 何も考えずほぼ反射的に言うと、控えめにドアノブが周り、わずかに開いた隙間から妹が顔を見せた。――この妹にしては珍しく、まだ僕が寝ている可能性を考慮してノックの音を抑えたようだ。


「台風どうなってる?」

「直撃してる」


 別に言う気はないが、妹はきっと、ちょっと怖いのだろう。こんな有様で一人でリビングに行くのも嫌で、隣の部屋の僕が起きているかどうかまず確認した、とか、そんな感じだろうと思う。


 部屋に滑り込んできた妹はベッドに腰掛け、ずっと台風情報を伝えているテレビを見詰める。

 僕は床で、筋トレを続けた。

 ポツポツと「学校休みだね」とか「お父さんの会社も休みだろうね」とか言う以外、特に会話はなかった。


 ――ちなみに触れておきたいが、妹は最近ようやく、夏休みにあった悲しい事故を忘れた。恐らく意図的に。だから僕も何も言わないことにしている。


 一通り運動を終え、まだ七時も回っていない時計を見て迷い、でも念のために担任・三宅弥生たんの携帯にメールをしてみた。

 電話番号は、弥生たんが「おまえらに教えると何の用事もないいたずら電話しか掛けてこないから番号は教えない」と、過去の教訓から公開はしなかった。でもメールアドレスは携帯を持っているB組の連中とは交換している。


 そういえば、僕は送るのは初めてだな。

 こんな日のこんな天気だ、弥生たんの携帯は僕と同じ用件で、非常に忙しいことになるだろう。僕は用件のみを簡潔にまとめてメールを送ってみた。


 意外にもすぐ返事が返ってきた。


「なんて?」


 妹が僕の担任からの返事を気にして問い、僕は読み上げてみた。


「さすがに今日は休みだから、家から出るなって」


 あとこれは読まないが、遠くから通っているうちの生徒の何人かは、すでに電車に乗ってしまったらしい。

 さっきからテレビでやっている通り、電車は止まっている。どこかの駅で立ち往生してしまい、今弥生たんは車を飛ばして迎えに行っている最中らしい。

 教師って本当に大変だなぁ。まだ七時にもなってないのにもう働いてる。こんな天気なのに。


 ……僕は将来、先生にはならないでおこうかな。

 第一、八十一(ぼくら)のような生徒の面倒を見るなんて、もう、絶対に無理だ。普段はわりとだらしない弥生たんを尊敬できるレベルで無理だわ。断言できるわ。





 軽く汗を掻いたのでシャワーを浴びようと一階に下りる。両親も起きたようでリビングには灯りが点いていた。

 一緒に下りてきた妹はリビングへ行き、僕は風呂場へと向かった。


 こんな天気だ、いつ停電になってもおかしくない。実際何度か灯りが一瞬消えたり点いたりを繰り返している。

 シャワー中に停電になったら嫌なので、速攻で浴びて速攻で身体を洗って速攻で風呂場から出た。おお、早いな。いつもは十分以上は掛けているのに、今日は五分だ。


 下だけパンツと短パンを着け、上は裸で頭を拭きながらリビングに向かう。

 テレビの前のソファには父親がいて、そのすぐ隣に妹がいた。……親父は思春期まっただなかで最近冷たい娘が、今日は密着するくらい近くにいて頼り切っているので、ちょっとデレているようだ。


「会社休み?」

「うん。友晴は? いや、今日は危ないから休みなさい」

「休みだよ。さっき担任に連絡取ったから」


 このややくたびれた父親は、夢のマイホームに向かって月一万円の小遣いで日々をがんばっている。

 金を稼ぐって大変なのだ。

 社会に出るって大変なのだ。

 夏休みの間にその辺のことをすこーし勉強させていただいた僕は、父親を見る目がちょっとだけ変わった気がする。

 そう思うとくたびれている姿であろうと尊敬できる…………ような気がする。娘が隣にいて嬉しそうじゃなければ多少印象は違うかもしれない。今はただのエロ親父にしか見えないし。


「あ、友晴。朝ご飯は?」


 こんな朝でも台所に立っている母は、冷蔵庫を開けたところで僕に気づいた。


「食べるよ」

「じゃあ、いつもよりちょっと早いけれど、朝ご飯用意する……あら?」


 母はしげしげと僕を見た。具体的にはボディを。


「随分絞まってるわね。鍛えてるの?」

「ん?」


 僕は上半身裸の己の身体を見た。

 うん……毎朝走ってるだけあって、まあそれなりに筋肉はついているかもしれない。でも元がもやしっ子で、まだまだ細いと思う。


「もうちょっと筋肉付けたいかな」

「あら。そのままキープしたら? 母さん細マッチョ好きよ?」


 いやあなたの好みはどうでもいい。……というか最近マコちゃんにも同じこと言われた気がするぞ。


「私はもうちょっと付けて欲しい」


 妹よ、おまえの好みもどうでもいい。……でももうちょっと付けたいのは同感だ。べ、別に妹のために鍛えるわけじゃないんだからねっ。自分のためなんだからねっ。


「…………」


 それと父よ、息子に対抗意識を持たないでほしい。うちの女性たちは僕を褒めているわけじゃないんだから。うちの女性たちの興味と好意を独り占めしてるわけじゃないんだから。……あなたの息子は、あなたの息子らしく、そこまで女性の目を引かないんだから。





 朝食を済ませ、部屋に戻ってきた。

 なぜか妹も付いてきた。

 ……こんな時なので、僕は特に何も言わなかった。


 妹と盛り上がらない話をしながら、B組最強のアニメオタク富士君から新たに借りていた「攻殻●動隊」のDVDを一緒に観つつ、僕は考えていた。


 昨日から始まった、学園祭一新プロジェクトのことだ。

 厳密にはまだ立ち上げたばかりで、何をするかは決まっていない。軍師の顔も持つ自称情報通の渋川君が、これからのことを考えると言っていたが……任せっきりというわけにもいかないよなぁ。


「何このおっさん。めちゃくちゃカッコイイね」


 妹は特徴的な頭をしている、容姿的にはカッコイイとは言えないおっさんに萌えていた。「ハゲ専?」と問うと顔に枕が飛んできた。

 ――わかるぞ妹。そのおっさんは僕もカッコイイと思う。

 富士君は「拙者、確かにさくらちゃんで小学生に目覚めたでござるが、決して、決して! 大人の女性の魅力を認めないわけではござらん! さあ一之瀬氏も『もとこぉぉぉぉ』と叫ぶがいいでござる!」と言いながら貸してくれたわけだが、……バカ野郎。そんなの一目見た時から伝わってるぜ。


 まあそれはともかく、「硬派なアニメもいいなぁ」と思いながらも、考えることは学園祭のことだ。

 日程的な余裕があまりないのだ。来月頭には学園祭だから。

 渋川君は渋川君で考えるだろうし、竹田君と西沢君も何かしら考えてはいるはずだ。その間に、僕も何か考えておくべきだろう。


 そう、たとえば、未だ決まっていない我ら一年B組の出し物とか。

 僕らのプロジェクト「女子を()高校に()呼ぼう()」作戦は、根本的改革を必要とするので、今決めても無駄になるかもしれない。

 全体的な調和を考えると、すでに各教室で決まっているだろう出し物の変更は、充分にありえる。その辺の兼ね合いは絶対に考えるべきことだ。


 だが後に変更になる可能性が高くとも、何も考えなくていいわけではない。

 幸いここに女子がいるのだ。リサーチしてみてもいいだろう。


「今度うちで学園祭あるんだけど、来る?」

「え?」


 妹は意外そうな顔で僕を見た。


「……たぶん行かないよ。というかお兄ちゃん、八十一高校がここら周辺でなんて言われてるか……知ってるでしょ?」

「バカで有名?」

「おまけに女子に汚いんでしょ?」


 き、汚いと来たか……いや、あながち間違いじゃないか。女子に汚いから九ヶ姫に嫌われまくっているのだ。


「お兄ちゃんを見てれば、それだけって気はしないよ。もし劣悪な環境なだけなら、お兄ちゃんが今まで通えるわけないから。悪評に尾ひれが付いてるだけだと思う。でもそう思ってるの私だけだもん。一人じゃ行きづらいよ」


 冷静な意見である。そして貴重な意見でもある。


「まあ来ないなら来ないでいいんだけどさ……女の子受けする出し物ってなんか思いつく?」

「え? 女の子受けする出し物? なんだろう」


 妹は考え込む。


「……おさわり喫茶とかどう思う?」

「は? おさわり? 何それ?」


 僕が「主に女性客に触ったり触られたりする喫茶店なんだけど……」と言っている間に、妹の視線の冷たいこと冷たいこと。柳君の冷ややかな視線より冷たい。


「それは社会的に死にたいって意味? それとも肉体的にも死にたいって意味?」


 Oh……一応、念のために確かめたかっただけなのに、妹の反感を買ってしまったじゃないか……

 いやそうだよね。

 僕もダメだと思うよ。

 ……でもお兄ちゃんね、八十一高校に通い始めてから、「自分の普通」というものに自信がなくなってきてるんだよね……果たして自分の中の一般論が一般に通用するかどうか不安なんだよね。……その……染まってきてる自覚があるから……


 今にも膝破壊を狙ってきそうな妹をなだめすかし落ち着かせ、改めて「何がいい?」と訊いてみると、


「食べ物でいいんじゃない? 甘いものとかさ。奇をてらうよりはシンプルなのが私はいいかな」


 と、非常にわかりやすい答えが出た。なるほど。食べ物か。


「B級グルメ屋台とか案に出てたんだけど、これはどう思う?」


 たぶんグルメボス松茂君が出した案だ。僕は非常に良いと思ったが。


「B級って、あれでしょ? 庶民向けの安価で美味しいっていう」

「そう、それ」

「いいと思うよ。ただ女の子相手に屋台やるなら、においの強いのはちょっと避けたいかな」

「におい?」

「高校の学園祭に来るような女の子なんて、同年代が多いでしょ? この年代の女子なんて、男に見せる表向きは、間違いなく食い気より色気だからね。近くに男がいることがわかってるなら、においが付くようなカレーとかにんにくとかみそとかソース系とか、その辺は避けるよね。もし『あの子かわいいけどなんかにんにく臭いよね』とか男が噂してるの聞いたら、私だったら泣きながら走って帰るよ」


 う、うん……何臭だろうが臭いって言われたら男でも傷つきますけどね……つか、リアルな意見だなぁ。





 幸い今日は動けないし、だからこそ考える時間だけはある。


 もう少し考えてみようかな。









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