010.五月九日 月曜日 後半
「はい、どうぞ」
「あ、ども」
差し出された紅茶を受け取る。飲み慣れていないのでどんな種類のものなのかわからないが、立ち上る気高い香りは缶ジュースなどとは全く違うということだけは理解できた。これたぶん高いやつだ。
ONEの会。
つまりその、あれだ。
「要するに、先輩方は、その、男性が好きな方々だと……?」
「あ、私は違うわよ」
マイクロミニにニーソで魅惑の絶対領域を誇る前原先輩が、首を横に振った。
「両刀使いだから」
「ばっ」
……バイ、ですか……つまり両方イケる、と。
そんな、僕の予想をはるかに超える答えなんて、……期待してなかったよ……
「とにかく逃げないから離してくれ」と半泣きで懇願すると、背後の人物は簡単に僕を開放した。
当然「逃げない」なんて嘘である! 隙を見てこの薔薇色の魔空間を抜け出さねば、僕はきっと登校拒否になるほどの大変なことをされてしまうだろう!
振り返り、僕を抱き締め続けていた人物の隙をついて、なんならブン殴ってでも――
「……」
「……ど、どうも。はじめまして」
その人を見た瞬間、力技での逃走は諦めた。
超イケメンだった。柳君に負けないくらいの超イケメンだった。あと女装もしていなかった。
柳君に似ていたせいだろうか、見た瞬間なぜか安心してしまった。
あ、こんな美形だったら、わざわざ僕を選ぶ必要もないだろうな、と。特に無理やりどうこうは絶対ないな、と。柳君とはちょっと傾向が違って、儚い感じの、線の細そうなタイプのイケメンだった。
もし美人女医スタイルのゴリマッチョと二人きりだったら、僕はもうすでに泣き出していただろう。でもこの人ならなんか大丈夫な気がする。……でもこいつが僕をONEの会に引きずり込んだんだけどね。やはり安心はできないか。
「とりあえず座ったら? 昴、彼にお茶を」
「はい、おねえさま」
やめろ絶対領域! そのマッチョを「おねえさま」と呼ぶな! 無理と無茶がすぎるだろ!
「まずは自己紹介かしら?」
ゴリマッチョがそんな平和的親睦を計ることを言って僕の油断を誘う。超イケメンが僕の手を取り、その辺の椅子に導いた。
異様過ぎて室内を見る余裕がなかったが、基本的に机と椅子があるだけの一室。部屋の角に姿見が二つあったり壁に女性物の服が掛かっていたりと、なかなか独特の雰囲気がある……僕にとっては危険な雰囲気が。
「私は三年、五条坂光。よろしくね★」
ウインクもやめろ! ……ゴリマッチョは五条坂先輩というらしい。なんつー濃い人だ……
「彼は前原昴。二年生よ」
彼、と指されたのは、魔法瓶から琥珀色の液体をカップに注ぐ絶対領域だ。
「そしてあなたを気に入ったその子は、東山安綱」
僕を捕まえたイケメンは、東山先輩というらしい。……僕の隣に肩が密着するほど近くに座り、手を握っているけれど。
「恥ずかしがりやで無口なの」
いや恥ずかしがりやは初対面の相手に抱きついたり部室に連れ込んだりはしないと思います。あと手も繋がないと思います。
「はい、どうぞ」
「あ、ども」
絶対領域こと前原先輩が僕に差し出したのは温かい紅茶だった。すごくいい匂いだ。
僕はその温もりに少しだけ心を落ち着かせ、そしてようやく重要なポイントに、核心に触れた。
「男が好きなんですか?」と。
返ってきた答えは予想以上だったが……
「それで、あなたはだあれ? 一年生?」
「あ、はい。一年の一之瀬です」
出会いが強烈すぎて、あとキャラも強烈すぎて、それとぶっちゃけ拉致られたのも強烈すぎてまだ色々混乱中だが、この三人はコミュニケーションが取れないほど強烈というわけではないようだ。
悪気はない。好きか嫌いかで言えばまだどちらでもない。
だが、いきなり突きつけられたせいで、とにかく今はここにいたくない。この密室に、彼らのフィールドにいたくない。僕はここに来るに至った事情を包み隠さず話すことにした。
話をしたその末に、僕に更なる最悪が重なる可能性にも気付いていたが、今は話さないことには進まないと思った。
「なるほど。『新人狩り』を避けるために同好会に所属したいと思っていたのね」
「はい、その通りです」
「――運が良かったわね」
ゴリ……いや、五条坂先輩はニヤリと笑った。
「言っておくけれど、『新人狩り』は今一之瀬クンが経験したものより、はるかに強引で手荒よ。もし私が『新人狩り』に参加していたら……」
ゾゾゾゾゾゾッ
ヤバスギル視線にかつてない悪寒が走り、背筋が寒くなる。
縮こまって椅子に座る僕の爪先から始まり、下半身を中心に五条坂先輩の凶悪にして凶暴な視線が、僕を無遠慮に蹂躙する。な、なんつーバケモノだ、言葉もない視線だけでこれだけの恐怖を感じさせるだなんてっ……!
ひいっ
悲鳴を上げそうになった。実際心の中では上げていた。
五条坂先輩は絡みつくような視線で僕を見ながら、グロス入りらしきリップでプルプル輝く唇に舌を這わせ、舌なめずりした。ちょ、まっ、そういう冗談やめようよ! 冗談じゃすまない破壊力だよ! 唇にトラウマできちゃうよ!
「まあ、強いて言うまでもないわね」
強いて言う以上にひどいことを視線と舌だけで語ってましたけどあなた! あなた今確実に僕を頭の中で裸にしたよね!? 絶対したよね!? 最低でも半裸にしてキスはしたよね!?
僕は反省した。
これからはもう、僕は女性を見ません。本当にさりげなく見ます。よもやみだらな視線がここまで精神的苦痛を与えるものだとは思わなかった。セクハラは確実に犯罪だ。セクシュアルハラスメントは大犯罪だ!
「だったらうちに入ればいいじゃない」
来た。そのセリフ、話す前から出るだろうと思ってましたとも。
「僕はその、ノーマルなんで」
「え? そうなの?」
え? なんで意外そうな顔するの?
「うちの部室の前にずっと立っているから、てっきり入ろうにも勇気が出ないシャイな子なのかと」
あ……そうか、そういう誤解があったのか。だから強引に連れ込んだのか。「言わなくてもわかっている」と言わんばかりに。そう考えると、あの拉致は、この人たちなりの優しさだったのかもしれない。そういうののカミングアウトってきっと勇気が必要だろうから。
僕は立ち止まって「ONE」の意味を考えていたから、その態度で誤解させてしまったのだろう。
「あれ? でも、なんで僕が部室の前にいるってわかったんですか?」
「足音だけど? ここ壁もドアもぺらぺらだもの。それにこの時間、遠ざかる足音はあってもこっちに来る、しかもここの前に立ち止まる足音なんてないもの」
なるほど、案外普通の理由だったな。
「そう、入会希望じゃなかったの。それは悪いことをしたわね」
「いえ……なんかこちらこそ紛らわしくてすみません」
有無を言わさず強引に、ではあったが、僕は踏み込んではいけない聖域に踏み込んでしまったような気がする。
ここは侵されざる彼らの大切な居場所で、僕はここにいる資格がないのだ。
「それじゃ僕はこれで」
「あら。紅茶の一杯も付き合ってもらえないの?」
「あ、その、だから、同好会を見たいな、って」
「うちに入ればいいじゃない」
「…………ノーマルって言いませんでしたっけ?」
「きっとあなた似合うわよ。スカート」
「…………」
「…………」
「ああ、安心して。勧誘期間が終わるまでの仮入会でいいから。正式に入れとは言わないわ」
冷静に考えよう。
今ここで暴れて部室を逃げられる可能性は――五条坂先輩のゴリマッチョっぷりを見るに1パーセントもないだろう。きっと一瞬で僕は壊される。片手でだ。もしかしたら指一本にさえ負けるかもしれない。あの太い指から繰り出されるデコピン一発で脳震盪だ。
素早く逃げるのはどうだ?
……ダメだ。
どんな手段に出ようと五条坂先輩を振り切れる気がしないっ……!
貞操の危機は去った。
だが、違う貞操が危機で、こっちの貞操は逃げられそうもない。
一之瀬友晴、ONEの会に仮入会。
……マジか……