136.九月十七日 土曜日
「富士君、これ」
我が一年B組最強のアニメオタク富士君が登校してきたのを見計らい、借りていたDVDを持って彼の席へと近づく。
「おお、一之瀬氏。●ぎゅぅぅはどうでござった?」
エキセントリックかつマイウェイな口調が特徴的なすごい奴である。
見た目はわりと普通……でもないか。持っているグッズがほとんどアニメキャラという濃い奴だから……携帯のストラップなんてかのコンタッ●丸パクリの「カプセルくん」が可愛く見えるくらいキッツい眼帯白スク水美少女のマスコット付いてるから……
最近まで「よくわからない……というかわからなすぎるキャラだから」と敬遠していたのだが、ゲーム大好き池田君と大沼君とは仲がよく、その辺の関係からよく話すようになったのだ。あ、あと立石君とも仲良いみたいだ。
実際話してみると、意外と楽しいのだ。口調もだいぶぶっ飛んでるが、基本的にイヤな奴じゃないし、むしろ思考と思想がわかりやすいから接しやすいのだ。
「えっと、ヒロインの声優さんだっけ? ……うん、よかったよ!」
正直本編を追うので一生懸命で、声優さんまで気が回らなかったのだが。
でも本当のことを言ったら……くぎゅ●うさん?という人の魅力をたっぷり一時間くらい語るような奴なので、話を合わせておく。
「それで、感想は?」
「えっと、……ツンデレ最高?」
「ふむ! ほう! その金言が出ようとは……一之瀬氏、一皮剥けたでござるな! いや男として!」
わかっとるわ。いらん念を押すな。
「近頃の若者のアニメ離れが著しい日本において、世界に誇る我が国の文化を布教し広めること……それすなわち現代のサムライの所業ゆえ! 一之瀬氏もババンと広めてほしい、そのツンデレ美学を!」
いや違うと思うな。小一時間くらい反論されそうだから言わないけどさ。サムライではないと思うな。
あと……僕がツンデレを語り継ぐの? マジで?
……あとで柳君に言ってみよっと。思いっきり無視されるか鼻で笑われそうだけど。
「さすがは八十一でも屈指のエリートと呼ばれる男……末恐ろしき素質を感じさせる男よ!」
なんの素質だ。
……いやその前に、エリートってなんの?
富士君の発言はツッコミどころが多すぎる。
つか八十一高校は濃い奴ばっかだよ。
八十一の生きた伝説・最強のONE五条坂先輩といい、両刀使いの前原先輩といい、違う意味で応援団も濃いし、アイドルもいるし、筋肉男もいるし、隣の席にはミスター完璧と言っても過言じゃない柳君がいるし……常に濃キャラ博覧会開催中かよ。
冷静に考えると、僕は本当に、よくこんな環境で生きていけてるもんだ。
僕なんて普通すぎるほど普通なのに。
……別にエリートじゃないし。別にエリートじゃないしっ。
「あっ!」
あ?
よく通る高い声に振り返ると、覚醒した乙女マコちゃんが出入り付近にいた。……その視線はなぜかこっちを向いていて、なぜか眉を吊り上げてこっちにやってくるのだが。
「ちょっと富士くん! 一之瀬くんをオタクにするのやめてよ!」
おっと。
マコちゃんはグイッと僕を引っ張り寄せると、席に着いて不敵な笑いを浮かべる富士君にモノ申した。
そういえばこの二人って仲悪かったっけ。いつからかはわからないが時々言い合いしてるし。
「オタクにする? これは異なことを……拙者は当人が元々持ち合わせた素質を開花させておるだけでござるが?」
僕にそんな素質ないけどね。アニメはあくまでもアニメです。
「だいたいマコちゃん氏!」
「あなたがマコちゃんって呼ばないでくれる!?」
ちなみに、マコちゃんのフルネームは坂出誠である。
「そんなさくらちゃんに似た声で拙者を罵倒なんてしないでほしいでござるな! だがどうしてもと言うなら『早いのよバカ』でお願いするでござる!」
「はあ!? 誰それ!? またアニメキャラ!? てゆーか早いって何が!?」
「『ほぇー』って言ってみろ!」
「はあ!? 何それ!? またアニメキャラの口癖!?」
……なんかめんどくさくなってきたな。
手持無沙汰で周囲を見ると、これくらいの騒ぎ、八十一では普通の朝の光景なので誰も見ていなかった。……あ、柳君来た。
ここはマコちゃんに任せて、僕はこっそり席に戻ろうかな。富士君に絡まれるのもアレだし。
「おはよう。バイトお疲れ」
「ああ」
ああ、やっぱり柳君の隣がいいわー。
静かなのもいいけど、とにかく彼は揉め事を起こさないから。それがいい。とにかく安心感が違う。あと安定感がある。
「最終日、どうだった?」
例の「九月十二日」で借金を背負ってしまった柳君は、商店街で強制労働していたのだ。
日程では、昨日金曜日で終了し、綺麗な身体になったはずだ。
「特に問題なく終わったが。ああ、報酬というわけでもないが、商店街で使える商品券を貰った」
「え? そんなのあるんだ?」
「あまり普及はしてないようだがな。そのうち妹と何か食べに来るつもりだ」
「いいね。いつ?」
「呼ばないぞ。遠慮しろ」
まあ、遠慮しますが。
柳君の初給料のようなものだ、いつもお世話になっている身内のために使いたいだろう。そんな場に部外者がいるのははっきりいって邪魔である。
あ、初給料と言えばだ。
「食べに行くのもいいけど、それで何か作ってみたら?」
「作る?」
「うん。実は――」
僕は夏休みの間に料理を始めたことを伝えた。そういえば話してなかったからね。
「なるほど。それもよさそうだな」
「ちなみに柳君、料理は?」
「炒めるくらいしかできないな。……そうか、料理か……」
何かしら彼の琴線に触れたらしく、柳君は思案げにわずかに眉を寄せた。
あ、それともう一つ、話すことがあったな。
「柳君」
「なんだ」
「ツンデレってどう思う?」
「……永久凍土とは関係ないな?」
それはツンドラだね。
「わからない。前に訂正された時以降考えないようにしていたくらいだ」
そういえば、前に少しツンデレがどうこうって話が出たような気がする。まあ憶えてられない程度の話だ。
「ツンデレとは何だ?」
「ツンツンした女の子が時々デレる、というキャラらしいよ」
「……ふむ。それで?」
「いや、好きかなーと思って」
「悪いがどういうものなのか想像がつかない」
まあ、それはわかる。僕もよくはわからないからね。説明なんてできるほど知り尽くしてもいないし。
「一之瀬、そのツンデレという奴をちょっとやってみてくれ」
「えっ!?」
え、うそ!? あの柳君からまさかの無茶ぶり!?
「マジで?」
「ああ。やってみてくれ」
マジかよ……あれは僕がやっていいものなのか?
うーん……よくわからんが、やってみるか。八十一高校において今更この程度でうろたえるなんて贅沢なことだって知ってるからね。
えっと、どうだっけ? ……こうか?
「勘違いしないでよね! 別にあんたのことなんてなんとも思ってないんだから!」
居丈高に腕を組み、上から目線で柳君を見下ろす。
そんな高飛車な態度から一転、恥ずかしそうに目を逸らす。
「……でも、どうしてもって言うなら一緒にいてあげてもいいけど……」
弱気な口調で付け加える、と。……こんな感じだと思う。
「一之瀬」
「何?」
「おまえバカか?」
「ああそうだね! 確かに僕がやるとバカだね! 完璧バカだね!」
自分でも相当バカやってると思ったよ! 何が「一緒にいてあげてもいい」だ、キモイわ! でもせめて恥ずかしがらずにやりきった僕の雄姿をまず褒めるべきだろう! 男として!
「かわいい女の子がやると違うんだよ!」
「想像もつかんな」
「ちょ、ちょっと待って――マコちゃん! こっち来て! 遊んでないで!」
振り返ったマコちゃんは、なぜそんなことになっているのか、左手で富士君の胸倉を掴んで右手で頬をグリグリやっていた。
「いでででででで! 後生でござる! 後生でござる! せめて罵倒しながら拙者を罰して! さくらちゃんの声で責めながら攻めて!」と惜しげもなく富士君が性癖を暴露する中、無言のまま攻め立てるマコちゃんを呼ぶ。
が、動かない。
僕の呼びかけより富士君を攻める方が重要と判断したらしい。
仕方ない。
「柳君が呼んでるよ!」
「はぁい♪」
うわ、すげえ。キャラが一瞬で百八十度変わったぞ。これが女の変わり身というやつか……あの嫉妬深い金髪パッツンでさえ恐れた女の心変わりのようだ……恐ろしいものを目の当たりにしたものだ。
「なぁに柳君? あ、知ってた? 私ってさくらちゃんに声が似てるらしいわよ? 『ほえー』って言ってあげよっか?」
うわ、すげえ! 富士君がもたらした情報さえ遠慮なく利用するこの狡猾さ……いやあえて言おう、さすがの打算と貪欲さと! まったく! 乙女は秘密がいっぱいだぜ!
「マコちゃん、ちょっと耳貸して」
「やだ。柳君の前で何する気? 耳感じすぎちゃうんだから」
「いらん情報混ぜなくていい。……ああ、じゃあ、こっち来て」
僕はマコちゃんとともに柳君から少し離れ、なんのために呼んだか説明する。
「つまりツンデレで柳君を攻めろってことね?」
「本気で落とす気でやっていいから」
「当然。こういう小さなチャンスをコツコツ積み上げてこそ、難攻不落の要塞も堕ちるってものよ……フフフ」
……無理だと思うけど、がんばってね。
「坂出」
「あん。マコちゃんって呼んでよぉ」
「おまえバカか?」
「…………」
難攻不落の要塞は、びくともしなかった。
それから柳君はおもむろに机の中から食べかけパンを取り出すと、今日も窓の外へとぶちまけた。
そんなこんなで、いつもの一日が始まった。