117.ある夏休みの一日 其ノ漆 終
月山さんとの……というか清水さんとの電話を終えた僕は、ベッドに座ったまま考えていた。
さて、大変なことになってきた。
怠惰な時間を謳歌するつもりだったのに、にわかに頭を使う必要に迫られてきたようだ。
問題点はいくつある?
「月山さんも来ることを告げた上で柳君を誘う」という目に見えているハードル以外にも、何かしら問題がありそうな気がする。
概要は、「集団で行動する」だ。
月山さんと清水さんは決定として、僕が誘いたい天塩川さんは、月山さんたちがどうにかすると言っていた。それこそ僕が柳君を誘い出さなければいけない理由である。
これで女子側はすでに三人が決定したわけだが、こちら……つまり男子側はどうだろう。
やはり人数は合わせた方が、お互いやりやすいはずだ。
柳君と僕で、とりあえず二人は決定。高井君も誘えば来るだろうし……あれ? いや待てよ?
誰でもいいってわけでは、ないよな?
相手はあの九ヶ姫女学園の生徒だ。
有名なお嬢様校の生徒だ。
あんな筋肉しか興味のない濃い男を誘っていいのか――と考えたところで愕然とした。
基本的に濃い野郎しか知り合いいないじゃないか!
僕と柳君は、クラスどころか八十一高校全体で見ても普通に近い方である。灰汁の弱い方である。わりと抵抗なく世間に溶け込め、順応できる方である。それが普通ってことである。
だが他の連中はどうだろう。
悪い奴らじゃない。
バカなだけだ。
だが初対面の時はそれすら知らないわけだ。理解していればどうということもないが、理解するまでに時間が掛かるのであれば、九ヶ姫のお嬢様方に会わせるのは危険だ。
姉のせいで女性に強いトラウマを持つ城ヶ島君を筆頭に、我ら一年B組はポンコツだらけだ。どう考えても初対面の女子たちに強いとは思えない。個人的にイケメングループは呼びたくないし。呼ぶほど仲良くもないし。つか彼らは彼らで夏祭り行きそうだし。
真っ先に対応できそうな候補を挙げるとすれば、やはりマコちゃんだ。でも今回だけは彼は絶対にはずすべきだと思う。
だってもし連れて行ったら、柳君を賭けた月山さんとのリアルファイトが始まっちゃうかもしれない。
でも誘わないなら誘わないで、なんだか水臭いよなぁ……高井君もそうだし。
マコちゃんは柳君が絡まなければ、本質は受け入れるとして悪い奴じゃない。むしろ普通寄りかもしれない。本質はさておき。
高井君は筋肉にこだわるけど、それ以外はいい奴だ。僕より性格もさっぱりしているし、スポーツが趣味な女子なら意外と気が合うかもしれない。
……そうだな、もう少し清水さんとちゃんと打ち合わせした方がいいかもしれない。
人数と規模。
その辺が決まると、自ずと誰を誘えばいいのかも見えてくるはずだ。
たとえば、僕が誘いたい天塩川さんは二年生で、面子次第では一人だけ二年生という疎外感を与えるメンバーになってしまう可能性もあるわけだ。そうならないためにも、こちらも二年生を呼ぶとか、その辺のバランスを取るのは大切だろう。
遊びに行くんだから。
気を遣わせたいわけではないんだから。
だから、参加者が気を遣わなくていい面子を揃えるのも、僕らの仕事だと思う。
うん、やっぱりもう一度連絡を取るか。
――僕の疑問視はもっともだったらしく、この一時間後には、僕と清水さんは直接会うことになった。
八十一大橋を超えた先にある、閑静な住宅が続く八十三町は、……なんというか、八十一町と違ってどこか余裕がある。
朝のジョギングを抜かせば数えるほどしか来たことはないが、昼に近い午前中でも静かで、ひと気が少ない。
八十一町なんて今日もガンガンに車走ってるし商店街は基本雑多なのに、こっちはなんかもう、余裕があって優雅で静かである。なんだこれ。セレブの町か。……セレブの町かもなぁ。家とか軒並みちょっと大きいしオシャレだもんなぁ。
そんなセレブっぽい八十三町にあるケーキ屋「ショコラIMARI」は、名店と噂の場所である。白い外壁が目に眩しい清潔感ある建物で、店というより普通の家屋を改造したような居住まいだ。
ここはジョギングの時に良く前を通る店で、気にはなっていた。
まあ外観からして女性向けだと思うし、そもそも僕が走る早朝には開いてないので、実は開店状態を見たのはこれが始めてである。
そんな「ショコラIMARI」の前に、僕は立っていた。
そう、ここで清水さん月山さんと待ち合わせの約束をした。店内にケーキを食べられるような小スペースがあるのだ。そこで話そう、ということになっている。
この目で見て、ここなら僕もいいな、と思った。
あの二人と会うと決まった時、もっとも恐ろしいのが、八十一高校の誰かに目撃されるケースだ。
もし発覚したら、彼らは嫉妬に荒れ、憎しみを燃やし、その負の感情は怒りに乗ってネットワークを駆け回り、僕はきっと全校生徒の憎悪の対象になっていただろう。隣のC組に嫌われるどころのレベルではなく。だって僕が誰かのそんな光景を見たら同じことをするからね。「あの月山凛と会ってたって!? それ死亡フラグだね!」と言ってしまうことだろう。
八十一町商店街にある喫茶店「おいちゃん」なんかで会っていたら、速攻で発覚しただろう。あそこはオープンすぎるし、何よりあの辺は八十一高生も多いから。
でもここなら安心だ。
ここは外からは店内の様子が見えないし、こんなシャレたところ八十一高校の男子は入らない、というか入れない。僕だって待ち合わせじゃなければ座って長居なんてなんて無理である。ケーキを買うだけならまだしも、一人でここで食べるなんて無理である。
僕は携帯で待ち合わせ時間を確認すると、オープンのプレートが掛かっている「ショコラIMARI」のドアを引き開けた。
「いらっしゃいませ」
カランカランとベルが鳴り、かわいい制服を着た店員さんが明るい声を上げる。
周囲と同じく静かな店内。ヒーリング系のやわらかなBGMに、かすかな甘い香りが混ざっている。感覚を刺激するそれらの要因が、外とは違う別空間という意識を強く持たせた。
まあ何より重要なのは、クーラー効いてるってことだけど。
フッ。しょせん僕も、雰囲気より涼を選ぶがさつな男子ってことだな。
入って正面にショーケースがあり、左手側に伸びた店内の先に、小さなテーブルが三つだけ設置されている。一つは品の良さそうなおばさん二人が占領し、一つは空いていて、もう一つは――
「あ、一之瀬。こっちこっち」
キャラメル色の髪を首の後ろで一つにまとめた超美少女・月山さんと、冷徹にメガネを光らせる涼しげな少女・清水さんがいた。
ジーンズにタンクトップという素っ気ない(けど輝いて見える)月山さんと、Tシャツにデニムのタイトスカートという力の抜けた格好の清水さん。イメージ的には着ている服が逆な感じがするのだが、当然こっちの組み合わせも涼しげで似合っている。
「先にご注文をお願いします」
そっちへ向かおうとした矢先、店員さんが僕を呼び止めた。そうか、ここは喫茶店じゃないもんな。買ったものならここで食べていいよってことなだけなんだよな。
じゃあ選ぶか。えっと……ケーキか。昼前だから腹はそれなりに減ってるけど、正直塩気のある昼飯が食べたいんだよな……うーん……
「どれにするの?」
「うわびっくりしたっ」
ショーケースを見ていた僕の耳元で、いつの間にかやってきていた月山さんが囁いた。さ、さり気に背中に手が触れてるけど! なんだよこのスキンシップ! なんだよこの急接近!
「どれにするの?」
僕の反応など意に介さず、月山さんはまっすぐ前を見たまま僕に問う。その目はとても真剣で、悪ふざけの気配なんてまったく存在しない。
「ちなみにここ、ガトーショコラが売りだから」
「へ、へえ……」
正直ケーキどころじゃなかった。
こんな超美少女がこんなに接近するとか……どんなご褒美だよ!! 先日会った、未だ色鮮やかに手の感触とともに思い出せる天城山飛鳥との出会いくらいヤバイぞ!! あの時は状況が専念するのを許してくれなかったからね!! こっちの方が破壊力は上かもね!!
なんか知らない間にガトーショコラを注文し、僕はテーブルに着いていた。……くそ、魔性の女め……好きになっちゃうだろうが! 好きな男以外に接触するのやめろよ! その気もないくせに!
「何から話そうか」
胸のときめきに内心あえぐ僕になど構わず、清水さんは早速話を始めた。
あれこれ話してみた。
清水さん側もまだ方針を決めていなかったらしく、渡りに船とばかりに問題点を挙げる。
やはりというかなんというか、僕が誘いたい天塩川さんは、知ってはいるがまったく接点がなく、彼女個人を誘うのはなかなか難しいとすでに結論は出ていたそうだ。特に学年も違うし、と。
だが、個人で無理なら、団体で誘えばいい。
彼女と接点のある人から誘えばいい。
天塩川万尋と言えば、陸上部の副部長である。幸い二人のクラスに陸上部員がいるので、もう陸上部ごとごっそり誘うという手も考えていたそうだ。――ちなみに僕の知らない部員である。僕が朝のジョギングで会う九ヶ姫陸上部は、短距離専門の人だけだからね。
「でもそうなると、人数が問題よね」
「そうだね」
そう、ネックは人数だ。
陸上部が何人いるかはわからないが、僕が把握しているだけで五人以上は確定だ。それにここの二人を加えれば、女子は最低七人という人数になる。
それに男子側も合わせるのであれば、さすがに集まるには多い気がする。だって人数だけで言えばサッカーができるくらいだからね。野球でもいいし。十人超えたら大所帯だろう。
「別にいいんじゃないの?」
さてどうしようと話が途切れた瞬間、今まで発言を控えていた月山さんが言った。
「どれだけ多くなっても、常に一緒に行動する必要はないでしょ」
「それだと凛も柳君と一緒にいられなくなるね」
うん、僕もそう思うが。「一緒に行動する」は前提に考えるべきだろう。
だがあまり大人数になると身動きが取りづらくなる。そして大人数になればなるほど「別行動しようか」という提案が出る可能性が高くなる。
それは僕としても勘弁してほしい。こんな話をしている以上、やはり僕は天塩川さんと一緒に回りたい。
月山さんとは利害関係の一致でこうこうことになっているのであって、僕は全面的に彼女に協力する気はないし。いざとなればお互いがお互いの好きな人を優先するのも当たり前で、その覚悟は僕も月山さんもできているはずだ。
「私はその辺はもう諦めてるから」
な、なにい!?
「諦めてるって……」
「だって顔を合わせるとまともに話せないし、話せるツールとしてメールができるようになったけど返信ないし……そもそも柳君が私と二人きりで行動できる状況を作るとも思えないし……」
いや、……うん、まあ、難しいかもしれないが……
「一之瀬、そのガトーショコラ一口ちょうだい」
さっきのショーケースの前でのまるでデート中みたいなアレはこれが狙いか! つかこのタイミングでそれって……いや、もういいわ。月山さんそういう奴だったわ。
「食べれば?」
「やった!」
皿ごと勧めると、彼女は半分ほど残っていたガトーショコラをフォークで一刺し、全部持っていった。……あれ? 一口って言ったはずなのに……
スポンジのかけらだけ残して消えてしまった皿を見て、僕は溜息をついた。――ほんとに残念な美少女だな、と。
「それは、柳君のことを諦めたってわけじゃないのね?」
「え? なんで諦めるの?」
強いなオイ! あんだけあしらわれてメールの返信もないのに、逆に諦めない方がすごいわ! 月山さんのハートすげー強いなオイ!
「なら別にいい」
月山さんの意思を確認した清水さんは、「確かに」とダージリンティーを一口。
「そういうことなら、一緒に行動する必要はないかもね」
え?
「そうなると、根本的に『一緒に夏祭りに行く』って目的がなくならない?」
「私もそう思うけど……凛、なんか考えがあるんでしょ?」
「うん」
マジかよ! 残念で有名な月山さんに、策があると!?
……あっ、僕のガトーショコラ、宣言通り一口で行きやがった! ……美少女が大口開けてケーキ半分無理やり口の中に入れる光景とか見たくなかったよ……
いや、てゆーか、これが彼女にとっての僕の感想というか、僕の立ち位置なんだろう。好きな人の前では絶対にできない行動だけど、僕の前ならできますよ、という。……別にわかってたよ。脈なしなんて。畜生。
「とりあえず人数は考えなくていいと思う。一之瀬も手当たり次第声掛けてみてよ。こっちもそうするから」
「え? だ、大丈夫なの?」
「うん。実はね――」
月山さんの策は、なるほどと言わざるを得なかった。
そう、その方法を取れば、むしろ人数が多い方が楽しいかもしれない。
そして僕は、そんな時に有効な手品を知っている……いつか王様ゲームをやることになった時、インチキできるようにね!
問題は、こっちが集めるのは八十一高校の生徒だけど、という点だ。九ヶ姫女学園の生徒には相当嫌われているそうだし……
……まあ……うん、そこは夏の開放感に賭けるか……!
計画は動き出した。
順次連絡を取り合い、状況を確認し合い、問題なく事が進行していくのを祈るように見守る。
――瞬く間に時間は過ぎてゆき、八十一町夏祭りの当日がやってきた。