冷笑令嬢は本当は思い切り笑いたい
伯爵令嬢クラリーナ・カルドは“冷笑令嬢”と呼ばれていた。
“冷笑”とはあざける笑い、蔑む笑いという意味だが、クラリーナの場合は少し違っていて、目を細めうっすらと口角を上げる様がとても冷ややかで美しいという意味合いだった。
カルド家の人間に多く見られる銀髪を特に美しく受け継ぎ、深い碧眼を持つクラリーナが微笑むと、見た者はたちまち耳に吐息を吹きかけられたようなゾクリとした感覚を味わう。
「クラリーナ嬢の冷笑……今日もたまらないな!」
「この体温が2、3度下がってしまうような感覚が癖になる!」
「最近はクラリーナ様の笑顔が見たくて、夜会に来ているようなものよ」
異性のみならず、同性にもファンができてしまうほどだった。
デビュタントからまもないにもかかわらず、瞬く間に社交界の主役となっていくクラリーナ。
しかし、彼女の本心は――
(ああ……思い切り笑いたい。大きく口を開けて、歯を見せて……)
彼女が“冷笑令嬢”と呼ばれるようになるきっかけは、幼い頃にまで遡る――
***
五歳の頃、クラリーナは家族からこんな褒められ方をする。
「クラリーナは冷たい感じで笑うとよく似合うな」
これに気をよくしたクラリーナは“研究”をするようになった。
うっすら微笑んでいる肖像画を眺め、積極的に演劇鑑賞をし、さらには“氷の夫人”と呼ばれる貴婦人の観察も行った。いわば、冷笑のセルフ英才教育。
クラリーナの冷笑は本人も知らず知らずのうちに磨き上げられていき、ついには父親も、
「お前に冷たく微笑まれると、魅入られそうになってしまうよ」
と評するようになる。
こうなると、クラリーナは当然、ますますこの武器を磨くようになる。
(私のこのちょっと冷たい感じの笑顔は、みんなを喜ばせる力があるんだわ!)
鏡の前で来る日も来る日も練習を繰り返す。その様はまるで刀を砥石で研ぐ職人さながらであった。
クラリーナはデビュタントを迎え、この笑みをひっさげ、たちまち社交界で“冷笑令嬢”と呼ばれ、注目を集めていく。
狙い通りではある。しかし、クラリーナが冷笑を極めたのは“みんなを喜ばせたい”ためであり、「あのクールさがたまらない」などと評価されるのは少し違っていた。
クラリーナはそのギャップに苦しむことになる。
ついには、クラリーナは父の付き添いで王城を訪れた際、国王にこう乞われてしまう。
「君は“冷笑令嬢”と言われているそうだね」
「は、はい……」
「どうだろう。余に君の冷笑を見せてくれんか」
「かしこまりました」
この頃すでにクラリーナは自身の冷笑に嫌気が差していたが、国王から頼まれてはやらないわけにはいかない。クラリーナは渾身の冷笑を見せつける。
「おおっ……! たまらん! こんな冷笑をされては、ついつい我が国を差し出したくなってしまう!」
クラリーナはたまらず冷たく苦笑いする。
「ご冗談をおっしゃらないでください」
「ううっ……ますますたまらん! 恐ろしい令嬢が現れたものだ……!」
国王にまで気に入られてしまっては、いよいよ“冷笑令嬢”をやめられなくなる。路線変更のタイミングを完全に逸してしまう。
夜会に出るたびに冷たい笑みを浮かべ、「ゾクゾクした」「体温が下がった」「氷のような美しさ」と喝采を浴びる日々。着実に心身の乖離は進んでいく。
ある日、クラリーナは自室の鏡に向かって、笑い顔を作ってみた。
すると――
(いくらやっても、“冷笑”になってしまう……!)
思い切り笑っているつもりでも、相手を蔑むような、一歩引いて見るような、冷ややかな笑みになってしまう。
クラリーナは愕然とする。
(もしかして、私はもう思い切り笑うことができないのかもしれない……)
クラリーナもいずれは特定の男性と交際し、結婚をし、夫人となるのだろう。
結婚しても思い切り笑えず“冷笑夫人”と称されるようになるのだろうか――それを想像すると、クラリーナの心に暗い影が宿った。
しかし、皮肉なことに、こうした負の心境はクラリーナの冷笑をますます研ぎ澄ませてしまうのである。
***
クラリーナは相変わらず夜会で目立つ存在となっていた。
アプローチをかけられることも多いが、どうにも乗り気になれず、持ち前の冷笑でやり過ごす。そんな彼女の姿はますます大勢を魅了してしまう。
さて、クラリーナがある夜会に出席していると、大物が現れた。
公爵令息リーゼル・ハイヴァルム。
まばゆい金髪、琥珀色の瞳、穏やかな顔立ちで、白いスーツがよく似合う美丈夫だった。
優れているのは容姿だけではなく、すでに領地経営において才能を発揮し、剣や槍の腕もずば抜けている。
リーゼルはクラリーナに近づいてきた。周囲は「やはり目当てはクラリーナ嬢か」という納得の視線を向ける。
「クラリーナ・カルドだね? 巷では“冷笑令嬢”と呼ばれているとか……」
「はい」
「君の冷笑を一度拝見してみたい」
「よろしいですよ」
クラリーナは十八番の冷笑を浮かべる。
すかさず「たまらない!」「ゾクリとする!」などの感想が飛んでくるはずだ。
周囲の誰もがそう思ったし、クラリーナ自身ですらそうだった。
だが、リーゼルの表情は冷めたものだった。
「ふうん……」
「え?」
「いや、すまない。なんというか、あまり心に響くものはなかった」
「なんですって……!?」
思わず声を上げ、目を見開くクラリーナ。
不思議なもので、クラリーナにも自身の冷笑へのプライドは少なからずあった。
なにしろ幼い頃から磨き上げてきた武器なのだから。
「何が足りないというのです?」
リーゼルは顎に手を当てる。
「心からの笑いじゃない。君は本心からそんな笑みを浮かべたいわけじゃない。そんな気がするんだ」
「……ッ!」
急所を突かれたような思いになる。
これまで誰も、肉親ですら見抜けなかったクラリーナの心の内を初対面で見抜いてしまった。
とはいえ、クラリーナにもプライドはある。そうなんです、よく分かりましたね、とは言えない。
認めてしまえば、それは曲がりなりにも“冷笑令嬢”として生きてきた年月の否定になってしまう。
「もしそうだとして、だからどうだと言うのです? 私はこの笑みで“冷笑令嬢”と呼ばれる身になりました。私にはこの笑い方しかできませんし、他の笑い方をする必要なんてないんです」
本当は必要なんてないんじゃなく、できないんだけどね。
クラリーナは自嘲気味に言う。
「だから、私が君を思い切り笑わせてみせよう」
「え」
「一ヶ月欲しい。一ヶ月後、私は必ず君を笑わせてみせる。それじゃ」
リーゼルは去っていった。
一方的に約束される形となり、クラリーナはその背中を呆然と見つめていた。
***
邸宅にて、従者がクラリーナに話しかける。
「リーゼル様がクラリーナ様を笑わせるとおっしゃったそうですね」
「ええ」
「どのように笑わせるつもりなのでしょうね?」
「分からないわ。どうせ無理でしょうけど」
またも冷笑してしまう。彼女の中でも癖になってしまっている。
(リーゼル様はいったいどうやって私を笑わせるつもりなのだろう……)
貴族男性の笑わせ方といえばやはり――
(甘い言葉でもささやいて、私を喜ばせようというのかしら)
クラリーナはあざけるような笑みを浮かべる。
(それこそ浅はかというものだわ。もしそんなことをしてきたら『キザったらしいですね』と皆の前で冷笑してあげましょう)
***
一ヶ月後、王都で大規模な夜会が開催される。
クラリーナとリーゼルは約束通り会場に姿を見せていた。
夜会が優雅に進む中、注目されるのは当然リーゼルが提案した“約束”についてだ。
「どうやって思い切り笑わせるつもりだろう……?」
「無理だと思うわ」
「何をしようと、冷たい笑みで返されるのがオチだろうな」
下馬評はクラリーナ有利。いくら優秀な公爵令息とて冷笑令嬢を思い切り笑わせるのは不可能……と予想される。
リーゼルが老従者とともにクラリーナに歩み寄る。
「来てくれたね」
「ええ」
「後ろにいるのは家令のトムスだ。まあ、見届け人と思ってくれ」
「かしこまりました」
「では……手品を披露したいと思う」
「はい?」
予想外の展開にクラリーナはきょとんとする。
「だって他人を楽しませるといえばやっぱり手品だろう?」
(そうかな……)
リーゼルは両手を出した。右手には金色のコインがある。
冗談などではない。この人は本気で手品をするつもりだ。クラリーナは戦慄する。
「今から右手のコインを左手に瞬間移動させる。いいね?」
「は、はい」
リーゼルは右手のコインを握り、念力を込めるように声を上げる。
「むむむ……」
しかし、この時クラリーナは重大なものを発見してしまう。
(……ッ! あ、あれは――どうしよう。言うべきか……)
リーゼルは真剣である。だから嘘はつきたくない。クラリーナは言ってしまうことにした。
「あの、リーゼル様……」
「ん?」
「右手の指に、握ったコインを挟んでるのが見えてますが……」
「え!?」
この指摘にリーゼルは動揺してしまう。
次の瞬間、左手の袖に入っていたコインが床に落ちて、チャリンと鳴った。
手品のタネはこうであった。
コインを二枚用意し、一枚は左腕の袖に仕込み、もう一枚は右手にあることを示してから握り込む。そのまま右手のコインを右手の指に挟んで隠し、それから左腕の袖に仕込んでいたコインを左手にそっと移し、瞬間移動を演出する。
しかし、結果は――
リーゼルはコインを拾いながら青ざめる。
「し、しまった……! 一ヶ月も練習したのに……!」
クラリーナは驚愕する。
(一ヶ月!?)
彼女の脳裏にさまざまな思いが湧き上がる。
私を笑わせる策がまさかの手品だった。
出来栄えは、一ヶ月も費やしたにしてはあまりにもお粗末だった。
そして――私のために一ヶ月も頑張ってくれた。
色んな感情がクラリーナに芽生え、つい――
「うふふっ……! アハハッ……!」
「クラリーナ……」
「あ、ごめんなさい……! でも……!」
手品の失敗を笑われたにもかかわらず、リーゼルの顔は温かかった。
「笑ってくれたね」
「あ……!」
クラリーナは笑っていた。
いつもの冷笑ではない。口を大きく開けて、歯を見せて、令嬢としてははしたない笑い。
しかし、厳しい冬を乗り越え、ようやく咲いた花のような美しさがそこにはあった。
クラリーナも目を細め、答える。
「笑ってしまいました」
リーゼルはささやく。
「君の冷笑のファンだった人たちには悪いが、私は今の君の笑顔が好きだな」
「ありがとうございます」
この時、クラリーナは気づく。
「もしかして、リーゼル様……。あなたは私を笑わせるために、わざと手品を失敗して……!?」
「ま、まあね」
すかさず近くにいたトムスが答える。
「いえ、違います。リーゼル様の実力です」
「トムス!」
「リーゼル様は文武に長けたお方ですが、残念ながらものすごく手先が不器用でしてね。ネクタイを結ぶのにも毎日苦労されるほどで……」
「ト、トムス……」
これを聞いたクラリーナは――
「そういえば、ネクタイ……ちょっとずれてますね」
「えっ、ホントかい!?」
リーゼルは慌てて胸元を確認する。
「冗談ですよ。冗談」
「参ったな」
「アハハッ……」
再びクラリーナが笑う。その笑顔は、向日葵のように明るく、優しい光に満ちていた。
「いい顔だ。できることなら、君の笑顔を一番近くで見られるところにいたい」
「はい……!」
一部始終をずっと見守っていた周囲からも拍手が起こる。
「では、私からお二人に手品をお贈りしましょう」
トムスが手品を開始する。
その腕前はプロ級といってよく、コインの瞬間移動などは朝飯前。
それどころか、コインを増やす、消す、コインの色を変える、さらにはコインを花束にしてクラリーナにプレゼントするなんて芸当までやってのけた。
先ほどよりも大きい拍手喝采が起こり、リーゼルが苦笑いする。
「トムス、ますます私の立場がなくなるじゃないか」
これを聞いたクラリーナはますます笑ってしまう。
得意とした冷笑を肥料にして咲き誇る彼女の温かい笑みは、瞬く間に多くの人の心を上塗りしていく。もはや彼女に冷笑を求める者はいない。
こうして、クラリーナは“冷笑令嬢”を卒業した。
***
数年後、クラリーナはクラリーナ・ハイヴァルムとなっていた。
長い銀髪を後ろでまとめ、白いロングドレス姿でしずしずと歩く様は、一流の貴婦人の風格が備わっている。
日傘を手に出かけようとするクラリーナに夫リーゼルが言う。
「お出かけかい、クラリーナ」
「ええ、領民の方々とおしゃべりでもしようと思って」
「君の笑顔を見た人はたちまち元気になって、よく笑い、よく働き、よく眠るようになるという。よろしく頼むよ」
「くすっ、大げさよ。だけど私が役に立っているとしたら嬉しいわ」
従者を伴い、クラリーナは出かけていく。
今では彼女は温かい笑みが似合う“陽笑夫人”と呼ばれ、領地と領民を明るく照らしている。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




