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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
九月
124/202

123.九月三日 土曜日




「え? マジで?」


 昨日は鳥事件以来、思いっきり口数が減ってまともに会話できなかった柳君だが、今日になってやっと現実に復帰した。何事もなかったかのように。

 まあ、あの件については、本人がどう思っているかよくわからないので触れないとして。

 昨日彼が言っていた「明日の放課後」の話を、ようやく聞くことができた。


「そっか。ついに決めたんだな」


 一緒に話を聞いていた高井君も、一応この話は知っていた。ちなみに鳥事件の時、彼はまだ教室に来ていなかった。


「ああ、決めた。今日自転車を買う」


 それに付き合ってくれ、というのが、柳君の用件だった。





 ホームルーム前に聞かれたその話は、休み時間にも及んだ。

 夏休みに自転車を見に行って以来、柳君はカタログなどを眺めては購入を検討していたらしい。慎重である。まあ自転車は高校生が買うにはちょっと高いからね。悩むのも無理はないか。


「いや、金のことはいいんだが」


 いいのかよ。柳君はわりと一般論が通じないな。


「妹でも乗れるようなものにしようと思ってな」

「藍ちゃんも? というと、兼用になるの?」

「最初はな。慣れたら藍の自転車を買えばいいだろう」


 というのも、藍ちゃんは生まれてこの方、自転車に乗ったことがないらしい。つまり現段階で自転車に乗れないのだそうだ。

 今時の中学生にしては珍しい気もするが、柳君の家を一般家庭と一緒にしてはいけないだろう。彼が時々見せつける浮世離れ感は、恐らく柳君の普通じゃない家庭環境から来ているはずだ。

 何せ柳君は、この歳になるまでお好み焼きを食べたことがなかったのだ。それだけとっても大概である。


 柳君の家庭のことは、前から結構気にはなっていた。……まあ、よっぽどのことがなければ別に聞かないけど。


「柳君の妹ならすぐ乗れるようになると思うけど」


 何せ運動神経抜群の柳君の妹である。もはや遺伝子的レベルからして優秀であることがわかりきっている。


 ああ、こうして目を瞑るだけで容易に想像できる。

 木漏れ日の気持ちいいサイクリングコースを、藍ちゃんが颯爽と自転車で走り抜けていく。黒い髪はやわらかくたなびき、優しい陽と影がまるでステンドグラスのように藍ちゃんに模様を落とす。不思議な色合いにその身を染めながらも、誰しもの目を引くその美少女っぷりはより際立つのだ。


 ……ああ、ダメだよダメだよ藍ちゃん。そんな短いスカートで自転車に乗っちゃダメだよダメだよ捲れるよ。ああでもジーンズもダメだ。サドルに乗った尻のラインのゆがみがとても生々しいからダメだよダメだよ。ふ、太股が……太股がっ……!


「柳君」

「なんだ」

「僕は君の自転車のサドルになりたい」

「……つまり俺のケツを乗せろと言いたいのか?」

「君じゃねえよ! 藍ちゃんだよ!」

「どんな発想だ。俺は一之瀬が時々よくわからなくなる」


 知ってる。時々自分でもよくわからない言動してるから。





 今日は土曜日である。

 つまり、午前中授業である。……他の学校の多くは週休二日で休みだけど。

 休みと午前中授業。雲泥の差があるのはわかっているが、それでも短めで終わるのは嬉しい。


 一学期と同じく、僕を含めた教室掃除班は全員でさっさと教室掃除を済ませた。……期末テスト前に弥生たんに捕まったあの日から比べると、段々掃除の仕方が雑になっていっているような気がするが……それも仕方ないかな。だって人は忘れる生き物だから。


「じゃーなー」


 黒光りする肌が一層眩しい大喜多君を始め、僕と同じ教室掃除班が散っていく。

 ほどなくして待っていた柳君と高井君、そしていつからかなんとなく話に混じっていたマコちゃんという、夏休みに自転車を見に行ったメンバーが集っていた。


「そういえば、肝試しどうだった?」


 自転車屋のあるスポーツショップに向かう道中、僕は彼らに聞いてみた。

 実はこれ、肝試しに呼んでいない一部男子の絶望と怒りをモロに増幅する話題だから、教室ではできない話なのだ。


 もし逆の立場で、呼ばれていないどころか話も来なかった僕に、「あの九ヶ姫のお経様と肝試ししたんだZE」なんて誰かがチャラ男っぽく言い出したら……僕は決して、絶対に、何があろうと、たとえ何年かかろうと、二度とそんなふざけたことができないようそいつに後悔の味を教えてやることだろう。

 そんなことは絶対許せない。

 そんなことはあってはならないことだ――と、わりと本気で思うので、僕と同じように嫉妬に狂う男は必ず現れるはず。だからタブーなのだ。


 話が漏れるだけならまだしも、もし僕が首謀者にして計画した者の一人だとバレたら、下手したら殺されるわ。殺されないまでも、今度はパンツさえ許されない全裸で授業辺りの特大の仕打ちを受けかねないわ。……高校生活内で唯一接点のある女性の弥生たんにさげずんだ侮蔑の目で見られると想像しただけで、もう、もうっ…………あれ? あんまりイヤじゃないな?


 まあとにかく、学校じゃできない話なので、今聞いてみた。


「最悪よ! 何が悲しくて女なんかと肝試ししないといけないのよ!」


 真っ先に反応……それも拒否反応を示したのはマコちゃんだ。マコちゃんはぶれないな。力いっぱいでもぶれないな。

 なんでもマコちゃんは、「男子側に混じっている女子、のような男子」という事実が発覚した時点で、一部女子にものすごく好意的な反応をされ、そのまま指名されて連れて行かれたらしい。結構早い段階だったので、僕が出発する前のことだ。

 男としては女子に指名されたという時点で羨ましい限りだが、マコちゃんからすれば「同性に好かれてもしょうがない」くらいの気持ちなのだろう。身体は男でも心は乙女だから。


「柳くんと一緒に行きたかったのに……最低でも一之瀬くんは誘ってくれたのに……」


 ごめん僕誘わないわ。言わないけど。

 残ってても誘ってなかったわ。言わないけど。

 ……つかマコちゃんはどんだけ僕に好かれていると思ってるんだろう? ちょっと怖いから確かめないけどさ……


「全部あの女のせいだわ」


 きっと「あの女」とは、真っ先に柳君をかっさらっていった月山さんのことだろう。まあこれも言わないけど。

 まあ、マコちゃんとしては散々な結果だったようだ。


「高井君は?」

「結構楽しかったぜ」


 どうやら高井君は、ランニングシャツから覗くボンレスハムのような太い肩と腕、歩くだけで鮮やかな流動が見て取れるハーフパンツの下に見えるコブのような筋肉の付き方から、向こうの運動部の女子に指名されたそうだ。自分たちと同じように運動系のクラブに所属していると思われたらしい。

 でも高井君は帰宅部なんだよね。


「プロテインの話でちょっと盛り上がった」


 マジかよ。プロテインネタでか。……やはりアスリートは着眼点が違うな。


「それよりおまえはどうなんだよ」

「え?」

「思いっきり告ってたじゃん」


 Oh!? 聞かれてた!?





「何それ何それ!? 何それ!? 誰に!? 私に!?」


 マコちゃんのテンションが怒りから興味と興奮へと変わった。いやマコちゃんに告白した憶えないし。


「あれ!? 私告白されてないけど!?」


 いやだからしてないし。


「つかマコちゃんは僕が片思いしてたこと知ってるだろ」


 知ってるくせに、なんでこんな反応だ。


「え? 私とその子の間で揺れてて結局私を好きになったから立ち直ったんじゃなかったの?」


 なんでだ。本気でキョトンとしてやがる。なんでだ。

 もうマコちゃんは放置するとして、だ。


 どうやら高井君たちは、僕と天塩川さん組の直後に出発したらしい。


「おまえらすげー遅いから、こっちは話をして間を作るしかなかったんだぞ。前に見える懐中電灯の光が止まったらこっちも止まってたぜ。何? そんなに怖かったのか?」

「いやまあ……色々楽しくて」


 天塩川さんは本気で怖がってたけど。僕は全然……というかあんなに雑じゃホラー耐性低い僕でさえ怖がれないよ。肝が冷えたのはあのメガネトラップくらいだ。

 あとちょっとイチャイチャしただけだ! チャイチャイしただけだ! それは紛れもない事実として僕の心のダイアリーにしっかりくっきり刻み付けてあるさ!


 僕らの背後に迫っていた高井君たちは、ゴール地点である地蔵を超えた辺りからグングン僕らに迫っていて、公園に出た頃にはすぐ近くにいたらしい。

 だから僕の行動も、結構間近で見たんだそうだ。


「そんなことより告白は!? どうなったの!?」


 マコちゃん好きね。こういう話題。


「別に話せるようなことは一つもないんだよ」

「え? どういうこと?」


 どうもこうも、答えは最初からわかっていたってだけだ。

 告白しようがしまいが、僕はすでにフラれていたというだけだ。

 天塩川さんに限って二股なんてしないし、もし天塩川さんがそうしようとしたとしても、その時は僕から断っていただろう。


「あの時、ちょうど花火が始まったんだ。だから九ヶ姫の女子はすぐに帰ったじゃない」


 九ヶ姫の女子は、門限は九時だった。だから八十一やそいち神社の花火が始まった瞬間、現場は慌しく動き出した。

 中には公園付近に親御さんが迎えに来ていた女子もいたし、噂によると九ヶ姫の教師も紛れ込んで事件が起こらないようこっそり見ていた、という話もある。

 だから……というわけでもないだろうけど、彼女らにとっては、あの日の時間厳守は侵しがたいルールだったはずだ。

 天塩川さんも例外じゃなく、僕の告白の直後、陸上部の後輩らしき女の子に連れられて、何か言う間さえなくあっという間に目の前から消えてしまった。


 だから、僕は天塩川さんから何の答えも聞いてない。

 でもそれでいい。


 ――僕は告白した時点で、満足してしまったのだ。


 肝試し企画により、それまでになかった濃密な……僕のわがままな思い出作りは果たされた。

 だからもう、それでいいのだ。


 ちゃんとフラれたかった気もするが、答えはもう、彼氏連れで歩いている姿を見た時点で貰っているようなものだ。

 だから、告白した時点で、僕の中にあった天塩川さんへの想いを伝えただけで満足したのだ。本当に。

 返事を先に貰っていたせいか、覚悟ができていたせいか、失恋のショックもほとんどないし、天塩川さんのことも割り切れていると思う。


 そもそも、もう会うこともないだろう。

 僕の毎朝のジョギングは、八月三十一日、肝試し翌日の夏休み最終日にはコースを変えた。今後も八十三やとみ町方面に走りに行くことはない。

 これで本当に接点らしい接点はなくなったのだ。


「……とまあ、そんな感じ」


 三人の反応は、特になかった。

 きっぱりフラれたなら指差して笑うなり笑いを堪えるなり堪えきれず吹き出すなりクラス中に笑い話として吹聴するなり色々笑い方はあるんだろうけど、そして付き合うなら付き合うで「おめでとう」の祝福パンチや「羨ましいぞこの野郎」の嫉妬パンチや「特に理由はないけどシャイニングウィザードしたかっただけ」という意味のないシャイニングウィザードを食らったりと、これまた色々な祝いの声が聞けたはずだが。


 でも結果は、直接的ではないフラれた話だ。

 聞いている方にしてみれば、なかなか反応に困るような刺激の少ないつまらない話だったに違いない。





 変な空気になりかけたので、僕は慌てて本命の柳君に話を振った。


「僕のことより柳君はどうだった!? チャイチャイした!?」

「チャイ? ……インドの茶か?」

「何つまんねーこと言ってんだよ! おまえあれ、俺でもわかったんだぞ! あの女おまえのこと好きだって一発でわかったんだぞ!」


 とぼけた……というか、たぶんマジ反応をした柳君の背中を、高井君がバシバシ叩いた。結構痛そうだ。


「なんだ? 手ぇ出したのか? おまえ手ぇ出すの早そうだもんな! それとも足出したか!?――いてっ!」


 マコちゃんの足が出た。高井君の足をマコちゃんが思いっきり踏んだのだ。


「デリカシーない聞き方しないの!」

「な、なんで怒ってんの?」

「怒ってないけど!? 別に全然怒ってないけど!? 怒ってるように見えるの!? もし仮に怒ってるように見えるなら高井君が私のこと怒りっぽい奴だと思ってるから怒りっぽく見えちゃってるんじゃないの!? そういう色眼鏡で見るのやめてくれる!? 別に怒ってないし!」


 確実に怒ってるじゃん……それもすげー怒ってるじゃん……彼氏に浮気されたアメリカ女性くらい激しく怒ってるじゃん……

 修羅と化したマコちゃんが高井君を民家の壁に追い詰めているのを合掌しながら諦観の目で見ていると、柳君がぼそっとつぶやいた。


「何かあったと思うか?」


 僕は即答した。


「いや、何もなかったと思ってる」

「正解だ」


 ――僕の予想通り、月山さんはまともに柳君と話もできず、柳君も特に月山さんと話すこともなく、ただただ静かに歩いてそのまま肝試しを終えたそうだ。


 でも、あの日から毎日月山さんからメール来るんだよなぁ。

 「柳君とほんとに肝試ししちゃった」とか「柳君にエスコートしてもらっちゃった」とか「おばけから守ってくれた蒼次△」とか「もはや恋人と言えるんじゃないかな!? かな!?」とか……えらいハイテンションなメールばかりだったが、やはり予想通り何もなかったのか。

 僕が「どうした?」とか「何かあった?」と聞いても、「ヒ・ミ・ツ☆」とか「ダメダメ! 柳君と凛だけのスウィートメモリーなんだからねっ」とか、非常にウザい返事しか来なかったし。


 返事したくてもできないわな。何もないんだから。


「いらない小細工をして月山と行かせたのに残念だったな」


 おや皮肉。珍しい。


「前も言ったと思うけど、僕は月山さんの応援はしてないよ」

「信じろと?」

「信じざるを得ないと思うよ。だって――」


 いつもより冷めた目をしている柳君を、僕は笑いながら見た。


「いつものようにちょっと君を犠牲にしただけだから」


 柳君はわずかに目を見開くと、口元だけで薄く笑った。


「そうか。自分の利のために俺を犠牲にしたのか。……ならいつも通りだな」

「そういうこと」





 カタログを見ていたと言うだけあって、柳君は購入する自転車をすでに決めていた。

 二十インチという小さい折りたたみ自転車で颯爽と帰っていく柳君を見送り、僕も帰途についた。





 さて。

 そろそろ月山さんのメールもウザいから、黙らせてやろうかな。


 まったく……すごい美少女なんだから、つまんない見栄なんて張らないでもっとドンと構えてればいいのに。










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