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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
夏休みバイト編
100/202

099.夏休みバイト編 三日目  後編





「ごめん、ちょっといい?」


 まだ注文も済ませていないテーブルに座る二人は、揃って僕を見た。


「どうしたの?」


 キャラメル色の髪をした超美少女が僕を見上げている――九ヶ姫の月山凛さんだ。今日も彼女の周りだけ空気の色が違うような、そんな美少女オーラがガチ漏れである。


「あの……実は、相席を頼みたいんだけど」


 声を潜めて言う僕に、向かいに座るメガネの少女が首を傾げた――同じく九ヶ姫の清水さんだ。シャープな顔立ちに夏場でも余裕のクールさを感じる。


「もしかして一之瀬くんの知り合い?」


 察しの良い清水さんは、僕のウェイターとしての口調ではなく、素の口調であることからそう結論を出した。


「そうなんだ。僕の妹」

「え? 一之瀬って妹いるの?」

「まあね。一人で来ててさ。よかったら入れてやってくれないかな?」


 一応お一人様用の席もあるにはあるのだが、この混雑だ。身内がテーブルを埋めるのはなんだか気が咎めた。

 というかなぜ妹は一人で来たんだ。寂しい奴だな。友達いないのか? ……いや、それはないな。あいつは外面すごくいいからな。

 その辺のことは帰ってからゆっくり聞くとして。

 一人で過ごすのもアレだろうし、何よりこの二人が九ヶ姫女学園に通っているという点が大きい。


 中三で受験生の妹は、進路に悩んでいるのだ。九ヶ姫に行くことも視野に入れているので、現役で九ヶ姫に通っているこの二人の話は何かしらの指針になるだろう。

 そんな妹とこの二人が同じ場所にいる。

 これも何かのめぐり合わせと思って、思い切って相席を頼んでみたというわけだ。


「まだ僕も君たちと全然親しくないけど、清水さんなら安心して会わせられるし。頼めないかな?」

「私は?」

「ふうん……まあ別にいいけど。連れてくれば?」

「あれ? 私の意見は?」

「ごめんね、こんなこと頼んで」

「なんでこっち見ないの?」


 じゃあ早速妹を呼んでくるか。清水さんに任せるなら安心だからな!


「おい一之瀬! 私の意見と答えは!? おい! おーい!」


 誰かが呼んでいた気がするものの、僕は決して振り返らなかった。

 入り口にある数名の順番待ち用の椅子に座る妹に、「知り合いとの相席を頼んだから来い」と説明する。妹は嫌そうな顔をするが、「九ヶ姫の高等部に通ってるから、色々聞くといい」と付け加えると二つ返事でOKを出した。

 こいつの場合、外面が良いから無理やり引っ張っていっても相応の対応をする。そして僕の恥を話さない。どんな内容であれ、回り回って身内の恥として自分に返ってくることを知っているから。そういう意味では、僕はこの妹をどこに出しても恥ずかしくないと確信している。


 あと、若干ほっとしている。


 他人の目があれば、妹は猫をかぶりっぱなしでいるしかない。

 つまり、己の胃袋の限界に挑戦するかのように、高い物をバンバン注文する心配がないということだ。今日は僕のおごりだから。……一人で来たと知った時は正直ヒヤッとした。





 妹を清水さんに任せると、僕は仕事に戻った。

 今日から増えたウェイター業務は、さすがに戸惑うことが多かった。注文を繰り返さなかったり、ケーキセット付きの食後の飲み物であるコーヒーと紅茶どっちにするか聞き忘れたり、急に席を立った客にぶつかって料理を落としそうになったりと、てんてこ舞いだった。

 騒ぎになるような大きなミスがなかったのは不幸中の幸いだろうか。簡単にこなしているように見える熊野さんたちの熟練度を身を以って味わった。


 飛ぶように過ぎた時間は午後一時半ほど回り、ようやく客足が遅くなってきた。空席ができるようになり、僕らが忙しなく飛び回る必要もなくなる。

 落ち着いて店内を見回すと、いつの間にか清水さんたちと妹は席を立っていて、もう姿がなかった。途中チラ見した感じでは結構話が盛り上がっていたので、もしかしたら場所を変えてまだ話をしているかもしれない。


 そんなことを考えながらレジ付近で待機していると、見覚えのある横幅の男が入店してきた。


「ランチは間に合うか?」


 彼の第一声はそれだった。「久しぶり」だのなんだのまず言うべきことがあると思うのだが、だがその方がとても彼らしくはあった。

 やってきたのは我らが八十一高校一年B組、グルメボスこと松茂君だ。もうすぐランチタイムが終わるので駆け込んできた形である。


 始めて見る彼の私服は、黒のハーフパンツに白いポロシャツにスニーカーという普通の格好だった。

 だが、なんだろう。

 本人の持つ渋さが、その姿に若者とゴルフ好きなおじさんの中間みたいなはっきりしない印象を持たせる。……いや、正真正銘十代で、僕と同い年なんだから、若者でいいんだけどね。でもなんか……もうスラックス履いてサラリーマンの休日みたいな格好でいいよ。つかそっちの方が貫禄あっていいよ。無理して若者ファッションとかしない方がいいよ。……言ったら怒りそうだから言わないけどさ。


「まだ大丈夫だよ」


 松茂君は、食べ歩きで八十一町の食事処を制覇するという夢と野望と趣味を併せた目的を持っている。なので一応「知り合いサービスで百円引きだから」とだけ伝えておいたのだ。


 だが彼の答えは、僕の予想を越えていた。


 松茂君は、とっくの昔にこの喫茶店「7th」のメニューを制覇していた。僕は舌は肥えていないのでわからないが、どうやらグルメの舌を持ってしてもこの店の料理は美味しいと評判らしい。松茂君は「軽食のみの喫茶店ではなくレストランにでもすればいいのに。俺は『7th』のシェフの本格的な飯が食いたい」と漏らしたくらいだ。


 なので、彼が求めるものは日替わりランチということになる。こちらはボリュームもそのものも食事として成立しているメニューだからだ。

 その内行くかもしれない、とだけ聞いていたが、それがたまたま今日だったというわけである。


 たぶん、連れている女の子が影響しているのだろう。


「……その人が噂のハニー?」


 僕の視線を受けて、問題のハニーは「こんにちは」と微笑んだ。

 確か、松茂君の恋人に近い両想いがわかっている幼馴染という話だったはず。羨ましさと「ハニー」の衝撃とともにちゃんと憶えているとも。

 大柄な松茂君とは対照的な、小柄な女の子だった。七分丈のスリムジーンズにキャミソールという夏らしい格好で、顔立ちは地味だがかなりかわいいと僕は思う。着飾ったり髪型を変えたら劇的に変身するタイプと見た。


「紹介してもいいが、一之瀬はまだ仕事中だろう? 次の機会にな」


 まったくその通りなので、僕は松茂君とハニー(仮名)をテーブルに案内した。





 予想外の人物がやってきたのは、この時だった。


「一之瀬くん、お客様案内して」


 僕の背後をケーキを持って通り過ぎる時、熊野さんが小さな声で囁く。見れば二人連れの女の子が入ってきたところで、案内する従業員を待ちつつショーケースのケーキを見ていた。

 僕は急いで戻り、二人に声をかけた。


「いらっしゃいませ。お待たせいたしました。こちらの席へ、……どうぞ」


 二人の片方が気に掛かった。一目見た時は「見覚えがあるな」程度だった。でも昨日のしーちゃんに激似な生駒ショックよりはぼんやりとしていて、僕はすぐには思い出せなかった。


 ――誰だっけ?


 どこかで会ったことがあるのは間違いない。だが僕の知り合いは少ない。女子となると特に少ない。見た感じは高校生で……高校生の女子なんて、それこそ九ヶ姫の女の子しか知らないが、間違いなく九ヶ姫の知り合いではない。

 こうして可能性を潰すと、やはり、首を傾げるほどわからない。

 相手も違和感なく接しているので、僕が一方的に知っているのか? それともフツメンの店員の顔なんていちいちチェックしないのか?


 席に案内して、改めて見ても、やはりどこかで会ったことがあると確信はできるがどうにもピンと来なかった。


 そう、僕は憶えていなかった。

 だって、僕が主に彼女を見ていたのは、後姿ばかりだったからだ。


 お冷とメニューを持ってその席に戻ろうとしたその時、彼女のマッシュルームカットに見える後頭部を見て、記憶の光景と現実が一致した。


 ――赤ジャージだ! 間違いない!


 僕が確信を持った瞬間、彼女もバッと振り返った。憶えのある視線を感じたのかもしれない。そう、朝の因縁めいた視線を。もしくは女の(シックスセンス)だ。

 そして、いつもは白いジャージの僕が今はウェイターに扮しているのを見て、今はシンプルなタンクトップとジーンズという様相の赤ジャージは、驚愕のあまりぽかんと口を開けた。


 まさかこんなところでこんな再開を果たすとは思わなかった――それが恐らく僕と彼女が共通する想いだったに違いない。


 しかし、僕は驚きとともに、脅威を感じていた。


 それはお互いの立場である。

 ぶっちゃけた話、お客様の方が立場が上だ。

 しかも僕はしがない代打のバイト。絶対に客の機嫌を損ねたり、まあそれだけならともかく、店の不利益に繋がるような失態を侵すわけにはいかない。


 このままだといびられるんじゃなかろうか。

 彼奴きゃつめの性格の悪さ、根性の曲がり方を知っているだけに、その可能性は否めない。いやむしろ高いと言えるだろう。

 あれほど朝の因縁で見かけたら必ず張り合っている者同士なのに、振って湧いたようなこれほどの上下関係。黙って見過ごすとは思えない。


 ここは一つ、僕からかます必要がある。

 彼女がアクションを起こす前に、僕の方からイニシアチブを取り彼女を押さえ込むのだ。


 だが、問題はどうすればいいかだ。

 何をかませばいい?

 先制する方法は?

 そもそもどのようにしたいのかさえ漠然としていて、想像もついていない。


 わからない。

 今この立場で、僕に何ができるというのか。


 決して顔に出ないよう悩みつつ、僕はお冷とメニューとおしぼりを持ってテーブルに向かう。

 まずい。まずいぞ。どうしよう。


 それこそ振って湧いたような絶望的な状況に焦燥し、じりじり心を焦がされながらも足を止められない事態に窮する僕は――まさに天啓のように鼓膜を叩く声に救われることになる。





「日替わりの男性用Aと女性用Bを。ケーキセットもつけて」





 少し離れた席から聞こえた松茂君の低い声が、僕の脅威を払拭した。

 まったく……球技大会の時といい、本当に頼もしい奴である。


「メニューをどうぞ」


 未だ驚いている赤ジャージより、僕の閃きは早かったようだ。

 僕は努めて冷静に、何の変哲もないウェイターとして仕事をし――そして挑発的に笑いながら赤ジャージを見下ろした。


「おすすめは日替わりメニューです。男性用はボリュームがあるので女性用をどうぞ」


 このセリフは、業務上言ってもいいものである。おすすめを聞かれてもこのように答えるのだ。ちなみに男性用と女性用の区別は五十円ほど値段が違い、ボリュームに若干差が出る仕様となっている。


 驚くばかりだった赤ジャージは、この時始めて理解した。


 ――僕が挑戦状を叩き付けたことに。


 ――君じゃ食べきれないから頼むなよ、無駄なことするなよ、と言っていることに。


 実際のところ、僕には何の力もないし、立場上弱い方にある。

 それに、彼女が僕の挑戦状を受ける必要なんてまったく全然これっぽっちもない。

 だいたい、せっかくの外食なんだから好きなものを食べればいいのに、なんでわざわざ食べるものを指定されるような挑発に乗る必要があるのだ。


 冷静に考えれば、こんなつまらない勝負に乗るより、普通に僕をいびった方が楽しい上に快適だろう。

 デザート付きで美味しいものを食べられるわ、なんか因縁があるライバルはいじめらるわ、いじめないまでも店員として最低限は尽くしてくれるわ、これほどちょっとした優越感にひたれる状況も珍しいのではなかろうか。


 僕は彼女が、そこまで考えられないほどバカだとは思えない。

 きっと彼女はわかっている。

 頭のどこかでは、こんなバカバカしい挑戦状なんて無視すればいいと理解している。


 ただ、彼女は負けず嫌い過ぎるのだ。

 だからこそ、朝の因縁が生まれているのだ。





 彼女は、挑発的に笑う僕を睨みながら、テーブルに置かれたメニューを広げることなく堂々と言った。


 「日替わりA。男性用。ケーキセット付き」と。


 ――よっしゃ! いびられ回避成功!


 勝負よりなにより、僕にはそのことが一番嬉しかった。

 まあ、赤ジャージが食べ切れなかったことも嬉しかったけどね! 





 こうして、なんとか勝負というレールを引くことに成功した僕は、内心小躍りしながら喜んでいた。

 だが、さすがにこのままじゃまずいだろうと思う。


 なので、赤ジャージがトイレに立った隙を見て、もう片方の――たぶん学校の友達なのだろう同年代くらいの女子に声を掛けた。


「すみません」

「はい?」


 女の勘はとても鋭い。この人も、たぶん僕と赤ジャージが初対面じゃないことはわかっているだろう。


「あの……これ、できれば割り勘って形で使っていただけたら……」


 と、僕が差し出したのは、バイト初日に店長から貰った五百円の割引券である。


「ん? なんで?」


 赤ジャージと違って、友達は良識があるらしい。彼女は割引券を見ても受け取らなかった。貰う理由がないからだ。

 ほんと赤ジャージにはもったいない友達である。友達は選んだ方がいいよと言ってあげたいが、いつあの赤ジャージが戻ってくるかわからないので、手早く済ませないと。


「お連れの方に、望んでいないものを頼ませてしまったかもしれないので」


 もしかしたら彼女はフレンチトーストとかその辺の軽食で良かったのかもしれない。仮に日替わりを頼むつもりだったとしても、男性用を選んだ時点で明確に五十円分多く払うことになるのだ。

 たかが五十円だけど、されど五十円だ。

 言うと彼女は「ああ、やっぱり挑発してたんだね」と笑った。まあ、僕の挑発は、事情も何も知らない相手でも非常にわかりやすかったのだろう。


「ここの日替わり美味しいから別にいいのに。でもそれじゃ気が済まないだろうから貰うね」


 そう、遠慮される方が困る。

 僕と赤ジャージが対等であるために、勝負という形であっても、片方だけに負担を掛けるのはフェアじゃない。


 割引券を受け取ってくれた彼女に一礼し、僕はテーブルから離れた。





 本当に予想外の再会だった。

 ここのところ、朝は全然会わなかったから、特に驚いた。


 もし松茂君が来ていなかったら、大変なことになっていたかもしれない。


 ――何せ赤ジャージとその友達は、これから毎日通ってくることになるのだから。





 そう、彼女は負けず嫌いだから。


 ……本当によかった。


 勝負という体裁を作ることができて本当によかった。











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