135.九月十五日 木曜日
昼休み。
高井君と一緒になって、柳君から昨今のバイト事情のことを根掘り葉掘り聞いていると、僕の携帯が鳴った。
「これだけは言っとくぞ。岩木のおっさんには逆らうな。あの人に常識は通じ……あれ? 電話?」
ノリノリで地元ルールとか話している高井君を、さえぎるようにわめく電子音。
この時点でなんとなく、誰からの電話なのか予想ができていた。
「……あ、ごめん」
ディスプレイに燦然と輝く漢字三文字を見て、話が込み入ることを確信し、僕は席をはずした。
「食うなよ。絶対食うなよ。フリじゃないからな」
「いいから早く行け」
半分ほど残った弁当を置いていくはめになったので、ことさら高井君に念を押しておいた。
でも僕は知っている。
――戻ってきたら、きっと中身はなくなってるだろうな、と。
だってほら、「九月十二日」で作ってしまった焼売五個の恨みを忘れてないグルメボス松茂君も、あの鋭い太りすぎた鷹の目でじっと見てるし。
僕は大急ぎで屋上まで走ると、周囲に人がいないことを確認して通話ボタンを押した。
「おそーい!! 早く出ろよー!! あとどういうことなのか説明しろーーーーー!!」
予想通りの大絶叫に、最初から遠ざけていた受話器を耳に押し当てる。
「落ち着け月山さん」
僕はなんとか、怒りを含めた興奮状態にある盲目の戦士をなだめる。
そう、電話の相手は、近いうちに来るだろうと予想していた九ヶ姫の三大美姫とも言われる月山凛だ。
元気で飾らなくて、普段から取り繕わない素の顔からして輝くような魅力溢れる彼女だが、こと片思いの相手である柳君が絡むと緊張と興奮で前後不覚の残念な女子に成り下がる。まあ僕はそんなところも嫌いじゃないけど。でも残念だとは思う。
「聞いたの?」
昨日の八百屋騒ぎのことが月山さんの耳に入ったのだろう。
あの夏祭りや肝試しの時にわかったが、九ヶ姫の同級生なんかは、片思いバレバレの月山さんの恋愛の応援をしているのだ。
きっとその辺のネットワークから僕のことも知られたので、なかなか侮れないものがあると思う。
「聞いたよ! なんだよ! なんで柳君がバイトとかしてるんだよ! バイトってなんだよ! そしてなんでそれを私に教えないんだよ! あとどこでバイトしてるのか詳しく教えてください!」
――近くに、彼女の暴走を完全封鎖するS友・清水さんがいることを僕は確信した。
「ちょっと色々あってね」
「色々ってなんだよ! 柳君関係は全部重要なんだから端折るなよ! 最初から順を追って親切丁寧に君の主観と感想入りで鬼のように熱いコーヒーが気化してなくなるくらいの時間を掛けて語ってくださいよ!」
「いやそこまで長くは断る」
熱いコーヒーが気化してなくなるまでって、丸一日でも足りないんじゃないか? そこまで長く語ることはない。
「詳しく話すと本当に長くなるから要点だけ掻い摘むと、とある事情で今週いっぱい……いや違う、金曜日までだから明日か。明日まで八十一商店街で手伝いをすることになったってだけだよ」
九ヶ姫というお嬢様校に通う、基本的に育ちの良い女子たちである。「九月十二日」なんて知らないだろうし、今後も知らなくていいと思う。
仮にもし話したら、軽蔑の目で「バカなことに柳君を巻き込まないでよね。ところであんた腐った卵みたいな臭いするね。半径三キロ以内に近づかないでくれる?」とか言われてしまうかもしれない。そんなの言われたら泣いちゃうぞ。……でもなぜだろう、心のどこかではそれを期待している自分がいるようないないような……
「それでも教えとけよ! そういう情報が欲しいから携帯の番号とか交換したんだろー!」
「え? そんなこと言うなよ。もう友達だからいいじゃない」
「え? ……うん、まあ、じゃあそこんところはまあいいけどさ」
あ、デレた。かわいいな。
「小出しにすると柳君が警戒するだろ。逐一教えて接触されると、本当に接触したいここぞって時に会えなくなっちゃうよ?」
というか、もうすでに警戒してるけどね。僕が誘う=月山関係、みたいに警戒してると思うけどね。何度か騙し討ちみたいなことしてるからね。
「そ……そっか……そうかもな……」
「そうだよ。だいたい僕、昨日柳君の様子を見にバイト先に行ったんだよ。とてもじゃないけど話せる状態じゃなかった。今回のバイトの件は見送った方がいいよ」
「マジで?」
「マジで。忙しい時に会ったってまともに話なんてできないし。苦労に見合わないよ」
そう、これはマジで言っている。
忙しい時に柳君に会いに行ったって、月山さんの心象が悪くなるだけだ。「この忙しい時に鬱陶しい」と思われるのが関の山だ。……下手したら思うだけじゃなくて実際言われちゃうレベルだ。
「わかった……じゃあ今回は諦めるよ」
うん、それがいい。
掛けてきた時の威勢はどこへやら。意気消沈して「じゃあね……」と元気のない声で電話を切ろうとした月山さんを、「ちょっと待って」と僕は止めた。
「ついでってわけでもないけど、僕からも連絡しようと思ってたんだ。ちょっと相談があるんだけど、聞いてくれないかな?」
「相談? 清水ちゃんに代わろうか?」
「え? なんで?」
「一之瀬と清水ちゃん仲いいじゃん。私のこと無視して二人きりで話したりするじゃん」
もう付き合っちゃえばいいじゃん、と。
月山さんのニヤニヤ笑いが受話器の向こうに浮かんでいるのがよくわかる。
――君じゃ話にならないから自然とそうなったんだけどね、とは、言わないでおいた。
そういうのは清水さんに任せよう。
月山さんへの教育的指導及び愛のムチは、清水さんに任せておけば安心だ。
「まあ、できれば二人に相談したいんだけどね。意見は多い方がいいから」
「ふうん? じゃあとりあえず話してみれば? ――あ、恋愛話なら任せとけよ? 私強いぞ」
うそつけ! 君のどこを見て恋愛話が強そうだと判断できる!?
……だがこれにツッコむと、八割型口ゲンカになりそうな気がするので、さっさと話を進めよう。
「学園祭のことなんだ」
「お、タイムリーだね。九ヶ姫でも学園祭……というか文化祭の話題一色だよ」
ああ、まあ、高校生で同級生だからね。日時はともかく時期が同じになることもあるだろう。
詳しく聞いてみれば、八十一の学園祭とは、やはり日程が違うらしい。
……日程が違う、だと?
「ま、まさか……恐れ多くて考えたこともなかったけど……」
「ん? どうした?」
「……この薄汚れた男子校通いの僕でも……学園祭なら……九ヶ姫という少女の園に……入れる……?」
「詳しくは知らないけど、普通に外部の客は入れるんじゃない? 禁止すると親とか来れなくなっちゃうし」
マ、マジかよ……こんなアメリカンドリーム張りの男の夢とロマンが、ただの日常生活の中にゴロッと埋もれていたというのか……!
気づいてよかった。
気づいてよかった!
もし気づかなかったら、僕は九ヶ姫の文化祭当日の日を、一生忘れられない悔恨の日として記憶に刻み付けるところだった……!
「……あれ!? ちょっと待て一之瀬! それってつまり柳君が九ヶ姫の文化祭に来ることもあるってこと!?」
「柳君は行かないね!」
「な、なんだと! わかんないだろ! 私が誘えば来るかもしれないだろ!」
それこそないだろ……ツッコまれたら悲しいことになるのに、そんな捨て身な発言するなよ……
「柳君は僕が一緒じゃないと行かないね!」
「あぁ!? ……一之瀬ェ……自惚れるなよ! 君はどれだけ柳君に好かれてると思ってるんだ!」
「いいのか? 言うぞ? 本当に言うぞ? どれだけ好かれてるか具体的に言うぞ?」
「……や、やめろ! 聞きたくない!」
「ごめんなさいは?」
「な、なん……だと……!?」
「ごめんなさいは? 月山さん、僕に対してごめんなさいは? 早く。ほら早く。さあ早く」
「……おまえなんかバーカ! バーカ!」
――あ、切りやがった。
と思えば、今度は清水さんから電話が掛かってきた。
「だいたい聞いてたよ」
どうやら月山さんと一緒に受話器に耳を近づけていたらしい。たぶん僕が「二人の意見が欲しい」みたいなことを言ったから。
「ごめん、ちょっとムキになっちゃった」
「いいよ。凛にはいい薬だから。あと本当に悲しくなるところにツッコミ入れなかったから」
ああ、清水さんは気づいたんだ。僕があえて触れなかったところに。
「それより相談って何だったの? うちの文化祭のこと、じゃないよね?」
「あ、うん。……僕でも行けるかな?」
「調べておくよ。私たちも一年生で九ヶ姫の文化祭は始めてだから、まだ勝手がわからなくて。はっきり話せることがないんだ」
そりゃそうか。僕が現段階で八十一高校の学園祭を語れないのと同じだ。
「それで、一之瀬くんの相談は?」
「うん、実は学園祭の出し物のことで――」
この思いっきり瑣末な相談事が、後に大事件に発展することとなる。
その大事件は、僕の最大のレジェンドとして長く語り継がれることになるのだが、この時の僕が知るはずもなく。
どちらかというと、自分の相談事より、僕が九ヶ姫の文化祭に参加して美少女に囲まれて「僕には一人なんて選べないよ……だからみんな付き合おうよ」と仕方なく言っちゃうようなシチュエーションになった時の妄想で頭がいっぱいだった。
あと弁当の中身はやはりなくなっていた。