127.九月八日 木曜日
「――連絡事項がある」
いまだ雨が続く朝のホームルーム。
一部を除いて、バカな理由で怪我が絶えない我ら一年B組のバカに向かって、担任・三宅弥生たんは「昨日の放課後話そうと思ってたんだが」と前置きし、僕らにとっては大イベントになるそれを口にした。
「十月に学園祭がある」
あ、と何人かが声を上げた。僕も言いそうになった。
学園祭か。そうそう、行事予定表にも書いてあった。確か八十一高校は十月頭に学園祭やるんだよな。……一ヶ月なんて長いようであっという間だし、準備を始めるには早いかもしれないが何やるかくらいは決めておいた方が無難だろう。
「おばけ屋敷がいい! 女の子怖がらせて事故を装って触ろうぜ!」
「合コン喫茶だ! 女子と合コンして事故を装って触るんだ!」
「おさわり喫茶やろうぜ! 基本女子に触ってもらって事故を装ってこっちも触ればいいじゃん!」
「休憩所でいいじゃん! 休憩に来た女の子をもてなして事故を装って触りたい!」
彼らは事故を装うことでどこまで誤魔化せると思っているのだろう。
事故でも訴えられるこんな世の中なのに。
「合コンやろうぜ!」
――黒光りする肌が一層眩しい大喜多君は、久しぶりに周囲の男たちに絶大なる支持を得た。正直僕も支持したかった。というか参加したかった。……でもそれはもう学園祭の出し物ではない。
「はいはい。そういうのは帰りのホームルームで話し合え。竹田、頼むな」
「……」
「おまえらの祭りだからな、私は何に決まってもよっぽどのことがなければ口を出さない。よく話し合って決めるように。以上だ」
弥生たんはそれだけ言い置いて、さっさと教室を出て行った。
……竹田君おもいっきり寝てるんだけど。弥生たん気づいてたんだか気づいてなかったんだか。
弥生たんが出て行くと、教室は騒然となった。
あれがやりたいこれがやりたいこれにしよういやこれだダメだそれはダメってなんだこのやろうしつけーないつまでもボツ案語ってんじゃねえぞああやんのかてめえやってやんよボケあっちょっまっ腹はやめてよ昨日弥生たんにヤクザキック食らって死んだんだからてめえドコ中だよ八十一第三中だよてゆーかおまえと同じ中学だよ知ってんだよボケがぁ――
……騒然としすぎていて本当に乱闘が始まりそうだ。朝から元気だなぁ……乱闘始まったら速攻逃げよっと。
「柳君、何やりたい?」
まったく興味なさそうな、無反応な隣の柳君に話を振ってみた。
「なんでもいい」
なんか……そう言うと思ったよ。
朝放り込まれた爆弾のおかげで、一年B組は、今日はずっと学園祭の話し合いがそこかしこで行われていた。
放課後までテンションと勢いが落ちないのだから、むしろ少し落ち着いてほしい。やる気がなさすぎるのも寂しいが、ありすぎるのも大変だ。
当然、本日は聖戦は行われず、まあ、たぶんこっちで騒がしい分だけ職員室は多少静かになったと思う。
「おーし。じゃーちっと話すかー」
フランクな口調が僕らのハートを鷲掴みするクラス委員長の竹田君が、弥生たんの代わりに教壇に立っていた。
「よそのクラスとの兼ね合いや調整もあるから、早めに出し物を決めておいてくれ」と今し方場所を譲った弥生たんは、教室の隅で椅子に座り、DSの名作ゲーム「世界樹の●宮」の攻略本を開いている。――うん、もうあの人はあれでいい。
「なんかあっか?」
竹田君の声を皮切りに、重なりすぎて聞き取れない意見が飛び交う。かろうじて「喫茶店」という要望が多いというのはなんとなくわかったが……ここは幼稚園か! ちょっと落ち着け! 席を立ってまで手を上げない! 机の上に立ってまで目立とうとしない! 気に入らないからって胸倉掴まない! 変なイラッとする顔して挑発しない! ケンカしない! ……あれ!? みんなケンカの応援始めてない!?
「おーいうっせーぞー。そこ何やってんだー」
竹田君のだらっとした注意が飛ぶも、もう誰も聞いていない。
僕は顔をしかめて状況を見守っていたが……ついに竹田君は怒ったらしく、がしがしと頭を掻いた。彼はおもむろに僕らに背を向けると、黒板消しを手に取り、力いっぱい投げつけた。
素人とは思えないほどの綺麗なフォームのオーバースロー。情け容赦なく一直線に飛んだ黒板消しは、現況の片方の頭に直撃した。
チョークの粉をふんだんに吸った黒板消しを投げればどうなるか――もちろん想像通りの惨事となった。
「うっせーつってんだろ。座れバカども」
もうもうと白い粉が舞い上がり雑然となる渦中に、竹田君の不機嫌そうな低い声だけが正確に通った。
「俺は早く帰って寝たいんだよ。手間取らせんじゃねえ」
まだ寝るのかよ! 今日も朝から寝てただろ!
――そんな青春の一ページもあったりなかったりして、改めて学園祭の話し合いに戻った。
「一人一人聞いてても時間掛かるだけだからよー。とりあえずアンケート取るわー。プリント配るから第一候補と第二候補書いてー。あ、名前いらねーから」
普段はクラス委員長の代行をしている苦労人の副委員長、我がB組のメガネこと西沢君がプリントを配る。彼も優秀だと思うが、隣のクラスのメガネが強烈すぎて影が薄い。まあ西沢君は前に前にってタイプじゃないしね。
ミスプリントを再利用しているそれは、特に罫線も枠もない無地だ。まあ裏は何かしらびっちり書いてあるが。
みんなはしばし無言となり、朝から考えていた案をプリントに書き殴っていく。
無駄にやる気だけが空回りしているだけあって、五分もすれば全員が書き終わっていた。アイデアの種は後ろから回収して武田君の下へと運ばれていった。
「西沢ー。読むから書いてー」
「わかった」
席に戻っていた西沢君は、竹田君の要望に答えて黒板の前に立った。クラス委員長と副委員長が並んで立つ光景は、(基本やる気のない竹田君のせいで)非常にレアである。僕の記憶の中では一回か二回くらいしかなかったと思う。
「えー。おさわり喫茶。おさわり喫茶。ホスト喫茶。おさわり喫茶。合法的に女子に触れるならなんでもいい喫茶。おさわり喫茶。足にだけおさわり喫茶。抱きつく形で脅かすおばけ屋敷。王様ゲーム喫茶 (女子限定)。おさわり喫茶。おさわり喫茶。おすわり喫茶。おさわり喫茶。HADAKA喫茶。弥生たんを愛でる喫茶。バザー。B級グルメ屋台。SM喫茶。休憩所。おさわり喫茶……」
……触りたい気持ちはわかるけど、触りたがりすぎだろ。
てゆーか淡々と読み上げる竹田君と、淡々と黒板に書き上げていく西沢君がすごいわ。こんなん僕ならもう三枚目くらいで読みたくなくなるわ。つか読めないわこんなもん。
絶望的なまでに男の欲望が垣間見える時間が過ぎていき、結局黒板に上がった候補は、半数以上が「喫茶店」ということになった。
夏休みにバイト(のようなもの)をした僕から言わせてもらえるとすれば、「喫茶店なめるなよ」だ。何がおさわり喫茶だ。触る余裕なんてあるものか。
「あー……」
黒板を見つめる竹田君の声は、微妙に沈んでいる。
「……とりあえずタッチ系は全部却下だなー」
そりゃそうだ。それやったらシャレじゃ済まない。
だが、彼はごくあたりまえのことを口にしたのだが、それに異を唱える声の多いこと多いこと。……君ら訴えられるぞ。本当に。マジで。
「ダメだっつーの。問題起こしたら弥生たんの責任問題にもなるんだぞー。俺もうヤクザキック食らいたくねーよ。あれ何日か痛み続くんだぞ」
竹田君と同じように何人か食らったことあるのか、引きつった顔をする。
「でもタッチ系抜くと三分の二は使えねーな……」
そうだね。ほんとに。どんだけ触りたいんだよ。
「竹田、今日のところはこれで閉めよう。却下が多すぎるから再検討させた方がいい」
西沢君のもっともな意見に、竹田君は「そーだな。そーすっか」と頷いた。
幸い、こういうイベントの時はいつもギリギリまで言わない弥生たんが、今回はかなり余裕を持って連絡してくれたのだ。
まだまだ考える時間はある。
タッチ系以外の案をリザーブすると、「各々またちょっと考えといて」という声に従い、今日のところは解散となった。
うーん……僕的には、きっとグルメボス松茂君が出したのであろうB級グルメ屋台が気になったなぁ。
ちなみに僕の案は「ただの喫茶店」という、おさわり喫茶よりつまらない非常に普通なものだった。
でも、つまらないけど普通で充分だと思う。
……せっかくだし、僕ももう少し考えてみようかな。