101.夏休みバイト編 四日目 後編
僕は今日、越えねばならない壁を用意した。
七日間というバイト日程も中間地点を越え、そろそろ最優先で、かつ絶対に消化せねばならない計画に乗り出す必要がある。
最終目的としては、やはり、九ヶ姫女学園のあの人を呼ぶことにある。
当然急ぎすぎて失敗など愚の骨頂。機を伺っての日程を組んでおり、自分ではだいたい順調に事が進んでいると思う。
そして、問題は今日である。
今日やってくるONEの壁が越えられたら、あとはすんなり行けるだろうと見積もっている。
「だいぶ様になってきたね」
別に来るなとは言わないし、むしろ売り上げ的にはありがたいけど、でも僕が本当に待っているのはこの九ヶ姫の超美少女ではない。
まあ、でも、来てくれると嬉しいけど。
残念な人だけど、その残念さがちゃんと魅力に感じられるのは貴重だと思う。
「二人ともお金だいじょうぶ?」
テーブルに案内して問うと、最近通っている月山凛さんとS友の清水さんは何気なく答えた。
「あんまり大丈夫じゃない」
「味に納得できなければ来てないよ」
美少女のどストレートな返答と、清水さんの相手に負担を掛けないよう気を遣った返答。もちろん清水さんが気を遣っているのは僕ではなく、月山さんにだ。
「昨日は妹が迷惑かけたね。お礼に今日のケーキセットは僕がおごるから」
「「ほんと?」」
二人の少女はシンクロした。もちろん嬉々として。
――昨日、帰宅してから妹のお墨付きが出た。
妹は猫をかぶるのが上手いだけあって、人間観察が巧みだ。観察から割り出した「受けの良い自分」を演じるのだから、その辺はかなりシビアに見ていると思う。
そんな妹が「月山さんか清水さん、どっちか狙ってるから協力してもいい」とまで言った。この二人をよっぽど気に入った証拠である。
まあそれはともかく、ちゃっかり昨日の一時間ちょっとの談話で携帯とメルアド交換まで済ませたという妹のトークテクに驚愕しつつも、ぐいぐい話に食い込んだのだろう妹が迷惑をかけたことを考えると、やはり兄としてお礼の一つでもしておくべきだろう。
「友歌ちゃん、かわいかったよね? 昨日の夜、早速おやすみなさいメールが来たよ」
「私も来た。かわいいよね」
さすが我が妹、お姉さま受けが非常に良い。
が、清水さんは更に一言付け加えた。
「あの裏がありそうな感じがたまらない」
……おい妹! ドSに本性バレてるぞ! このままだと本性を突付かれるという清水さん(ドS)の罠に引っかかるぞ!
「え? 裏って何?」
「凛、知ってる? 女って裏の顔があるんだよ」
「……私も一応女なんだけど、その辺はどう思う?」
「そんな宇宙の真理を問うような難題をポンと投げられても困る」
「別に難題じゃないでしょ!? 私をどう思うかって話でしょ!? ……え!? 難題なの!? 違うよね!?」
必死な月山さんを放置し、清水さんはちびりとお冷に唇をつけた。清水さんは今日も絶好調である。
「今日の煮込みハンバーグは美味しいよ」とシェフ瀬戸さん一押しメニューを勧めると、二人は「じゃあそれを」と日替わりAを注文。僕のおごりでケーキセット付き。たぶんそれを聞いていたのだろう、隣のテーブルのOLっぽい二人組も続くように「日替わりAを」と声を上げた。
今日も忙しくなりそうだ。
まだ十二時を少し回った時刻。これから客がドンと増える時刻だ。
昨日ランチタイム(修羅場)を越えたことで自信が付いたのか、今日の僕はわりと余裕がある。昼から入った店長と、しーちゃん激似の生駒さんに相談し、今日からテーブル半分と言わず全テーブルを務めることになった。
仕事にもだいぶ慣れたかな?
いや、こういうのは慣れ始めた頃に大きなミスをしたりするのだ。基本スペックが決して優秀ではない僕なので、気構えだけは初心と緊張を忘れず油断大敵を言い聞かせよう。
慌しい時間が過ぎていく。
予想外というか、むしろ普通に考えれば予想し得た展開として、赤ジャージ(とその友達)の再来があった。驚くのも束の間、僕は「ああ、この負けず嫌いが負けっぱなしで引っ込むわけないよな」と納得した。
「失礼します」
男性用ランチで勝負し昨日と同じく負けた赤ジャージは、ケーキセットを運んできた僕をすごい目で睨む。でもデザートは別腹と。……なに普通の女子みたいにたとえ満腹でも甘い物を追加で食べようとしてるんだこいつは! ……と思わなくもないが、客商売なのでおくびにも顔には出さない。
僕はそんな赤ジャージの隙を突いて、赤ジャージの友達の前に、大胆にもコースターの下に割引券を一緒に敷き、その上にアイスコーヒーを置いた。カランと氷が澄んだ音を発てた。
赤ジャージの友達は慣れたもので、昨日と同じ理由で割引券が差し出したことを察し、目の前の赤ジャージにバレないよう速やかに割引券をバッグに突っ込んだ。ナイス。
月山さんと清水さん、そして赤ジャージたちが店を出て、ランチタイムもあと十分ほどという時間に差し掛かった頃。
――彼らはやってきた。
もうこの際、彼らの中身については僕から言うことはない。
ちょっと変わった人たちだ、と思えばそれで充分である。絶望的なまでに性格が悪いとか常識知らずとか、そういうわけではないからだ。……まあ強烈であることは否定できないが。
人は大なり小なり、意識せずとも他人に迷惑を掛けながら生きているものだ。その点から見ても、彼らは必要以上に、故意に周囲に迷惑を掛けているわけではない。……まあ強烈すぎることは玉に瑕かもしれないが。
悪気はないのだ。基本的に。
だから余計に性質が悪い…………と言われれば反論に困るが、それはもういいとして。
ONEの会の皆さんを振り返るに、僕が彼らに要求したのは一つだけである。
曰く――五条坂先輩だけは女装なしで来てくれ、と。
五条坂光。
八十一高校どころか八十一町という町に、生きた伝説として君臨する者。
たとえ彼の者が何者かを知らずとも、身長百八十オーバーにして体重百キロを越えるであろう外国のプロレスラー並の巨躯を誇る彼は、そのままでも目立つ。非常に目立つ。座っていてもデカイ。椅子がかわいそうだ。
そんな化け物みたいな身体に恵まれた彼がオネエ言葉で話す。オネエみたいな仕草をする。男を見る視線が凶器である。
……という感じの人が目の前にいることを想像してみてほしい。
もし想像できかねるのなら、女性の多い客層の中、黒のカリスマみたいな大きな人がいる光景を想像してみてほしい。
どうしても浮いてしまうだろう。
それどころか、周囲の女性客にとびっきりの威圧感を与えてしまうだろう。
同じくONEの会に所属している二年生の前原昴先輩や、久しぶりに会う東山安綱先輩、そして同じクラスの覚醒した乙女・坂出誠ことマコちゃん。
前原先輩とマコちゃんの女装については諦めた。
あの二人のはぶっちゃけその辺の女子より普通にかわいいので、別にもういい。というか見ただけではたぶんバレない。東山先輩はよくわからないが「タチ」だから女装はしない、らしい。
というわけで、僕が不安だったのは五条坂先輩のみである。
僕の都合で格好に難癖つけるのは悪いとは思うが、バイトの代打という弱い立場では、その、今後の客入りを減らしかねない客を僕が呼ぶわけにはいかない。
でも何かとお世話になってしまった、そして今後もお世話になるだろうONEの会の皆さんには、ここできちんとお礼をしておきたかった。
――と、前原先輩に頼んで五条坂先輩の格好だけは気をつけてもらうよう頼み込んだ。
その結果、恐ろしいことになってしまったのだが……
彼らが入店した途端、喫茶店から話し声が途絶えた。
自衛隊の鬼教官ばりにたくましい体躯を包むのは、漆黒。ダークスーツの上下を、貫禄もろとも完璧に着こなす彼。長い髪を後頭部で一つに結わえたオールバックに、薄い色の付いたサングラス。
お、おぉい……五条坂先輩、どうみても89●さんじゃないか……! それもガチで幹部級かヒットマンじゃないか……!
そう、単体だったら、間違いなくガチの8●3である。もしくはガチのヒットマンである。
問題は単体じゃないことだ。
一際目を引く彼の連れを見ると、その印象はまるっきり変わる。
久しぶりに見る東山先輩は、想像以上にかっこよかった。
同じく黒いレザースーツを着こなす美形。このクソ暑い夏場だと言うのにいっそ涼しげに見える顔立ちには汗一つなく、ラフに緩めたネクタイの上で赤い瞳のドクロが笑うタイピンだけが唯一モノクロの格好にアクセントを付けていた。
そんな五条坂先輩と、柳君に負けないくらい美形だと思っていた東山先輩の男組を先頭に、女装組が続く。
鎖骨の美しさが目を引く、これまたレザー素材のミニのワンピースにレザーのロングブーツでさらりと決めているのは前原先輩。
そして我らが一年B組のアイドルであるマコちゃんこそ、一番原型より変身していたと言える。
もうむき出しの肩から背中の肩甲骨くらいまでがら空きのノースリーブのブラウス、赤ラインの映えるチェックのミニスカート、ニーソックスに編み上げの茶色いブーツである。何より特徴的だと言えるのは、腰まで届く艶やかな黒髪だろう。たぶんヅラだ。
僕は個人的に、安易に胸パッドを入れないで平たいままの胸板をキープしていることを評価したい。なんというか……平たいからこそ感じられる芸術というか、そのものの美しさが如実に清楚な感じを際立たせていると思う。……まあ彼は残念なことに男だけど。
えらい格好で来たものである。
予想だにしなかった気合の入った格好で来たものである。
化粧なんてあたりまえのようにしてるし。
だが、これはたぶん、彼らなりに気を遣った結果なんだと思う。
僕の要望に合わせた結果なのだと思う。
僕の「女装NG」の声に応え「じゃあ」と五条坂先輩にスーツを着せた。その結果、周りの人が気の抜けた格好をしていたら、五条坂先輩だけ異様に浮いてしまうのは目に見えている。
この一行、かなり目立つが、この格好の四人が一緒ならば五条坂先輩だけ目立つということはない。……というか根本的に全体が目立ってるけどね。
ぶっちゃけ「何の集まりだ」という感じである。
五条坂先輩がいなければV系バンドの関係者かファンか、って集まりのように見えるだろうが、今の東山先輩の隣に五条坂先輩がいると、もはや東山先輩や一行のボディガードに見えなくもないのだ。
ほんとになんの集団だよ。正体を知っている僕でさえ戸惑うわ。
……まあ、知り合いなので、僕が行くしかないのだが。
異様な集団の来店を確認して露骨に固まっている生駒さんの隣を抜け、僕は化けたONEたちに近付いた。
「いらっしゃいませ」
「あ、一之瀬くん」
直接マコちゃんに会うのも一学期の終業式ぶりである。おお、マコちゃんの女子っぷりに磨きが掛かっている。てゆーかヅラでここまで印象変わるんだなぁ。……もしかしたらマコちゃんはこれからリアルにこのくらい伸ばすつもりなのかもしれない。
ONEの人たちが口々に「久しぶり」だの「おひさー」だの何だのと挨拶の声を上げるも、彼はやはり無言でトレイを持たない僕の左手を取った。
「……お久しぶりです」
「……」
東山先輩は頷く。……やっぱりしゃべらないな、この人。でもやっぱカッコイイな。元がカッコイイから、着飾ればめちゃくちゃかっこいいぞ。今すげえぞ。
でもタイに触れるのはやめてほしい。
手を握ってタイに触れるのはやめてほしい。
本人的にはループタイを興味津々で見ているみたいだが、傍目には迫られて……いやなんか怪しい関係のようにでも見えるのか、……妙に女性客の目が痛いような、熱いような気がする。
とりあえず、かなり注目を集めながら席に案内した。
「今日はお招きありがとう。一之瀬クン」
格好はコレでも中身には変わりない。五条坂先輩の低い声は、やはりねっとりしたオネエ口調だった。まあ、そこまでは求めませんとも。その格好で来てくれただけで感謝しますとも。……いやその格好も単体ならNGだけどね!
「皆さんには一学期中に大変お世話になりましたので。ぜひ食べていってください」
いざという時に意外な形で頼れるメンツだ。
特に前原先輩は、これからすぐにお世話になることになるし、ツケや借りはできるだけ返しておくべきだろう。……この人たちに借りっぱなしなのはあとが怖いからね。本当に。いろんな意味で。
「あ、ケチなこと言うようですけど、五条坂先輩はお手柔らかにお願いしますね」
この人は身体に見合う旺盛な食欲を持っている。たぶんこの人が思いっきり飲み食いしたら、僕のバイト代は全部飛ぶだろう。
「安心なさい。下級生にたかろうとは思わないわよ」
うん……そういうタイプじゃないのは知ってるけどね。でも一応釘刺しておかないとね。やってしまった後では遅いからね。
お冷を配り、メニューを置いて、僕はテーブルを離れると。
「おい一之瀬、ちょっと」
なぜか焦った顔をしている新島さんに、店側から目立たないようショーケースの裏に引っ張り込まれた。
この必死ぶり……ははーん、なるほど。
「紹介ならしませんよ?」
今日の東山先輩はヤバイ。制服姿もヤバイけど今は特にヤバイ。今時の女子高生である新島さんが一目惚れしてもおかしくないだろう。
何せ、店内の女性客ほぼ全員が、あのテーブルの四人を気にしている。どういう心境で見ているかは千差万別だとは思うが、奇異または好意的な心象が多いのではなかろうか。
「いらんわ紹介なんて。第一知ってるし」
「え? 知ってるんですか?」
「……一人だけね」
新島さんの顔は非常に苦々しい。……あ、そうか!
「元気出してください。新島さんはかわいいですよ! ああ、僕だったら好きになっちゃうな!」
「どんな誤解したのか丸わかりだな。別に告ってフラれたわけじゃないし。第一知ってるのはあのイケメンじゃないし」
あれ? そうか、僕はてっきり東山先輩に特攻玉砕の苦い思い出があるのかと思ったが。
「だいたいあんた、さりげに私に告らなかった? 私と付き合いたいの?」
「ごめんなさい。僕好きな人います。だから新島さんの気持ちには答えられません」
「……おまえなんでフッてんの? おまえなんで私が告白した体でフッてんの? キッコさん預かりじゃなかったらソッコー土下座させてんぞ」
え……そ、そこまでさせるほど僕を想ってた……?
「そう言われても……僕好きな人いますから……」
「いやおい! 済まなそうな顔すんなよ! 本気で私が迫ってるみたいだろ!」
「違うの?」
「……おまえとは一度ゆっくり話し合う必要があるようだ」
とにかくこの話はあとだ、と新島さんは話を進めた。
「あのサングラスのデカい奴、五条坂光っしょ?」
あ、新島さんが知っているのは東山先輩じゃなくて伝説の方か。まあ八十一町にいるなら、誰が五条坂光を知っててもおかしくない。中高生なら尚更だ。
「五条坂先輩と知り合いですか?」
「いや……なんつーか、一方的に知ってるって感じ。……一之瀬はあいつと知り合いってことでいいのね?」
「はい。学校の先輩です」
「……そう」
新島さんは腕を組み、「運が良かったな」と呟いた。
「一之瀬、よく聞いて」
「はい?」
「あんたと五条坂が知り合いだってことと、今日あいつが来店したこと。キッコさんには内緒ね」
「え? 熊野さんに?」
ちなみに僕の教育係である熊野菊子さんは、今日オフである。
「すごい仲悪いのよ」
「……知り合いなんですか?」
「私からはなんとも言えない。……というかあんたは知らない方がいい」
……まあ、気にならないかと問われれば気にはなるが、知らない方がいいと言うなら下手な詮索はやめておこうかな。
熊野さんと五条坂先輩が知り合いで仲が悪い、か。
人間関係って意外な人と意外な人が意外な形で繋がっていたりするから、そういうこともあるだろう。確かに仲が悪いなら、鉢合わせしなくて運が良かったとも思う。
「でも」
新島さんが立ち上がる。
「この時期に五条坂に会う、か……なんか嫌な予感がするなぁ……」
おいおい。
「やめてくださいよ。トラブルも事件も高校だけでおなか一杯なんですから」
バイトも半分を越え、大変だけどわりと平和な日々を過ごしていたのだ。忙しいし緊張のあまり毎日疲れきっているが、とても健全な、八十一高校での生活が嘘のような穏やかな毎日を過ごしていたのだ。
それがなんだ。
トラブルなんて。
もう勘弁してほしい。
だいたい僕の計画の本番はこれからなのだ。
格好悪いところを見られないよう仕事に慣れた後半、それも最終日付近にちゃんと段取りを組んであるのだ。僕の予定を狂わせるようなトラブルなんて絶対に起こってはならない。これまで結構順調だったじゃないか。妹や赤ジャージの襲来とか予定外のこともあったが、流れに大きな狂いは出ていないじゃないか。
それがなんだ。
これから大切な計画が動くというのに。
どうしてトラブルなんて。
もうほんと勘弁してほしい。
いったい神はどこまで僕に絶望を与えれば気が済むというんだ。
「私だって平穏無事を望みたいよ」
新島さんは溜息交じりも漏らす。でも嫌な予感は拭えない、と。
新島さんの言葉は、というか嫌な予感は、棘のように僕の胸に突き刺さり。
どうにも忘れられないまま、忘れることができないまま、いつまでもチクチクと僕の本能的危機感を煽り立てた。
もちろんというかなんというか。
あたりまえのように、新島さんの嫌な予感は当たることになる。
それも、僕が予想さえできない形で表面化するのだった。