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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
五月
10/202

009.五月九日 月曜日  前半



 いったい何が起こった?

 僕は今、自分に何があったのか、何が起こっているのか、よくわからない。

 よくわからないが、しかし。


「あらあら震えちゃって。かわいいわね」

「うふん。よく見たらかわいい顔してるじゃない」


 ねっとりとした背筋が凍る甘い声を、僕の脳が認識してくれない――否、必死で否定しようとしている。


 …………まさか。

 …………もしかして。


 これは貞操の危機というやつなのだろうか?





 何があったのか、冷静に思い出してみよう。

 ああ、僕の大切な男が、主に下半身的な部分が崖っぷちに立たされていようとも、今は冷静に考えろ。焦るな、一之瀬友晴。まだゆっくりでいい、ゆっくり周囲を見回せ。恐怖のあまり泣き喚くほどの余裕はない。冷静に現実を見るんだ。耳に掛かる生暖かい息は無視して。


 僕はカッと目の前の人物たちを見……いやダメだ。僕には直視する勇気がない。やばすぎる。


 こんなに(貞操的な意味で)本能が震えるほどの恐怖なんて、中学時代に経験した高校生四人によるカツアゲ被害の時以来だ。だがこっちの方が段違いで怖い。違う意味で怖い。耳に掛かる生暖かい息も含めて。


 順番にいこう。

 目の前の現実はまだ追えない。

 だから、どうしてこうなったか、僕が今どうなっているか、そこから始めよう。


 順を追え。

 一つ一つ確実に。

 今取り乱したらそれこそ終わりだ。

 僕は必死に、ほんの三分前のことを思い出そうとした。耳に掛かる生暖かい息を無視して。





 時刻は昼休み半ば。

 僕の腹にはすでに妹が作った弁当が詰められ、特にやることがなく時間を持て余していた。


 高井君はよそのクラスの連中にバスケに誘われ(脱ぎながら)行ってしまったし、柳君も気がついたらふらりとどこかへ消えていた。

 クラスメイトたちも銘々に時間をすごし、地味に暇しているのは僕だけなのではなかろうか。


 ……よし。

 今までこんな風に間の抜けた時間がなかったせいで、ゆっくり校内を見回ったことがない。この機会にちょっとうろついてみようかな。

 僕は席を立ち、教室から足を踏み出した。


 特に気になるのは旧クラブハウスだ。

 聞いた話によると、何年か前に新しくクラブハウスが建てられたそうだ。その際、主立ったクラブは新築の方に移住し、問題なく今日に至る。

 問題は、古い方のクラブハウスだ。


 元々クラブハウスの建て替えは、非公式っぽい部、いわゆる同好会的な連中が連盟で嘆願書を生徒会に提出、それがきっかけとなって実現したらしい。当然、同好会連盟の目的は部室の確保だ。こうして旧クラブハウスは怪しげな同好会の溜まり場となった。

 ――と、自称情報通のクラスメイト渋川君が言っていた。


 というのも、今日の朝からクラブ勧誘が始まったのだ。

 八十一高校春の名物「新人狩り」と呼ばれる、一年生には悪夢のようなクラブ勧誘一週間が。

 「入れちまえばこっちのもんだ」精神が確立している八十一高校では、かなり強引な勧誘が行われるらしい。全盛期の眠らない大都会のポン引きも真っ青の超高校級の勧誘が。それってどんなだ、って聞けば、校舎裏やトイレに連れ込まれて入部届けを書くまで囲むとか脅すとか平気でするとか…………率直に言って、現代のヤク●さんだってもうちょっと合理的かつ建設的だろと思えるような手段をも講じるのだとか。


 僕は今日はたまたま寝坊して遅刻寸前に来たため、難を逃れたのだが。

 教室に着いたら同じ帰宅部だったイケメングループの一人、黒光りする肌が眩しい大喜多君が、見事に柔道部に狩られたと話題になっていた。「柔道部だけに足まで刈られちったー」といつも通りチャラく言い放つ大喜多君の目には光るものが……本気で投げられたらしく埃っぽくなってしまった次代のオシャレ最先端の背中に、僕が同情を禁じえなかったのは言うまでもないことである。


 今週一週間、登下校時に先輩方が新入部員確保のために校門付近に立ち、僕ら一年生をその歯牙に掛けようとするわけだ。本当にシャレにならないくらい激しく。熱く。執拗に。ねちっこく。

 僕はてっきり、出遅れた入学式からの一週間で、クラブ勧誘は済んでいたんだと思っていた。何せもう五月である。四月は過ぎているのである。勧誘するには遅すぎるだろ、と。

 僕が浅慮であったと言うべきだろう。


 できるだけ被害を減らすため、時の生徒会が「すでに所属している一年生に無理な勧誘をするべからず」という、名物という名の伝統に新たなルールを追加した結果、余裕のある自発的入部期間を設けられた。その結果4月いっぱいの余裕ある入部期間が取られ、五月の今日から勧誘解禁となったわけだ。


 ちなみに、僕らの憧れの二年生、守山おねえさ……アニキが所属する応援団は、クラブという括りではあるが勧誘はしない。代わりに、勧誘が始まる前の週の最終日に、ああして八十一高校にも応援団があることを主張することを許されているそうだ。

 たった一日の主張でも入団者が尽きたことがないのは、やはり代々団長を務める三年生の男気に憧れる一年生が少なくないからだろう。僕だって感じ入るものはあった。かっこよかった。……直後に訪れた守山先輩ショックでだいぶ霞んでしまったけれど……


 まあとにかく。


 つまり僕も「新人狩り」の被害に遭い、どこかのクラブに無理やり入部させられる可能性があるということだ。というか自分で言うのもあれだが、僕なんてかなり良いカモだろう。肉体的に強くないし、気も弱い方だ。残念ながら抵抗できる自信がまったくない。これっぽっちもない。


 不安に駆られる僕に、「新人狩り」の比類なき残酷さを語った自称情報通の渋川君は、同時に抜け穴も教えてくれた。

 それはとても簡単なことで、要するにクラブに所属していればいいのだ。基本的に掛け持ちは認められていないから。


 そこで旧クラブハウスの話に戻る。

 たとえ同好会でも、所属さえしていれば、勧誘は免れることができる。

 もう毎日疲れることだらけでやる気はあまりないが、僕でもできそうで、かつ面白そうな部、というか会があれば、入ってもいい。元々高校入学を機に冴えない自分とさよならしようと思っていたのだ。


 最悪、名前だけ貸して幽霊部員になるのもいい。「新入生が欲しくない同好会の先輩なら、事情を話せば協力してくれるかもよ」と渋川君も言っていたし。

 食堂へ向かう渡り廊下から外へ出て、芝生を踏みしめて校舎の裏の方へ回りこむ。一気に喧騒が遠くなったように感じられた。


 人気はまったくない。

 それはそうだろう、まだ午後の授業があるので、クラブハウスに用がある生徒自体が少ないはずだ。教科書とか全部部室に置いてあって定期的に取りに行くとか、部室で仲間と昼食を取るとか、それくらいではなかろうか。


 確かこっちのはず……あ、あった。

 校舎の裏にある山――八十一山の生命力溢れる山林に半ば呑まれているかのような、元は白かったのだろうクリーム色に変色しているプレハブ住宅。あれこそ旧クラブハウスだ。覆いかぶさるような新緑の下にひっそりと佇むそれは、妙に味がある光景に見えた。


 歩み寄ってみる。

 どれくらいの部室があるのかはわからないが、平屋で横に長い。パッと見では十部屋くらいはあると思う。

 手前の端から、ドアに付けてあるつつましいネームプレートを見ていく。


 ――TC同好会

 なんの略だろう? T、C……「たくさん・自転車に乗ろう」同好会とか? Cって確かサイクルの略号だもんな。

 まあいいや。次は、


 ――レトロゲー同好会

 これはわかる。古いゲームソフトで遊ぼうって同好会だな。


 ――演劇同好会

 なんか……微妙に触れづらいな。演劇部は普通にあったはずだし……方針の違いで内部分裂でもしたんだろうか。プロレス団体のごとく。


 ――ONEの会

 ワン? 1? 1の会? ……なんかの略か?

 少し考えてみたが、わからなかった。

 さて、次は――





 次は、気がついたら、これである。

 これでようやく今に繋がった。


 恐らく、きっと、「ONEの会」のドアが開き、僕はそこに引きずり込まれたんだと思う。……背中のぬくもりと耳に掛かる生暖かい息の持ち主に。


 状況がわかってきたところで、なけなしの勇気を振り絞って前を見る。

 目の前に、二人の男がいる。


 一人はスカートを穿いていて、黒タイツを履いていて、ぜひ弥生たんかしーちゃんか守山先輩にしてほしい格好で椅子に座り、び、び、び、……いやだ美脚だなんて思いたくない! そうなんか椅子に座って普通に足を組んでい――やめろ! てめえ! あの野郎、僕が見てるのを確信して足を組みかえやがった! 畜生! でも一番腹立たしいのはその魅惑の黒タイツに目を奪われ視線を背けられなかった自分自身だっ……!


 ……いや、落ち着け、一之瀬友晴。とにかく落ち着け。

 僕は深呼吸をする。耳に掛かる生暖かい息に気付かないふりをして。


 目の前に二人の男がいる。


 一人は、そう、ヘンタイだ。スカートに黒タイツで美人な保健室の先生っぽい夢のあるスタイルで、椅子に座って僕を見ている。だが惜しむらくは立てば身長百八十センチを超えるであろう上背と、体重百キロを超えるであろうムッキムキのゴリマッチョであることだ。伸びきった黒タイツからうっすら見える鋼の筋肉、椅子の軋む音が断末魔にしか聞こえない。訴えたら罪状なしでも勝てる気がする。


 もう一人は、そんなヘンタイの傍らに立っている……やはりこいつもヘンタイらしく、スカート着用の男である。マイクロミニにニーソックスで魅惑の絶対領域を再現している。でも訴えたらギリギリで負けるかもしれない……それなりに似合っているから。


 そして最後に、僕を「ONEの会」の部室に有無を言わさず引っ張り込んだ諸悪の根源。僕をがっちりホールド――僕の背中から両腕ごと抱き締め、なおも拘束し続ける間違いようのないヘンタイ。こいつの場合はすでに犯罪者として訴えたら勝てるだろう。余裕で。


「な、な、な、な、」


 うまく声が出ない。抱き締められて苦しいのもあるが、とにかくこの異様な場所、異様なシチュエーション、そしてうっすら感じている……あるいは認めたくない貞操の危機のせいだ。

 確かめるのが怖い。とにかく怖い。

 だが、確かめないわけでにはいかないだろう……このままじゃ背後の野郎にズボンのベルトを外されかねない。かなり本気で。


「な、な、なんなんすか、おたくら……」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 そして、ゴリマッチョは言った。足を組み替えながら。





「おねえの会へようこそ。ぼ・う・や★」


 お、お、お、おねえ、の、会……?


 ――O・N・E

 ――お・ね・え


 いったい誰が予想できただろう。

 僕は男子校である八十一高校の敷地を歩いていて、「新人狩り」を避けるために旧クラブハウスの前に来て。

 前触れなく拉致られて。

 そして今、貞操の危機にあるらしい。


 だ、誰か助けてっ。









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