128.九月十日 土曜日
「待たせた」
……違う。そんなん違う。
「教えたじゃん。こういう時なんて言うか教えたじゃん」
「いや、しかし」
「やり直して。すごい楽しみにしてたんだから。頼むからやり直して」
「……面倒臭い奴だな」
とか言いながら、彼はやり直してくれた。
彼は一度校門の中に戻ると、再びシャーッと軽快に自転車を走らせてやってきた。
そして僕の目の前に止まって、一言。
「――チャリで来た」
……うん。
「柳君がやっても全然面白くないけど、付き合ってくれてありがとう。僕そんな君にKA・N・SYA」
「……その面白いポーズは?」
「ウィ●シュ」
「……そうか。じゃあな」
柳君は振り返ることなくチャリで帰った。
しばらく●ィッシュポーズを取っていた僕も、周囲の視線が痛くなってきたので歩いて帰ることにした。
昨日までぐずついていた雨が止み、柳君は先週買ったばかりの自転車通学を始めた。まあ週の頭にはしてたけど。
チャリ通か……置いて行かれるのは結構寂しいな。
高井君たち居残り宿題組は、今日辺りには終わるだろうと言っていた。結局全校含めても聖戦で宿題免除を勝ち得たクラスはなかったそうだ。――まあ僕ら一年B組は宿題免除じゃなくて、弥生たんと葉月君を別れさせるためにがんばってたけど。まあこの件に関しては僕からのコメントは特にない。好きにすればいい。思うままに。
……今教頭が非常にヤバイ、って渋川君が言ってたなぁ。
昨日、金曜の昼休み辺り、三年生の一クラスが起こした聖戦を教頭先生が一人で処理したらしい。「俺は鬼を見た……!」という三年生の誰かが言ったセリフが、あのうだつの上がらなそうなバーコード頭の所業の全てを物語っている、らしい。
……あの見事なバーコード頭を思い出すと、殴られた頬の痛みを思い出す。あれは強烈だった……ああいかん。もう思い出すのはやめよう。お店の商品のバーコード見ても脳裏に蘇るほどのトラウマになっているのだ、思い出さなくていい時には思い出さないでおきたい。
とにかく、柳君は先にさっさと行ってしまったので、今日は一人で帰ることになった。
まあ学園祭の出し物についても考えたかったし、これはこれで良い機会だろう。
時に悩み、時に光景から何かヒントが得られないかと目を配る。
夜なんかはだいぶ涼しくなったが、昼はまだまだ暑かった。でもたぶん、急に明け方とか冷え込んでくるようになるんだろう。
まだ実感はないが、暦の上ではもう秋である。
昔の暦だと晩秋なんだっけ?
まだまだ暑いわ。
八十一第二公園前から横断歩道を渡り、八十一商店街へと踏み込む。
さすがは八十一高校に密接した商店街、うちの生徒がうろうろしている。たぶんどこか遊んで帰ろうとか、浜屋でお好み焼き食って帰ろうとか予定を立てているに違いない。
僕は……まあ、寂しく一人だし、今日のところはまっすぐ帰るか。
何かアイデアはないかときょろきょろしながら歩いていると、
「一之瀬」
後ろから重厚な声で誰かに呼ばれた。
振り返ると……おお、グルメボスこと松茂君だ。松茂君はは商店街の角にあるパン屋「ユキノベーカリー」から出てきたところで、そこで買ったのであろう紙袋を持っていた。……彼は本当に食い物が似合うなぁ。食い物だったらたとえ生の牛肉でもパイナップルでも、ブタの丸焼きを丸のまま持ってても違和感なさそうだ。
「昼飯?」
「いや、おやつだ」
おやつ……うん、さすがは松茂君だ。パンでは腹いっぱいになった気がしないに違いない。
「やたら周囲を見ていたが、おまえも下見か?」
「え?」
下見? 何が? ……学園祭の?
「もしかして場所がわからないのか? 俺も下見がしたいから付き合ってやる。こっちだ」
「え?」
下見、って……何が?
僕の疑問など気にも留めていないらしく、松茂君はさっさと歩き出した。なんだかよくわからないが、松茂君は僕をどこかへ案内してくれるらしい。
うーん……たぶん食い物関係であろうことは想像に難くないが……
……まあ、暇だし一緒に行ってみようかな。
その店は商店街の片隅、細い路地裏にあった。
将龍亭。
決して広いとは言えない商店街の路地裏だけに、店構えは非常に小さい。きっと十人も入れば席は全部埋まるだろう。年季を感じる色あせた赤いのれん。日当たりが悪いせいか薄汚れて古臭い印象が強かった。
恐らく中華の飲食店だろう。それはわかるが……
「ここが将龍亭。店はボロだが商店街の誰もが知る名店だ」
名店……おや?
「しょうりゅうてい?」
その言葉の響き、どこかで聞いた覚えがある、ような……? どこで聞いたっけ?
「ここらは変わらないが……さて、今年はどうなるか……」
「え?」
松茂君の鋭い視線は、店を中心としていたるところへ巡らされる。
左右に続く曲がりくねった細長い道、表に出る光が差し込む道、蓋付きのダストボックス……それらに目を向ける松茂君の眼光は、まさしくエサを探す太りすぎた鷹のようだった。
「しっかり下見しておけよ。いつもなら味方してやるが――月曜は敵だ」
「え?」
月曜? な、何が? 敵?
松茂君は意味不明なことを言うと、気が済んだのかそのまま行ってしまった。……なんかガサガサさせながら。それおやつだろ。今食うのかよ。昼飯前だろ。
だがそんなことより、彼の重い言葉の方が気に掛かる。いや重いといっても体重的な意味ではなく。
「……え?」
何? 月曜は敵って……何が?
わからないことだらけの松茂君の行動は、最初から最後までわけがわからなかった。
月曜日に、何かあるのか?
――いや、あるんだろう。あの様子だと確実に何かあるに違いない。
「この店はいったい……」
なんなんだ? 今のところ中華の名店ってことしかわからないが。
全然意味がわからないが、僕は松茂君が言った言葉に従い、とりあえずその辺の様子を見ておいた。何が起こるかわからないし、揉め事の類なら全力で拒否する気マンマンだ。
が、月曜日の松茂君は敵かもしれないが、今日の松茂君はまだ味方だろう。少なくとも敵ではない。
ならば、そのアドバイスをありがたく頂戴しておこうと思う。
これに何の意味があるのかさっぱりわからないが。
「――あんた『丸い隼』の知り合い?」
「えっ?」
背後からの声に僕は驚く。異空間かってくらいに静かな場所なのに、足音一つ聞こえなかった。
見ると、灰色のブレザーに赤いエナメルのメッセンジャーバッグをたすきがけに背負う女の子がいた。好奇心が強そうな瞳が暗がりでも印象的だった。
この制服、確か三十三高校のものだ。三十三は駅一つか二つほど隣にある共学校で、男子は学ランだったはず。学校の場所はそう遠くないので、この辺でもたまに見る。八十一駅周辺ならたくさんいる。
「ラウ……?」
さっきなんて言っただろう。全然聞き慣れないフレーズだった。
「ラウンドファルコン」
……えっと、直訳すると、丸いハヤブサ?
「知らないの? さっき一緒にいたあいつの……あ? あれ? あんたどっかで会ってない?」
「え?」
まさか逆ナンか? 僕の時代が来たか?――という希望的予想は一瞬で捨て去る。
彼女の言う通り、僕も覚えがあるような気がするからだ。
僕と女の子はまじまじ見詰め合う。
本当に、どこかで会ったことがあるような――
「あ、思い出した」
どうやら彼女の方が先に、記憶の引き出しを見つけたようだ。
「あんた『7th』のバイトだ」
「セブン……あっ!」
そうか、そうだ!
この人、赤ジャージの友達だ!
「ふうん……こりゃ面白くなってきた」
「え?」
何が?
「月曜、楽しみにしてるから」
「え?」
だから、何が?
「あの子も連れてくるから、絶対参加してよね」
「え?」
参加って、何に?
「ちょ、あの、月曜に何がっ……」
僕のまとまらない言葉など聞こえていないかのように、彼女は松茂君と同じ背中を見せて去っていく。
――次会う時は敵だ、という穏やかならざる雰囲気を持つ背中を見せて。
「……え?」
去り行く三十三高の彼女の背中を見ても、薄汚れた将龍亭ののれんを見ても、答えを得ることはできなかった。
月曜日、何があるんだ?
……ほんと何があるんだよ!?