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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
五月
12/202

011.五月十日 火曜日  前半




 怒号、豪気、気魄、恐慌。

 ぶつかり合う激しい感情が嵐のように荒れ狂う。


 怒涛、気概、野蛮、戦色。

 一言で言えば、乱闘である。


 それも十人二十人どころの話ではない。五十人くらいの男どもが入り混じり、どこを中心にしているのかわからない大乱闘が起こっている。

 僕はこれを見たことがある。そう、毎日昼休みに食堂や購買で起こる地獄絵図にそっくりだ。弱い者を容赦なく淘汰し、強者だって荒波に揉まれかねない、空腹という獣に理性を奪われし男たちの狂乱そのものだ。

 ただ、僕があの時見たものより、圧倒的にひどい。僕基準で六倍は余裕でひどい。


 これが八十一高校春の名物「新人狩り」か。





 まず気付いたのは、声だ。

 やれ「殺す」だの「死なす」だの「だらっがぁ! しっ、っっぁぁああああああ! らっ!」だの「運動部より優れた文化部など存在しないのだ」だの「私の戦闘状態は十八センチです」だの「狩人王に俺はなる」だの「まずその二年坊をぶち殺す」だの、耳を覆いたくなる内容のものばかりだ。特に十八センチは男として脅威に震えざるを得ない。だが同時に、それに口にした瞬間、周囲にタコ殴りにされても文句は言えないだろうと僕は思う。最悪、男として抹殺されかねない危険なワードである。


 早朝、校門前には人だかりができていた。

 よくよく顔ぶれを見ると、一年生ばかりである。あの乱闘を目の前にして、行くに行けず留まっているのだろう。


 僕は「新人狩り」の恐ろしさをイヤと言うほど聞かされたので、今更戸惑うことはなかった。

 ……というか、僕は昨日、一皮剥けたんだと思う。


 放課後にもあのONEの会に顔を出し、ゴリマッチョこと五条坂先輩のセクハラ的視線に晒され、次々に女装用の服を引っ張り出す絶対領域・前原先輩の勧めを頑なに拒絶し、デフォで触れている線の細い超イケメン・東山先輩の圧力に耐え切ったのだ! 貧弱な僕がやり遂げたのだ! 何度も心を折られそうになりながらも! やり遂げたのだ!


 あれは一種の修羅場だった。

 あれを潜り抜けて男として一皮剥けないのであれば、もう男ではない。……もちろん一皮剥けたというのは下半身的な意味ではない。いや念のため。


 人込みの間から覗き込むと、想像通りの地獄が展開されていた。

 それぞれクラブのユニフォームを着て、一年生だろうとなんだろうと、とにかくまず殴って仕留めてから勧誘をするのがルールのようだ。……いや、ルールっていうか、それがもっとも効率的だと判断されているだけかもしれないが。強いてルールというなら、野球部ならバットやボール、サッカー部ならスパイクといった、凶器になりそうなものの使用がないことくらいか。


 しかしそれにしてもすごい。

 取っ組み合いどころか本気で殴り合っている。

 まさに大乱闘である。


 ――まあ、僕は平気だけどね! ONEの会に仮入会しているから!


 だから今の僕の心配は、仮入会が色々諸々押し切られて本入会にされないよう注意することのみである。


「二年、三年、クラブ所属者はこっちから行け!」


 あ、守山先輩だ!

 凛々しく澄んだ声に視線を向けると、僕らのおねえさ……アニキが立っていた。校門前には応援団の人が二人立っていて、どうやら応援団が「新人狩り」を仕切っているようだ。校門の左側が守山先輩、右側に五条坂先輩に負けないくらい大きな先輩が立っていた。


 今の言葉を聞くに、守山先輩側から行って迂回すれば、安全に通り抜けられることになっているらしい。よく見ると左の奥、乱闘騒ぎから少し離れたところに、見覚えのある白ランの団長がいた。きっと団長の立っている場所が、乱闘の範囲と決められているのだろう。

 何の心配もいらない二年生、三年生が、守山先輩側から校門を潜っていく。物見遊山に「おーすげー」とか「やれやれー」とか他人事のように言いながら。

 いや、実際他人事なのだ。これに関係しているのは、新入生が欲しいクラブと、帰宅部の一年生だけ。


 つまり僕は除外ってわけだね! 貞操の危機をさらしてまでゲットした所属証明があるから!

 さ、僕も他人事のように乱闘騒ぎを見物しながら行こうかな!





 本当に伝統行事の一つのような扱いらしく、守山先輩は一年生が通る時に、所属証明の提示を求めていた。

 僕は生徒手帳を開き、五条坂先輩に記入してもらった所属証明の紙を取り出す。……えっらい可愛い丸文字で、フルネームの後のハートマークが鳩尾にグッと来る。何度見てもすごいぜ、五条坂先輩の文字は。


「早く行かんか!」


 反対側の大きな団員が、校門を通れず溜まっている一年生たちを情けなく思ったのか、手当たり次第に校門の中へと押し込めていく。ガタイに似合った腹から出ているすごい声気だった。そして抵抗する間もなく無理やり十名ほどの一年生が校門を潜らされた。大変だね、がんばって、と僕は心の中でエールを送った。僕は違うところで同じ期間、精神をすり減らし心を摘まれかねない苦労を貞操の機器を感じつつするのだから、ちょっとくらい優越感を抱いてもいいだろう。


「おい、行くなら早くしろ」


 声に振り返ると、アニキが僕を見ていた。お、おお……アニキに声かけられちゃった! 今日はなんて良い日だ! あとは放課後のONEの会の集まりさえなければ言うことないのに!


「これです」

「――確かに。行け」


 開いた紙を見せると、守山先輩はチラと確認してOKを出した。うおぉぉ、近くで見るとほんとにびじ……


 思考が止まった。

 ちょっとした優越感なんて、一瞬にし

てなくなった。


 なぜなら、僕は見てしまったからだ。

 今校門を潜った一年生の中に、しーちゃんがいて。


 そのしーちゃんを含めた一年生たちが、新たな獲物を見つけた二年三年に囲まれ、大乱闘に呑み込まれたところを。


 ほんの一瞬だった。

 見間違いかもしれない。

 というかたぶん見間違いだ。きっとそうだ。


 だけど、何度自分にそう言い聞かせても、僕の足は動かない。

 仮にあれがしーちゃんだったとして、僕に何ができる?


 僕は弱いし、ケンカなんかしたことない。運動神経だって言うほどよくないし、成績もいたって普通。そんな僕がこんな大規模の大乱闘に飛び込んで何が変わる? 冷静に考えろ。僕には何もできない。誰かに殴り倒されて即終了だ。

 だけど、何度自分を説得しようとしても、僕の足が動かない。


 身体が震える。口の中がからからになってきた。水が飲みたい。背筋がずっと寒くて後頭部がざわざわするのは、あの中に飛び込んだらどうなるか想像しているからだ。やらないって。しーちゃんだってちょっと話した程度で友達と呼べるか微妙な仲だろ? 行かないよ。怖いから。怖いんだよ。なんでだよ。なんで動かないんだよ、このクソ身体。


 なんか……涙出てきたんだけど……冗談だろ……?


 本当に視界が涙でにじんできた。身体の震えが止まらない。止まらないどころかどんどんひどくなる。息も荒くなる。自分がどうしたいのかわからない。


 硬直する僕を動かしたのは、


「おい」


 守山先輩だった。

 僕の胸倉を掴み、見た目より強い力で僕をつるし上げる。

 強い目が、僕を、僕だけを見つめる。


「迷うくらいなら行け。自分で行けないなら俺が押してやる」


 僕の視線と態度で、僕が何をしたいのか察したのだろう。





 守山先輩は、いとも簡単に、僕を押した。

 大乱闘の目の前に。


 考える前に僕は走り出していた。

 しーちゃんを巻き込んだ「新人狩り」へと。










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