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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
夏休みバイト編
103/202

102.夏休みバイト編 五日目  前編





 一週間限りのバイト生活もあと二日である。

 喫茶店「7th(セブン)」の業務にも慣れたもので、今日も野菜の皮剥きが絶好調だ。

 そして店長・遠野崇さんとの雑談も快調だった。


 やれ「昨日ユミちゃんに会った」だの。

 やれ「この店もいつか本格的なメイド喫茶にするべきか……」だの。

 やれ「そうしましょう店長ぜひ低価格でお願いします」だの。


 遠くの厨房で十和田さんがまばたきさえ忘れてじっとこちらを見ているくらい快調だった。……小さい子供が見たら泣いてても黙り込むくらい恐ろしい視線である。


「あの、店長」

「まあ待ちたまえ。まず生駒君を説得しないとこの話は先に進まない。しかし彼女の説得には骨が折れるだろうな……なんとか突破口を探さねば」


 店長はこれ以上ないほど真剣である。ものすごく頼もしいけど今はそっちじゃない。


「十和田さんがずっとこっち見てるんですけど……」


 ずっと気付かないふりをしていたが、さすがにそろそろ見ないふりをするのもキツい。

 だってすげえ見てるもん。

 もはやさりげなさが存在しないくらいガン見してるもん。


「店長、なんか刺されるようなことしたんじゃないですか?」

「ははは、なぜかね。十和田君がそんなことをするわけないだろう」


 いや店長、笑い事じゃなくて。ほら見て。もう視線で殺す気なんじゃないかってくらいヤバイ目してるし。よく見て。ちゃんと見て。現実を見て。


「店長のことだから冗談半分で口説いてみたりしたんじゃないですか? そして冗談半分で別れたりしたんじゃないですか? 冗談半分な生き方してるから恨まれるんですよ」

「そうかい? 真面目に生きているつもりだがね」

「……冗談半分な生き方は否定しても、口説いたのは否定しないんですね」


 すげえな店長。あの十和田さんを本気で口説いたのか……いや、店長のことだから、常に「その時は」が付くような安売りの本気なのかもしれないが。


「何度か食事には誘ったが、なかなか頷いてくれないね。口説くどころか他意はないんだが」


 ……まあ、店長はおんなーおんなーってがっつくような歳でもないし、誰でも分け隔てなく食事に誘うらしいしな。同じく厨房で働く悪メン・瀬戸さんなんかもよく誘って、色々な味を知るために一緒に食事に行くんだとか。ちなみに瀬戸さんは今日は昼からだ。


「だいたい十和田君が見ているのは、私ではなく君の方だよ」

「……えっ!?」


 その言葉は衝撃的だった。

 まさかっ……う、うそだろっ……そんなっ……!


「僕何もしてませんよ!」


 そう、僕は十和田さんに何もしていない。というか出会った時からすでにビビッてるのに何かができるわけがない。何か気に障ることでも……ハッ!? そ、そうか!


「大した仕事もできないくせにベラベラしゃべりやがって一度シメてやろうか、みたいなことを思っているのでは……!?」

「君は十和田君を何だと思っているのかね」


 戦々恐々としている僕の横で、店長は呆れた顔をしていた。





「あの、よろしくお願いします」

「……」


 う、近くで見ると迫力が違う……こえぇ。


 ――「7th」専属のパティシエである十和田冬。

 どこからどう見ても殺し屋にしか見えない眼光鋭い彼女だが、見た目によらず……いや、案外只者じゃない職人って意味では見た目通りかもしれないが、非常に優秀な菓子職人なのだそうだ。

 確かな舌と器用な指先、そしてデコレーションに際する美的センスも必要だろうか? 顔が怖くてかなり無口だが、職人気質と言われればわからなくもない。


 十和田さんが僕を見ていたのは、元々僕の仕込みの仕事に、こっちのケーキ作りの手伝いも入っていたからだ。野菜の皮むきだけじゃなくてね。そう、確かに初日の午前に、僕は店長に「慣れたら彼女(十和田さん)の手伝いもしてほしい」と言われていた。日々に忙殺されてすっかり忘れていたが、思い返せばちゃんと記憶に残っていた。

 昨日、十和田さんから店長に打診があったそうだ。「そろそろこっちに回してくれ」と。


「――いつも向こうを手伝う洋子君や生駒君が、今週は午前のシフトにあまり入れなくてね。だから一之瀬君が仕事に慣れたら、ケーキの仕込みの手伝いもやってもらおうと決めていたんだよ」


 どうしても嫌じゃなければ行ってくれるかね、と店長に送られ、僕はお菓子作り用の厨房へとやってきた。

 十和田さんは怖いが嫌ではないし、立場上強く拒否できないので答えは決まっている。


 匂いが料理に移らないようにと、場所を離しているだけではなく空調の流れも変わったのが肌に感じられた。

 一歩踏み込んだそこから、ふわっと生クリームやバターの優しい匂いに包まれた。

 離れていたらほとんど感じられないが、近付くと、やはりここはお菓子作り用の厨房なのだとよくわかる。お菓子の匂い……なんとなく女の子を連想してしまう甘い香りが充満している。


 そして、そこに君臨する卵とフルーツ各種に囲まれた支配者の射抜くような相貌に、心臓が早鐘を打つ。

 ヤバイ。

 近くで見ると想像以上に怖い。

 あと数歩近付いたら包丁が飛んでくるかもしれない……そんな危険なビジョンが脳裏に浮かんで離れない。


「……あの、なんか、怒ってます……?」


 正直腰が引けている僕が探るように問うと、じっと僕を見詰める十和田さんは首を振った。


「……いや」


 しゃべった! しかも案外声が高くてかわいい!


「仕事を増やして悪いけれど、手伝ってくれる?」


 「でも断ったらわかってるよね?」と言わんばかりの視線である。……いや、たぶん色々僕の考えすぎなのだろう。被害妄想的なものなのだろう。

 十和田さんは見た目がちょっと怖いだけで、まともな人なのだ。きっと。いや絶対。……たぶん、そうだと思う。……そう信じていいですよね? いいんですよね?


 怯えてばかりいても仕方ないので、さっさと手伝うことにした。

 ……とにかく何かしていないと、無言のまま向き合っている方がキツい。


 手伝いといってもケーキ作りなんてできないので、これまた基礎の手伝い程度の作業が割り当てられた。

 僕は教えられた通り、ひたすらボウルに卵を割ったりハンドミキサーでメレンゲを作ったりし、その隣で十和田さんは慌しく冷蔵庫やらオーブンやら行き来しテキパキとケーキを作り上げていく。


 特にデコレーションがすごい。

 目の前で行われる職人業に、僕はしばしば意識を奪われていた。

 焼きあがったスポンジ数個に生クリームを伸ばしていく。そのどれもが計ったかのように正確で、手作業とは思えないほど正確・精密に同じ物が出来上がっていくのだ。何気ない作業のようでそんなに簡単なことじゃないのは容易に想像できる。


「一之瀬くん」

「は、はい」


 鮮やかな手並みに見惚れて手が止まっていた僕に、十和田さんは視線も向けずに言った。かわいい声で。


「シュークリームは好き?」

「え? 好きですけど」

「じゃあ一個だけ作ってあげる。昼休憩の時に食べて」


 え、マジで!?


「でもシュークリームって、確か売り物に出てないですよね?」


 ケーキ以外のスイーツと言えば、手製ジャム付きのスコーンやクッキーが並ぶこともあったが……確かに毎日あるものではなかったな。


「時々突発的に出すこともあるけど。金曜日には必ず出すことになっているから」


 なるほど。こっちも日替わりというか、材料次第で毎日出すケーキ……というかスイーツも違うのかもしれない。


 ――僕はまだ知らなかった。毎週金曜日にだけ作る限定百個のシュークリームは、この「7th」で特に人気のあるメニューだということに。

 「やったラッキー」みたいな一言で済ませるにはもったいない代物だったということに。


「楽しみです。この前のチーズケーキも美味しかったですよ」


 二日か三日前に、僕がトングで握り潰してしまったやつだ。

 買取になるかと思ったが「一つくらいなら構わないよ」と店長采配が下されたので、潰したものは僕が昼休みに食べた。捨てるのはもったいなかったから。


「お菓子……というか、料理のコツみたいなのってあるんですか?」


 料理ができると女性にモテるらしいからね! だから僕は料理を始めようと思っている! で、もしかしたらスイーツ関係にも手を伸ばすかもしれないので、ぜひとも秘訣みたいなものをご教授願いたい!

 まあスイーツ関係なら、例のONEの会の前原先輩も得意っぽいけど。あのアップルパイを自分で再現できるだろうか……ぜひやってみたいものだ。


「コツ……といえば基本かな」

「基本?」

「分量を量って入れること。目分量は駄目。それだけ。アレンジは作る物を知り尽くしてからでいい」


 へえ……そうなのか。


「ちなみに十和田さんの好きなケーキ……というか、お菓子全般は?」

「甘いのはあんまり……」


 え、うそ!?


「甘いの好きじゃないのにパティシエなんですか?」

「いや、甘すぎるのが得意じゃないだけ。甘すぎなければ何でも」

「あ、そうか。そうですよね。さすがに嫌いってわけないですよね」


 そんな話をポツポツしていると、あっと言う間に僕の作業は終わっていた。

 「もういいよ。ありがとう」と十和田さんに開放され、僕は仕込みの仕事を済ませて店の方に移動する。後から振り返ってみると、怖いばかりだった十和田さんと案外普通に話せたから、自分でもちょっと驚いていた。

 この度胸と思い切りの良さ。

 あるいは、一度は切れた、今では荒縄のように図太くなった神経のなせる業だろうか。


 こんなところで、あの事件やトラブルだらけの高校生活に、ほんの少し、ほんのわずかだけ感謝することがあろうとは。

 人生はやはり経験ってことだろうか。





「あれ?」


 八時くらいから仕込みの手伝いをし、僕が店に出たのは十時すぎだった。今日は僕の教育係である熊野さんと今時の女子高生・新島さんがシフトに入っている。

 当然、まだ忙しくない店の方はその二人が回しているのだが……と思ったら、店はすでに満席だった。まだ朝で、ランチが始まっていない時間なので静かだが、それでも席は埋まっていた。

 しかもだ。


「どうしたんですか?」


 通りすがりの新島さんを捕まえて、外を指差し問う。

 まだ十時を少し回った頃なのに、外には行列までできていた。いくら夏休みで人が多いからってランチタイム以外で人が並ぶなんて。こんな現象始めて見た。


「今日はシュークリームが出るから。うちの名物」

「え? 名物?」


 シュークリームと言うと、確かにさっき十和田さんが「今日は出す」とは言っていたが……え? 有名なの?


「知らない? 雑誌で取り上げられたこともあるんだよ」


 だから金曜日はいつもこう、と。新島さんは説明もそこそこに仕事に戻った。

 そして入れ替わるように、通すがった熊野さんが僕の傍で足を止めた。


「テーブルについてる人から優先的にオーダー取れるから、並ぶより座ってた方が確実に買えるのよ。十一時に一回目の五十個、六時にもう半分の五十個が売り出されるから」


 ……ってことは一日限定百個!?


「貴重じゃないですか」

「貴重だね」

「なんで日本人は限定とかリミテッドとか好きなんですか?」

「うーん…………国民性じゃない?」


 そっか。僕はよくわからないが、日本人は行列とか好きらしいからなぁ。


「なんで女性は限定スイーツを欲するんですか?」

「本能だね」


 さすがというかなんというか、熊野さんははっきりと断言した。本能か……じゃあ求めてもしょうがないな。


「意志に抗って身体が求めるんですね? 夜な夜な身体が求めるんですね?」

「そういうの生駒さんに言えよー。あの人、軽いセクハラとか喜ぶからー」

「マジで!? ……いやてゆーかセクハラのつもりなかったですけど!」

「じゃあ一之瀬くんは素でエロいってことだね」

「いや、男の本能です!」

「……なんか嫌になるくらい説得力あるなぁ、それ」


 ええ、男はみんな本能でエロい、エロの申し子ですから。……いやほんとにセクハラのつもりなかったんだけどね! ついポロッと出ちゃっただけだけどね!

 ……いかんなぁ。男同士ならまだしも、女性にセクハラとかいかんよね。例のONE関係でそういうののつらさは知ってたつもりだったのになぁ。……周りが女性ばかりで浮かれてるのかなぁ。それとも緊張感が僕をおかしくしてるのかなぁ。もしかしたら僕の度し難いエロスの本能がなんやかんやってことなのかなぁ。

 でもまあ、今は僕の内に秘めしエロスの本能より、シュークリームだ。


「シュークリーム、そんなにおいしいんですか」

「うん。私も一度食べたことあるけど、かなりおいしかった。時々不意に出すこともあるみたいだけど、基本的には週一でしか材料が揃わないんだってさ。値段も高くないから人気が出るのもわかるよ」


 十時半にシュークリームのオーダー取るから、と熊野さんも仕事に戻った。今日は朝からすごく忙しそうだ。

 早速僕も仕事に入り、店内を飛び回る。


 それにしても、今日はなんか、客の流れが読めないな。僕が知っている従来の、夏休みの通常運行とは若干違う。

 実は今日、ランチタイムに柳兄妹を呼んでいるんだが……どうなるんだろう。





 今日はきっと大事な日になる。

 そう設定した。


 だが、果たして、すんなり計画通りに事が運ぶだろうか?


 憎き赤ジャージのようなイレギュラーもあるし、若干不安かなぁ……











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